ついに日本の時代=本物の時代がやってきました Vol.4 | 中讃ミドルクラブログ

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陸上は楽しくありたい!が原則で,それでも本気で世界一のアスリート育成を目指す,うどん県骨付鶏市を拠点に活動中!陸上クラブの日常を書き綴ります。

話は,どんどん長くなりますが,言いたいことを伝えるためにはそれこそ筋道を立てて話さないといけませんからそこは我慢してください。
というわけで,日本のスポーツ力はどんどん世界に引き離される一方となりました。
もちろんその間,何もしなかったわけではありません。
それこそ当事者たちは必死で改善の道を探っていたわけです。
でも結果に結びつかなかった。
なぜでしょう。
私はその答えは,日本の側と世界の側両方にあると考えています。

まず,日本の側から説明しましょう。
日本が世界に後れを取った最大の原因は強い国の真似をしたからだと考えています。
これは,戦争に負けたことによるコンプレックスのなせる業でしょう。
第二次世界大戦でこてんぱんに負けた結果,それまで日本人の中にあった「欧米何するものぞ」という気概がなくなってしまったのです。
「何をやっても欧米には勝てない」という敗北感が日本中を支配してしまったのだと思います。
「でも実際アメリカ人は体も違うし・・」という人もいるでしょう。
しかし,戦前のオリンピックでは,日本は陸上・水泳で大活躍していたんですよ。
知っていましたか?
三段跳では,織田,南部,田島選手が見事に3連覇しました。
つまり日本がずっと世界一だったわけです。
でもそれだけではありません。
走幅跳でも2回続けて銅メダル,棒高跳でも連続で銀メダル,ベルリン大会では2位と3位を分け合いました。
マラソンでも三回連続入賞しベルリンでは金と銅メダルに輝いています。
長距離でも村社選手が5000m,10000mでともに4位,走高跳でもダブル入賞,100mでは吉岡選手が6位,400mR、1600mRでも入賞という大活躍だったんです。
水泳に至っては,アメリカさえも敵でなく400m自由形以外は全部優勝という活躍ぶりでした。
ちなみにこれまた香川県出身の遊佐正憲選手が800mリレーで2度金メダル,100m自由形で銀メダルに輝いています。

私は,これはやはり,気持ちの問題だと思います。
まだ敗戦経験のない時代でしたから自信満々で臨んだのでしょう。
体格の差ですら「大和魂」を発揮すれば恐るるに足らないと思ったんでしょうね。
その位自信というのは勝負の世界では大切なのです。
それが敗戦とともに自信を失い「どうせ何をやっても負ける」という負け犬根性がついてしまったのでしょう。
その上戦後の教育は「欧米の真似」が基本ですから,近づくことはできても抜くことは無理です。
また,食糧事情も悪く栄養も不十分でしたから,スポーツどころではないという事情もあったでしょう。
しかし,それを差し引いても東京オリンピックの頃には克服できたはずです。
それがいつまで経っても負け犬のままだったというのは,私はトレーニング方法に誤りがあったのではないかと思っています。

その最たるものが東京オリンピック辺りから言われ出した科学的トレーニングでしょう。
それまでの日本の練習は「根性」一辺倒で科学が無視されてきたというわけです。
敗戦の原因もこの延長にあったからです。
しかし,ここには大きな間違いがあります。
それは戦前のメダリスト達は,ほぼ間違いなく「科学的トレーニング」をしていました。
それを戦後は正しく伝えようとせず,例によって「お涙ちょうだい」のドラマに仕立てあげたのです。
ドラマチックに本や映画にすれば売れますから。
しかし,それは大間違いです。
私は本が大好きですから,様々な本を読んで研究しましたが,前述した三段跳びの織田,南部,田島選手や長距離の村社選手でさえ,無茶な練習はしていません。
極めて合理的なトレーニングを行っています。
例えば村社選手の練習日誌によれば,今の箱根を目指す大学生より遥かに少ない練習量です。
それも「今日は筋肉が疲労しているのでマッサージのみ」というような記述もあります。
それが正しく伝わらずに「血反吐を吐くような猛練習に耐えて栄光をつかんだ」ということにされてしまっているのです。
これに,多くの若者がだまされてしまったんです。

続きは次回。
では,また!!