僕はヒーローになりたい。
ひとたび自分にボールが渡れば、点数をきめてチームを勝利に導くヒーローになりたい。
二年生の時に試合に出た。
ボールをもらえばゴール前に突っ込んだ。
迷いはなかった。そのすべてが相手に潰された。
時々相手からファールを貰って、誰かが点数を決めたりしていた。
自分のゴールに向かう姿勢や、ファールを貰った事を褒める言葉もあった。
褒めてくる奴、全員ぶん殴ってやろうと思った。
点数が決まらない事に、腹が立ったし相手のファールされるのは痛いし、少しも嬉しくなかった。
特に誰が点数を決めたとかどうでも良かった。
シュートは数打ちゃ当たるし、いつか入るだろうと思ってた。
まあ経験試合だし、試合に負けたのは俺のせいでもなんでもない、そう自分の中で片づけた。
次の年にATに転向した。ゴールに近い方が点は取れるし
俺はもっと点が取れるプレーヤーだからというのが理由だった。
転向した最初の練習試合で三点くらい決めて、ああやっぱり俺は上手いな、
ATになって正解だと思った。
片手で奇抜なプレーも増やした。そっちの方がかっこいいし、目立つから。
ミスは増えたけどミスしたってチャレンジした結果だから別にいいやと思った。
試合には後半から出る事が多かった、けどそれはATとしての経験はないだけで、ゆくゆくは試合に出れると信じていた。
けれどリーグ戦は、スタメンじゃなくてベンチスタートだった。
意味が分からなかった。
試合に出てるやつより俺の方がうまいんだから試合に出せよと思ってた。
だから東大戦の後、みんなが喜ぶ中喜べなかった。試合に出ていない人間が喜ぶ理由もわからないし、同期が活躍してる姿をみていらついていた。
結局次の一橋戦も出番はなくて試合の終わりに
試合に出れないんだったらMFで、試合に出してくれと頼んだ。
MFで試合に出ることになった。
最後の明治学院は、12-2で勝った。
得点者の名前に自分の名前は、
無かった。
情けなかった。
けれども一部に残留が決まって喜ぶ振りをしていた。
そんななんの活躍もせずチームの喜びを受けきれない複雑な気持ちの自分に、俊幸さん(26期副将)が言葉をかけた。
「お前をATでベンチにするんじゃなくて、MFで早く試合に出させるべきだった。それは俺のミスだ。ごめんな。」
自分の中で何かが崩れた。
涙が止まらなかった。
全ての感情が飛んで行った。
違う、ミスなんかじゃない。
下手だったからだ。
自分が下手だから、こいつは試合に出さないといけないという判断をさせれなかった。
自分のせいだ。
いつだってそうだった。
目の前の現実から逃げてばっかりだった。
時々できる上手くいったプレーに悦に入って
俺のプレースタイルはこれだ。俺にはこれしかない。と自分を守った。
ゴールに突っ込むのも、ゴールに少しでも近づいて転べば自分の中でしょうがないと言い訳がしたかったから。
今のミスは相手が近かったから、クロスの調子が悪かったから、
悪い体勢でキャッチしたから。
俺はまだ実力が出せてないだけで、次は上手くいくはず。
違う。
下手だからだ。
自分が下手だからだ。
自分の本当の実力を、嘘と言い訳で隠していただけだ。
俺はヒーローでもなんでもない。ただの嘘つきだった。
逃げて逃げて逃げた先が、
何にもない自分。
けれどどうしたらいいかわからなかった。
怖かった。
下手糞な自分が、何ができるかわからなかった。
だから、だからこそ自分と向き合った。
弱い自分を変えるためにひたすら向き合った。
その日から練習しまくった。
回数が分からなくなるまでシュートを打ち続けた。
雨が降ろうが、オフだろうが関係なかった。
本当の自分で勝負したい。
その一心で打ち続けた。
現実の自分はいつもダサい。
身長は低いし、足も早くない、器用でもない。
1時間練習しようが1000時間練習しようが負けたら、全部同じ負けなのも知っている。
結果が全ての世界だ。
だからこそやるしかない。
理想と現実の間に自分を置いて闘うしかない。
自分が少しでもチームの勝利に関われるようもがくしかない。
どんなにカッコ悪くても良い。
俺はこのチームで勝ちたい。
勝ったという結果が欲しい。
自分を中央の選手として出場させてくれる監督、コーチのために
自分より早く起きてご飯を作ってくれる両親のために
新子さんの事そんなに嫌いじゃないっすよと、気を使ってくれる後輩のために
どんな事を言っても、こんな自分を支えてくれる同期のために
そして何より自分のために
俺は勝ちたい。
俺はヒーローになる。
新子 崚