愛の定義 | 置かれた場所で咲くんやで!元JW2世の前向き備忘録

たしか3歳くらいだったか、

聖句を1章まるごと暗記とかしてて、神童と呼ばれていた私だが(実際はJW的にふさわしくないので呼ばれていません。比喩です)

だんだん成長するごとに不要な知識と判断したのか笑、

丸暗記で言える聖句はどんどん少なくなっていって、

そしていま現在ではうろ覚えで諳んじているこの1節だけになってしまった。

 

コリント人への手紙より、愛の定義、である。

 

っていうか、2~3歳くらいって、山のようにくだらない知識を丸暗記できるよね?長男とか、トーマスの図鑑とか特急電車の名前とか丸暗記してたけどすっかり忘れ去ってるわ

 

 

 

たとえ私が人間やみ使いのいろいろな言葉を話しても

愛がないならなんの価値もありません

 

たとえ山を移すほどの全き信仰を持っていても

愛がないならなんの価値もありません

 

他の人に食物を与えるために

自分のすべての持ち物を施しても

愛がないならなんの価値もありません

 

愛は辛抱強く また親切です

愛は妬みません

不義を喜ばないで 真実なことと ともに喜ぶのです

自慢せず 思い上がらず みだらな振る舞いをしません

 

すべてのことに耐え すべてのことを信じ すべてのことを希望し忍耐します

愛は決して 絶えることがありません

愛は決して 絶えることがありません

 

 

多分ちょっと順番とか言い回しとか違うと思うのだが、今も丸暗記で言える。

 

これをずっと覚えていられたのは、

ベテルで録音されたと言う噂の某内輪で楽しむ音源がまことしやかに会衆内で流通しており、

経験とか弾き語りとかいろんな楽しげなラジオ番組みたいになっていて、

その中にこの愛の定義の弾き語りが入っていて、

私の数少ない霊的な楽しみになっていたからである。
(ちなみに、経験もよく考えるとだいぶぶっ飛んでたけど、あれほんとにほんとの話なんだろうか…)

 

 

この愛と言うのはいわゆる男女間の愛のことではなく、

キリスト教大好きなアガペーなわけで、

そして愛があるならなんでもできる!的なむちゃくちゃ猪木論法であるわけだが笑、

 

何故か今までずっと心に残って離れなかったのは、やっぱりこのむちゃくちゃ論法の中に真実が隠されているからではないかと思う。

 

 

 

 

アガペーには意志の力が必要とされるので、

自然と湧き出てくるものではなく、

何かを愛そう、添い遂げようと思う自発的な動機があって初めて完成する感情だと思う。

身も蓋もない言い方をしてしまえば、

愛していると思いこむこと

だと思う。

そして、その力って、自分が思っている以上にものすごく強力なのだなぁ…と言うことを、

段々と実感するようになってきた。

 

 

JWにずっといたいと思う人達は、

組織が正しいかどうか常にチェックしているわけではなく、

つまりはこの組織にいる!私はこの組織を愛し続けるんだ!と、
思い込んでいるからこそいられるのだと思う。

 

そして不思議なことに、このアガペーは自己犠牲を伴うのに、なぜか幸福感を運んでくるのだ。

これは愛である

と思い込んでいるからである。

人を愛するときに出てくる暖かな感情だとか前向きで幸せな気持ちだとか、まるで自分がほんとにちやほやされているかのように感じてしまう。辛いはずなのになぜか幸せになる。これが聖書の伝えるアガペーだと私は思っている。

 

それがいいとか悪いとか、なんかの依存症じゃないかとか騙されてるだけとかなんでも悪いように言えるのは言えるし、

それによる自己犠牲が行き過ぎて自分自身が困窮したり周りに迷惑をかけたり、という事実は褒められたものではないのだが、

しかし、この「愛」が、紛れもない幸福感を与えてくれる事自体は事実だと思うのだ。

 

 

 

なぜなら、

 

多かれ少なかれ、何年もたった夫婦は、自然とこの「アガペー」を選択しているからだ。

 

 

 

「この人と添い遂げる」と決心して、ほかと比べたり批判したりするのをやめよう、と思い続けていると、

いつの間にかこれが真実の愛!ってモードになっていくのだ。と思う。

 

もちろん許せる上限はあると思うし、

思い込む力の強弱には個人差があるし、

このアガペーシステムに全夫婦が移行できるわけではないとは思う。

 

しかし、

結婚生活が長くなるにつれて、

ずっと頭の隅っこに流れていた「愛の定義」がいちいち本当だなぁ…と思うようになってきたのは事実であるし、

そしてJWにいた当時の自分は、こうやって自分を麻痺させていたのだなぁ…とも実感するようになってきた。笑

 

※ただし「みだらな振る舞い」は思いっきりしてます※よけいな一言※

 

 

 

そして、このアガペーシステムに完全移行すると、

何も考えなくとも旦那大好き!って思えるし、

なにかしてもらった時だけときめくんじゃなくて、

割と存在そのものにときめくようなバカ夫婦に仕上げていくことも可能なのだ。

 

愛は盲目。

 

しかし、

 

盲目でも幸せならいいじゃない。

 

 

 

傍から見てわりと理不尽な扱いされてても、結構迷惑撒き散らしてても、

本人たちが幸せって言うんなら、それはそれでいいんじゃない、

 

なんて、熱心JWを見て思ってしまう私でした。

 

なぜなら、私もその気持ちがわかるから。

 

 

 

普通の世の中で一人で生きていくのは、相当な強さがないと難しい。

なにか頼れるものをみんな求めているのだと思う。

逃げた先がJWだったか、それともまともな人だったりコミュニティだったりしたかの違いなのじゃなかろうか。

たまたま弱っているところに、一番自分にとって魅力的な逃げ先が現れた。じゃあもういいや、この人に尽くそう、と、

そんな感じではなかろうか。

 

そういう弱い人達を意識的に騙しているとしたら、組織の罪はたいがい重い。

自分がいないと生きていけないと分かっていてDVする旦那みたいなもんだ。

だけど、それにすがってしまう弱い人たちの気持ちはわかるのだ。

そして、すがるものがあると無敵になれる人の気持ちもわかるのだ。

 

耳に快い、だけども現実不可能な政策を片っ端から並べて語る政治家候補にだって、一定の熱心な支持者層はどこまでもついていくじゃないか。

それと似たようなもんだと思う。

 

 

 

ちなみに、旦那と私で比べると、だいぶ私のほうが依存度が高いのは事実で、

旦那もそれを分かっていて割とギリギリのワガママをかましてくる。

ゲームの時間とか、お金の使い方とか。

私に負担かけるのは分かってるけど、ここまでなら許されるやろう、って言うギリギリの線を責めてくる。

まぁ、たまに私が爆発してバランスが保たれているのだけども笑

 

あとは私が思う理想の旦那として必須な条件(体臭が大好き・スキンシップ取ってくれる・基本的にまじめでおだやか)については常にキープしていてくれるから、と言うのはあるのだけども、(あっドン引きしないで、体臭は大事なのよ、わかるでしょ)

それ以外であんなことこんなことあるよ~、と言うと、割とママ友に絶句されたりもする笑

 

夫婦っちゅうのは、どんな相手と結婚するか、じゃなくて、

ぶっちゃけどうやって折り合いをつけていくかや、って、今日も某ブロガーさんが言っていて、すごく頷いた。

 

 

私はうちの旦那が世界で最高のオトコやと思ってるわけではないけども、

まぁまぁタイプかな、くらいの相手が、

15年かけていつのまにか自分にとってオンリーワンの存在になってしまったように、

 

JWが本当に唯一無二の真の宗教だと思っているわけではないけども、

なんだかんだでこの神様や宗教と添い遂げよう、と言う気持ちの方はすごく多いんじゃないかな。

 

私の覚醒前2年間はほんとにそんな感じだった。

組織のやり方はいつも正しいとは限らないけど、

自分なりのやり方でエホバって神様を大切にしよう、って思って生きていた。

その状態が幸せじゃなかったか、と言われると、ある意味幸せだったなぁ、とも思う。

自分の目指す方向を自分で決めて思い切った感じがあったから。
だから、その時の自分を嫌いにはなれないし、そしてきっと多くの熱心な2世はその段階を経てきたのだ、と、

後になっていろいろな話を聞くに思い至った。
 

 

 

私がJWに戻ることは決してない。間違ってもない。旦那と万一離婚してシングルになって頼るものがなくなったとしても絶対にない。

 

でも、当時組織やエホバを愛していたように、おそらく私も家族や旦那を愛しているのだな、というその相似に気付いてみると、

全肯定とは行かないが、

うちに訪問に来る熱心なおそらく2世長老を「お互い苦労するねぇ…」くらいの謎の親近感を持って接せられるくらいには気持ちの余裕を持てているのだと思う。そして、彼らが幸せならそれでいいのだと思う。

 

 

そして、そういう俯瞰的な見方をしたとしても、

やっぱり旦那が帰ってくると無条件でシッポ振って出迎えちゃうし、

かまってもらえると嬉しいし、たまーにもらえるご褒美でずっと頑張れちゃう、そういう健気な(健気で合ってる?)嫁でいられる事に変わりはないのだ。

 

ちなみに、この前もらえたご褒美をちょっとのろけますと、

「いやぁ…よくこんなぴったりな二人が出会えたよなぁ…奇跡やわぁ…」

 

とつぶやいているのを耳にしたことである。

 

 

 

旦那よ、

 

それは私らの努力の賜物であって、

たぶん最初からそんなに相性がよかったわけでは…ないと思うで…。うん。

君は無意識に努力するタイプやから気付いてないんやろうけどな…。

私は結構意識的に努力してきたんやで…。笑

 

水を差すとアレなので、うまく騙されていてよかったなぁと思いました。めでたしめでたし。