今朝、面接に行くためにちゃんと髪の毛アイロンしてかっちりメイクしてたら、
旦那が「今日なんかかわいいな?」と言ってくれました
しかし私は騙されません。
旦那は家庭平和のために「うまい」「かわいい」「すごい」「だいすき」を機械的に連発しているので(私が強制しているとも言う)
おかげで最近は本当に褒めてくれているのかどうなのか分からなくなってしまいました。笑
ご飯はわかるねん。ほんまに美味しいと無言で食べるから。笑
で、今日もはいはい~ありがとね~と流していたら、
どうやら今日は本当にいつもよりかわい…マシだったそうです。笑笑
子供を幼稚園に送る15分間の間、力説されて納得しました。
が、普段の機械的な褒め言葉がいかに心がこもっていないかも実感しました。自爆
普段から本当に可愛かったらちゃんと心をこめて言ってくれるのでしょうか…??
まぁ、結婚当時から20kgプラスした私には贅沢な望みだな。機械的でも言ってくれるだけ感謝だな。笑
人を褒めるって難しいよね。うん。
私自身はずっとずっと褒められることがモチベーションだったので、
褒められなくなると頑張れなくなってしまうことの弊害も感じている。
SNSのいいねのために生きているようなものだろうか。
部屋をキレイにすること、仕事で結果を出すこと、料理を頑張ること、子供を遊びに連れていくこと、旦那さんと仲良くすること、
どれをとっても大事なことなのだけども、
自己肯定感が下がってくると、
その動機が「いいねをもらうため」が結構大きいものになっていることに時々気づく。
確かにSNS映えのためだろうとなんだろうと、家事はやらなきゃいけないし仕事もやらなきゃいけない。どんな理由でもやることをちゃんとやるための動機として、使えるものは使わなきゃいけない時もある。
ま、でも、これでは全然昔と変わらんなぁと思う。
注解をすること、伝道の時間を入れること、再訪問の数、特権の多さ、割当のあとの「ありがとうございました」と皆にいってもらえること、
私のJW生活で真面目にやってたのは、人の目に見えるところだけ、ほぼそれだけだった。
神との個人的な関係なんて、そうして上がったモチベーションを「ひゃっほう!ありがとエホバ!」みたいなテンションで短く祈るだけの関係だった気がする。「エホバが見ててくれるから頑張る」みたいな健気な2世ではなかったのだ。だからもちろん裏表生活バリバリだった。笑
それと「いいね」の多さを気にする今の生活は、正直心の不健全さとして大差はないよなぁ、と思う。
今も昔も、自分の本質は変わらない。変われなかった。まぁ、しゃーない。
長男と旦那は、マイペースの神である。
誰に褒められなくとも、自分がやると決めたことは最後までやるし、
なんなら家族でお祝いしてあげたかったくらいのすごいことや、
もし私だったらかなり慰めてもらわなきゃ立ち直れないくらい凹んでいたであろう大失敗も、
自分の中でさっさと消化して「次!」って行ってしまって、
私がそれを知るのは社内報だったり、社宅時代のママ友からの情報だったり(どんだけ経由してんだよw)、
長男の場合は学校のママ友や個人面談で先生から聞かされたことからだったりする。
彼らの自己肯定感は一体どうやって育ったんだろうか。
特に長男は、私が育てたはずなのに、何が彼をそうしたのか全くわからない笑
確かに、私が小さい頃よりは、周りを気にしておしおきをするなんて事は明らかにだいぶ少なかったけども、
同じ環境で育った長女や次男は、私と同じく褒められないと頑張れないタイプでもある。
こんな私だから、
SNSで「いいね」をもらえる世界じゃなかったら、きっと脱塔できてなかったんじゃないかな。
昔は脱塔したらすごく孤独だったと思う。
元JWの仲間なんて見つけるすべもなくて。
自分の知っている世界も狭くて、結局一番心地よかった頃のJWでの世界を思い出して、うまくいかなくなると戻ってしまう。そんな時代。
「やめる」と決めた時は私は一人だった。
でも、やめた後、「いいね」「それでよかったよ」「がんばったね」「私も同じだよ」と言ってくれる人がいっぱいいた。
あ、やめてよかったんやな、と、
当時は私がやめたことを喜んでくれる人は、旦那くらいしかいなかったもんだから。
それでだいぶ、心のバランスを取れるまでの時間が早かったのだと思う。
たぶん、SNSがなければ、未だに時々くよくよしてたんとちゃうかな。
この時代に生まれて、ラッキーやったなぁ、と思う。
あんのクソ宗教、さっさと全員詐欺で逮捕されてしまえ、くらい言い合えるくらいのどぎつい共感が得られる時代で良かったんやと思う。
今になってしまうと、結構そよ風吹いているところもあって、
現在の私の持論も含めてやけど、悪いことばっかでもないし、中にいるって言う選択もそれはそれでありとちゃうか~、なんて言われてしまうと、最後の一歩を踏み出せなかったかもしれない笑
今でいうとTwitter界は割とそれに近いのかな。うわぁ…ガチの暗黒期思い出しちゃった、な投稿が結構あるもんね。私は見る専やけども。
だいぶ熱量を今では失ってしまったけど、
きっと私のような人はそれなりにいるはずなので、
やめたいなー、と言う人には、そっと、負担じゃない程度に背中を押してあげられる人でありたいな、と思う。
ちなみに、こういうタイプの人間が自己肯定感を上げる方法は、
色々本も読んだし、自分の幸せを再確認するためにアウトプットしたりだとか、瞑想だとか、ひとりでできることを色々やったけども、
やっぱり、なんだかんだ言って、信頼してる人に心から褒められることが一番近道なんだと思うんだよね。
なので、旦那には今後もしっかり褒めてもらうべく。
褒め方を色々レクチャーする日々です。
あと、褒めてほしいことは自己申告で!
そこは、言わなくても気づいてもらえるというのは奇跡がないと無理だと悟ったので(例:髪の毛切ったのと部屋の模様替えしたのは100%気づかない)
褒めてほしいことは早めに(旦那を試してイライラしないうちに)自己申告して力いっぱい大げさに褒めてもらうようにしています。笑
ちなみに、こないだ取りたかった資格が取れた事を旦那に報告して褒めてもらおうとしたところ、
私の勉強してる期間のイライラ度が半端なかったらしく(自覚なし)、
はーやっと受かったの…もうしばらくええよ…的な事を言われまして、褒めてもらえませんでした。笑
消化不良になったので、SNSでわかりやすーく自慢して褒めてもらいまして、ようやく心のバランスが取れました。資格って自分のために取るんじゃねーのかよ。私はつくづくちっさい人間です。笑