私のJWとしての世界は、
幼い頃からいた会衆一つだけだったので、
それがJWの基準だとずっと思っていました。
その常識が初めて変わったのは、
小学校3年の時だったかな。
神奈川の方の会衆に交わった時でした。
もう、会衆名も覚えていませんが。
関西と関東の違いもあるのでしょうが、
まず感じたのは、
注解や雑談が真面目にアツい!
と言うことでした。
地元では、いわゆる書いてあることをそのまま述べる注解が推奨されている雰囲気で、
そこで自分の思いを込めて注解する人はなかなかいませんでした。
雑談でも、お決まりの「励まされるわねぇ〜」はあるものの、
自分の心のうちは秘めておくタイプの人が多く、
真理への熱い思いなんて聞いたこともありませんでした。
関西なので、熱く語る時はどこかでオチをつけねばならん、と言うのがハードル高かったせいもあるのでしょうか。(JW的お上品さでオチ付けるんって超難しいよね!)
ところが、その会衆では、皆自由に塔から脱線して己の熱き思いを注解し、
雑談では恥ずかしげもなく己の熱き信仰心について(オチ無しで)語り。
オチ無いんかーい!と思わなくもありませんでしたが、
何やら大変伸び伸びとしたものを感じました。
恐らく、自分がいた会衆では長老の権力が強く、
自由に発言できない雰囲気があったのでしょう。
暖かく健全な余裕のある雰囲気に、
ここは同じJWの会衆なの?と、
子供ながら衝撃を受けた事を覚えています。
その後、必要で入ってきた人達により、私のいた会衆も少しずつ変わっていくのですが、
当時は恐らく主催監督独裁体制が最暗黒期を迎えていた事もあり、
そのギャップは激しいものでした。
だんだんJWが楽しく無くなってきていた私に、一抹のやる気を吹き込んでしまった笑、
そんな会衆でした。
そして1番衝撃を受けたこと。
その時の賛美の歌コーラスが、
めっちゃ綺麗にみんな申し合わせたように4部でハモっていたんです。
混声四部合唱で歌われる賛美の歌は、
鳥肌が立つほど美しく感じたものでした。
今の私も割と本気で合唱をやっていますが、
男声で歌える人を見つけるのは本当に難しくて、
混声の合唱団でそこそこちゃんとしてる所と言うと、かなり都心に出なければ入れないので、
女声合唱で満足するしかない状況なのです…。
たまたま音楽の素養のある兄弟姉妹が集まったのかな?と思っていたのですが、
なんと、この歌のために、サークルを作って練習に励んでいるのだと。
「歌の準備も立派な予習よ〜」と、
楽しそうに姉妹たちが教えてくれました。
当時の私の会衆には、一人オペラ調で歌われる姉妹が1人いる限りで笑、
ハモるなんてしたらめっちゃ白けられる事間違いなしな雰囲気でして。
でも、いいなぁー私もハモりたいなぁー、そしたら集会もうちょっとは楽しみになるのになぁ、と、とても羨ましく感じました。
歌うことは昔からとても好きでした。
私の祖母は長唄(三味線を弾きながら歌う)の家元で、
父は昔某芸能人の声の代役として歌うオーディションに合格した事もあり、
声帯や音楽的感覚には比較的恵まれた家系でした。
ピアノにはとんと才能がありませんでしたが、
幼児の頃通っていた音楽教室の発表会ではいつもソロを任されていました。
私の声質や舞台度胸を見て、祖母は私を長唄の家元の跡継ぎにしたかったようですが、JWゆえ両親が断り、叶いませんでした。
その後生まれた別の孫に稽古をつけていましたが、その子は残念ながらあまり興味がなく、お稽古が終わる前に祖母は亡くなり、流派はそこで途絶えてしまいました。今思うと残念なことです。
帰宅した私は、いきなりハモる勇気はなかったのですが、
少しずつ自力で楽譜を読みながらハモる練習を始めました。
そのうちコードを読めるようになると、
楽譜の音符はピアノ用に書かれているので、
自分で合唱用にアレンジしたオリジナルのハモりを付けられるようにもなりました。
集会の行き帰りは、BGMになっていた賛美の歌のテープに合わせて、オリジナルのハモりを練習する時間になっていました。
自分の会衆が結構自由な雰囲気になってきた時を見計らい、
満を辞してハモりデビュー(笑)した時は、
完全に自己満足の世界ではありましたし、
めっちゃ恐らく悪目立ちしてましたが笑、
超楽しかったです。
その後も、ゴスペル風賛美の歌とか(あんまりよくなさそうだけど)ジャズ風賛美の歌とか、色々アレンジする人達に出会い、その頃アカペラ女声四重奏のオリジナルCDが出た事もあり、
なかなかに充実した賛美の歌ライフを送っていた気がします。
まぁでも本来は、私は児童合唱がやりたくてたまらなかったのです。
それがNGとされて、合唱部もふさわしくないと言われたので、
仕方なく賛美の歌充実方面へ流れていったと言う事もあります。
ま、でも、色々とレクリエーションが削られていった風潮の中で、比較的「代わりのお楽しみ」として並び立つものだったと思います。
JWをやめると決めた時、
少しずつ良心的にできないと思う神権的活動を減らしていきました。
最初は奉仕時間を減らし、
注解の内容を組織礼賛でないものに変え、
仕事の時間を増やし、
色々な面で恐らく「あれ?」と思われていたでしょうが、
恐らくは私が最後まで賛美の歌をハモると言う目立つ事を辞めなかったために、
最後の方まで疑われずに済んだのでは無いかな、と思っています。笑笑
だって音符には罪はないじゃんねぇ。誰に迷惑かけてるでもなし、なんの良心も咎めなかったからね。
私、今でも賛美の歌好きだし、いいメロディだったなぁーって思うもん。
そう言うわけで、賛美の歌ハモるスキルは、
JW生活最後の最後まで私を守ってくれたのでした。
毎週毎週ハモり続けた私には、かなりの精度の相対音感が身に付き、
音楽を専門に学んだ訳ではありませんが、
感覚的に数Hzの差を聞き分けて微妙に音を変え、同じ音階の中でも1番美しい音でハモる事が出来る様になりました。
美しい和音と言うのは、ピアノでドミソを弾くのとは少し違っていて、和音の形に合わせて少しだけ音をあげたり下げたりすると、ビリビリと耳元で共鳴するような、それは美しい響きに変わります。
合唱をある程度かじった人の中では当たり前のことですが、
誰にハモりを教えてもらった訳でもなく、音大に行った訳でもない子供が感覚的にそれらを身に付けた訳で、
なかなかのオタク心だったと思います。笑笑
今はそれを存分に活かして、
念願だった合唱ライフを送っています。
讃美歌もアイドルソングもクイーンも歌えちゃう!制限なしの合唱はやっぱり楽しいわ〜!
…が、
ハモるの大好きだったゆえに常にアルトパートを歌っていたのですが、
本来の声質はソプラノだと指摘され、
あれ?もしかして私JWにいた方がハモりライフ充実してたんじゃね?とか思いながら、新たにトップとしての発声の仕方や音のはめ方を試行錯誤している日々です
うーん、
アルトに行きたい。笑笑
ベース音をビリビリ鳴らしたい…。。笑笑
そんな、昔ちょっとよその会衆に交わったお陰で、
合唱オタクに育ってしまった私の小話でした。
賛美の歌カラオケ大会とかやりたいなぁー。ハモっても許してくれる人々と共に!笑