私の思うムチ問題 | 置かれた場所で咲くんやで!元JW2世の前向き備忘録
JW2世の問題のおそらくナンバーワンであろう、ムチ問題。

私の場合、
時代的にやや下火になりかけていたのでしょうね。
もちろんされた記憶はありますが、
トラウマになるほどのものではありませんでした。

頑張って記憶を掘り起こして見ますと、
嫌だったのは、
奉仕中とか集会中に、
「帰ったらムチだからね!」
で、タイムラグができるのが1番辛かった気がします。

なぜなら、
集会中に第二会場へ連れて行かれる場合は大抵おとんが担当で、
かるーく二、三発平手で叩いて終わりだったのに、
帰ってからだとおかんに担当が変わってて、竹定規になるから…滝汗

あと、延期される期待は心を病ませる、じゃないですけど、
帰ったらムチって思う時間が長ければ長いほど、想像力が働いてブルーになるじゃないですか…チーン

それでも回数にして10回以下だったし、
大人しく出来るようになったのがはやかったのか、あまり叩かれた記憶がないです。
良くも悪くも大人の意図を先回りして読む子供だったので…。


あと、ムチ用の定規が長いと痛いので、
こっそり破壊工作をして短いしならないやつに取り替えたりしてました。笑
遊んでたら割れちゃったー♪
みたいな。笑


私はそんなもんでしたが、
兄と姉の時はそれこそ狂ったようにムチされていた世代だったようで、
私には甘すぎる、と、
ちょいちょい愚痴られているのは聞きました。
実際、それで2人とも離れてしまったので、
親としてはやり直すつもりでもあったのでしょうね。

家には出版物のほかに、
「そよ風のような親でありたい」だとか、
「怒らずに育てる」みたいな育児本が数冊置かれていたのを思い出します。

おかん、これ、読んだん?って聞くとなぜか怒られたけど。笑

おちりは叩くものではなく愛でるものです
毎日チュッチュしてスリスリしてかぶりついてます



母が私を産んだ年齢に自分もあと1年、となり、
既に産んだ子供の数では親を上回った私ですが、
やっぱり子育てに自信満々になんてなれないし、
毎日後悔や限界と戦いながら、
なんとか食わせて寝かせているのが精一杯、と言う状況ですから、
通常の育児に加えてJWの道を教える、と言うのは、それはそれは大きな負担であっただろうなぁ、と思います。


多分、ムチと言うか、多少の体罰はまだオッケー、みたいなご時世でもあり、

中学校の数学の先生が、
宿題を忘れた生徒に大きな「しゃもじ」でお尻を叩く、と言う、
半分ネタのような体罰?的なものもあり、
(私は完全にネタとして受け止めていましたが、中には心に傷を残してしまった生徒もいるのかもしれません)

あれ?いつの間に体罰ダメになったの?みたいな、
浦島太郎状態で世の中を見ていたりします滝汗

同じ体罰派でも、
高専の英語の文法の先生は、
苛立ちに任せて超分厚い辞書で生徒の頭を殴る人で、
そちらには嫌悪を感じましたが…


何というか、
体罰、ダメ、絶対、な世の中ですが、
ちゃんと愛を感じていれば、体罰がそこまで心に傷を残すことってないと思うのですよね。

とは言え、
子供を叱らないといけない時、と言うのは、
大なり小なり親としては動転していたりイライラしていたりするわけで。
それが子供に脅威としてある程度伝わってしまうのは、
もう、仕方ない事ではないかな、とも思います。
なので、せめても手を出さないように、と言う戒めなのでしょうね。


私自身も子供を叱る時、
「今私が怒っているのは何のため?
周りへのパフォーマンス?
自分の手間や時間が取られるから?
それとも子供自身のため?
この怒っている言葉は子供に届いている?」と、
ある程度自問自答しながら叱っているつもり、ですが、
やっぱり年に何度かは感情に任せて爆発してしまいますね。。

爆発した時の怒り方が、年々母親に似てくるなぁ、と、
姉と苦笑いしながら指摘し合っています。。


あまり怒らないで済むように、
命が関わる事以外は結構な放任で育てて来た我が家では、
それなりにいい子に育ってるやん、と思う事もありますが、
やはり礼儀やとっさの挨拶、我慢する力なんかが身についてないなぁ、と思います…。
折に触れて伝えているつもりなのですが、
やっぱり体で覚えた(笑)世代とは全然違うなぁ、と思いますね。。


ちなみに我が家は、喋れるようになったら育児と言うか、教育は旦那がほぼ担当。
公園に連れてったり、字を教えたり、教材選んだり、タイピング教えたりするのは基本旦那なので、
私がやるのは家事と、学用品揃えたり、朝の幼稚園の準備することなんかの、雑用部分がメインになります。

なので、旦那がこれでいいと思うレベルまでは教育されてるのですが、
正直、
旦那、仕事はできるけどほんっとーに人前で喋れない人なので…
ここ、もうちょっと気を使って挨拶とかお礼とか雑談とか…って言うところがだいぶ物足りなくて滝汗

子供たちも順調にコミュ症を受け継いでおります。。
必要になれば覚えていくものなのでしょうか。。


子供を育てる、と言うのは、いつの時代も試行錯誤であり、
私にできるのは、
絶対に正しい子育てなんてないんや、と、自分に言い聞かせていることくらいでしょうか。

その「絶対」を、ムチとして信じてしまった親のいた世代は、
私が想像もできない辛さだったのだろうと思います。

そうした世代がJWを許せない、と思うのはごく当然の感情なのでしょう。

私のようにトラウマの少ない二世が思うこと、一世の思うこと、ムチ世代の二世が思う事はお互い理解できないほど隔たっていて当たり前であり、
元JWと言う一括りで話せる事ではないと思います。
傷が癒えるまでの期間も人それぞれでしょうし、
ひょっとしたら一生癒えないかもしれない。
そうした違いを認め合える、優しい元JW界でありますように、と願っております。

昔に比べたら随分と穏やかになったと思いますが、
やはりよく分からん論破を仕掛けてくるよく分からん人もおりますからね…。
論破したって誰も幸せになれませんよー。
みんな違って、みんないい、です。

まぁ、怖いもの見たさでついつい見ちゃう私も私なのですけどね。笑