結構助かってる日々ですが、
会議やら電話やらになると、
普段ふつーの関西弁の旦那が標準語(ってか、東京弁)でいきなり喋り出すのだけが地味にイラッと来ます。
で、部下にお小言言う時だけ関西弁に戻るねん。
部下、どない思ってんねやろ…
関西人の部下やったら正直許せへんやろな…
と、言いつつも、
私、年1くらいは実家にお電話するのですが
もうJWに戻ってこいとは一言も言われなくなりましたが、
ある時ポツンと、
「あんた…標準語に染まったなぁ」
と言われた時には、
それこそものすごいショックを受けました。
旦那の標準語にイラッと来てる間にまさかの私まで東京に染まっていたとは…。
関西人のお友達増やさなあかんわ…。
まぁ、これでも東京に10年住んでるから、
全然染まってもおかしくないねんけど…、
でも、なぁ。なんか、自分が許せへんねん。笑
ほんで、世に染まったなぁとは言わへん親が、
すごい悲しそうに標準語に染まったなぁとかポツンと言うてくるからさ!
なんか、JWやめたより悪いみたいやんか!
ある意味、JWと世の人との壁よりも、関西人と関東人の壁の方が高いかもしれないと思ったのでした。
ほんでもな?
関西JWの中にも「品位」とか言うものはあってさ。
「〜やんな!」→NG
「〜やんね
」→OK

「せやけど」→NG
「そうやけど」→OK
とか、よくわからん言葉遣いを直されました!
多分な、
東京の人から見たら、
どっちもガラ悪いと思うねんで。笑
私は播州よりのところに住んでいたので、
学校では結構みんな言葉遣いはハードだったのですが、
そんな中JWのみんなは、イメージは「山手のお嬢様」(神戸弁)を目指して喋っているようでした。
大阪ど真ん中の兄弟姉妹も、
「品のいい関西弁」を使う上での苦労とかあったのかしら…。
あと、「言葉の壁」として、
個人的に思い出深いのは、
青森で旅先で奉仕に行った時のこと。
訪問先のおばあちゃんがものすごい早口の津軽弁で喋り始めて、
私の頭には???しか浮かばず、
ひえー…っと固まっていたところ、
私に任せて、と、地元の姉妹がすっと進み出て、
わたしには意味不明の言語で2人会話を始めたのです。
姉妹、かっけえー…!!
と思った出来事でした。

それがきっかけで私の当時の目標に「外国語会衆に行きたい」が入った…ような気がする。笑
現役時代に通信大学の単位取得も兼ねて、タガログ語、韓国語、英語を勉強していて、
そこそこはそれぞれ聞き取れるようになったわたしですが、
今でも津軽弁は聞き取れません。笑