たのしい思い出③高専時代 | 置かれた場所で咲くんやで!元JW2世の前向き備忘録
前回までは幼少期のたのしい思い出でしたが、
小学校、中学校と、
JWの常識と学校生活を擦り合せるのに大変で、
会衆でも面倒を見てくれたお兄さんお姉さんが皆結婚や不活発になって離れて行き、
自分のバプに至る黒歴史が連なっただけだったので、
ここはワープしたいと思います。笑
その内気が向いたら書こうかな。

今日は高専生活を。

私、いじめに遭って中学校は最後の方不登校児だったのですが、
幸い成績だけはよくて、
推薦で地元の高専に受かる事ができました。
高専に受かんなかったら通信高校だな!と心に決めていたので、危なかったです。ふー滝汗

当時は高専と言えば武道拒否で単位が取れない兄弟がいたりと、何かと騒がしかった事もありましたが、
タブーだった大学進学しなくても学位がもらえる、手に職がつくという事で、
近隣の比較的成績のいいJWの若者は皆高専に集まってきていました。

会衆の長老の1人も高専卒だった事もあり、女子だから武道も関係ないし、みんな諸手を上げて応援という雰囲気でした。
また1つ上に当時はまだ珍しかった姉妹も在籍しており、何度か会って仲良くしてもらい、小中のトラウマですっかりコミュ障になっていた私にとっても心強い進学先でした。

入ったクラスは42人中女子が6人。
数少ない女子で結束も固く、
正直文系寄りの私には勉強が難しすぎた以外はとても楽しかったです。
兄弟も1人いた気がする。めっちゃ「兄弟!」って感じの子やった。一回も口聞いてないけど。あと、「ふたりエッチ」授業中に回し読みしてたん知ってるけど。笑

先輩の姉妹に紹介してもらって仲良くなったJWの兄弟達は、それまでの私の常識とはだいぶ変わった人達でした。
頭も良く、同級生にどんどん証言する代わりに、世の交わりも一切避ける気配がなく笑、
ある先輩はいつも数少ない(非JWの)女子を再訪問先だからと根こそぎ侍らせてハーレムを形成していました。確かにイケメンでしたデレデレ
しかし、あの顔なら、正直JWの中で探した方がよほど顔面偏差値の高いハーレムを作れそうだったと思うんですが…。
あ、JWの中にもいたのかな。それは私は知りません。笑

また、まだ未成年でしたがみんなどんどん他の会衆に遊びに行っていて、
私も付いて行かせてもらった時に、
いかに自分の常識と思っていたのがローカルなものだったかも知りました。
それこそ、隣の会衆の事なのに全然違ったんです。
大会に行っても、顔見知りが近隣の会衆にどっと増えたので、楽しくてたまりませんでした。プログラムは正直全く覚えていませんが、寝ていない程度には聞いていたはずです。笑

兄弟達も入ってるから!というよく分からないゴリ押しで部活も認めてもらい、
学祭で屋台を出したり、実行委員したり、軽音部に入ってボーカルまでやってました。
調子に乗りすぎて、何度か恋愛沙汰になって危ない場面がありましたが、
当時はJWを辞めたかった訳ではなく、
将来は開拓奉仕をするつもりでいました。
それは高専の先輩の兄弟達が、すごく生き生きと、自分の言葉で信仰や将来設計を語るのを見ていた事もあるし、
同時期に会衆に必要で入ってこられた姉妹達のおかげでもありました。
それはまた次回に。

「人間として魅力的なJW」というものに初めて意識して出会ったのがこの頃だったので、
「エホバって素晴らしい」じゃなくて、
「私もこんな人達みたいになりたい」の気持ちでなんちゃって信仰が形成されて行った時期でした。

同時に、いかに自分が周りの人間に影響されるか、特に恋愛系にはものすごく揺さぶられると言うことを身に染みて実感したので、
高専の環境が魅力的でも、このまま五年いたら私は確実に一線を超えるな、という自信がありました笑

そしてついに中退という決断を下してしまったのです。楽しすぎたが故に。ああ勿体無かった。


ほんとは、情報処理と代数がわけがわからなすぎて全く付いていけなくて、学業に嫌気がさしていたという一面もあります。むしろこっちのがでかかったのは旦那にしか言っていません。内緒。笑

ちなみに、くだんの姉妹の先輩は、立派に学年トップで卒業し、
自分で奨学金やバイトをして一人暮らししながら大学に編入し、
そこもトップで卒業しました。
あんな先輩見てたらそらキラキラに見えるわ!
現在その先輩は上手に自然消滅していて、私ともちょいちょいご飯を食べてくれる仲です。
私はJWへの恨みつらみがしばらく抜けず、精神的に落ちまくっていましたが、
先輩は「宗教ってそういうもんだよねー」と、あっけらかんとしたものでした。
ほんとに頭のいい人は抜け方も上手だし周りも傷つけないんだなぁ、と感心しかりです。おまけに美人です。うらやまちー!