置かれた場所で咲く件に関して | 置かれた場所で咲くんやで!元JW2世の前向き備忘録

ブログタイトルは私の今の座右の銘でもあります。
「置かれた場所で咲きなさい」
実は著書は読んだことはないのですが(こら)、
勝手に自分なりに解釈してます笑
聖書でいうと「今あるもので満足しなさい」というやつですね。
もちろん、JWの教理を受け入れて生きていけというの以外で頑張ってますが笑

自分の今の境遇を受け入れて、そこで最善を尽くそうと言う考え方、
ちょっと消極的に感じるかもしれないですが、私はとってもしっくりきます。
JWであった過去は消せないし、
それによって諦めた沢山のこと、
スポーツも、音楽も、高専の中退歴も、娯楽、友人、エトセトラエトセトラ、
続けていればどんな人生だっただろうかと、失ったものを考えればきりがないです。

決してJWだった過去に限りませんが、
今のこの時代に生まれたこと、性別、体格、能力、健康、周りの人間、
どうしたって自分ではどうにもならないことがあります。
それは、受け入れて生きていくしかない。そこで最善を尽くすしかないのです。

JWだったからこそ、初対面の人と接するのが苦じゃないこと、
言い訳を考えるのが上手なこと(笑)、
いろんな土地へ行くチャンスがあったこと、
いろんな年代層の人と話すことを楽しめること、
文章を組み立てて、人前で話す事が得意なこと、
聖書を丸暗記に近いくらい読んだおかげで、西洋の芸術や欧米の映画の背景がすんなり深く理解できること(あと、聖☆おにいさんを爆笑モードで読めること)
最低限の収入があればそれなりに人は生きていけると知っていること、

思考停止および完全スルーモードが使えること(爆)、
宗教やネットワークビジネスに勧誘してくる手口は完全に読み切れること(笑)
なんかでしょうか。
完全に世の人の旦那には、私の過去からくるスキルをよく褒めてもらいます。
自分の過去を受け入れる事で、もっているものを活かしきれる、そんな気もします。

若すぎる結婚を選択した当時の自分達に、友達の親(非JW)がかけてくれたアドバイスがありました。
「期待しないこと」
というものです。
相手にも自分にも期待しない。できる以上、頼んだ以上のことを求めない。
シンプルなのに、これを理解できるようになるまで、何年もかかりました。
今でも時々、「そうだった、期待しないんだった・・・」と自分に言い聞かせてますが・・・
「察してほしい」を捨てるだけでどれだけ夫婦関係が円満になるか。笑
筋肉もなければそんなにイケメンでもなく、おまけに超がつくほどのコミュ障でオタクな旦那ですが、
置かれた場所で最大限幸せになるべく、
旦那を好きでいるため、好きでいてもらうための努力は欠かしません。
これからもずっと、今いる場所で幸せになるために、ずっと努力し続けます。それが、「置かれた場所で咲く」ということだと思います。

アメブロを始めて知ったのは、
私のように20代のはじめどころか、50代、60代になって、長らく信仰してきた方も、覚醒し自分の道を歩むことが可能だということ。
20年がロスだったなんて言っている場合じゃありません。
最大限、幸せになって生きてやる!
そう思って、これからも元JW人生を生きていきます。