無冠の帝王 | 5番の日記~日々好日編~

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気の向いた時に気の向いた事を勝手に書いています。
よってテーマは剛柔バラバラです。



"世界の山根" さん、お亡くなりになりました。

84歳だそうです。



この人に関しては、その素性がよくわからないとか、本人のボクシング経験は不明とか、奥歯に物の挟まったような報道のされ方ばかりで、何者なのかがはっきりしませ....  いや、マスコミの皆さん、わかってるでしょう。


報道しないだけで。


いったい何を遠慮してはるんですかね?





その昔、奈良県に「I」というボクシングジムがありまして、会長のI氏は当時西日本ボクシング協会の会長を務め、ジムは日本チャンピオンも抱えていました。


世界挑戦もしましたから有力なジムだったわけです。


I会長は、WBA、WBCの2団体しか認めていなかった日本のボクシング界にあって、この当時新興団体だったIBFとプロモーション契約を結び、日本国内でIBFの世界タイトルマッチを敢行。



日本のコミッションの許可など取ってません。

Sという自前の選手を担ぎ出して、彼を世界王者にしようと絵を描いたわけです。


完全な勇み足。世界チャンピオンになってしまえば日本のコミッションもIBFを認めるだろうという計算があったのかどうかは???




ボクシングの世界タイトルマッチはテレビのゴールデンタイム生中継当たり前だった時代ですが、IBFの試合は日本で認められてませんからひっそりとUHF局で放映されただけ...


そしてS選手は世界レベルにほど遠く、メッタ打ちされて脳挫傷で入院してしまう始末。




当然のように、日本のボクシングコミッションを無視して無許可の世界タイトルマッチを強行したI会長の立場は悪くなります。




この時のゴタゴタ....

その "片付け" に出て来たのが山根明さんだったんです。



何でこの人が出て来たのか?

で、何者なのか?



私はIジムに所属していましたので一部始終知っておりますが、IBFのいきさつも含めて詳細は今はまだ止めておきます。




 ↑↑↑↑↑

これは私の友人が某イオンモールの休憩用ベンチで見つけたもの....

写真を送ってくれました。



は?

で、目が点になりました。

(私の持っている名刺とは違いますね)




選手を積極的に海外に遠征させたり、日本ボクシング界にあって功績は間違いなくあった人です。

アカン面ももちろん。




日本ボクシング界は "山根明的なやり方" とは今は決別しています。

私はそれでいいと思っています。



さよなら山根さん。