上の写真は私のスキューバダイビングの器材です。
タンクを背負う為のBCジャケットと呼ばれるベストみたいなヤツ、それから水中でコミュニケーションする為のスレート、"カンカン棒" と大きめのルーペをいつもブラ下げてます。
私はマクロ系の小っちゃいのは全く興味ないんですが、ルーペをブラ下げてるとガイドさんが喜んでくれるんですよ(笑)
こちらは「レギュレター」
これでタンクから空気を吸います。
(ボンベ、じゃなくてタンク)
写真よく見るとボコボコの傷だらけです(笑)
これで400本潜ったので。
実はこれは初代で、新しいのがもう1つあります。
しかし....
最新のレギュレターって、潜っててもそのまま喋れるんですね?
テレビで見てビックリしました。
左はコンパスです。
ちぎれてしまったので装着できません.... コレも2代目があります。
こっちは恵方巻きを食う時に使える(笑)
右が「ダイブコンピュータ」
「ダイバーズウォッチ」と呼ばれている時計とは違います。アレはただの防水時計。
ダイブコンピュータも陸上では時計ですが、水に入ると自動的に潜水モードに。
これがあれば現在の水深や潜水時間、体内の残留窒素を計算してくれ、今の水深にあと何分いられるか? などがわかるスグレもの。
下のヤツはベルトが劣化して切れてます.... 港で電話してる時に突然切れて地面に落ちました。
何と縁起の悪い(笑)
まぁ、水中で切れなくて良かった。
探すのはほぼ不可能ですからね。
で、その上が2代目。
これは潜水履歴を記入する「ログ」
自分で記入しやすいように作ったもので、なぜか飯を評価する欄もあります(大事な事なので・笑)
年末年始は「海で過ごす」のが慣例になっていまして9月に入るとすぐにプランを立て始めてたんですが、父親が亡くなった2010年の10月に、年末年始の予約をキャンセル。
それ以降、ダイビングに行ったのは国内に1度だけ.....
もはや趣味とは言えないぐらいに遠ざかってますが、始めた最初の1年で100本超、翌年も同じぐらい潜っています。
3年目からは急激にペースダウン。
200本の手前ぐらいまではショップツアーにクソ真面目に(笑)参加していたからなんですね。
(週末出発のツアーに月2回参加して土日2本ずつ潜ると毎月8本、それだけで年間96本になります)
今から考えればバカバカしいですが、そこまで "持った" のは、潜る事と同じぐらいに当時の「団体行動」が楽しかったからだと思います。
私がお世話になっていたのは関西に何店舗もあったかなり大手の都市型ショップで、毎週末に出ているダイビングツアーは南紀方面(串本・白浜・田辺)、夏は日本海の越前あたりへ。
当然、毎月毎月同じ海に潜ってると、
季節の移り変わりで水中生物は変わるものの、見る風景は同じ。
飽きます(笑)
ですので、都市型ショップというのはお客さんを飽きさせない為に色んなイベントを開催していますし、潜りに行ってもダイビングの内容よりもどちらかと言うとアフターに重きを置く傾向。
お客さんの側も、行き先は「海」で、どこの現地ショップを利用するかとか、どこに泊まるかはあまり興味ありません。
講習からお世話になっているスタッフが引率してくれて、一緒に行くのも同じ店で知り合った仲間。
その安心感に対価を支払ってるんだと思います。
「友達がいっぱいできるよ!」
とか、
「楽しい仲間がいるよ!」
とか、出会い系サイトに近い宣伝の仕方をしてましたね(笑)
今なら(当時でも)現地ショップのホームページで料金は簡単にチェックできますし、スタッフの顔写真などもあります。
さらには宿泊、航空券などを調べると、都市型ショップのツアーは相当に高い!という事ぐらいは簡単にわかってしまいますが、ほとんどの人はそんなチェックはしませんでした。
私もそうです。
お世話になっていたショップは、
何十人も会員がいましたから、様々な人と入れ替わり立ち替わり会います。
「本名ではなくニックネームで呼び合う」という不気味な(笑)ルールがありまして、最初は何じゃその気持ち悪いサークルみたいなシキタリは... と思ってたんですが、これはなかなか良いルールです。
やって来る人は年齢も職業もバラバラ。
でも、どっかの社長さんだろうが平社員だろうが関係なく、よほどの年上の人以外は何も気にせずに皆がお互いにニックネームで呼び合ってタメ口。
社会人になって何年も経ってから知り合った人って、たいてい利害関係ありますからなかなか「友達」とは言いにくいのですよね。
おまけにダイビングというのは、グループ単位の行動。
非日常を共有しているせいか、奇妙な連帯感が生まれます。
食事も一緒、同じ宿で宿泊。
女子は基本的に「すっぴん」ですし、もしかしたら流れが強くて「苦労を共にする」事もあります。
写真を撮ったりすれば、「写真送るからアドレス教えて」と全く抵抗感がない。
こういう環境..... もちろん馴染めずに去ってゆく人もいたかもしれませんが、私的には「友達がいっぱいできるよ!」は誇大広告ではありませんでした。
ショップ手配で潜っていたのはわずか2年ちょっと。
でも、自分の人生で指折りの濃密な2年間だったと思います。