独特の世界観を持っていた中島らもさんが神戸市内の飲み屋の階段から転落、脳挫傷・脳内血腫で緊急入院したのは2004年7月16日のこと。
15時間に及ぶ手術を行いましたが入院時から意識が戻る事はなく、生前の本人の希望に基づいて人工呼吸器を停止し、10日後の7月26日にお亡くなりになりました。
らもさんは只者ではない記憶力を持っている方で、その膨大な読書量のほとんどが頭に入っていました。
著作はいつも書物を引っぱり出して調べながら書いていたそうですが、実はいちいちそんな事しなくても大丈夫な人。
でも完璧主義者なので、万が一間違ってたら恥ずかしいから、という理由で文献を全部調べてたんですね。
でも調べるだけ。
書き始める時点で既に本人の頭の中では話自体は完成していて、それを頭から紙に書き移すような感じです。
なので何か他の事をしながら原稿が書ける。
テレビ見ながら、人と話をしながらでOK。
こんな不思議な方は見た事ありません。
ただ、晩年は抗うつ薬の副作用で視力がほとんどなくなって本が読めなくなり、口述筆記だったようです。
酒を止めなかったせいか時間概念も喪失して支離滅裂な言動が度々…
失礼ながら、長生きはしないだろうなぁという雰囲気が漂っていた破滅型の典型な方でしたね。
らもさんがいなくなってしまった大阪のサブカルチャー界はあれからずっと何か元気がないような気がします。