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神奈川県横浜市
【師岡熊野神社】

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📍

〒222-0002

神奈川県横浜市港北区師岡町1137


由緒


御祭神 

伊邪那美尊


事解之男命

遠玉之男命

※イザナギとイザナミが黄泉平坂で永遠の別れをされた時に生まれた神で、イザナギが吐いた唾から生まれた神が速玉男命で、次に掃きはらって生まれた神が事解男命


創建

伝)神亀元年(724年)

(第45代聖武天皇在位期間)

By全寿仙人


    

当神社に伝わる熊野山略縁起によると、この神社は第四十五代聖武天皇の神亀元甲子年(西暦724年)に全寿仙人によって創建され和歌山県熊野三社の御祭神と一体である。

全寿は、この地に不思議な霊威を感じ御神木梛の大木のうろに住み日夜祈り続けた。ある暁、夢枕に熊野大神が立たれ、お告げに従って大和国春日明神に参籠、神霊を感得してこの地に帰り、熊野大神を祀ったのである。

仁和元年7月には光孝天皇の勅使六条中納言原有房卿が此地に下向され「関東随一大霊験所熊野

宮」の勅額を賜りそれ以来宇多、醍醐、朱雀、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。

数多くの古神事の中に現在続行されて居る筒粥神事は天暦三年より一千数十回にもなる。

観応二年六月十七日雷火のため社殿は焼失したが神体、社宝は無事であり特に負治三年記の熊野山緑定は現存して神社の故事を伝えて居る。例えば勘使着用の大口袴は大口の地名に残り、供奉者の

足を洗った子安足洗川、顔を清めた西寺尾町宇面滝、馬の猫を納めた錯宮(阿府神社)参向厳式の行

われた式坂、更にいの池、のの池、ちの池の伝説等、枚挙にいとまがない。

室町期に北条早雲公、慶長四年徳川家康公、寛永十九年家光公、寛文五年家細公より御朱印地を載いたのを始め、代々の将軍家の崇敬極めて篤く、神社への御朱印は幕末まで続けられた。明治元年神仏分離の際、熊野神社と法華寺とに分割され、明治三年懸社に列格したが氏子の陳情する所あっ

て、明治六年三十三ヶ村の郷社に列した。

当社は、関東地方における熊野仰の根拠地として、又、横浜北部の総鎮護の宮として古代より現代に至るまで広く篤い崇敬を受けている。

(由緒板記載略記)



🔻01鳥居・狛犬・石段

🔻02拝殿・御朱印

🔻03「の」の池・境内社

🔻04貝塚・令和神苑

🔻05いの池・弁天社



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