今だに大学生と間違われる。


低身長ということもあってか

息子とバス待ちをしていて

「あら?ごきょうだい?」と言われたこともある(いったい何歳に見られたんだろう…泣き笑い


若く見えるのはうれしいことだけれど、大変なこともある。


退院したての頃の話だけど…

筋力がすっかり衰えてしまっていたから、横断歩道を青信号に変わってから渡り始めても渡りきれず「残存歩行者」となる。

ドライバーから見たら、高齢者ならともかくも、若い人がノロノロ歩いているのはイラッとするだろう。


電車やバスも段差があると手すりがないと上がれないから乗り込むのに時間がかかる。

人が多いときは後ろの人から「早よ乗れやー」という声が聞こえてきそうだから出来るだけ最後尾に並ぶようにしていたっけ…


今は普通に動けるようなったが、残存歩行者や電車の乗り降りに時間がかかっている人を見ると、以前の自分を思い出し、応援したくなる。


私は浮腫みが酷かった。

退院後はご近所さんはもちろんのこと、親しくしていた友人やママ友にも私だと気付いてもらえず…。そんなことが度々あり家族にぼやいていた私ショボーン


ある時から「私はもう相手からは見た目から私だと認識されないものなのだ」と割り切ることにした。知り合いには単に「こんにちはー」と挨拶するのではなく、お笑い芸人のように自分から「どうもー!こんにちは、サイちゃんですーと名前を言って挨拶するのだ爆笑

ただ、声を掛けられた相手は、以前の私の印象と違うからなのか、「え?」ひらめきと驚いたような顔をする


それもそのはず。

フォトアプリの画像認識機能はスゴイけれど、

その画像認識でさえ入院前の私の顔と退院後の私は同一人物だと認識されないのだからチュー


移植してもうすぐ4年になる。

自分から声掛けするようにした効果もあってか

最近は、ようやくご近所さんから

「あら?もしかして、サイちゃん?」

と声を掛けられるくらいにまでなった。


今の自分が「わたし」なのだから、

以前の私と認識されなくても

「それでいいのだ!」と思う今日この頃です。



ひどい足の浮腫みのあと、

どうにか浮腫みは引いたけれど

三年たった今も、スイカの模様のようなギザギザの線(肉割れ)は残ったまま悲しい


お風呂に入って自分の足を見るたびに

「はあー、いつになったら、この線が消えるのかしら」なんて思っていた。


先日、風呂上がりに

「はあー」

いつものように自分の足を見ながら溜め息をついたところ、夫がひと言。


「そんなところ、誰も見やしない」


自分が気にするほど、他人は見ていないものだよ、と言った。


それに、君はいつも靴下を履いているじゃないか…


確かに…

こうして私のここ3年間の悩みは

呆気なく解決したのであった泣き笑い