「鶏肋(けいろく)」とは、鶏のあばら骨のことで、同時に
「大してうまみはないが、捨てるには惜しいもの」
という意味があります。
料理が得意な方なら、そう聞いてすぐ納得できるかもしれませんが、
私にはピンときません。
この言葉は次の故事から来ています。
西暦219年3月、魏の曹操が蜀の劉備を攻めました。
しかし漢中(今の陝西省南西部)の険阻な地勢のために攻めあぐね、
曹操は「鶏肋」という命令を出します。
誰も意味が分からなかったところ、
近臣の楊脩は荷物をまとめてしまったので、
他の人は驚いて、なぜ帰ると分かるのか?と聞きました。
そこで楊脩は、
「鶏肋というのは、捨てるには惜しいが、
食べたところで腹の足しにはならない。
それを漢中にたとえているので、
王が帰還されようとしていると分かるのだ」
と答えました。
実際、5月に曹操は軍を引き上げて長安に帰還しました。
(『三国志』魏書・武帝紀、建安24年、裴松之注に引く『九州春秋』による)
どうでしょう。日本語で連想する言葉と言えば、
「足の裏の米粒」が挙げられるでしょうか。
それはまあ、「取ったところで食えない」ので、
鶏肋よりもっと悪いかもしれません。
「大してうまみはないが、捨てるには惜しいもの」
みなさんは、何が思い浮かぶでしょうか?
私がすぐ思い浮かぶのは・・・
本に付いている帯とか、パラフィン紙です。
付いている以上は捨てにくいのですが、
あっても大して足しにならないどころか、
読むのに邪魔になりさえします。
考えてみると、身の回りのいろいろな物や、
自分の気にしているいろいろな事も、
実は鶏肋なのかもしれません。
肉だと思っていた物が、よく考えると鶏肋だった、
ということも、よくあるのかもしれません。
悩みのほとんどは、実は「鶏肋」なのかもしれません。
何が本当に重要で、捨ててはいけないものなのか。
鶏肋とは、今でいう「断捨離」の言葉と言えます。
原文:
三月,王自長安出斜谷,軍遮要以臨漢中,遂至陽平。備因險拒守。(注:九州春秋曰,時王欲還,出令曰「雞肋」,官屬不知所謂。主簿楊脩便自嚴裝,人驚問脩,「何以知之。」脩曰,「夫雞肋,棄之如可惜,食之無所得,以比漢中,知王欲還也。」)夏五月,引軍還長安。