孔子とアドラー ~ 対人関係が前提 | 四千年の知恵を味方にして人間関係の悩みを解決!

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近年のいわゆる自己啓発書の代表と言えば、200万部を超えるベストセラーになっているという『嫌われる勇気』でしょう。

この書物はアルフレッド・アドラーの心理学に基づくもので、アドラーの重要な主張として「すべての悩みは「対人関係の悩み」である」という命題がとりあげられています(70頁以下)。

「悩み」というのは、「問題」と言い換えてもよいでしょう。

自分が問題だと思っていることの背後には、必ず他者の存在があるということです。

このことを頭に入れて、中国思想の代表的な書物である『論語』を見てみましょう。『論語』は次の言葉で始まります(おそらく多くの人が中学校で習ったはず)。

子曰く、学びて時に之を習う,亦た說(よろこ)ばしからずや。朋有り遠方より来たる,亦た楽しからずや。人知らずして慍(いか)らず,亦た君子ならずや。
(大意:孔子は言われた。学んだことを繰り返し復習するのは、悦ばしいことではないか。友が遠方から訪ねてくるのは、楽しいことではないか。人が自分のことを知らなくても鬱憤を抱かないのは、立派な人物と言えるではないか。)

この『論語』の冒頭は重要なので、このブログでもまた取り上げる機会があります。

ここで注目したいのは、最初の「学びて習う」が自分ですることを言っているのに対し、その後の「朋」(友)と「人」は、早速他人のことを取り上げている、ということです。

その後を読み進んでいくと、いろいろな道徳の条件が取り上げられていきますが、それらは自分ひとりがどうすべきだ、どうあるべきだ、という話ではなく、他者との関係で成立する道徳です。

そういうわけで、孔子は孤立した人間の道徳を考えたわけではなくて、あくまで人間集団の中に生きる人間の道徳を考えていた、と言えるのです。

こうした考えのもと、『論語』では、霊魂や死後の世界といった問題に対しても、あくまで今を生きる人間を考えることが先だ、という孔子の態度も示されています。

もちろんここで私は、『嫌われる勇気』で「すべての悩みは「対人関係の悩み」である」という命題の後に展開される議論と、『論語』で述べられている思想が同じだ、と言いたいわけではありません。(具体的な比較は、今後取り上げるかもしれません)

ここで指摘したいのは、『論語』では対人関係が前提とされていて、そのため『嫌われる勇気』がベストセラーになるように、現在の問題を考える上でも、意外と議論の土俵が近い、ということです。

これが、中国思想が現在の私達にとって有効である一つの理由と言えるでしょう。