いじめ問題解決の壁 | 中学理科教師のつぶやき

中学理科教師のつぶやき

中学校理科教師として25年。ひとつの意見として、ここに私の日々考えたことを記録していきます。同業の方、現役生徒、現役親御さんとのネットでの交流もできるといいですね。

いじめ問題に取り組もうとすると
必ず突き当たる壁がある。


今回はその壁の話。


基本的にいじめが発生したら
親まで巻き込んでの大問題となるのです。

当然ですが、管理者である教師も
その責任を問われることになる。


何やってたんだとね。


他人からも責められるし
自分でも責める=反省しなくちゃいかん。


肝心なのは
いじめが発生する前の段階で
いじめ防止の指導ができるかどうかなのです。


いじめ防止の指導というと
具体的に言うと
いじめにつながるトラブルを発見し
いじめにつながるトラブルを分析し
いじめにつながるトラブルを解消する組織的な力を

生徒自身に身につけさせることです。


はじめは、教師が主導します。介入します。

そうしながら、リーダーと呼ばれる生徒達に
ものの考え方(トラブルへの考え方)を教え込みつつ
それぞれの生徒がそれぞれの立場で
正しく行動できるように
訓練してあげなくちゃなりません。


しかしね。


この指導をするためには
絶対必要なものがあるのです。


それは、学級の中のリアルなトラブルです。


偽物のトラブル=たとえ話じゃだめなんです。


どっかの誰かの話じゃなくて
今日の道子さんの花子さんへの悪口とか
太郎さんと健二さんのつかみ合いとか
そういう具体的な事例が必要なのです。


ところが、こういった貴重な事例を
教師は使わないんですよ。



残念ながら




なーんでか?





すぐに「解決」できるからです。


道子さんと花子さんを呼んできて
道子さんに悪口の理由を聞いて
花子さんへ謝罪させる。


花子さんに、その対処を納得させる。

太郎さんと健二くんを呼んできて
事情を聞いて、太郎さんのほうが悪いので
健二くんに謝りなさいと
お裁きを下す。
太郎さんは仕方がないので健二くんに謝罪し
健二くんは納得する。


簡単に「解決」できますな。


たいしたトラブルじゃありませんから
早期発見、早期対処で、早期解決となるのです。


まあ、普通の大人と普通の生徒なら
こうなるのは、当然でしょう。

力関係からいっても問題ありませんね。


変な先生が変な理屈をこねて
変な裁定を下せば問題はこじれるでしょうし
ひねくれた(別に問題を抱えている)生徒が相手なら
こじれる可能性は確かにありますが


普通の場合は、普通に「解決」しちゃうのです。


だから、センセー方は皆さん「解決」に向けて
手早くトラブルを処理してしまいます。


そして、それが常識であり

その手際の良さが教師の力量

だったりするわけです。


裏を返せば

さっと解決できない教師は

使えない教師

ってこと


さて、この価値観
いじめ問題に取り組むときに
突き当たる壁なのです。


学級でトラブルが起きたら
学級担任が解決する。


当たり前すぎるために
その問題点がいつまでたっても
見えてこない。


敢えて言いましょう。


学級でトラブルが起きたら
学級担任が「解決」しちゃだめ。


先生が「解決」しちゃだめ。


生徒自身が解決しなくては
本当の解決にならないのです。


だって、人間が集まって何かやってたら
必ずトラブルって発生するんですから。


トラブルはなくならないんですよ。



それなのに



教師が大人の強権を発動して
トラブルを収めて見せたとしても


教師がいなくなったら
正しく強権を発動する権威がなくなると

生徒の中に

強権発動する権威が

自然発生するのです。


生徒の中の強権発動する権威は
自然発生ですから
どんな価値観を持っているかわかりません。


いじめっ子とか影の黒幕とかはこれだ。


教師が強権を発動する権威であるうちに
生徒の中に正しい価値観を持った権威(リーダー)を
育てなくてはなりません。


リーダーに正しい価値観と
強権発動のやり方を教えます。


良い子ちゃんのリーダーじゃなくて
番長よりも強くて怖い、本当のリーダー。
生徒集団の指導者たるリーダーです。


ちょっと手間ですが
非常に面白い作業です。


いったん正しい価値観を持ったリーダーが育つと
教師がいなくても生徒は

自己指導、自己管理、自己教育の力を

発揮してくれます。


いつも見張っていなくても
どんどん発展的に問題を解決しようとしますし
問題じゃなくて、前向きな活動に向かって
文化活動や奉仕活動などに
面白い企画を立て始めます。


チャレンジし始めます。


逆に、指導する教師が
指導の仕方がわからずに
相変わらず教師の強権による
トラブル解消を続けていると

なくなるはずのないトラブルに追われて
疲れ果ててしまったり
対処が遅れたりして


ついには
「どうしてお前らは・・・」とか
不必要な侮辱を生徒に与えて
不信感をかってみたりして


まあ、それでも8割方の学級
表面的な平穏を保っていて


そういう先生が
「まあまあ力量のある先生」
だったりするんだけど


水面下では生徒や親の不満が募っていたり
隠れたいじめが進行していたりする始末。


残りの2割
制御不能の学級崩壊か
無反応仮面クラスになっちゃうのねん。


でも、それは普通


悲しいことに普通なのです。


普通であるが故に乗り越えられない壁。


いくら
「生徒を育てないとだめだ」

と訴えても

ちゃちゃっと「解決」して
「この件は解決しました」
となるからなあ。


自分の学級にトラブルが発生したときに
「来た来た」とトラブルを歓迎するのか
ため息をつくのか


学級と教師自身の将来がかかった
大切な分岐点だと思うのですがね。


ま、言い続けますけど。