パンダはかわいい。この遊具の顔がかわいくないならば、これはパンダではない。 | 富山中部高校陸上競技部

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担当
月:おみさ
火:しゅうえいしゃ
水:かす神防衛隊
木:水原ともき
金:納屋沢
土:癒し枠
日:七福神

こんばんはー
卒業アルバム委員になったみっきーです🐭

一生の思い出となる卒アルの編集に携われるのは嬉しいですね😊

でも写真の選定作業は業者さんにお任せだそうです…

せっかくみんなのかわちい♡顔の写真を選んでやろうと思ってたんですが、、

残念。













今日のめにゆー👀


@五福
各自練習or選考会







着々と高校総体が近づいてますねー

調子がいい人ばかりではないと思います(私みたいに)

でも大会の日程を変えるほどの権力は残念ながら持ってないので、

できることを最大限するしかないですよね
















自分語りのびっぐうぇーぶに乗りましょか

みんなの自分語り読むのすごい好きです

みんなの幼少期を想像してにやつきながら読んでます



ついに私の番がやってきました

自己満足のために書きます

しばしお付き合いを。













保育園から小学校2年生にかけてのわたしは、

人と違うことがしたい、その他大勢は嫌だ

という信念を持ってる子でした

運動会で、みんなが太鼓やってるから自分はシンバルをやりたいと希望しました

図工の授業で作品をつくるとき、かわいらしいウサギさんとかネコさんとかは被りそうで嫌だから、カタツムリやコアラとかを描いてました

あといろんな友達に話しかけてたし、リーダー的な役職を進んでやりたがってたし、小2のときにクラスの男の子とケンカして先生に呼び出されたし、で

ほんとに自分か?と疑うレベルで今と違う性格でした

分かりやすく言えば空気読めてないやつです




うん、

えいじろーの自分語り読んで
え、ちょいちょい同じ感じだ、
ってなりました














しかーし

小学校3年生になった瞬間、突然“おとなしい子”になってしまいました

「出る杭は打たれる」日本の社会のありようを、8歳にして察したのでしょう

さすがに昔のままの自分でいくと周りにたくさん敵を作っただろうなとは思うけど、

周りの目を気にせず行動できる点ではあの頃の自分を少し羨ましくも思います














そろそろ陸上の話をします

陸上を始めたきっかけは特にありません、というか覚えてません

気づいたら親と一緒に走りに行ってました







しんきろうマラソンとか神通川マラソンとかのいろんな大会に出てたけど、

タイムを気にしたことなんかほぼなく、とりあえず走ってました

同じ年齢で、こんなに陸上をガチでやってる子たちがいるんだー自分とは無縁だなーくらいに思ってました

多くの人が出たであろう小学生陸上の大会は、リレーの補欠で出ました





走ること自体は好きだったけど、メンタルが弱すぎて鬼ごっこは捕まったときにいちいち凹んじゃうタイプだったので苦手でした

だからアクティブな子ではありませんでした

こうして土踏まずのない「ノンアーチ」少女が出来上がったわけです















中学では陸上部に入部。

その頃から800mをやってました

地区大会ではわりと上位だけど県大会では予選落ち、って感じでした

部活の後、週に何度か、夜に市の練習会に行って走ってました

そこの指導者の方は、体操やストレッチ、動きづくりなど基本的なことを重視されていました

ペース走のときはいつも手を抜きそうなときに声をかけてくださったので毎回いい練習ができました

ちなみにこの指導者の方の一人称は「おじさん」でした(でも「おじさん」の年齢ではない)








練習の成果が結果に表れてきて、2年の県新人(県Jr)で初めて県大会の決勝にいけて、冬の強化練習会にお呼ばれしました

参加選手の中でいちばん遅いという自信があり、逆に開き直って強い人たちと一緒に練習ができるチャンスを楽しもう!と臨みました






ここでびっくりしたのが、みさえが私のことを認知してくれていたこと😳

推しに名前を呼ばれるのと似た嬉しさを感じました

ドリルとかの動きがレベチできれいだったのもはっきり覚えてます

納得だなーって感じでした






そして、みずきちゃんはそこで新しくお友達ができました

なんとそれがアコなんです

何話してたんだろーね

あこの中学校の顧問の先生が中長距離担当だから気まずいとか言ってた気がする()

一緒にいて落ち着く子だなーと思ってました





練習メニューは、いつもの部活とは比にならない量で

すんんんんんごいきつかったです









時は進んで、中学最後の大会、駅伝。

駅伝練習を始めた頃は、自分でも驚くくらいに調子が良く、タイムがこれからもっと伸びると思うとすごく楽しみでした

しかし、しばらくして腰(股関節?)を痛めてしまいました

数週間走れず、正選手にも入れませんでした

当日はなんとか走れるようになり、友好レースに出ました

もちろん練習を積めていなかったのでタイムは雑魚乙

しかも途中で転びました



チームに貢献できなくて

やりきった!と思える形で終われなくて

自分が情けなかった

でも、やっと終わった、という安心感というか嬉しさが少なからずあったことが、

いちばん悔しかったかも。

こうして私の中学校での陸上生活は幕を下ろします






高校でも一択で陸上部に入部。

周りは中学時代からその名を轟かせてきた猛者ばかりでした

自然な流れでいつの間にかグループラインに追加されました

こんなにも濃い、濃すぎる、陸上ライフが待っているとは、このときまだ知りませんでした

たくさんの刺激を受け、たくさんのことを学び、たくさんの思い出を作りた、たくさん笑い、たくさん泣き、たくさん走り、たくさん青春しました

ゲシュタルト崩壊しそう








先入観って誰にでもあるものだと思います

中部に入学する前までと、入学してからの中部高校に対するイメージは全然違います

すごく失礼だけど、正直入学前までは、中部は勉強中心だから部活はそんなにガチじゃないだろうなーと思ってました

でも全く違いました

勉強でも、部活でも、習い事でも、色んな面で頑張っている人がたくさんいました

狭い考えや思い込みにとらわれていた自分が恥ずかしくなりました

実際に見てみないと、やってみないと、会ってみないと分からないことってけっこうあるのかもしれません







なんとなく、で始めて

なんとなく、続けてきた陸上競技。

なにか一つのことに夢中になってやり尽くしたといえることがない自分がいやでした

自分を変えたい、と思ってきました



私にとってモチベーションとなるのはいつも誰か「人」の存在です

中学時代はテスト期間に部活が休みになるのが嬉しかった私が、

テスト期間でも自主的に練習するようになったのは紛れもなく中部陸上部のみんなの影響です

それだけが基準だとは思わないけど、

何より部活が楽しいと思えるようになったことが嬉しいしそんな自分に驚いています

これに関しては周りに流されやすい性格でよかったと思います

ここを選んで良かったです

ほんとにみんなありがとうございます

最後はなんとなく、で終わらないようにします






















明日は、廊下で陸部女子に話しかけた瞬間何も言ってないのにぜんぜんにその話もう聞いたよと言われてショックを受けていた(?)納屋沢君です

おわりまーす👋