2025年12月11日、東京都西新宿にあります「SOMPO美術館」で開催中の「「モーリス・ユトリロ展」を鑑賞してきましたウインク“気ままなお出かけ”がメインの拙blogにて、“美術館での絵画の観賞”というカテゴリーはとても珍しいのですが、それでも鑑賞し終えた後には自身の心の奥底に感じるものもありましたウインク今回、chuが鑑賞してきましたプログラムはこちら👇ちなみに期日は今度の日曜日(2025年12月14日)までと、残すところあと1日と半滝汗滝汗滝汗かく言うchuも鑑賞したのは一昨日の12月11日ですから、こうして大急ぎでblogにアップしているところでございますあせるあせるあせるですので今回は、何時もの詳細な能書きは殆ど省いて、写真中心にてお届けさせて頂きます。

こちらは会場入り口で頂きました「モーリス・ユトリロ展」の案内パンフレット。無料で配付頂ける資料ですが、最後に売店に立ち寄った時にわかったのですが、もっと詳しく記されている有償のガイド本は既に完売しています笑い泣き今回の美術展の概要を簡単に説明しますと、フランス国立近代美術館(ポンピドゥセンター)所蔵の10点を核に、油絵・版画・資料類など約70点で構成。ユトリロの洋式展開を穏やかな年代順に沿って辿りつつ、5つのテーマから、その魅力をさらに掘り下げるというものですニコニコそれでは資料を下に、写真を掲載して参りましょう。なおこれらは、スマホの画面上をタップすることで写真を大きくすることが出来ますので、御興味のある方にはじっくりとお読み頂けることが出来ると思いますニコニコ

👆の図の、中央部分だけを縮小したものです

2025年12月11日(木)、この日は14時過ぎまで地元で所用がありいったん帰宅した後、家を出たのは14時50分過ぎ。美術展は18時(最終入場は17時30分)までですので、16時までには新宿に着けますから2時間弱は鑑賞出来るな、と…。しかし久しぶりに訪れました新宿駅ですが、西口地下ロータリー付近が大改修中で、目印の「新宿西口交番」が見当たらないため焦る焦るあせるあせるあせるええぃ、こんな時は地上に出ちゃうのが一番だビックリマークところで「SOMPO美術館」は損害保険会社の大手「損保ジャパン」の企業立美術館。chuは元々、美術関係には造詣は浅いため美術館巡りをするという習慣はないので、美術館の名称を聞いてもそれがどこにあるのかは分かりません。しかし損保大手の「損保JAPAN」の本社が西新宿にある超高層ビルの一画にあると言うことは知っていましたから、その場所を目指して歩いたのでしたニコニコ走る人走る人走る人地上に出て、新宿駅方向を見て見ると、“そこにあったはず”の「小田急百貨店」はすっぽりと消えていてなにやら大規模な再開発が進んでいるんだ、ということは分かります。しかしchuが新宿に降り立つことは、この先はまぁ、なくはないでしょうが多くはないでしょうから、新宿西口再開発の進捗状況如何や、めでたく再開発事業が完結したとして、喜び勇んで見に来ることはないでしょうグラサン「駅からハイキング」にでも絡めば別ですがねニヤニヤで、地上部を歩いていれば大体、どっちの方向に向かっているのかは分かりますから、迷わずして「損保ジャパン」本社ビルには着きましたが、横断歩道は少し離れた場所にあるので大回りせざるを得ませんニヤリ

ビジネスが中心の西新宿超高層ビル群の中にあって、ひときわ目を惹くデザインの「東京モード学園ビル」ニコニコ

そしてこの信号を渡れば「損保ジャパン」本社が入る超高層ビルですニコニコ

そして「損保ジャパン」のお隣にあるのが「SOMPO美術館」現在開催中の「モーリス・ユトリロ展」の御案内が道路側に掲示されていますニコニコ

美術館内部に入りましたニコニコなお、今回の企画展では撮影を禁止されている展示物以外であれば絵画等の写真撮影は自由ですびっくり但しそれには条件もあり、フラッシュ、動画、三脚使用、自身を絵画の横に写り込ませるような撮影etcは不可ビックリマーク非営利かつ私的な使用(SNSへの発信など)が許されていますので、chuも撮影が禁止されていない絵画はバンバン撮りまくりました爆笑なお絵画とその作品名を御案内すべく、基本は「絵画」→「作品名」(中には場所の解説なども含まれているものもあり、その場合は少し長い説明書きとなっています。また、室内の照度の関係でどうしても手ブレが生じてしまいました(>_<)お見苦しい点が多々ございますことをお詫びいたします)

しかし、やはりそう高くはない照明度の室内空間でありますから、三脚やフラッシュが使用できないとなると、どうしても出来栄えはイマイチです。大勢のギャラリーの方がいますので、納得いく写真撮影が出来るまで、長時間、同じ絵画の前で場所を占有するのは非常識極まりないです絶望(実際、している人もいましたがねニヤリ)そんなわけで、ここからは比較的ブレずにきちんと撮影出来ていました写真のみを公開することに致しますウインク

そしてここから少しタッチが変わりましたウインク

こちらまでが今回の「モーリス・ユトリロ展」に出品されていました絵画(撮影が許されていましたもののうち、手ブレが比較的少なかった作品ですが全作品中の70%くらいの作品をお届することが出来ましたウインク)なお詳しくは、冒頭にリンク致しましたオフィシャルWebサイト内にあります「出品作品」名とを御照合頂ければより正確な説明を御覧頂けるかと存じますニコニコこちら、今回の企画展で出展されています全作品の名称が記されています。PDFで8枚分です。御参考になされますようお願い申し上げます👇

https://www.sompo-museum.org/wp-content/uploads/2025/09/mauriceutrillo_list.pdf

 

展示ロビーの最後に展示されていましたのは「SOMPO美術館」所蔵、ゴッホの「ひまわり」びっくりホンモノですぞポーン

この作品につき、「SOMPO美術館」では次のように解説しています➡ゴッホ《ひまわり》のある美術館SOMPO美術館は、1976年に社会貢献の一環で開館し、アジアで唯一ゴッホの《ひまわり》を鑑賞できる美術館として、多くの皆さまに親しまれています。1976年、西新宿の損保ジャパン本社ビル42階に開設された「東郷青児美術館」は、現在、公益財団法人SOMPO美術財団が運営し、各種展覧会の開催に加え新進作家の支援、「対話による美術鑑賞教育」の普及支援などを行っています。
1987年にはポスト印象派の巨匠ゴッホの《ひまわり》が常設展示のコレクションに加わり、以降、アジアで唯一、ゴッホの《ひまわり》を鑑賞できる美術館として、親しまれています。館内は一つひとつの作品とじっくり向き合える展示空間のほか、買い物を楽しめるミュージアムショップや休憩スペースを併設し、国内外から幅広い世代が訪れる美術館づくりに取り組んでいます。

 

さて、この後はイベント観賞後の物品販売コーナーウインク日頃より芸術にはとても疎いchuですが、こうした名作品を鑑賞させて頂きました後には“いっぱしの”美術愛好家にでもなったかのような壮大な勘違いもしがちでして爆  笑ですがその“錯覚”も気分を高揚させるのには十分です照れすると不思議なもので、自然と財布の紐も緩くなりがちにグラサン

👆こちらは「ジグレー版画」という技法を用いた版画。ジグレー版画とはフランス語でインクの吹付を意味する言葉だそうです。最新のデジタル技術を用いて非常に高い再現性を持つ版画技法なのだそうですニコニコ

 

AIによる回答👉ジクレー版画とは、フランス語で「インクを吹き付ける」という意味を持つ、最新のコンピューター技術を用いた高精細なデジタル版画技法です。原画をデジタルデータに変換し、専用のインクジェットプリンターで版画紙やキャンバスに直接インクを吹き付けて制作されます。原画の微妙な色彩や質感、鉛筆の擦れ具合まで忠実に再現できます。顔料インクを使用するため、耐光性・耐水性に優れ、50年から100年の保存性があると言われています。1枚から制作可能で、必要な時に必要な枚数を印刷できるため、経済的です。版画紙、キャンバス、写真用紙、和紙など様々な素材に出力できます。ジクレー版画は、リトグラフやシルクスクリーン版画とは異なり、版(原版)を使用せずに刷り上げる点が大きな特徴です。

 なんだそうですウインク でも多分、“にわか美術品愛好家”になりましたchuでしたが、幾ら気に入ったと言っても、ん万円もする「ジグレー版画」を注文しない冷静さは持ち合わせており爆  笑

しかし、実は今回の企画展には展示されていなかったこちらの「絵」がとても気に入りましたチュータイトルは「アベス広場の郵便局 モンマルトル」。今回の展示作品の中では、その殆どが風景画であり(しかも同じ建物を季節や時間を変えて描いているものも多く、しかしそのことはPhotoblogerであるchuも、同じ場所や風景を撮影することも多いのですが、季節や時間帯を変えると、これはまた違った作品であるということはchu自身が一番良く知っている事ですから、ユトリロの題材の選び方にはchuと相通ずることがあるな、と感じていた次第なのですウインク)人物を描いた作品は珍しいウインク(今回の企画展以外でのユトリロのことをchuは知りませんから、本当は他にももっと沢山あるのかも知れませんが爆笑)、こちらの作品を見た時びっくりひらめき電球にchuの心の中は撃ち抜かれてしまいました銃爆弾爆  笑躍動感を感じます照れ

残念ながらん万円も拠出して「ジグレー版画」を注文することは出来なかったのですが、A4サイズのこちらの「絵」を、額にいれて自宅に飾るのは大ありだなウインクと思った次第でした照れ

chuが購入しました「アベス広場の郵便局 モンマルトル」。値段は…ナイショ爆  笑カクダイスレバワカッチャウケドネニヤニヤ

大満足な鑑賞を終えましたchu一行は「SOMPO美術館」を後にします。例えば素晴らしい映画を鑑賞した後に、心が洗われるような気持ちを抱き劇場を後にすることがあると思いますが、その時と同じような気持ちを感じつつ照れ

美術館の扉を開けたのでしたウインク

ありがとう「損保ジャパン」チューてか、chuは別会社の自動車保険を使ってますが爆  笑

久しぶりの新宿…次に何時、訪れるのかは分かりません、多分、もう来ることはないかもしれませんが(別の目的地に向かう際の通過はあるとは思いますが爆笑)、素敵なひと時をありがとうございましたウインク

ところで今回、chuが「モーリス・ユトリロ展」を訪れたのは実はピンチヒッターニヤニヤ家内が知人と出向き鑑賞することになっていたのですが、お相手の方がお怪我をされてしまい、その傷が癒えるのを暫く待ってはいたものの、展覧会も間もなく終了…叫びせっかくのチケットを無駄にしちゃうのもねぇショボーンと言うことで、そりゃぁ、chuであっても、「ユトリロ」の名前くらいは知っていましたが、どのような時代に生きて、どのような絵を描くのかまではシラナカツタ爆  笑そんなど素人のchuではありましたが、今回の「モーリス・ユトリロ展」を鑑賞させて頂くことが偶然ではありましたが叶ったことで、心がまた一つ、豊かになったことだけは間違いありません照れどうもありがとうございましたウインク

 

なお、今さらの感もしますが「モーリスユトリロ」さん、このような方です(Wikipedia)をリンクさせて頂きます。👇

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%AD

 

改めまして急告ビックリマーク

「モーリス・ユトリロ展」は明日、2025年12月14日(日曜日)(10時00~18時00 但し最終入場は17時30分まで)までです。何せ、chuが出向きましたのが12月11日のことでしたので、拙blogでの告知も遅くなりましたが、それでもあと1日半ありますビックリマーク御関心のある方は、是非、足を運ばれてみてはいかがですかウインク

2025年の紅葉と黄葉のシーズン、もう終幕ですよねニヤニヤ言えね、実際、今シーズンの紅葉と黄葉み鑑賞しまくったのですが、「駅ハイ」blogを先に手掛けていたのでリアルタイムにお届けするのが出来ませんでしたえーん(但し、永長とした文章を書かなくて済む他のSNSではリアル発信していますウインク)と言うことで、ここから暫くの間は“2025紅葉と黄葉”シリーズが続くのですが、要は全て回顧編と言うことで滝汗ただ、撮影日時は明記しますので、もしよろしかったら来シーズンの紅葉鑑賞の参考にして頂ければと思います。って、このblogは自分の備忘録替わりでもありますから、chu自身にとりましても春夏秋冬、日本の四季の美しさを、いつ、どの段階で訪れればいいのか、過去のblogを見返して、とても参考になっているのですよウインクと言うことで、2025紅葉と黄葉シリーズは恐らく年内いっぱいはかかると思うのですが、お付き合い頂ければ幸甚ですチュー

 

で、今回訪れましたのは千葉県野田市に有ります「県立関宿城博物館」、通称“関宿城”ニコニコほれ、朝早起きをして、朝一番の見学コースで案内頂きました「キッコーマン株式会社」野田工場内にあります「もの知りしょうゆ館」を訪れました2025年11月19日のことで、あさイチコースでしたので10時45分頃には見学も終えており👇

こちらが旧関宿町を含めた現在の野田市の地図。千葉県最北部の自治体で人口は15万1700人と、地方都市としてはそこそこの規模を誇ります。関東平野のほぼ中央部に位置しており(赤色で〇囲みした場所が野田市)
市の中心部は下総台地。東を利根川、西を江戸川、南を利根運河により三方を河川に囲まれた“三角形デルタ地帯”で成り立つ野田市なのでありましたウインク地理関係から眺めると東京都心までは30~40㎞圏内で、多少、無理をすれば通勤通学の範囲内でもあります。その反面、県都の千葉市までは40㎞以上の距離がある上、交通アクセスも便利とは言えないため、同じ県内でありながら双方住民から見ても物理的以上に心理的な“距離”があると思われます真顔

工場見学を終えて“さぁ、どうしたもんだろう”と思案したところ、旧関宿町(※“平成の大合併”により2003年に野田市に編入)の中の最北端…即ち千葉県の最北端に位置しているところに「県立関宿城博物館」(以下、関宿城と記します)があり、あそこの紅葉はまずまず綺麗だったことを思い出し、とは言っても千葉県で紅葉の見ごろが始まるのは早くても11月末からですので、多分、まだ早いなぁとは思ったのですが、今朝、早起きをしてせっかく野田まで来たのですから、このまま帰るんぢゃ勿体ないあせるあせるあせる(ナニガモツタイナイノカ、ヨクワカリマセンガニヤニヤ)ってことで足を延ばしてみることにしたのです爆笑こちらが「関宿城」のホームページ👇

「関宿城」ですが、もともとここから少し離れた場所には本物の城郭がありました。築城は室町時代とされており、江戸時代には関宿藩の藩庁が置かれていたところ。その後、明治期になり廃城となり取り壊されてしまったのですが、1995年に「千葉県立関宿城博物館」として再建されたのでした。ですので、城郭の恰好をしている博物館ではありますが、再築城後まだ30年が経過したばかりの新しいお城でして、ですので“文化財的な価値”は残念ながらありません爆  笑こちらが関宿城周辺の案内図。

そしてここは、東に千葉県と茨城県との県境を流れる利根川が、西に千葉県と埼玉県との県境を流れる江戸川が流れており、この少し先で江戸川は利根川から分流するので、“三角地帯”のようなところ。ま、川の分岐地点は正確には茨城県なのですが、このことを知っている千葉県民は実は少ないビックリマーク利根川と江戸川との分岐地点が千葉県の最北端だと信じている千葉県民の方が殆どです。ここで千葉県の全体図の中で野田市旧関宿町の位置関係と、利根川と江戸川の分流地点が茨城県であることを確認するための地図を添付します。先ずは旧関宿町の位置を赤色で〇囲みしてみましたニコニコ

こちらは「関宿城博物館」がある場所を、同じく赤色にて〇囲み。そして赤色の実線は千葉県と、茨城県や埼玉県との県境です。ご覧のように、利根川と江戸川との分岐点は茨城県だという驚愕の事実をお伝えいたします滝汗

この三角地帯はじめじめとした湿地帯あせるあせるあせる立ち寄る人はあまりいません。で、行政的には茨城県に属しているのですが、茨城県の方がここに来るには利根川なり江戸川なりに架かっている橋を渡ってこなければなりません。しかし千葉県側からだと行こうと思えば簡単に徒歩で行くことが出来ます。ですので千葉県民としては、ロシアに不法占拠され、そのまま領地として分割されかねないウクライナの皆さんの気持ちが痛い程分かる…って、冗談でも実際の戦争を話のタネにしちゃだめでしたパンチ!ただ御覧頂きましてもお分かりの通り、「関宿城」はギリ、千葉県ですが、関宿城の北側あたりの黄葉が綺麗な場所は、実は茨城県なのですガーン

そして、“茨城県の領地”であるこの三角地帯には草木が生い茂る湿地帯のため、中に足を踏み入れるのには勇気がいるのですが、それより手前の千葉県側は「関宿にこにこ水辺公園」として、適度に整備されているスポットになっていますニコニコ

さて、「関宿城」とその周辺地理の説明に多くの紙面を要してしまいましたが爆笑ここからは関宿城周辺の黄葉の様子をお届けして参りますウインク遠くに天守閣を望む中々の構図ウインクそしてイチョウではないのですが黄色く色付いた木々が美しい黄葉感を醸し出しています照れ

段々と近づいていきます。そした、多分この辺りはかろうじて千葉県ですが、足を左側に一歩でも踏み出しちゃうと茨城県に入ってしまうかの場所ですニヤニヤ

で、この辺りは多分、もう茨城県の“領地”だなニヤニヤ

利根川右岸の堤防に立ちますが、ここはもう茨城県あせるあせるあせる雲一つない快晴の中、筑波山が映えますウインクさすが、「日本百名山」に名を連ねる名峰です照れ

しかし黄葉といえばイチョウが定番なのですが、この場所の黄葉はイチョウではなく、ただ葉っぱが黄色に色付く木々。しかし木漏れ日落ちるこの「絵」もいとおかし、の世界ですねウインク

以下、しばし同じような構図の写真が続きますが御容赦の程をウインク

ところでこちらは2022年11月16日に訪れた時の紅葉の様子。この時は、数は少ないものの赤いモミジが良かった照れ訪れた時期はほぼほぼ同じなのに、今年は何故かこの美しいモミジはなく、くすんだ色とをしていたなぁキョロキョロ実はこの時のことを覚えていたので「関宿城」を訪れたのですが、今回は紅葉には出逢えませんでした。けど、黄葉も中々いがったですよウインク

で、この時👆の紅葉鑑賞期はちゃんとblogにしてありました爆  笑そしてその中にも、突端の三角地帯は千葉県ではなく、実は茨城県だと言うことを、実に詳細に図入りで説明してありました爆  笑

で、chuはこの日「関宿城」には入館しなかったのですが爆  笑(もう10年以上前に訪れた時に入館したのですが、一回、見ておけばいいかな、とニヤニヤ最も自分の関心がある「特別展」等が開催されている場合は話は違いますがねウインク)「関宿城」入門口の手前にはお休み処の家屋と、お土産を販売している売店がありまして、そちらにはIN走る人走る人走る人するとどうでしよう、chuが敬愛する高田の純ちゃんがいらしていたようですびっくりTV朝日で月曜~金曜日まで、毎朝9時55分から10時15分まで放映されている「じゅん散歩」(chuは録画までしても、ほぼ毎回、観ています照れ)にて、高田純次さんがいらしていたのでした合格クラッカー2020年8月21日のことですから、世はコロナ禍真っ最中のころのことですゲローchuは純ちゃんが関宿城に来ていた事、ちと記憶にありませんショボーンなお放送は8月28日ですから、直前のロケだったことが分かります(翌週に野田行脚編としてまとめて放送していたようですニコニコ

そしてこちらは2009年2月2日、当時の皇太子殿下(現、天皇陛下)が「関宿城」にお立ち寄りになられた時の歓迎の様子ニコニコ

利根川水系の治水施設などを御見学されたそうです。天皇陛下は皇太子時代、学習院大学を御卒業後、英国に留学され、そこで「テムズ川の水運」に関する論文を御纏めになられていましたね。オックスフォード大に留学中、「18世紀のテムズ川の水上交通」を研究テーマに選ばれており、御関心はその後、水がもたらす利益から災害までに広がり、水の研究は陛下のライフワークになられているそうですウインク

皇太子殿下(当時)御訪問を報じる新聞各紙ですニコニコ恐れ多いとは思いましたが接写させて頂きました照れ

そしてchuはこの二つの地図を御購入ウインク一つは江戸城周辺にある各地の大名屋敷の位置など。現在の千代田区、皇居を取り巻く周辺は、江戸時代は各藩のお屋敷がありましたからね。例えば千代田区の町名には、ここに〇〇藩があったことを窺わせる町名が残っていますが、実際、何処にどのような藩とお屋敷があったのかは分かり難いあせるあせるあせるですのでこの古地図があれば一発で分かりますウインクそしてもう一つは、蝦夷地(北海道)松前藩以南、鹿児島までの各藩の位置図。当時ありました小さな藩も網羅されている優れもの照れ他では中々手に入る代物ではありませんよチュー

そして最後は「関宿城」を一番映えさせる構図がこちら👇 んキョロキョロどうしてこれが“映え”るの!?その答えは2枚後の写真に譲るとしまして、実はここは茨城県側口笛写真に写っている河川は坂東太郎の別名を持つ、日本第二の河川である利根川です。千葉県と茨城県との県境をなす河川ですが、前述のとおり、必ずしもこの河川が県境になっているわけではないのが不思議なところニヤニヤ実はこの場所以外でも、千葉県我孫子市付近では利根川を渡って本来であれば千葉県であるところ、茨城県取手市という場所や、もっと河口に近い千葉県香取市では、利根川を渡り本来であれば茨城県であるところ、水郷の「水郷佐原あやめパーク」や、水郷地帯に架かる十二橋付近は千葉県なんです。もちろん理由はあるのですが、今回は紅葉編ですのでこの説明については別稿としますねウインク

こちらは千葉茨城県境の利根川に架かる境大橋を渡ってすぐの場所にある「道の駅さかい」

https://www.sakaimachi.co.jp/

「道の駅 さかい」がある茨城県総和町と沖縄県国頭村との間には姉妹都市提携こそないようですが、「道の駅」同士で友好協定を結んでいるそうです。そのため「道の駅 さかい」には沖縄のアンテナショップと沖縄料理のレストランがありますニコニコ

そして、車を「道の駅 さかい」の駐車場に置き、「関宿城」と、その背後の富士山をカメラ日本国内において、城郭と富士山とのコラボ写真を見ることが出来るところは、実はそう多くはありません。ですのでそうした場合には、城郭そのものには文化財的な価値を意識しなくてもいいのでありました爆  笑(この写真は晩秋から早春にかけての空気が澄んでいる時に撮影出来ます。なおこちらの写真はお借りしたものです。ありがとうございました)

次も、茨城県の紅葉と黄葉をお届けさせて頂きますウインク

2025年11月27日に参加しました「駅からハイキング」、同コースはchuの故郷、千葉県松戸市の中心でありますJR常磐線、京成松戸線の松戸駅を起点として東京都葛飾区のJR常磐線金町駅へと向かうコースビックリマークそして今回のこのルートは、恐らくは“駅ハイ史上初めて”の都県境を超えてびっくり、をお届けしていますウインク前回編はこちら👇そして今回は、後編プラス“特別編”もお届け致しますウインク

先ずは後編スタートビックリマーク柴又駅の写真は中編に掲載した最終写真と重複しますが、出発場所を分かり易くするためにウインク

こちらが柴又駅の券売機です。今日のゴールは柴又駅から一つ目の京成金町駅。で、その京成金町駅はJR常磐線金町駅との接続駅でして、赤で〇囲みしたのが金町駅と松戸駅の関係。金町までは「駅ハイ」コースですから京成線には乗らずに歩きますが、金町駅からはJR常磐緩行線でひと駅の松戸駅に戻りますニコニコしかしこんなにもお財布に優しい「駅ハイ」(この日、かかった交通費は金町→松戸の167円だけでした爆笑)はそうそうはありません爆  笑

で、こちらが柴又駅から松戸駅付近の運賃表を拡大したもの。もし、柴又から松戸まで切符を買うとしたら金町駅までの150円と、金町駅から松戸駅までの170円(切符の場合です)で合計320円。時間にして5分です(乗り換え&待ち時間は含みません)。ところが、京成線だけで松戸駅に行くとしたら620円と、ほぼ倍もかかりますびっくりさらにルートとしては京成津田沼まで行き、そこで松戸線に乗り換えて終点までですから(細い赤実線で示したルートになります)最短でも70分近くを要することになり、こちらは10倍以上の時間がかかる滝汗なので、こうしてせっかく料金表に表示はしてあるものの、柴又からは、京成線のみの利用で松戸駅に向かう人はまずいません爆  笑

こちらは柴又駅での、下りの金町行き(奥側)と上りの京成高砂行き(手前側)の列車交換の様子。京成金町線は、京成高砂と京成金町とを結ぶ全長2.5㎞のミニ支線。全線が単線で、途中の駅はこの柴又駅しかありません。そして柴又駅ではこのように上下線が行き交い、列車交換が行われるのでしたニコニコちなみに東京23区内で、旅客線で単線営業しているのはこちらの京成金町線の他に、足立区の東武鉄道大師線と、豊島区の西武鉄道豊島線の3箇所のみ。しかも、東武、西武の各支線には途中駅はありませんから23区内で列車交換が見られるのはこの柴又駅のみと言う、とても貴重な駅でもあるのですウインク

柴又駅北側の踏切からカメラしたものです。上は京成金町方面で、2本の線路が合流して行くことが確認出来ます。下は柴又駅方面をカメラしたもので、柴又駅が2面2線の構造になっていることがお分かり頂けますウインク

そして後はゴールのJR常磐線金町駅に向かい淡々と歩くのみ走る人走る人走る人今回の「駅ハイ」では先ほどの「帝釈天」が最後の立ち寄りスポットでしたので、寅さんとさくらさんのブロンズ像や、柴又駅の御紹介などは、“気ままなお出かけ”大好きなchuの自主事業だったのであります爆  笑このように、約1㎞を京成金町線に沿って歩くだけなのですが、たまぁに電車が通りますのでその時はすかさずカメラと、“撮り鉄”に変身しますウインク

こちらは旧水戸街道と京成金町線との平面交差(踏切)。ちょっと前までは大田区の京急蒲田駅前の国道15号線と京急(羽田)空港線とが平面交差しており、正月恒例の箱根駅伝の、ちょうどコース上滝汗そのため、ランナー走行時に電車が来ようものなら、選手をストップさせ、電車通過待ちに要した時間をその選手の合計タイムからマイナスする計測をしていましたね。ですが今では京急空港線も高架化されたため、このように国道と平面交差している箇所は今では東京23区内では恐らくここだけではキョロキョロなお、京成金町線は単線である上に運行間隔は朝夕10分おき、昼間は15分おきのため、“開かずの踏切”となることはありませんウインクまた、写真に映っている高架道路は国道6号線(水戸街道)の松戸バイパス。千葉県と東京都との都県境に架かる「新葛飾橋」から直結している道路でして、交通量の多い松戸バイパスを通る車両が京成金町線の踏切で足止めならぬ車止めをされることはありません爆笑

こちらは松戸バイパス高架橋のちょうど真下。そしてここからは京成金町線の京成金町駅に停車中の車両も確認出来ますニコニコ

そしてゴールは目前ですが、その前にこの写真を思い出してください👇こちらは今回の「駅ハイ」シリーズ、前編にも掲載した写真ですが、松戸の名勝である「戸定が丘歴史公園」の東屋からだと何とか富士山の姿は確認できるものの、以前は戸定邸の表座敷からも眺められていた富士山の眺望を完全に遮った、“全松戸市民の敵”と言っても過言ではない、タワマン前に到達ですパンチ!

こちらは11月22日日「戸定が丘歴史公園」を訪れた際に撮影した富士山。タワマンの左端に、富士山が少しだけ顔を覗かせてくれていますが全景は眺められません。また、“関東の富士見百景”にも選ばれていました戸定邸表座敷からは、あのタワマンが建ったために完全に見えなくなってしまったのですムキー

👆の写真から、富士山が見える部分をさらに拡大するとこんな感じです👇

こちらがそのタワマン。「ヴィナシス金町タワーレジデンス」というのがこの建物の名称で、地上41階建て。こんなものが建てられたおかげで、松戸を代表する観光スポットである戸定が丘歴史公園から眺められる富士山の雄姿を一部、或いは全てを遮っているのですプンプンなお同タワマンは金町駅南口再開発のシンボルとなった建物でもあり、建物内部には複数の飲食店やスーパー、それと金融機関、さらには葛飾区の中央図書館など、マンション住民には暮らしに便利な施設が入居しており、葛飾区民にとっては嬉しかろうにえーですが、松戸市民にとっては怒りの対象でしかありませんムキーしかし敷地内に植栽してありました樹木は綺麗に色付いており、“カメラマンchu”の悲しき性(さが)なのか、つい、パチリとしてしまいました叫びドクロ

こちらは京成金町線の起点と終点の京成金町駅。ご覧のように1面1線の、ごく簡易な構造です。そして京成金町線のもう一方の基点駅である京成高砂駅も、金町線のホームだけは京成本線のホームとは独立しており、やはり1面1線の簡易構造。ですので京成金町線の中の駅で、複数の車両が行き交う(複数の編成が駅に停車できる)ことが出来るのは先ほどの柴又駅のみなんですニヤニヤなお京成本線の京成高砂駅は、都心と成田空港を36分で結ぶスカイライナー以外の全ての列車種別が停車する2面4線の大規模な駅なのですが、金町線だけがポツンと独立した扱いになっているのでした爆笑

そして遂にゴールクラッカー合格お疲れさまでした照れ

金町駅の改札口付近にて、ゴールの手続きを済ませると、ほれ、御覧のように完歩証明が発行されましたよグラサン

ですが今回は👇の赤太線の部分は「矢切の渡し」舟にてショートカットしちゃいましたので、江戸川堤防分の800m×2(千葉県側左岸と東京都側の右岸分)で1600m、そして都県境に架かる「新葛飾橋」分の400mを歩いていませんから、実際の歩行距離は8㎞くらいのはずですニヤニヤしかし歩数は実数でしたが「歩行距離」はコース毎に設定されている距離がそのまま出ちゃうのですね爆笑

そして、金町駅からはJR常磐緩行線でひと駅の“マイホームタウン”の松戸駅で下車し、お疲れさん会ウインク何時もは松戸駅西口の「大都会」を会場とすることが常ですが、この日は「バーミヤン」がお得なキャンペーンを展開していましたので👇

chu華好きなchu、迷わずバーミヤンに行きました爆  笑

以上、11月27日に出かけました「駅からハイキング」の様子をお届け致しましたウインクそしてここからが【特別編】になります。“えびっくり「特別編」って、何!?”ってなりますよね爆笑ホレ、「矢切の渡し」を使ってショートカットしたくだりで、“ま、この件につきましては後日、ちゃんと埋め合わせはしましたがねウインクの後日の様子を「特別編」としてお届けして参りましょうウインク日時は11月28日ビックリマークそーなんですよ、「駅ハイ」を歩いた翌日にも江戸川堤防にやって来ましたchuの、なんとフットワークの軽いことでしょう爆  笑(=暇人とも言いますグラサン)あ、この日、ここまで来たのはもちろん車で、ですニヤニヤしかし昨日とはうって変わって、雲一つない青空が広がっていましたウインクそしてこちらは江戸川左岸の千葉県松戸市側の河川敷で、御覧のようにゴルフ場のコースとなっています。パブリックな上にリーズナブルなプレー料金らしく、とても人気のある「江戸川ラインゴルフ松戸コース」ですが👇

実は自宅の近くにありながらもchuは一度赴いたことはありません。何故なら…chuはゴルフをしないからでした爆  笑

時刻は11時ころ。今回の「駅ハイ」、松戸駅のスタート受付は10時からですから、まだこの場所まで辿り着いている方はおりません。そしてこちらが国道6号線(水戸街道)の松戸バイパスで、千葉県と東京都の都県境に架かる「新葛飾橋(しんかつしかばし)」ですニコニコ

橋の東側が千葉県松戸市

そして橋の向こう側(西側)が東京都葛飾区。あのにっくきタワマンが悠然と聳えているのが気に入らないプンプンパンチ!

こちらは間もなく東京都に入ろうかという辺り。川面に太陽の光が輝いていますウインク

“尖がり帽子の取水塔(右側)”がこちらウインク「金町浄水場」の施設で、こちらは東京都民が使う水道水を汲み上げています。

「葛飾ラプソティ」の歌詞の中にも出てきていますが、こちらも名曲ですね照れ

そして東京都に上陸ビックリマーク昨日に引き続き上京を果たしましたチュー合格クラッカー

しかし、東京都に入ったとして、「駅ハイ」コースを進むわけではなく、踵を返すようにして千葉県側に戻ります。だって車駐車場に置いてますからね爆  笑

再び「新葛飾橋」を通り千葉県側に向かっています走る人走る人走る人左側の鉄橋はJR常磐快速線と緩行線。複々線ですニコニコ

そして千葉県側に再上陸ですニコニコ

今度は江戸川堤防(左岸)の少し下を歩いてみました。あの樹木があるところは“川の一里塚”で若い桜の樹です。桜が満開の時にはここで撮影する桜と富士山とのコラボ画がとても綺麗です照れ

「日本の音風景百選」のモニュメント “日本の“音風景百選(にほんのおとふうけいひゃくせん)”とは、1996年(平成8年)に当時の環境庁(現・環境省)が、全国各地で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境(音風景)」を広く公募。「日本の音風景検討会」の選定審査の結果に基づき、これらの応募のうちから音環境を保全する上で特に意義があると認められる100件を選定したものです。👇の石のところどころに穴があけられており、そこに耳を傾けて、そこから聞こえてくる音が“将来に残したい音環境”ウインクもちろんchuもこれが出来た時から何度もその音を聞き入っています。が、実際のところ、どの音が“将来に残したい音環境”なのか、よく分かりませんニヤニヤ

こちらがウィキペディアの「日本の音風景100選」の説明のページですが、松戸のこちらのモニュメントがいきなり紹介されてましたポーン

そして江戸川堤防を下り「矢切の渡し」の船着き場へ。何せ昨日は堤防から下って来るところを“誰が渡し船に乗る人、居ますかぁ”と聞かれて、“乗りまぁす”と答え、慌てて乗り込んだものですから船着き場の写真などをゆっくりと撮影している時間がありませんでしたので、今回はゆっくりとカメラウインク

こちらが細川たかしさんが唄う「矢切の渡し」ですニコニコ

「矢切の渡し」、船賃は片道300円です。んキョロキョロ最近値上げしたのかな!?前回乗船した時は確か200円だったような。しかし何でも値上げの世の中ですから、しかたないですねニヤリ(chuが前回乗船したのは2019年(平成31年)に初詣で「帝釈天」をお詣りした時でしたので約7年前ぶりの乗船となりました)

こちらが松戸市側の船着き場(矢切桟橋)。ホントは乗船しない人は入っちゃダメなのですが、特別に撮らせてもらいましたてへぺろダッテ、キノウノッタモンネ爆笑

そして「矢切の渡し船」出航していきましたバイバイバイバイバイバイ

江戸川堤防に戻る小路には、落ち葉がいっぱいキラキラキラキラ今回のblogのタイトル通り、今は正に晩秋の趣きなのでしたチュー

そしていよいよ「特別編」もこちらで最後。御覧下さい、この一面の大平原をポーンこれが東京都葛飾区と隣り合わせの千葉県松戸市矢切地区の様子。江戸川を挟んだ対岸の葛飾区の柴又は、ビジネス街ではないものの、「帝釈天」と、それに連なる参道の商店街、少し外れても住居などがぎっしりと建ち並んでいるのですが、ひとたび千葉県側に入るとこの景色です叫びこの景色の様子は「前編」において“しかし、千葉県と東京都との都県境である江戸川を挟み、東京都側の葛飾区では住宅や建物が密集しているのですが、千葉県松戸市側は、“地平線が見える”とまではいかないものの、辺り一面に農耕地が広がります。東京都の23区と都県境を挟み向かい合う自治体は、千葉県でも市川市や浦安市、神奈川県では川崎市、埼玉県では川口市など幾つかありますが、都県が変わることでここまで景色が大きく異なるのは、自慢ぢゃないですが、千葉県松戸市と東京都葛飾区の、この場所以外はありません爆  笑と記しておりましたが見事なものでしょ爆  笑2025年の6月に、病気を理由として任期を一年残して辞職しましたH前市長(実は病気は口実で、自身の失政もその要因となった真っ赤っ赤の財政赤字をどうすることも出来ず、任期途中でしたが市政を放り出した、が真実のようです)は、この場所に物流センターを誘致しようとしていたのですから、これはとんでもないことですプンプンここは、4代前の松戸市長でありました「松本清」さん(あのドラッグストアの「マツモトキヨシ」の創業者ですびっくり)が、都内に通勤通学されている皆さんが、江戸川を越え松戸に戻ったらも“あぁ、今日も無事に故郷に戻って来れたな”と感じて貰うために、都市化が著しかった当時の松戸市でしたが敢えてこの耕地(当時は辺り一面に田畑が広がっていました)を保全すべく、市街化調整区域に指定していたのであり、現在もここは市街地調整区域のままです。用途地域を変更して物流センターを誘致なんて、とんでもないことなのですよパンチ!

ところで今回chuは、江戸川左岸の「矢切の渡し」乗り場から堤防を800m歩き「新葛飾橋」へ、そして「新葛飾橋」を400m歩いて東京側に入り(上京ですニヤニヤ)、踵を返すようにして「新葛飾橋」を400m歩いて千葉県に戻り、そこから800m歩いて「矢切の渡し駐車場」に停めてありました車に乗り帰宅しました。ですので800m+400m+400m+800m=2400mを歩いたわけでして、前日の8㎞にこの2.4㎞をプラスしますから合計で10.4㎞と、昨日“チョンボ(ショートカット)”した分の借りはしっかりと返したビックリマーク=埋め合わせは完璧だ💪と言えましょう爆  笑クラッカー合格チュー

 

おしまいウインク

2025年11月27日に参加しました「駅からハイキング」、同コースはchuの故郷、千葉県松戸市の中心でありますJR常磐線、京成松戸線の松戸駅を起点として東京都葛飾区のJR常磐線金町駅へと向かうコースビックリマークそして今回のこのルートは、恐らくは“駅ハイ史上初めて”の都県境を超えてびっくり、をお届けしていますウインク前編はこちら👇

そして松戸市の最西端に位置するのが「矢切の渡し」の船着き場ニコニコここはわが松戸市と、東京都葛飾区とを、都県境を流れる江戸川を渡し船で行き来するためのポイントです。そもそもこの「矢切の渡し」は江戸時代には、徳川幕府の政策により川に橋を架けることが禁止されていたため、渡し舟が重要な交通手段となっていました。街道に続く渡し舟は“入り鉄砲と出女”を厳しくチェックしていた幕府により厳重に管理されていたのですが、一方で対岸に農地を持つ農民のための渡し舟は許されており、江戸川の両岸で農耕をする農民が、江戸川を渡船で渡る正規ルートである「水戸街道」の「金町関所」をいちいち通らなくても済むよう、あくまでも農民のための乗り物として幕府から認められていたものです。そして「矢切の渡し」の歴史は400年近くにも及びますからこれはもう貴重な文化遺産クラッカー合格また「矢切の渡し」は現在では首都圏近郊に残る数少ない渡し船として現役の輸送機関でもあり、そのため今でも矢切の渡しを利用して江戸川を渡り千葉県松戸市と東京都葛飾区との間を行き来することが出来るのですウインクルートとしては千葉県側の矢切と、葛飾区側の柴又を結ぶのですが、先ほど訪れました「野菊の墓文学碑」にも綴られていた小説、「野菊の墓」や細川たかしさんが大ヒットさせました「矢切の渡し」は正にこの渡し船こそがその舞台チューそして松戸市におきまして一番有名なスポットが「矢切の渡し」であることは間違いなく、chuは今まで転勤により国内各地に勤務していたのですが、新しい勤務地での着任時の挨拶では、自分の生い立ちを語る上でその故郷を紹介すると共に、また開いて頂きました歓迎会では必ずと言っていいほど「矢切の渡し」を歌ったものでありますニコニコ

【御参考】松戸市をイメージして頂く松戸の御当地ナンバーの図柄として、この「矢切の渡し」が描かれているのです👇

堤防から船着き場に向かってゆっくりと歩いていたら、“渡し船に乗る方、居ますかぁ”との声が聞こえたため、“乗りまぁす”と答え、船着き場まで急ぎ向かい乗船ビックリマークすると直ぐに出航ですあせるあせるあせる船旅を始める前の記念撮影は勿論のこと、“今から東京に行くんだぞ”って、憧れにも似た情緒に浸っている時間すらありませんでした爆  笑

しかし実は今回の「駅ハイ」では、「矢切の渡し」の船着き場まではルート上なのですが、実は渡し船で都県境を越えるものではありません滝汗今回のルートマップを御覧下さい👇赤色で〇囲みした場所が「矢切の渡し」の船着き場。今回の「駅ハイ」では、一旦、船着き場に立ち寄らせはするものの、しかし再び江戸川堤防に戻り北上し、国道6号線(水戸街道)に架かる、千葉と東京を結ぶ「新葛飾橋」を歩かせた後、再び葛飾区側の江戸川堤防を南下させ、葛飾区側の「矢切の渡し」船着き場を通過し次のポイントに向かわせるという大回りコース(赤色の実線で示しています)。ま、「駅ハイ」では他のコースでも、わざと遠回りをさせて距離を稼がさせるルートは幾らでもあるのですが爆  笑ここは松戸が誇る観光スポットです。chuたち、松戸市民には馴染みの場所でも、わざわざ今回の「駅ハイ」に参加して下さりました県外の方などは恐らく「矢切の渡し」のことは歌や小説では知っていたとしても実際に渡し船に乗ったことのある方は少ないのではキョロキョロと思うのです。ならば今回の「駅ハイ」では渡し船を乗って東京側に入るルートにすればいいのにニヤリと思った次第。ところで今回のchu一行はと言いますと、この「矢切の渡し」船を使ったことで見事にショートカットしてしまいましたグラサン「矢切の渡し」船着き場から、江戸川左岸を北上して「新葛飾橋」の東端(千葉県松戸市)まで800m、「新葛飾橋」を渡り西端(東京都葛飾区)まで400m。そして江戸川右岸を歩き、葛飾区側の「矢切の渡し」船着き場付近までは800mですから、今回のコースは10㎞だったところ、2㎞分を“ちょんぼ”しちゃいました爆笑ま、この件につきましては後日、ちゃんと埋め合わせはしましたがねウインク

実際の地図だとこんな感じ。赤色の実線が正規ルートなのですが、一部青色太線でなぞりました箇所を、今回、chu一行は歩いてはおりませんニヤニヤ(青色の四角で囲んだところが渡し船にて県境越えした箇所です爆笑)

そしてこちらは江戸川を、渡し船で渡っている時の様子です。2枚目の写真、ちょうど中央あたりに映っています“尖がり帽子の取水塔”は「葛飾ラプソティ」の歌詞の中にも出て来る「金町浄水場」の施設で、その右側に映っている水色の橋梁などが、常磐線の江戸川橋梁と今回の正規ルートである「新葛飾橋」(国道6号線「水戸街道」)ですニコニコ

ピントが合わず不鮮明なのが少し残念なところなのですが、あと少しで千葉と東京の都県境を越えようかと言うところウインク

こちらは間もなく葛飾区側の船着き場に着こうかと言う場所から、千葉県側の松戸市側船着き場を撮影カメラそして東京都に“上陸”しました爆  笑船頭さんに聞いたところでは、今回の「駅ハイ」開催にあたりJR東日本からはその説明があったそうな。ですが渡し船利用はコースに入っておらず、残念(>_<)ともショボーンしかし「駅ハイ」ではコース途中の施設の見学では有料のモノも多いのですが、単にコースを歩くだけでの交通手段として“課金”させるものは今まではありませんでしたから、そのあたりがコース中で渡し船を利用しない理由でしょうか。chuが“沢山の参加者が訪れちやったら長蛇の列になっちゃうから、ですかね”と振ったところ、船頭さん曰く、一度に30人を運べるため、ピストン輸送すれば大した待ち時間は発生させないとは言っていましたが…。で、今回の「駅ハイ」参加者で渡し船を利用された人の頻度を恐る恐る聞いてみたら、だいたい10人に一人くらいだと滝汗皆さん、まじめにルート通りのコースを辿っているんだあせるあせるあせるただ、この後の日程では土日も入りましたから、沢山の人が利用しているといいなニヤニヤ(ショートカットのチョンボ組を増やしたいの爆  笑)

※ちなみに「矢切の渡し」の渡船料は片道300円。3月半ばから11月末までは毎日運航しています(9時~16時頃まで)。しかし12月~3月中旬までの間で運航されるのは土曜休日と年始、それに「柴又帝釈天」の庚申の日だけになります。詳細はこちらから👇

こちらは「矢切の渡し」のアンケートです。今後、ご利用されることがございましたら、どうぞご協力の程をお願いいたしますウインク

江戸川堤防の上に立ち、東京都側から千葉県側を眺めてみました。今日は、矢印の下あたりにあります松戸駅からここまで辿り着きましたウインク(一部、ショートカットがありましたが爆笑)江戸川右岸の葛飾区側の江戸川堤防は野球やサッカーのグランドになっていました。ちなみに松戸市側の江戸川河川敷はゴルフ場になっています。

そして東京に入って最初の立ち寄り先が「葛飾柴又寅さん記念館・山田洋次ミュージアム」ニコニコ

そうなんですよ、“柴又と言えば映画「男はつらいよ」の街ウインク”日本国内のあちこちを、テキヤ稼業で商いをし生計を立てながら放浪し、行った先行った先で美しいマドンナに出逢い、ほのかな恋心を抱くもののその恋が成就することはなく、ハートブレイクの寅さんが戻って来る生まれ故郷、それが葛飾柴又ニコニコ“帝釈天で産湯に浸り、姓は車、名は寅次郎”の寅さんの全てを知ることが出来るのがこの記念館ニコニコ他に、名映画監督として名を馳せました山田洋次監督の映画作りへの思いや、その魅力に触れられるパネルなどが展示されたミュージアムが併設されていますウインク今回の「駅ハイ」ではこの後のルート上にある「葛飾区山本亭」とセットの入場券が割引価格で入れる特典もありましたニコニコ

「葛飾柴又寅さん記念館・山田洋次ミュージアム」の外壁には寅さんの顔ウインクまた近くのモミジは程よく色付いていましたニコニコ

そしてこちらが「葛飾区山本亭」。大正末期から昭和の初期にかけて増改築された近代和風の居宅で、建物の内部は書院造りの和室とモダンな洋室を見学できる他、2024年の「日本の庭園ランキング」では「山本亭」のお庭が3位にランキングされるほどの純和風の名園が見どころですウインクと言ってもchu一行は入りませんでしたけどねニヤニヤ

「山本亭」を後にしたchu一行は「柴又帝釈天」へと向かうのですが、その途中には何やら新しいスポットが誕生する兆しがびっくり実はこの場所には江戸時代の後期に創業した「川甚」という、鰻や川魚料理を出す名店があったのですが、2020年に発生したコロナ禍による売り上げの大幅減少により2021年1月末に惜しまれながらも閉店ショボーンこの「川甚」は、明治・大正の文豪たちにも愛され、彼らが書く文学作品にもしばしば登場する柴又の名店でもありました。館内には明治と昭和20~30年代の「川甚」や「帝釈天」等の写真や、かつて来店した文豪、文化人らのサインが飾られるなど、柴又の「川甚」と言えばそれなりに名の通ったスポット。例えば「はとバス」の東京下町を訪れる日帰り観光コースでは食事処にも利用されるなど、言わば“柴又観光の顔”でもあり、ひいては葛飾区御自慢のスポットでもありました。しかしコロナ禍での閉館は葛飾区にとりましても本当に痛いガーン返す返すも残念な事でしたえーんそのためなのでしょう、「川甚」閉店直後の2021年3月には葛飾区が土地と建物の取得に向けて動いていることが報じらていましたが、葛飾区の観光施設として間もなくオープンする運びとなったのは嬉しい限りですウインク

そして今回の「駅ハイ」では最後の立ち寄りスポットとなるのが「柴又帝釈天」ウインク寛永6年(1629年)開基の日蓮宗の寺院で正式名称は「経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)」と言いますニコニコ寅さんが産湯として浸った御神水や、帝釈堂、回廊式庭園「邃渓園(すいけいえん)」など見どころ満載の寺院です照れ

こちらは「帝釈天」の境内ですが、ここにもありました「御守り」の自動“領布機”が爆  笑自動販売機、としないのはやはりこの手での“販売”は如何なものなの叫びと寺院側も感じているからかニヤリしかしちゃんと但し書きがありまして、“この領布機は、御札場が閉まった後に御守りが必要な方のために設置しています”と。なので御札場が開いている時間帯は、こちらでは買えないのでしょうかキョロキョロ試したことがないのでchuには分かりませんがニヤニヤ

境内のイチョウも黄色く色付き、まさに見頃を迎えていましたウインク

こちらの「帝釈天」と、その参道に代表される柴又の光景は「葛飾柴又の文化的景観」として国指定の「重要文化的景観」の中核をなしていますウインク

こちらが京成金町線の柴又駅と帝釈天とを結ぶ「帝釈天参道」です。この辺りの街の具合も先ほどの「葛飾柴又の文化的景観」に入っているのですウインクなかでも有名なのが「男はつらいよ」で、寅さんの実家のモデルにもなり、劇中では妹のさくらさんが暮らしていたのがこの「高木屋老舗」さんニコニコしかし“寅さん”の名前から、どちらかと言うと「とらや」さんが寅さんの実家と勘違いされている方が多い爆笑しかも映画の1作目から4作目までは「とらや」さんの店舗をお借りして一部を撮影したそうです。しかし実際に映画の中で出てきているお店の屋号は「くるまや」で、そのお店のモデルは「高木屋老舗」さんであることが余計にことをややこしくさせているのでしたニヤニヤなお「男はつらいよ」シリーズでは「帝釈天」や「帝釈天参道」、江戸川の堤防などはシリーズを通して柴又でのロケ撮影はされていたのですが、5作目以降の「くるまや」の店舗などは松竹の「大船撮影所」(神奈川県鎌倉市)のセットになったのだそうですニコニコ

こちらは柴又駅近くの「帝釈天参道」の入口部分と、駅近くにありました「柴又観光案内所」。参道の入り口に書かれていました“国の重要文化的景観「葛飾柴又」”の文字は、この近隣にお住まいの方にとりましても大きな誇りとなるものと思われます照れまた「柴又観光案内所」の真上に掲げられている「富士見屋米店」の屋号ですが、こちらは今も現役中のお米屋さんとのことびっくりここでは柴又の街歩きに関するマップなどが置かれていて自由に頂けるほか、葛飾区の観光案内や葛飾区内の伝統産業品などの紹介と販売もされているそうです。ですが“葛飾区のオフィシャル”的な観光案内所ではなさそうで、たまたま駅近くに立地しているお米やさんが“道案内”的な活動として観光案内所としているのかも知れませんが、実態は分かりませんでした爆笑

そしてこちらが、「男はつらいよ」では主人公の寅さんを心配そうに見送る妹のさくらさんニコニコ寅さんはいつもふらりと帰ってきては、またどこかに出かけてしまうのですが、さくらさんはお兄さんの寅さんがどこかで無茶をしていないかと心配でたまりませんショボーン演じるのは倍賞千恵子さんです照れ

こちらが主人公の“フーテンの寅”こと車寅次郎さん。演じるのは渥美清さんですウインク

そしてこのお二人が立つのが京成電鉄金町線の「柴又駅」駅前ウインク柴又駅の開業は1912年(明治45年)11月3日と古く、寅さんやさくらさんがここで暮らしていた時には、柴又駅は既に存在していたのでありましたニコニコ

後編と特別編に続きますウインク

今年もやってまいりました“わが町・松戸を巡る”「駅からハイキング」ニコニコ千葉県松戸市は千葉県北西部に位置する、人口約50万人強の千葉県第3の都市。また、“わが町・松戸を巡る”と記しましたのはchuが現在居住していることに加え、生まれ育った町ですのでいわば故郷ウインクそしてJR東日本が企画する「駅からハイキング」では、年に一度の“松戸シリーズ”で、松戸駅からスタートする「駅からハイキング」は定番です。ですがいくら故郷とはいえ、松戸の町自体の魅力は少なくあせるあせるあせる“松戸の「駅ハイ」って、もう組み込むコースはないよね”なんて思っていたところのまさかの松戸のお隣である東京都葛飾区の金町駅との共同開催びっくり松戸駅からお隣の金町駅まで、都県境を越えて歩こうってコースビックリマークいやはや、ここ数年、松戸駅を起点とする「駅ハイ」は毎年のように企画されていたのですが、数少ない市内の名所旧跡はもう巡り尽くした感もあり、松戸市内での開催はもう、無理だなぁ…と思っていたところのまさかの都県境越えチュー本コースの特徴として、“松戸から金町まで江戸川沿いの季節の移ろいを感じることのできるコースです。県境を越えて歴史と文化をお楽しみください”とあります。JR東日本の、この新しい取り組みに松戸市民の一人としてチャレンジしないわけには参りません💪爆笑参加したのは2025年11月27日。“わが町・松戸”を紹介すべく写真を撮りまくりましたので今回は3回シリーズになりそうですニヤニヤよろしくお付き合い頂ければ幸いです爆  笑それでは出~発走る人走る人走る人

駅に掲示されていました今回の「駅からハイキング」、こんな感じ👇でPRされていましたウインク

ですが松戸駅では現在、駅舎の改修工事の真っ最chuビックリマーク“第2駅ビル”を造っているのですが、本来であればとっくに出来ていたはずの第2駅ビルと新駅舎は、建築資材高騰と人出不足のあおりをもろに受け、遅々として進みませんか(>_<)しかし当初計画からは大幅な遅れが生じたものの、駅舎の改修工事は2026年の春に、第2駅ビルは202年の春が完成予定です。ですがいずれにせよあと1年半近くは駅周辺ではこの手の工事が続けられていることになりますショボーン

松戸駅西口のペデストリアンデッキにあります松戸市の観光案内地図と松戸駅西口を基点とする路線バスの案内図ですニコニコ

そのペデストリアンデッキを降りて、歩きまするは“松戸随一”を誇る「キテミテマツド通り」。このシャビ―な街並みが“松戸市随一の繁華街”なのですから、松戸駅周辺には魅力がまるでないのがお判り頂けるかとニヤニヤで、「キテミテマツド通り」の名称の由来はと言うと、突き当りに見えています建物の名前が「KITEMITE  MATSUDO」というショッピングセンター。その建物の名称から付けられています口笛

で、こちらが「KITEMITE  MATSUDO」。“来てみて松戸”をローマ字表記したものが建物の名称として使われています。そしてこの建物、元々は「伊勢丹松戸店」だったのですが、2018年3月21日をもって閉店えーんそれ以降、この界隈の賑わいは急速に廃れていきました叫びドクロそれと元々、「キテミテマツド通り」は「伊勢丹通り」と言っていましたから、建物の名称を冠した通り名をそのまま受け継いだ形なのです。さて、「伊勢丹松戸店」の後を受け継いだ「KITEMITE  MATSUDO」なのですが、テナントは統一感がまるでない上に未だに各フロアは歯抜け状態が続いています絶望テナントが入居していない区画には“coming soon”の文字ばかりが目立つのですが、一向に埋まる気配はありません真顔ま、はっきり言ってショッピングセンターとしての魅力は限りなく薄く、chuが「KITEMITE  MATSUDO」内のテナントで一定の評価を付けられるのは松戸市内随一の大型書店である「喜久屋書店」と、100円ショップの「セリア」くらいなものですwニヤニヤそんな魅力に乏しいショッピングセンターですが、一応、オフィシャルWebサイトはありました👇ニヤリ

そして「駅ハイ」最初の立ち寄りスポットがこちら👇の「松戸神社」ニコニコ寛永3年(1626年)に創建されました松戸の総鎮守ですウインク日本武尊(やまとたけるのみこと)が、この地で臣下と待ち合わせをしたことから“待つ郷”➡「待つ戸」➡「松戸」と変遷し現在の松戸の地名の由来とされている原点の場所。菅原孝標の娘が父親の京都への“人事異動”に伴い千葉から京都に戻る際に、松戸に立ち寄ったことが同人が記した「更級日記」にも出てきているのですが、その時は松戸を“待つ郷”と記しています。何時から「松戸」になったのかはchuは調べたことはないのですが、江戸時代には水戸街道の宿場町「松戸宿」として賑わいを見せていましたので平安時代から江戸時代にかけてのどこかで、“松戸”に転じたのでしょうニコニコまた江戸初期には、水戸藩主の水戸光圀公(水戸黄門)も、水戸と江戸との行き来の際には必ず立ち寄ったとされる、誉れ高き社でもあるのですニコニコ

来年(令和8年)には創建400年を迎えるとのことで、御社殿の改修工事を予定していますニコニコで、神社ではその改修工事に先立ち寄付を募っているのですが、ひと口1万円からとハードルが高い滝汗そんな条件を設けなければchuを始め多くの一般市民も寄付に応じると思われるのですが、ちょっと、渋沢さんは痛いですよねニヤリ

次のポイントは「戸定が丘歴史公園」ニコニコ先日、2025年の紅葉(黄葉)シリーズ第1弾としてお届けしましたばかりの場所ですウインク

👆で訪れたのが11月22日でしたから、僅か5日後の再訪なのですが、茅葺門の大イチョウは既に見頃を過ぎていました。が、園内の紅葉はますます色付を濃くしており、見頃感満載照れしかしこの場所の紅葉、見頃を迎えるのは例年であれば12月に入ってからですから、今年の秋=紅葉の見頃は駆け足で彼抜けているようですあせるあせるあせる

こちらの「戸定が丘歴史公園」と、その中核を成す「戸定邸」は松戸の誇る超一級の観光スポットウインク先ほどの「松戸神社」でも水戸光圀公が同社をとても大切にしていたことをお伝えしましたが、この「戸定邸」は最後の水戸藩主にして、世が世なら、第16代征夷大将軍となられていました徳川昭武公の私邸です。明治期になって江戸から移り住まわれた邸宅なのですが、兄で15代将軍である徳川慶喜公も頻繁にこの邸宅を訪れています。そうです、松戸は“徳川家”とはとても縁が深い町なのです照れそして平成21年(2009年)10月16には、天皇皇后両陛下(現、上皇・上皇后陛下)も、当地に行幸啓されていますニコニコ松戸市民にとりましてもとても誇らしいことでしたチュー

こちらが、最後の水戸藩主・徳川昭武公が明治になり江戸より移り住まわれ、晩年を過ごされた「戸定邸」ですウインク

こちらは公園西端にあります東屋からの展望。「戸定が丘歴史公園」から眺められる富士山の眺望を邪魔しているJR常磐線・金町駅前にありますあのにっくきタワマンまで、今日、この後、乗り込みますプンプン

「戸定が丘歴史公園」内の紅葉は、5日前よりも確実に進んでいましたチュー

そしてこの日は「戸定が丘歴史公園」と千葉大学キャンパスとをつなぐ回廊門が開放されていましたので、コースアウトをして千葉大学園芸学部のキャンパスにお邪魔しましたニコニコ

千葉大学のメインキャンパスは、県都・千葉市の西千葉エリアに広がるのですが、国内で唯一の学部でもあります「園芸学部」は松戸市内に設置されていますニコニコこの日は平日でしたからキャンバス内はもっと活気があっても良さそうな所、とても静かで少し拍子抜けしましたニヤニヤ

国道6号線(水戸街道)に面した千葉大学園芸学部の正門。次の写真は、国道6号線に昔からあります、その昔だと松戸市内唯一のトンネルでした「松戸隧道」。トンネルの上は千葉大学の駐車場とテニスコートの他、実験農場が広がりますウインク

次のスポットに移動します。目指すは「浅間(せんげん)神社」ここで“本コース”と再合流しましたニコニコ「浅間神社」の創建は正保4年(1647年)とこちらも400年に迫る歴史を有します。境内にある台地を富士山に見立てた信仰の山として知られています。

鳥居を潜ると急勾配の階段が続きます滝汗

階段の踊り場ごとに〇合目、と刻まれた石がウインクそうです、ここは“富士山”ビックリマーク単なる「富士塚」ではないのですよ爆笑

“頂上”から麓を眺めます。とても長い階段でして、街中であればchuは絶対に歩いては上がらない距離あせるあせるあせるエスカレーターかエレベーター利用ですよニヤニヤま、今日は「駅ハイ」なので歩きましたが…そして何より「浅間神社」にはエスカレーターもエレベーターもありませんからね爆  笑そしてchuとしましては「浅間神社」を訪れたのは前回の松戸の「駅ハイ」以来ウインク久しぶりの参拝となりましたニコニコ

次のスポットに移動します。沿道の、国道298号線と千葉県道1号線(松戸街道)が交差するところには、松戸市内で唯一の高速道路のインターチェンジ「松戸IC」があります。「東京外環自動車道」の出入口なのですが、千葉や東京方面へ向かう入り口と、千葉や東京方面から来た時の出口の、いわゆるハーフインター。ですので、chuが高速を利用して出向く東北自動車道や関越自動車道方面に行く場合には、このインターは使えず、利用勝手がすこぶる悪い(あ、chuにとりまして、です真顔)おまけに、出口(主に千葉方面から帰って来る時に利用しますが)の構造上の欠陥のため、松戸インター出口の渋滞は常態化していますプンプン構造上に欠陥(出口から出た車が、直ぐ崎の交差点にて千葉県道1号線を右折することが多く、そのため右折待ちの車が東京外環の本線上にまで連なるのです)があることは設計段階から想定出来たはずですから、「NEXCO東日本」、いや、設計段階ですから「日本道路公団」の無作為な仕事ぶりにはマジ、腹がたちますパンチ!(「入り口」に関しては特に問題となる点は見受けられません)

途中、立ち寄りスポットには指定されていないのですが「矢切神社」の黄葉が綺麗でしたので、ひと休みウインク九十九の海岸の西側からここまでがいわゆる北総台地です。そして北総台地の最西端が現在の地名となっている矢切エリアで、その北総台地がスパッと切れ込む直前の高台にこの「矢切神社」はあります。この地に人が住み始めたのは約5000年前からと推定されているのですが、下総国の国府が国府台(千葉県市川市)に置かれた1300年ほど前からは、武士たちの政争の場となり、なかでも北条氏と里見氏との戦いはこの一帯(松戸市矢切エリア)が主戦場となり、両軍合わせての戦没者は1万人を超えたとの事びっくり家は焼かれ、田畑は荒らされて、男は人足に駆り出され、年寄りと女子供は逃げ纏い、元々この地に暮らしていた農民は塗炭の生活を強いられたそうですゲローそのため、農民たちは武士の戦闘を呪い、弓矢を毛嫌いしていたのだそうな。そこから“矢喰い”“矢切れ”“矢切り”となり、「矢切」になったそうです。そして平穏な江戸時代になり、二度と戦乱のない時代が続くようにとの思いが募り、安らぎと健康が永く続きますように、と地蔵尊に「矢切村」と刻み朝夕のお祈りを欠かさなかったそうです。松戸市民でありますchuですが、「矢切」の地名の由来は今回初めて知りましたので、たまたまこの「矢切神社」でひと休みしたことで、知ることが出来ましたニコニコ今回の「駅ハイ」参加での最大の成果と言ってもいい程ですチュー

そして、この少し先、ホントのホントに北総台地の突端にあります「西蓮寺」には、この後に訪れる「矢切の渡し」を舞台としました伊藤左千夫の小説「野菊の墓」の文学碑があります。そこが次の立ち寄りスポットですウインク松戸と、とても所以深き同作品なのですが、chuは伊藤左千夫さんと聞けば、高校時代の現代国語での文学史でアララギ派を創った人、その作品名、同じアララギ派の作家とその作品名、など、暗記物で覚えているだけで、折角、松戸が舞台になっている純文学の作品でありながら、読んだことはありません滝汗まぁ、この歳になるまで読んでいませんので、この先も読むことはないでしょうニヤニヤ

「野菊の墓」文学碑には、こちらの階段を登ります。するとそこは展望台ビックリマーク「野菊苑展望台」という“名所”らしいびっくりまぁ、確かに眺望は利きますが、「戸定が丘歴史公園」の東屋からの方が眺めはいいですねニヤニヤ

そしてここで学んだことに新たなものがびっくりこちらには「国府台戦争」の事が綴られています。chuも、小中学校を過ごした松戸市の相模台が、北条氏と里見氏の戦場となっていたことは知っていました。しかし地元の歴史でありながらその詳細については知らなかったのですが、先ほどの「矢切」の名称の由来と共に、ここで新しい史実を知りました。それは今から455年前の事。この地で2度の戦が繰り広げられたのだそうなびっくり現在の市川市、真間山の「弘法寺」辺りから松戸駅の東口(相模台の古戦場としてchuは知っていました)辺り一帯を国府台と称し、最初の戦いは天文7年(1538年)、これは“相模台の合戦”と呼ばれた戦いで、松戸市の相模台エリアで小中学校を過ごしたchuが聞き及んでいたのはこの戦いのこと。そして2度目の合戦は25年後の永禄7年(1564年)に起こった“国府台合戦”。これは先ほどの「矢切神社」にて、石碑を読み込み両軍合わせて1万人を超す戦没者を出した合戦のことですね。合戦の背景として、この時代、現在の神奈川県小田原市を地盤としていた北条氏が関東を制していました。ところが安房の上総地方(現在の千葉県木更津市以南)を地盤としていた地方豪族の里見氏は、既に北条氏の支配下に置かれていた現在の千葉県県北にあたる下総エリアへの進出を画策しました。当時、勢いがありました里見氏は、茨城の佐竹氏(後の秋田県秋田市エリアを治める武将)、そして上杉謙信とも手を結び、“安房発祥”の地方豪族として急速に力を付けてきました。しかしこのことを、豊臣秀吉の後ろ盾を受けていた北条氏が認めることは出来ません。永禄7年の戦いでは、矢切側では里見義弘を大将として8000騎、そして江戸川の柴又、小岩側(現在の葛飾区&江戸川区)に陣取っていた北条側には現在の松戸市の北部を拠点としていた松戸大谷口城主(現在の松戸市北小金で、小金城趾という史跡があります)の高城氏が加わり里見軍と対峙、北条氏康、氏政の到着を待たずに江戸川を渡り里見軍に斬りこみました。このため里見軍では一時、劣勢となり退却を余儀なくされたのですが、先ほどの「矢切神社」は江戸川河川敷から一気に高台になっているところ。防戦一方の里見軍でしたがやはり高い場所に陣を敷いていた方が有利なわけで、高台に陣を敷いていた里見軍は下から攻め込んで来る軍勢の攻め落としに奏功します。北条方の富永三郎右衛門は、この坂道で討ち死にし、首を取られたのですがそれが「野菊の墓文学碑」の石碑の近くの場所だったと伝えられています。双方に死者1万人を出したこの日の昼間の戦いは結局、北条方が敗れ一旦は柴又側に退いたものの、これを完勝と早とちりした里見軍は勝利に酔いしれ酒盛りが過ぎました。そしてその油断の隙をついてきた北条方が攻め込み結局は壊走することになりました。里見軍の大将の里見義弘は現在の市川市須和田から、船橋市の下総中山を通り、元々の地盤でありました南房総の安房に逃げ帰ったのですが、その後、里見氏が再起することはなかったそうです。里見氏の隆盛と衰退につきましては「南総里見八犬伝」に詳しく綴られていますねウインクしかし今回の「駅ハイ」にて松戸市の相模台や国府台で2度に渡る激闘が繰り広げられていたという事を、具体的に知ったのはとても新鮮なことでした。勉強になりました照れ

次のスポットに向かう途中に見つけましたマンホールの蓋。汚水管のマンホールのようですが、その蓋のデザインは「矢切の渡し船」ウインク普段は意識してマンホールり蓋を確認などしたことはありませんでしたがいかにも“松戸らしい”ので嬉しくなりました爆笑

北総台地の最西端であります矢切の高台から坂道を下りきると、そこは江戸川の河川敷に近いところ。先ほどまでの住宅地とはうって変わって一面には農耕地が広がります。そしてこの場所で作られているのが松戸が誇る名産品であります「矢切ねぎ」ウインクそもそも耕作地自体が限られた場所ですので大量生産とはならないのですが、市場に流通するものは多くはなく、高級割烹店や料亭などに直接、出荷されているそうです。矢切ねぎの特徴としては、全国農産物品評会で農林水産大臣賞を3度受賞した事があり、高級ねぎとして贈答用に利用され、また前記のように高級割烹や料亭での調理人の方の絶対的な支持を受けているそうです。そして他の産地とのねぎと比べると、太くて甘くて肉厚なので、“煮てよし、焼いてよし”と言われ、TVやメディアでもよく紹介されるようになりましたニコニコまた矢切ねぎが美味しいのはその土壌に秘訣があるらしく、それは矢切地区の土壌は過去の度重なる江戸川の氾濫により沖積土壌、肥沃な土壌がもたらされ、また温暖なこの地域の気候がねぎの栽培に適しており、太くて甘みの強いねぎに育つのだそうですウインク

ねぎ農家直販の価格はこんな感じです👇

矢切ねぎは、今や色々なメディアにて取り上げられている、松戸発の超一級名産品になっていますチュー

この辺り一帯はねぎ畑爆笑こんな感じで至る所にねぎが栽培されていましたニコニコ

ありゃりゃ、少し曇って来ましたねキョロキョロでも、雨の心配はなさそうです。そしてこちらは矢切エリアに残る水田。前方の橋梁は北総鉄道の江戸川橋梁で、ちょうどスカイライナーが通過chuです爆笑新幹線を除く日本の鉄道では時速160㎞の最高速度を誇る京成電鉄自慢の空港特急は、ここから成田空港までは20分強ですよびっくりしかし、千葉県と東京都との都県境である江戸川を挟み、東京都側の葛飾区では住宅や建物が密集しているのですが、千葉県松戸市側は、“地平線が見える”とまではいかないものの、辺り一面に農耕地が広がります。東京都の23区と都県境を挟み向かい合う自治体は、千葉県でも市川市や浦安市、神奈川県では川崎市、埼玉県では川口市など幾つかありますが、都県が変わることでここまで景色が大きく異なるのは、自慢ぢゃないですが、千葉県松戸市と東京都葛飾区の、この場所以外はありません爆  笑

こんな長閑な道にも名称がありました爆笑よくもまぁ、この田舎道にこれだけの経費をかけた石碑を造ったもんだニヤニヤこの意匠デザインで、この材質の石材ですから恐らく200~300萬円はしているはずです。いったい、誰が出したんだいえーまさか税金からかニヤリ

そして、見渡す限り…とまではいかないものの、広大な農地の中を続く一本道を歩きつつ、次なる立ち寄りスポットは「矢切の渡し」へと向かいますニコニコ

中編に続きますウインク