2024年9月16日から21日までの5泊6日の日程で京都、大阪、神戸を訪れた際の様子をお届けしています。旅も5日目に入り、chuの大好きな京都の個別スポットを巡る旅へと入りましたウインク前回はこちら👇(てか、まもなく実際の旅から一年が経過してしまいますので、急げ急げあせるあせるあせるてかてへぺろ)

そしてここからは旅の5日目、202年4年9月20日(金曜日)の様子をお届けして参ります。で、この日の行動予定をざっくりと述べますと、スタートは東山エリア、その後は洛北に向かい、そして落成、洛中、そして洛南エリアと全て京都市内。移動のための交通手段は一部区間だけTAXI🚖をしましたが、それ以外は京都市営地下鉄と市バスニコニコこの日も「地下鉄バス共通一日券」を使い尽くしていますウインクではこの日最初の訪問先は浄土宗の総本山である「知恩院」ニコニコ“お念仏からはじまるしあわせ”こそが浄土宗の宗是であり、開祖者の法然上人に出逢い悟りを開きました親鸞聖人はその後、浄土真宗を興すのですが、chuが属する真宗大谷派の開祖である親鸞聖人の師であります法然上人も、当然にしてchuの宗教上の師でもあるのですウインク

東山通にある「知恩院前」下車。実は昨日もこの直ぐ近く(祇園界隈や八坂神社など)に来ていましたが、祇園からバスに乗っちゃいまして知恩院は素通りしちゃいまして、“日を改めて伺おう”と思っていたところの翌日の訪問となりましたウインクホテル前の千本旧二条から知恩院前までは市バス201系統にて乗り換えなしで来られましたのですが、京都市中心部はバス路線が網の目のように張り巡らされていて本当に便利ですねニコニコただ市バス内には、“100円の利益を上げるのにどの路線(系統)がいくらかかっているか”とした案内が各車両に貼りだされていて、しかし旅行客はそこまで気にされる方は少ないのでしょうから、京都市民の方への周知だと思いましたキョロキョロ(こちらは御参考まで)👇

「知恩院」を代表する建物の一つでもあります「三門」は国宝ですウインクところで寺院の入り口に立つこの手の門のことを「さんもん」と言いまして、寺院によっては山門と書いたり、三門と書いたりと、その綴り方については寺院により様々なのですが、知恩院ではこの門を三門と綴り、この門の意味するところは「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門:さんげだつもん)であると教えており、そのため浄土宗系の寺院の多くは三門と称することが多いそうです(例えば東京は芝「増上寺」(浄土宗の著名な寺院です)の三門は“三解脱門”です)

「知恩院」に来てこの「三門」の前に来ると、その大きさと共に威厳さに圧倒される思いですニコニコこの三門の創建は元和7年(1621)で、その大きさはと言うと正面約50m、側面約12m、高さ約24mの堂々たるもの。国内に現存する木造の門としては日本最大級の大きさなのだそうですびっくりそのためなのでしょうか、京都の寺院で思いつくものの三つは!?と聞くと、金閣寺、清水寺(の舞台)、そして知恩院の三門という答えが多いそうですニコニコ

三門の柱の間から石段が覗けていますが全容を見るとびっくしますポーンそう、この石段は結構長くて、そして急なんですよ滝汗

今日も早朝にホテルを出発してはいるものの、既に8時30分は過ぎてますので気温は急上昇chuあせるあせるあせる“あの石段を登るのか滝汗”と思うと早くもめげそうになるほどの外気温になっていますゲロー

さぁて、いよいよ“登り”に取り付きますかって、👈は、なんか登山の領域ですよニヤニヤ爆  笑

はぁはぁぜぃぜぃあせるあせるあせるあせる

そしてやっとこさ登り切りました拍手拍手拍手てか、この石段を登ったことだけで息を切らしていると思われたら心外なので言い訳をさせて頂きますと、バス停の「知恩院前」は、この三門の目の前にあるわけ出来なく、バス停から三門まで続く「知恩院道」と呼ばれる参道が結構、長いんですよ叫び“知恩院前”っていうバス停だから「知恩院」は真ん前方思ったら、違うんだなぁ、これがニヤリ

こちらが「知恩院」周辺地図 小さい赤の丸が「知恩院前」のバス停で、右側の赤い丸が三門です。で。青い実線が「知恩院道」なのですが、この距離はバス二停留所分くらいの距離がありますよニヤリ周辺の位置関係をお示ししますと、下にある青い丸印は「八坂神社」、左側の青い丸は祇園白川。祇園白川や八坂神社から「知恩院前」バス停前まで来たとして、知恩院三門まではそれ以上の距離があるのです。しかし「知恩院道」は既に「知恩院」の境内ですから、ここに路線バスのルートを設けるわけにはいかないですからねニヤニヤ

こちらが「知恩院」境内案内図。さすが浄土宗の総本山ですのでデカいですよびっくりそしてこの急な石段ですが、これは参拝を終えて帰りがけにわかったことなのですが、三門下と本堂の間…即ち急な階段で高度差を稼ぐ部分ですが、これはお年寄りや身体の御不自由な方にはちとしんどい(>_<)ってんで、三門脇と本堂脇とを結ぶシャトルバスならぬシャトルワンボックスカーが運転されています。それがこちらのイラスト👇(詳しくはリンクしましたホームページに掲載されています)

こちらは法然上人の御影(みえい)を祀ることから、「御影堂(みえいどう)」と呼ばれる本堂で国宝ですウインク現在の御影堂は寛永16年(1639)に徳川3代将軍家光公によって建てられ、間口45メートル、奥行き35メートル 幅3メートルの外縁をめぐらし、そのスケールは壮大のひと言びっくりそしてchuが赴きましたこの時間、堂内では朝のお勤めが行われていました。しかし「知恩院」の浄土宗は、chuが属する真宗大谷派(浄土真宗)とはとても近い宗派ではあるものの、やはりお念仏の口上は異なるようで、正直、よくは分かりませんでしたニヤニヤしかし浄土宗の総本山で、本山にいらっしゃるお坊さんですからそれなりの高尚の方と思われます。浄土宗の門徒ではないものの、本堂にてお念仏をお聞かせいただき誠に有難うございました照れ

のどが乾いたので飲み物を買いましょうウインクするとなんとこの自販機から…

“南無阿弥陀仏”の声が流れてきましたびっくりやるなビックリマーク「知恩院」の自販機は爆  笑

そして「知恩院」を後にしましたchu、「知恩院前」からバス🚌に乗車して次は「金戒光明寺」へ。しかしこのお寺さんも“最寄りのバス停”と言ってもそこそこ歩かされますあせるあせるあせるまたバスの本数もそう多くはなく、アクセス的にはやや不便かなキョロキョロバス停「岡崎道」にて下車し、一応、道標は出されて入るものの少々分かりずらかったあせるあせると言っても過去に何度も訪れてはいましたが、アクセスの仕方が異なっていました。と言うのもここは昨日訪れていました「哲学の道」とは白川通を真ん中に挟んだ西側に位置しており、東山エリアの散策との組み合わせが可能な立地場所なのですウインク(後で位置関係をお知らせします地図を貼り付けます)

そして無事辿り着きましたのが「金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)」、通称「黒谷(くろだに)」ですニコニコそしてこちらも先ほど訪れていました「知恩院」に続き浄土宗の寺院。

ちなみに通称名となっている「黒谷」の由来ですが、「金戒光明寺」は法然上人が比叡山の黒谷を下り、初めて草庵を結ばれた地です。つまり“黒谷”とは比叡山山中(延暦寺境内の一部)の地名から名付けられたものなのです。

さて、左側に掲げられた木製の看板を御覧下さい。何々、“京都守護職本陣”とありますニコニコで、“京都守護職”って何!?そしてここからがchuの琴線に触れるところ。chuが京都通いをする大きな理由でもあるのです。時は幕末、ペリー提督の黒船が浦賀沖に現れたことで太平の世を破られた時世のころ、上級武士よりも特に下流武士による、外国船を打ち払え、などの威勢のいい声が跋扈し始めます。いわゆる、「攘夷(じょうい)」なのですが、当時、ごく一部の国との交流を除き外国との窓口を閉ざしていた幕府にとり、大砲を積んだ軍艦を江戸湾入り口まで引き連れて開国を迫るペリー来日は大難題ゲロー下級武士がアジテーターに踊らされ、藩論を転じ大きな力を付けて来た西国藩は京都にも進出し、一部の公家をも操り始めました。その頃の江戸はと言うと徳川政権は13代将軍の徳川家定。この家定は生まれつきの病弱かつ重篤な病を患っており、開国を迫られ右往左往する幕臣を束ねることもままなりません。しかし家定の信を取り付けていました大老・井伊直弼は独断で諸外国に港を開放することを決定、このことに不満を爆発させた下級武士は攘夷に加え尊王(そんのう)の「尊王攘夷」思想を掲げ大暴れ。そしてこの頃から政治の中心は江戸ではなく京都にスライドしていたのですが、江戸幕府の幕臣たちは京都の情勢を測りかねていました。井伊直弼による「安政の大獄」もあり世情は益々不安定に。しかし開国の決定を下した幕府に対し、不満を募らせた下級武士や不逞浪士が殺戮など、テロの限りを尽くした場所が京都だったのです。この激動の時代に幕府は早急に家定の後継将軍選びに入ります。「安政の大獄」を受けて激高した志士たちが起こした「桜田門外の変」で井伊直弼は殺害され、世情は益々不安定化。また14代将軍の座を巡り水戸派(一橋派)と南紀派とが多数派工作を繰り広げるのですが、水戸派の代表である水戸藩主の徳川斉昭公は、後継将軍の選定に大きな力を持つ大奥から嫌われており、まだ10代の慶福(よしとみ)が選ばれ、後の徳川家茂(いえもち)となります。ここに来て、今までの世であれば朝廷(帝)から信と認を受けた征夷大将軍が政(まつりごと)を執権していたのですが、徳川幕府開闢以来、かつてなかった“朝廷の声を聞く”状況となり、徳川家茂は京都に上洛することになりました。しかし既に京都では不逞浪士が跋扈し殺戮が横行する治安が著しく棄損された場所。かような地に将軍を送り込まざるを得ない幕府としては京都の治安を安定させることを急務とし、新たに作りました「京都守護職」に会津藩主の松平容保公を充てます。ですが当初、この職に任じられることを固辞し続けていた容保公ですが、年若き家茂を補佐するために、これまた新たに作られた将軍後見職に就いていました一橋慶喜公に押し切られ不承不承、就任します。結果としてこのことが戊辰戦争における最大の激戦地となりました「會津戦争」を惹起させることとなるのです。あ、ここで明治維新への流れを説明し尽くす紙面はありませんので深入りは避けますが、その「京都守護職」に就きました松平容保公と、その臣下である会津藩士が京都の治安維持に奔走している時に駐屯したのがこの「金戒光明寺」なのであります真顔

「京都守護職」に就いた松平容保公は、当初は徳川幕府に反抗的な下級武士や、脱藩している不逞浪士であったとしても“話せばわかる”と対話重視の姿勢を打ち出していたのですが、幕府の考え方に近い公家に対してまでテロを繰り広げる等の蛮行を止めず、遂には武力を以て京都の治安維持に務めざるを得なくなります真顔その後の、時間的には数年間なのですが京都を舞台とした戦火が繰り広げられ、会津藩士にも死者が続出、そのため「金戒光明寺」を本陣としていました會津藩士の亡骸はこのお寺に手厚く葬られたのでした。大の會津贔屓でありますchuが「金戒光明寺」を参拝させて頂くことは、幕末に、テロリストに対峙するために故郷の會津を遠く離れ、故郷に戻ることなくこの地に散った會津藩士に鎮魂の思いを捧げるための訪問なのでもあるのです真顔

こちらは「金戒光明寺」の“山門”。同寺は浄土宗の寺院なのですが、何故か山門と称します。理由は…分かりませんグラサン

そして「金戒光明寺」の境内はそこそこ広いびっくりで、このお寺が「京都守護職」と會津藩士が駐屯する理由となりましたのはその境内の広さ。何せ常時1000名を超える會津藩士が駐屯するのです。狭い寺院では対応出来ないことに加え、将軍家茂や、将軍後見職である一橋慶喜公が滞在する「二条城」にも近くなければなりません。

それではしばらく境内散策をお楽しみください走る人走る人走る人ウインクウインクウインク

こちらが御影堂。本堂ですニコニコ

御御影堂は少し高くなった場所にあり山門を見下ろすことが出来るのですが、実は「金戒光明寺」は徳川家康が江戸幕府を開いた時から寺院であると共に“城郭”的な要素も持たせた寺院。“見晴らしがいい”ということは“見渡しがいい”ことを意味しており、西日本の各地に点在している、“隙あれば徳川幕府を潰そうか”と虎視眈々としている外様大名の軍勢が京に迫ろうとした場合、その様子をいち早く知ることが出来るという機能を有しているのでした口笛

また「金戒光明寺」は、京都守護職であり会津藩主である松平容保公が、京との治安維持のためにその力を頼った「新選組」が決結成された場所でもあります。詳しくは同寺ホームページサイトを是非、御覧下さい👇

そしてワタクシことchuは新選組が大好きで心から心酔しています照れなお元々新選組の母体は江戸の多摩が発祥で、“新選組の源流を訪ねる”ことをchuは今まで歩んできており、その一部につきましては拙blogにもアップさせて頂いておりますニコニコ例えば新選組副長として激動の時代に大活躍されました土方歳三公が生まれ育った東京都日野市や、近藤勇局長とは今生の別れの地となりました千葉県流山市、そして最後まで徳川幕府に殉じ、北海道に渡り「蝦夷共和国」を創り似非官軍に対峙するも頼りにしていた軍艦・開陽丸を座礁させ失意に沈んだ江刺と、そして歳三公最期の地となりました北海道函館市(当時は箱館)、の全ての聖地を巡礼していますニコニコそしてここ「金戒光明寺」で新選組は結成され“会津藩御預かり”として武士の身分を確立させた後に、幕末の京都の治安維持に奔走したのです。しかしこの事に触れている日本史の教科書は皆無に近いのが残念でなりません(>_<)。しかし今でこそ、新選組の果たした役割は認知されているのですが、一昔前であれば単なる“人斬り集団”的に捉えられていましたのは悔しい限りプンプン偽の錦旗を作り一部の公家を操り、忠義を尽くし幕府方に殉じた各藩に“朝敵”のレッテルを貼りつけ、“海賊王になる”と誓ったルフィーたちが言うところのワンピースでいう“世界政府”を創り上げ、しかし明治以降には、徳川幕府が築いていた社会インフラを“しれっと”使い、いかにも“自分たちが明治の近代国家を築いた”的に吹聴する西・南国出身者が造った政府が新選組を評価することは絶対になかったのでありますムキー因みに東京都千代田区九段に有ります「靖国神社」には戊辰戦争で犠牲になった武士の魂を祀るために明治になり造られた新しい神社。その後、戊辰戦争以降の“国のために戦い犠牲になった武士や軍人の魂”を「英霊」としてこれを祀る神社として、特に終戦記念日には平和を願う沢山の方々が参拝に訪れる神社なのですが、実は靖国神社には“戊辰戦争以降の国のために戦い散った魂を敬う”であるはずの設置根拠のところ、新選組隊士や會津藩士、その他、彰義隊や奥州越列藩同盟などの旧幕軍に与し散った武士の魂は祀られていません。恐らくこのことを知っている方は少数派なのですが、新選組や旧幕軍の、尽忠報国を尽くした志士たちの魂が祀られていない靖国神社をchuが参拝することはありません真顔(なお、「西南の役」を起こし最終的に明治政府に潰されました南国の首領は、戊辰戦争勃発に向けて狡猾な仕掛けを仕向け続けた悪の権化なれど、教科書的には一応“明治の元勲”的な扱いを受けてはいますが、靖国には祀られていません、がしかし、戊辰戦争の戦で散った命ではない、病死であったにも関わらず、靖国に祀られているT・Sと言う西国のアジテーターの一人が居ます。これは維新後、西国出の者が多数、総理大臣に就いていることから、まぁ“英霊”は、西国出の輩により何とでも差配されていたのですよ真顔)

そして本堂裏にあります「會津藩士の墓地」、は正にchuにとりましても聖地なのでありますチュー

故郷を遠く離れた京の地で、京都を守護する君主に使え志半ばに散った若き志士たちを見守る藩主・容保公。固辞し続けた「京都守護職」就任を引き受けざるを得なかった会津藩に伝わる家訓を持ち出されては、もはや、やむなしと言ったところだったのですえーん(会津藩に伝わる家訓とは、藩祖の保科正之公が3代将軍家光より受けた命を末代に渡ってもこれを全うさせるために、正之自身が“会津松平家の宗家である徳川将軍家には絶対の忠誠を尽くすもの”と定めたもので、養子として会津松平家に入った容保公は、これを受け入れざるを得なかった…と言われていますが、容保公御自身の確固としたお人柄の賜物と広く信じられています)

今回、chuが京都を訪れたこと自体が久々の事。そして前回、上洛した際には時間の都合上「金戒光明寺」を訪れることが出来ませんでしたので、今回、たっぷりと時間が取れました「三都物語」の旅程の中に訪れることが叶ったのでしたウインク騒乱の幕末時に、京都の治安を護るために命を失いました會津藩士と新選組隊士の亡骸と「英霊」は、ここに祀られているのですニコニコ今回の上洛での目的の一つでもありました「金戒光明寺」参拝が叶いましたことに感謝です照れそして次に訪れましたのは「金戒光明寺」のお隣にあります「真如堂(しんにょどう)。こちらは昨日、訪れました「安楽寺」や「法然院」(青色で〇囲みしました。青の実線は「哲学の道」です)。そしてこの日に訪れたのが赤で〇囲みしました「金戒光明寺」と「真如堂」。昨日と今日、白河通りを間に挟み、その距離は数百メートルと、とても近い場所を訪れているのですウインクしかし昨日散策していた場所は「東山エリア」でしたが、同じ左京区でありながら、「金戒光明寺」や「真如堂」を“東山エリア”と感じることはなく、またそう呼ぶ方もいない、摩訶不思議なエリアなのです爆笑

その「真如堂」、正式な名称は「真正極楽寺」という天台宗の寺院なのですが、一般的には「真如堂」と語られる方が多く、この寺院の見どころとして参道の両脇に連なるはもみじの木が有名です。またこのことが、京都市内には“紅葉の名所”と呼ばれるところは数ありますが、中でも特に美しい紅葉の名所として知られていますウインクchuが訪れました季節は9月ですので見事なまでの青もみじでした爆  笑まぁ、例えば5月の新緑の候、の時期などならば特にでしょうが、青もみじは青もみじで、それはそれは美しくもあるのですが、ねウインク

【御参考】今は青もみじの参道の風景でしたが両脇の木々が赤く染まるとこんな感じにチューもう、見事と言う言葉しか見つからない京都を代表する紅葉なのです照れ(写真はお借りしました)

境内を散策します走る人走る人走る人

こちらが本堂。入母屋造りの本瓦の建物は、小さいながらも重厚感がありますウインク

「真如堂」の説明ですウインク

本堂前から参道を眺めます。

「金戒光明寺」と「真如堂」、chuは何時もセットで訪れる寺院。そして今から約160年前のこと…ですからもの凄い昔ってことではないのですが、当時、荒れに荒れていた京都の治安を護るため、遠く會津(現在の福島県会津若松市)から治安維持の任に就いた會津藩士の皆さま、そしてやはり京都の治安を護るため急遽結成された新選組、歴史の教科書では大きく取り上げられることはないのですが、chuはこの方たちの功績をずっと尊敬し、そして称えてきましたし、これからも自身の命ある限り、そうさせて頂く所存です照れ

「真如堂」からは最寄りのバス停は「錦林車庫前」。京都市営バス最大の車庫の拠点でもありますウインクここから次の訪問先に向かうのですが、とある場所からはバス便が激減します滝汗さぁて、どうやって次の目的地に向かったのでしょうかウインク(冒頭に記しちゃ伝てましたね爆笑)

2日目の朝も快晴に恵まれました😆レンタカーを借り受けて先ずは朝イチで志賀島に向かっています😉砂洲で繋がっている陸けい島。写真の左側は内海の博多湾、そして右側が荒波🌊押し寄せる外海の玄界灘になります😊が、今日の玄界灘は穏やかでした🙌
展望台から眺めた砂洲。真正面は昨日訪れていましたシーサイドももち周辺で、博多天神の中心市街地に近いベイサイドです😉

ところで志賀島に有りますは「金印公園」では江戸時代、漢の倭奴国王印が見つかりました😲
そしてなぜここに、この 刻印が持ち込まれていたかの謎は今なお解明されておりません。
発見された場所は御覧のように綺麗に整備された公園になっています😊

こちらは志賀島の北側に位置する国民休暇村前のビーチです。ここからのサンセットが素晴らしいそうなのですが、残念ながらその時間までここに留まることはありません😌

次に訪れたましたのは、志賀島から博多湾をぐるりと周り再び玄界灘に面した糸島市のビーチです😉福岡市内に張り巡らされている「都市高速」はとても使い勝手がいい😆そこそこの距離が離れているのですが、1時間 程で糸島市に到達出来まして、後にお届けする本編では更に充実したビーチ写真をお届けできると思います😉



こちらは「芥屋の大門(けやのおおと)」。 この後、展望台まで 行きましたが大汗をかきました😓ところでこの日の気温は31℃どまりだったのですが、西日本の太陽って、毎夏こうなのでしょうか🤔太陽光線が肌に突き刺さるようでした😣今夏、chuが暮らす首都圏では連日、35℃前後の気温を記録してしまいましたが、こんなに強烈な太陽光線を感じたことはありません😓

 そしてこちらも糸島市の二見ヶ浦の夫婦岩。ところで写真を御覧下さい😁ベストアングルを求めたい方の列が出来てましたが、並ばれている方は100%、インバウンドの方でして😱chuは並ぶのを断念しました😅“神の国の国民”なのですが、根性無しと言われかねないですかね😁

そしてこの後は博多の中心街に舞い戻り、ここは「大濠公園」。かつてここに有りました福岡城の外濠としての役割を担っていましたが、その後 、公園として整備され、いまでは福岡市民憩いの場になっています😉

博多ポートタワーにやって来ました😊さぁ、登ろうか!と思ったらなんと 定休日でした😣こんな事って、あるの😱

その後、無事にレンタカーを返却し 地下鉄空港線で中洲川端駅へ。そこから薄暮の中洲を散策し、この日は中洲の屋台をはしごしました😉しかしそこは西日本、日没時間は遅い上に日が沈んでも中々暗く成らないのは一昨年の長崎旅行でも体験済みか😅そしてここは2018年に訪れていました屋台!店名が変わっていましたが、人伝に聞き寄せて何とかたどり着くことが出来ました😆🙌

注文したのはもちろん焼きラーメン🍜😆昨日、天神の屋台で食べた焼きラーメンとは味付けの仕方が異なりましたね😉うん、chuはこっちの味付けが好みです😊

最後は天神南にあります“戦国焼鳥”の「家康」さん😉同じく“戦国焼鳥”「信長」さんと共に、冷凍ものではない、手作りの新鮮な焼き鳥を比較的廉価で提供して下さるお店でして、この手のお店には何故かインバウンド客は皆無、そして観光客も殆どおらず、お客さんは地元の方で溢れてまして、仕事帰りのサラリーマンの皆さんの、 博多弁のやり取りがchuは旅行でとっても遠い所に来ているのだという旅情感をもり立てて下さいました😆🙌


早朝の成田空港。快晴の 下、これからフライトです。07:40発のGK503便に搭乗します😉
成田空港➡福岡空港の実質 飛行時間(離陸して着陸するまで)は1時間27分。到着時は曇天でしたが午後からは青空が顔を覗かせてくれました😊で、昼食は「一蘭総本店」にて😉どこで食べても同じ味の一蘭ですがやはり“総本店”で食べる事に意義がある!ってか😁因みに平日ですが30分待ち😌ただ、並んでる人はchuのような少数の日本人の観光客と、あとは圧倒的多数のインバウンドの観光客の方。そりゃそうだ、地元、福岡の方はわざわざ混んでいる総本店で 食べる必要はないですからね😁

 オーダー表には基本(細かいカテゴリーが有りますが、詳細は本編にて😉)でお願いしましたが、麺は固めが好きなので、そこだけリクエストさせて頂きました😊

そして完飲🙌ごちそうさまでした😉

こちらは前回の博多訪問時(2018年10月)には乗れなかった那珂川クルーズ船に乗りました🙌那珂川から、中洲と博多湾の間を就航。今日の暑さはひと息…と言っても30℃は超えてましたが、川面で受ける風は気持ち良かったです😉

次いで訪れたのは福岡タワー。「シーサイドももち」の前に聳えるガラス張りのタワー。明日訪れる予定の志賀島を始め、博多湾、玄界灘に浮かぶ島嶼を眺めました。なお最上階の展望室から福岡空港に着陸時態勢に入っていた2機が、立て続けにゴーアラウンド😲滑走路上に何か支障が生じたのか😓と気になっていましたが、ニュース報道されるような事案はなく、ホッとしました🙌

今日はお宿近くの通称“裏天神”😉そして実は博多は焼き鳥が有名とのこと。chuは焼き鳥大好き人間ですので早速、裏天神の有名店を訪れました😊

そしてこのお店、「六三四」さん😉カウンター前のショーケースには、お鮨屋さんだと旨そうなネタが並ぶのと同様、これから焼かれる仕込まれた焼き鳥がずらりと並び食欲をそそります😆

マジ、美味い、旨すぎました😆🙌

しかし今宵のグルメはまだ終わりません😉てか、ホントは中洲に行く予定だったのですが、お腹いっぱいで動けない😣と言うことで、今夜は天神の屋台を訪問しました。ところで博多には3つの屋台街があり、 1番有名なのは中洲の屋台!そして中洲(川端)は九州一の繁華街😉次に有名なのは西鉄福岡駅がある天神界隈。次に有名な天神の屋台街ですが、天神は大手百貨店が軒を連ねる大商圏。 また福岡市の主な交通機関である西鉄(西日本鉄道)の電車とバス、市営地下鉄が集まる博多エリアの交通の要衝のため、人の往来はハンパないのですが、18:00を過ぎるとなんと歩道に次々に屋台が設置されて屋台街になります😲元々、小食のchuなのですが今夜は目いっぱい、頑張って食べました🙌

焼きラーメン🍜!ただ、前回博多を訪れた時に中洲で頂きましたものとは少々違うスタイル🤔ま、人生いろいろ、屋台もいろいろ、そして焼きラーメンも、いろいろです😁


2025年8月27日、プロ野球イースタンリーグ・ファーム公式戦を観戦してきましたウインク外気温33℃を記録する中、ギラギラとした太陽晴れ晴れ晴れの直射日光がこれでもかパンチ!と降り注がれる、日影の部分が一切ないスタンドでの観戦ですので熱中症が心配でした滝汗

チケットは内外野自由席券で@は1300円。以前…と言っても随分昔のことになりますが、当時は1000円、しかしJAFの割引や、鎌ヶ谷スタジアムの(比較的な)最寄り駅である新鎌ヶ谷駅前にはデカいイオン(アクロスモール新鎌ヶ谷)がある事からなのか、イオンのカードを提示すると割引が受けられたのですが、ここ数年前からはこうした割引は一切無くなりましたショボーンさらに、ずっと昔は無料だった駐車場も500円になり、そして今では1000円にえーさらに土曜休日には1500円になります真顔ところで皆さまは“東の鎌ヶ谷、西の由宇”という言葉を御存知ですか!?これは鎌ヶ谷=北海道日本ハムのファーム本拠地である鎌ヶ谷スタジアムと、広島東洋カープのファーム本拠地である山口県岩国市由宇、この二つの球場はとてつもなく辺鄙な場所にあることを揶揄することから生まれた言葉。であるからにして、観客の多くは車で訪れるものの、もともと辺鄙な場所なのですから土地代などお安いものニヤリ観客動員のサービスの一環としての無料駐車場だったところ、しかし日ハム球団としてはファームの公式戦も¥が取れるコンテンツになると確信したからこその、まるでハイパーインフレ襲来の如くの各種料金の大幅値上げが続き、今に至っております叫びこちらは最近新しく導入された駐車システム。そして今ではなんと、試合のない日も駐車料金を徴するようになりましたから、エスコンでの大成功(※試合のない日もエスコンフィールドを開放したくさんの来場者を記録するなど、いまでは北海道の観光スポットの一つになっています)に気を良くしたことからの強気に転じたかニヤリ

【御参照 こちらは広島東洋カープのファーム本拠地「由宇練習場」と所在地の地図。最寄り駅はJR西日本・山陽本線の由宇駅ですが、そこからとても遠いのです車でなければ到達難易度は極めて高しゲロー※chuはレンタカーで訪れました】

こちらは「北海道日本ハムファイターズ」による観光小スポットに大成功した「エスコンフィールド北海道」ですニコニコ

なお、ファーム公式戦と言えどもプロ野球は興行でもありますから、有料観覧試合のタダ見が許されないのは当然のことプンプンこの注意書きには至極納得です。

こちらは鎌ヶ谷スタジアムがオープンした当初に行われたセレモニーでどデカいホームランをかっ飛ばしたケン・グリフィーJr.の

着弾点のホームラン碑。推定距離160mの大ホームランですが、この距離をもってしても西武ドーム(ベルーナドーム)のレフトスタンド後方に設置されている“ここに当たれば1億円”の看板には当たらないのですから、看板を設置している「立飛ホールディングス」、人が悪いですよねニヤニヤ

着弾点からホームベース方向を俯瞰しますとこんな距離感滝汗こんなん、飛ばしたんですねびっくり

【西武ドームの“ここに当たれば1億円看板”】“ここに当てる”ためには180m弾が必要なそうですウインクなので、この看板を直撃する打球をうてる人は、未来永劫現れない、ってかニヤニヤ

外野後方の定位置(chuの駐車場所)に車を置きチケット売り場に向かいます走る人走る人走る人あれキョロキョロ頭にタオルを被っている何やら怪しげな人を見かけました爆  笑イスラム教徒の御婦人ですか!?いゃいゃ猛烈な暑さをしのぐためでしょうかニヤニヤ、って、家族ですグラサン

鎌スタインフォメーション👇

観客席の配置図とシートごとの料金体系。シート位置に加えて曜日ごと異なる利用禁体系にて実にしっかりと稼いでいますなグラサン

 

チケット売り場と球場内(有料エリア)にあるグルメスポットニコニコ

そして13時ジャストに試合は始まりました 我がライオンズは小関監督。対する日ハムは稲葉監督です。なお昨日とこの日は“準親子ゲーム”ビックリマーク開催場所は西武ドームになりますが、ナイター(18時試合開始)でも「埼玉西武ライオンズ」VS「北海道日本ハムファイターズ」の試合が行われます。

スターティングメンバーが発表されましたビックリマーク先行はライオンズ。2024年ドラ一のルーキー、斎藤大翔君がトップバッタービックリマーク2番は平沢大河選手、3番はやはり2022ドラ1蛭間拓哉選手、そして4番は現在、chuが絶賛応援中の村田怜音選手ビックリマークつい先日までトップチームで5番を任されていましたが、若干、ノーヒットが続いたためか、一軍登録を抹消されて現在ファームにて調整中チーンそして5番はなんと西武ライオンズが誇る大財産ビックリマークホームランアーチストのお代わり君ことタケちゃん、中村剛也選手ですびっくり今シーズンは調子を落とし気味で1軍登録を抹消されていましたが、まさか鎌ヶ谷の地でタケちゃんに遭遇しようとは笑い泣き嬉しチュー悲しのえーん二重奏ですが、やはり嬉しさが勝りましたクラッカー合格

それでは各選手の紹介ですウインクあ、その前に現役時代はchuが猛烈に応援させて頂いていました赤田将吾コーチ。昨年まで1軍コーチでしたが歴史的大敗を喫しましたためなのでしょう、1軍のコーチ陣は投手コーチの豊田清コーチ以外は退団&ファームへの配置換えとなりました。ですが、鎌スタで憧れの赤田さんに逢えたからこれも嬉しいチュー

斎藤大翔選手 この日はヒットは生まれませんでしたが確か3打席目、内野ゴロを打った際に1塁に向かって全力疾走しませんでしたムキー例え出塁は出来そうになくても、ああいう場面で手を抜いているようではレギュラーには程遠いな真顔まして貴君はルーキーです。ファンはこうした手抜きのプレーは見逃さないし許さないパンチ!“全力疾走”を掲げる東都大学野球の名門校では決して許されることのない怠慢プレーでしたプンプン

平沢大河選手。昨秋、現役ドラフトにより千葉ロッテマリーンズから入団しましたかつてのドラ1ビックリマークシーズンイン当初はトップチームに居ましたが故障や不調でファームにいます。千葉ロッテ時代でも「鎌スタ」での試合経験は豊富だと思いますが、かつての甲子園のスター星星星やはり西武ドームでの活躍を期待したいです。

蛭間拓哉選手。早大在学中に当時の渡辺GMが早々に“ドラ一”を明言し、無抽選(競合球団が現れなかった)により入団して今年が3年目。確かに大型ルーキー感はありましたが、chu的にはナベQGMの“群馬県繋がりぢゃねニヤリ”と思わずにはいられない選手ニヤリ

そしてこの日の先発は菅井信也選手。育成ドラフトにて入団ながら昨年支配下登録され初勝利も記録しています。

育成及びファーム時に、西口現監督から直接の指導(西口監督は当時ファームの監督でした)を受けていたことから“西口監督の秘蔵っ子”的な投手キョロキョロ今シーズンも1軍での先発があり既に5勝も挙げている未来のエース候補ウインクですが登板時の投球間隔が長いのが玉に瑕ニヤニヤもしピッチクロック制が導入されたらこの投球動作ではとてもやっていけませんプンプン例えばこの日の登板は有りませんでしたが、やはり育成から支配下登録されました豆田泰志選手であれば菅井投手が1球投げる時間で3球は投げ終えていると思います爆笑そしてこの日の菅井投手は投球間隔が長い上に四球も連発真顔あれぢゃ、守っている味方の選手も勿論、試合を見ている観客も飽きちゃいますwニヤリせめてもの救いは、ここが鎌スタで、かつデーゲームだからまぁ、時間がかかってもいいですがね。あびっくりてか、chuが7月に西武ドームに行き、永~い試合を見せられて、負けた試合の時の先発が菅井投手でしたゲローあの時は帰宅時間が23時30分を過ぎましたよえー

ファーストの守備に就くchu激推しchuの村田怜音選手ウインク
ライトの守備につく蛭間選手
そして2回の表 村田選手 この打席は凡退しましたが、この後の打席ではヒットを記録しました拍手拍手拍手
そして我らが“おかわり君”タケちゃん、中村剛也選手ですチュー
しかしこの日は残念ながら2打席とも凡退ショボーン3打席目には代打を送られてしまいましたえーんまたこの日は出番はありませんでしたが栗山選手もファームで調整中です。そしてこの鎌ヶ谷スタジアム、はchu宅からはとても近い(車で15分なので延長でどんなに遅くなっても平気ですグラサン)ので有難いのですが、西武ドームからはとても遠く、ライオンズが鎌スタに来る時も、そしてこれとは逆にファイターズの皆さんが「カー3219」(ライオンズのファーム本拠地で西武ドームに隣接しています)に遠征する時も移動が大変滝汗
途中、高速道路を利用するとしても渋滞に巻き込まれたら下手すりゃ3時間近くはかかりますゲローなのでタケちゃんや栗山選手などの大ベテランはファームで調整中だとして、試合に出すのは「カー3219」だけにすればいいのに、と思いました。実は鎌スタと西武ドームの移動は大変だと、かつてファイターズに在籍されていました今浪隆博さんが御自身のYouTubeチャンネルで語っていましたっけ口笛なんでも移動にかかる身体への負担を抑えるために自分で遠征先近くのホテルを予約したこともある、とか。ですがライオンズ戦に遠征するとして、西武ドーム近くにビジネスホテル等はなく、結局は一軍が宿所とする東京都の立川辺りまで出なきゃでしょうから、西武ドームは他球団からとっても実に迷惑な賜物か滝汗逆に鎌スタ近くのビジネスホテルだと、新鎌ヶ谷に東横インがありますから、まぁ東横インがトップチームの遠征先の宿所になることは絶対にないでしょうが、ファームの選手が自腹でホテルを手配するとしたら、“薄給の身だし、まぁしゃあないか”となるんでしょうね。であるから、新鎌ヶ谷の東横インに、ライオンズの中堅クラスの選手が宿泊している可能性はかなりあるのではキョロキョロそしてこの日の試合、沢山の投手をつぎ込み各選手の様子見をするものと思っていたのですが、なんと先発の菅井選手は5回も投げさせていました。ですが5回で100球を超えてましたから、とてもぢゃないけど1軍戦では試合を作れませんねえーですのでこの日の投球内容では小関監督も西口監督には推薦出来ませんショボーンただこの時点でスコアは0-1の日ハムリードとロースコアの展開が続いています。皆さん酷暑の中、暑くてしょうがないでしょうから速い試合展開になると見込んでいましたが、菅井投手の投球テンポがそうはさせてくれませんニヤニヤしかし6回からは継投に入り、何時もは6~8回の何れかのイニングを任されていますサトシュンこと佐藤隼輔選手が登板しましたニコニコそして彼はとてもクレバーな投手ビックリマークなのでトップチームに帯同してくれなければ困る選手です。早期の1軍復帰をのぞみますウインク
そして遂に復活の狼煙メラメラメラメラメラメラメラメラメラメラが上がったのが森脇亮介選手ウインク2023年7月に「右上腕動脈閉塞症」と診断され、その後、手術を受け育成選手としてリハビリに当たっていましたが、ここに来てファームの試合ですが大事なところで登板する機会を得たようです。この日もびしっと締めてくれまして、セットアッパーとしての戦力として、来季の支配下復帰と1軍昇格を願っています照れ
ピシっと抑えてベンチ前で守備陣を称えながら迎えます照れこのSceneを西武ドームで見たいものですチュー
次は黒田将矢選手。ライバルに同期の羽田、菅井両投手を挙げています。ついこの間には、トップチームに登録されていましたよねウインク
そしてこの日の試合展開は0-1のロースコアのまま9回表を迎え、この回を抑えられたら完封負けかショボーンと思われていたところ、途中出場の柘植世那選手(柘植選手も先日まで1軍に居ました)が四球を選び出塁し同点のランナーとなりました。送りバントで2塁に進み一打同点の場面で2番の平沢選手が放った一打がライトスタンドに飛び込む逆転2ランびっくり合格クラッカー2-1となり9回裏を抑えれば逆転勝ちということにウインク
しかしそうは問屋が卸さないのが野球でして、9回裏に登板しましたボータカハシ投手。きちんと締めてくれればセーブポイントが付く場面でしたが…
今川優馬選手に同点ホームランを献上しますチーンこれで2-2。“延長戦突入か!?”と思ったのですが…ちなみにファームの場合、延長戦には特殊なルールが適用されるため12回の攻防まで試合を行うことは必ずしもありません。と思っていたら、今シーズンから10回表からのタイブレーク制が導入されたのだとかびっくりシラナカツタあせるあせるあせるしかし、この日、chuがプロ野球の試合で始めてみるであろうタイブレークの試合展開を見ることはなく叫びボータカハシ投手は後続の選手に安打を許し、2死1、3塁となったところでサヨナラ安打を浴びて2-3の逆転負けにえーん
こんな試合展開でした👇
試合終了の直後、ベンチ前にて投手陣を集めて土肥コーチによるミーティング サヨナラヒットを打たれてうなだれ気味のボータカハシ選手「42」サトシュン選手、豆田選手、佐々木健選手、おっと、大ベテランの平井克典選手も今はファーム暮らしが続いていますショボーン平井選手は2023年オフに“FA残留”してくれました貴重な選手。ファンから見ればレジェンドです照れ来季の復活を期待したいですねウインク
ところで試合終了後、chuにはもう一つの大事なミッションがありましたウインクそれは「出待ち」ですビックリマーク真っ白のサインボールを持参し、選手が出て来るのを待ちます。ただ選手を待つ場所はバスが待機しているところ。即ち「カー3219」球場の横にある選手寮に住まわれている選手、若しくは西武ドームまで車などで自力で来て、そこからバスに乗り込んで来る選手の皆さんが当該バスで移動しますのでいきおい若手選手が中心ですニコニコそしてこの日は念願の2名の方からサインを頂くことが出来ました合格クラッカー一人はchuが激推しchuの村田怜音選手チューそしてもう一人は、選手ではなくて、現3塁コーチを務める赤田将吾さんウインク赤田さんはchuの呼びかけに快く応じて下さり、そしてchuの“9番と書いてください”に、赤田さんは“おびっくりこのおっさん(chuのことです爆  笑)は知ってるな”というお顔をされましたので“赤田さんの現役時代はずっと応援させて頂いていました”とお伝えすると嬉しそうに笑顔を返してくださいました照れこちらが昨日頂きましたサインボールウインク左側が「9」番を記入いただきました赤田コーチ そして右側が「99」番を記入いただきました村田怜音選手のもの。また一つ、chuの宝物が増えましたチュー(真ん中の🥎は20年以上前になりますが、当時、日ハムでファームコーチをされていました山森雅文さんから個人的に頂きました🥎ですウインク宝物です照れ)

そしてchuのコレクション 宝物です👇数年前までは色紙にサインを頂いていたのですが、最近ではサイン用のボールを用意して行くようになりましたウインク大切な宝物ビックリマーク今、売り出し中の滝澤夏央選手や長谷川信哉選手のものもありますチューなおサインをして頂きました場所は全て鎌ヶ谷スタジアムの試合にて照れ鎌スタでの試合、はこのような御褒美を頂くことが出来るので大好きなのですチュー

こちらが鎌ヶ谷スタジアムの全景ニコニコ

ところが…この鎌ヶ谷スタジアムで試合を鑑賞出来るのもあと数年ショボーン実は前々から噂はされていたのですが、「北海道日本ハムファイターズ」の本拠地は北広島市の「エスコンフィールド北海道」。そしてファームは千葉県鎌ケ谷市。1000㎞以上も離れている場所にファームの本拠地があるのはチームの運営上、支障がある(>_<)まぁこのことは「日ハム球団」が本拠地を「東京ドーム」から札幌市の「札幌ドーム」に移転した時から言われていた事なのですが、近年、常勝球団の仲間入りをしつつあることから、殊更、トップチームとファームとの連携強化が不可欠のこととなり、2025年の7月に鎌ヶ谷からの撤退が正式に表明されたのですえーん

鎌ヶ谷市民からも“おらが球団”としてとても大切にされ、また市民の誇りでありました日ハムのファームチームでありました。またここは、現在メジャーで活躍されている大谷選手やダルビッシュ選手が巣立った場所。鎌ヶ谷市民の方に留まらず、日ハムファンの方にはとても思い入れが深い場所でもあり、出来る事ならば未来永劫、鎌ヶ谷スタジアムは残って欲しいという気持ちはあります。がしかし、「北海道日本ハムファイターズ」の今後の未来図を俯瞰してみれば、日ハム球団が決めた鎌ヶ谷撤退は残念ながら受け入れると共に、快く、そして力強く送り出すことが求められるのですウインクですがこのことは、chuが将来、ライオンズの選手のサインを直接頂くことが限りなく難しくなることを意味しますえーん残念です泣

 

この日、chuが出待ちした場所はバスで移動する選手の出入口。色々な選手が出てきましたが、誰それ構わずサインを求めるわけではなくて、“あ、この選手のサインが欲しい”という方にのみ、にお願いしています。そんなこんなで色紙やサインボールにサインを頂きました選手は多いのですが、サインを頂くことなく一番悔やんでいるが武隈祥太選手のもの。後にライオンズには欠かせないセットアッパーとなり、今ではライオンズのエースに君臨している今井達也選手との先輩後輩関係が極めて強固。武隈選手が現役引退を決めた時に今井選手は男泣きしたそうで、当時、エースナンバーとも言える「11」番を背負っていました今井選手は敬愛する武隈選手が背負っていた「48」への背番号変更を球団に直訴ビックリマーク当時のナベQGMが“マジか!?本当にいいのか??”と意思確認をされたそうですが、今井選手は「48」を熱望されたとか。その元々、48を付けていた武隈選手とは何度も鎌スタでお逢いしており(鎌スタで何度も逢うということはトップチームには入っていないということ)、選手としての将来性に光明を感じていなかったchu、ファンの要求に応じて気さくサインされていました武隈選手のサインがないのですえーんその後、セットアッパーとしてライオンズにはなくてはならない選手に登り詰め、かつ、当時はまだ一軍には完全には定着していなかった甲子園の優勝投手である今井達也選手の尊敬を集めた方ビックリマーク“鎌スタ訪問歴”の永いchuにとりまして、武隈さんのサインを頂かなかったのは唯一、悔やまれるところですチーンちなみに今井達也選手の来期以降でのメジャー入りの噂話が喧しい中、今井選手は元々、メジャー志向はなかったようですが、昨今の大活躍をメジャーが放っておくことは考えられません。そして今井選手が恐らく一番先に相談される方は武隈さんではキョロキョロと思います。今井選手には御自身の希望をかなえて欲しいなぁ、と思います。国内の同一リーグである“越後屋”(※ソフトバンクホークスの蔑称ですニヤリ)なんかには行って欲しくないですからねビックリマーク

 

 

chuが出待ちをしている場所(バスで西武ドームに戻る選手)に、常時、トップチームに出場している選手が乗り込むことは少なく(幸い赤田コーチは乗り込んでくれましたのでサインを頂くことが出来ましたウインク)、そうした選手の多くはマイカーで球場入りしていることと思われます。中には翌日の試合に備え、「東横イン新鎌ヶ谷」に宿泊されている選手もいるかも知れません。chuはバス移動の選手で入口に居ましたので、バス以外で移動する選手を確かめられたわけではないのですが、菅井選手を見ましたビックリマーク菅井選手はSUV型の自動車を運転(車種は特定していますが控えます)。ですがナンバーは御自身の背番号と同じ「71」でしたウインクそしてその車、新車であれば500万円は下らない価格帯なのですが、菅井選手の今期の年俸は670万円(推定です)。とてもそうした新車が買えるほどの年俸はないのですが、当該車両のヘッドマークが今の新車のそれとは異なっていたことから、中古車目いや、それは考えにくいので、先輩選手から譲ってもらった(もちろん中古車とはなりますが、中古車販売店で購入したわけではないので意味合いは異なりますよね口笛)だったと思います。今日、この日に観戦させて頂きましたラインズ、そしてファイターズの選手の皆さん、もちろん全員とはいきませんが、全力を尽くし、トップチームに合流できる日が来ることを願いつつ、「鎌ヶ谷スタジアム」を後にしました。あと何年、通うことが出来るのかな、と後ろ髪を引かれつつ、ですウインク(そして実は来期以降のファームのリーグ戦の運用方法が変更されることも承知していますので、日ハム球団が鎌ヶ谷スタジアムを去る前に、西武ライオンズがここで試合をする機会が激減することも知っていますえーん来期以降、chuが鎌スタで観戦できる機会があるのか、は極めて不透明なのでありますショボーン)

2024年9月16日から21日までの5泊6日の日程で京都、大阪、神戸を訪れた際の様子をお届けしています。旅も4日目に入り、chuの大好きな京都の個別スポットを巡る旅へと入りましたウインク前回はこちら👇

ここは京都市中の北部、であるからに少しは涼しかろうかというもののまだまだ酷暑が続いていますあせるあせるあせる“身も心も”涼しかった「詩仙堂」を一歩出ると、やっぱりあぢいゲローで、これから向かうのは門跡寺院としても著名な「曼殊院(まんしゅいん)」。ところで門跡寺院とは、皇族や公家が住職を務める特定の寺院を指し、そのお寺の住職は即ち皇族や公家の身分を持っています。寺の格式を表す「寺格」なる言葉がありますが、“寺の格式”を殊更意識し重んじるようになるのは鎌倉時代以降の事。つまり門跡寺院は寺格が高く皇室から特別の礼遇と特権を与えられ、住職は各宗派の管長と同等の待遇を受ける程、重んじられる寺院であり、また、門跡寺院ではない=寺格が高くない、寺院からは本音としてはともかく、とても崇められる寺院です。で、これから向かう「曼殊院」の場合だと、“門跡”を強調するためでしょうか、一般的には“曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)”とも呼ばれているお寺ですウインクところで格式が高いお寺とされています門跡寺院、は実際、日本国内にどれくらいあるのかと言うと、主だったところでは僅か17寺院に過ぎませんびっくりいったい、日本国内にどれくらいの数の寺院があるのかと言うと、大手コンビニ3社+セイコーマート約52500店舗(セブンイレブン21300、ファミマ16000、LAWSON14000、セイコマ1200)を大きく上回る75000寺(住職のいない寺院(無住寺院)を含めます)もありながら、格式を認められている門跡寺院の数はたった17寺社ですびっくりびっくりびっくりしかもこの17寺院の中には東京都台東区の東叡山 輪王寺(りんのうじ)や栃木県日光市の日光山 輪王寺(りんのうじ)などが含まれていますから、国内の主だった門跡寺院の中でも残りのそれが京都市内に多数存在しているという驚きの事実びっくり因みに京都市内にあります門跡寺院を並べてみますと、青蓮院、毘沙門堂、三千院、妙法院、聖護院(※聖八つ橋で有名な聖護院です)、実相院、仁和寺(「徒然草」に登場する仁和寺の和尚、がいらしたお寺ですウインク)、大覚寺、随心院と勧修寺(何れも山科にあるお寺)、三宝院、知恩院(浄土宗の本山です)など、実に曼殊院を含めると13の寺院が京都に密集していることが分かりますびっくりそして驚くべきことに、10代後半の頃より京都通いを始めましたchu、実際に年中通い詰めていたのは20代前半までで、その後は仕事が忙しかったことなどから忘れた頃にやってくる程度に激減していたのですが、なんと、今、挙げました京都市内の門跡寺院には全て参拝&拝観させて頂いておりましたクラッカー合格チュー予てより尊王の志は篤く、かつ政を行う組織にも与していたchuにとりましては朝廷と幕府(政権)との調和が何よりも大切と言うことは常々認識をしており、いわゆる“公武一和(公武合体)”こそが近代化を目指す日本の姿であったことを信じてやまないのであります。さて、「門跡寺院」について語りましたら中々先へと進めませんので、ここからは街道を往くことにします爆笑道すがら見えてきましたこちらの寺院は「圓光院」で、慶長6年(1601)、徳川家康公が教学のために、足利学校の僧、閑室元佶を招いて伏見に建立し、圓光寺学校としたのが起こり。多くの僧や武士が入学し、書籍の刊行も行ったそうです。その後、相国寺山内に移り、寛文7年(1667)、現在地である一乗寺小谷町に移転したのだそうです。運慶作と伝わる千手観音像、元佶像をはじめ、円山応挙作の「竹林図屏風」、家康に与えられた出版の木活字などがあり、また庭園には洛北でもっとも古いとされる栖龍池(せいりゅうち)があり、竹林の中を歩くことができるのだとか。また境内裏手には徳川家康公の遺言により歯を埋めた墓と東照宮があり、そこからは眼下に洛北の市街地が一望出来、中々の眺望が得られるのだとか照れまた秋の紅葉名所としても有名なそうなのですが、chuが今まで一乗寺界隈を訪れた際には何時も「詩仙堂」から「曼殊院」へと進んでしまっいましたので、見どころの多そうな「圓光院」ですが拝観したことがありません(>_<)そして、今回もスルーしてしまいましたえーん残念泣

さてさて、こちらはまだ「曼殊院」へと続く曼殊院参道に合流する手前の地点でありましたが、某宅と極めてよく似ている戸建て販売の住宅を発見目🚙も複数台止められますし、真南に面していますので益々似ているグラサン販売価格は4180万円ですから、購入時の年齢にもよりますが、そこそこの資金(頭金)と、ローンを完済するまでのそれなりの年収の確証がないと気軽にパーを出せる価格帯ではなさそうですキョロキョロ

で、現在はどうなったのかな(何せここを訪れていたのは1年近く前のことでしたから)キョロキョロと思って、調べてみたら、もうどなたかが入居されているようでした(Googleearthから転載させて頂きました)

こちらの住宅の場所はこんなところ(特定はしておりません)。「詩仙堂」や「圓光院」は至近距離にあり、例えば紅葉の時期など、天気が良い日に朝一番であれば凄い人波が押し寄せる前に拝観出来ると思われますから羨ましい限りですチュー

またまた余計なお世話ながら、この家をお買いになられた方が通勤するのにどれくらいお時間を必要とするのかも調べてみましたニヤニヤ最寄り駅は叡山電鉄の「一乗寺駅」で、同駅までは徒歩15分くらいかと思われます。すると京都の主要部との位置関係はこんな感じでして👇「Yahoo!乗換案内」で調べてみたところ、京都駅まではなんと34分びっくり京都のビジネスの中心街である四条烏丸までは26分びっくりびっくり大坂の都心中の都心である淀屋橋まで1時間5分、JR大阪駅とも直結している大阪梅田までは1時間16分目目目ですから、これに「一乗寺駅」までの徒歩15分を加えても十分に通勤出来ちゃいますねびっくり関西圏の私鉄網、恐るべしです滝汗チューですので、“京都の中心部からはかなり外れているのに、あの(販売)価格って、なんなのよえー”と思ったchuの完全なる勘違いニヤニヤあの価格で持ち家が持てて京都府圏(あ、伊根の舟屋がありました丹後半島は除きますよ爆  笑)や、大阪の中心部まで通勤通学圏ですから、そしてさらに四季折々の自然を感じる事が出来る上に「詩仙堂」「圓光院」は正にお隣さんみたいなものですから、ホント、最高の分譲住宅だと思いますチューあとは「詩仙堂」「圓光院」に年パス(年間出入り自由な年間パスです、はい爆笑)があれば言うことなしなのですがね爆  笑

こちらは少し進んだところにありました「西圓寺」。「西圓寺」は天台宗真盛派の寺院で山号は帰命山。「圓光寺」のすぐ隣にあるお寺ですが、檀家さん以外はあまり訪れる人はいないようですね。私も参道の外側からだけでしたがカメラしかしこのような箇所だけでも、とても「絵」になるのが京都なのです照れ

そして間もなく「曼殊院」と続く曼殊院参道に合流しようかというその場所にて驚愕の看板がポーンガーン

ここは京都の洛北…ですから少し郊外である事には違いありませんが、それでも先ほど御案内しました戸建て住宅からでも徒歩5分程度の場所です滝汗きょうび、例えば岩手県ではツキノワグマが堂々と人家に押し入り家人を殺めた事案すらありましたから、この近辺にお住まいの方は非常に大きな不安をお持ちの事と拝察します。またつい先日には知床岳の登山をされていた都内在住の若い方が下山途中にヒグマと遭遇ゲロー抵抗むなしくヒグマに引きずりこまれ、翌日には無残な姿で亡骸となって見つかりましたことは皆様のご記憶にも新しいこと。その後、地元の猟銃会の方が中心となり警戒を続け、親熊と小熊の3頭を駆除、後には駆除された親熊がDNA鑑定により登山者を襲った熊と特定されたのですが、クマを駆除したことに対して地元・斜里町役場への抗議の電話が殺到し、役場の日常業務にも支障が出ているそうです叫びですが、“動物保護”を至上命題とするのか、こうしたバ〇どもがそれ程多くはないとしても複数人いることにあきれると言うしかありませんムキーこうしたバ〇どもの自宅の庭先に、もしスズメバチがでっかい巣を作ったとして、あんたは駆除をしないのかパンチ!“右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい”的なクリスチャン的な発想とは全く異なるクマ駆除に対する過度な反応には、そろそろ行政をして“断固たる態度を取る”と表立ってその方針を確立させるべきだと思います。既に熊は人間が持つ食べ物の美味しさを学習してしまったようですから、“人間を襲えば美味しいものが手に入る”と認識していたとすれば、これからは山中に入る時に付けるクマ鈴は、個々の個体にもよるのでしょうが諸刃の剣になる可能性すらある、とchuは考えています真顔

で、“本題”の「曼殊院」には話題が多くて中々辿り着かないのですが爆笑遂に来ましたビックリマークところで今歩いてきました曼殊院参道も、だらだらとした上り坂で体力が蝕まれてました。しかしここにきてようやく木陰も出てきましたが、それまでは肌に焼き付くような日差しが容赦なく注いできていましたゲロー「詩仙堂」から「曼殊院」までは精々20分間ほどの距離なのですが、カメラをしながら歩いている上に、さらに熊🐻を警戒する要因が含まれましたのでニヤニヤ実際にかかつた時間は30分弱…。う~ん、若い頃ならば15分程度で歩き切り、「曼殊院」を拝観した後には「修学院離宮」(こちらの拝観は事前予約制で、当時は往復はがきにて申請し、日時は指定されるという超使い勝手の悪い方式でした)は中には入れないので入口のみをチラ見したあと「赤山禅院」まで軽快に歩いていたのですが、今ではとても無理です叫びドクロ

そして遂に到着合格クラッカーこちらは「勅使門」。高い石段の上に西に面して立つ「曼殊院」の正門の出入り口となります。ですが平時は常に固く閉じられており、皇族の関係者のみが通行を許される正門。「曼殊院」が門跡寺院であることの証なのでもありますウインクそしてこちらが「曼殊院門跡」のオフィシャルWebサイトです👇

拝観する場合は通用門から入ることになるのですが、正面からは横移動で少しだけラクが出来ます爆笑しかしこの辺り、CG処理を施さなくてもそのまま時代劇のいちSceneに使えちゃうロケーションですよねウインク

拝観する際の出入口がこちら。ところでこちらの拝観料、は“門跡寺院”ということで寺格が高いからなのでしょうか、京都市中の他の寺院の拝観料よりも少し高かった気がえー(拝観料は800円。他の市中寺院は5~600円です)まぁ、寺格が高いからなのでしょうかねニヤリホレ、戒名(chuの場合は浄土真宗ですので法名といいます)に“院号”を付けて頂くと、御布施がど~んと跳ね上がるって、あれと同じかもですニヤリ

しかしそんなことはさておいて、入るなりいきなのこの坪庭 綺麗な紋様が入ったこのお庭は、今では京都市中の寺院でなくても見られるところはあるのですが、やはり「侘び」と「寂び」を感じるための入洛そのものが、必要条件であり十分条件でもあるのです合格クラッカーチュー

なお「曼殊院」では撮影に際しての若干の制約があり、庭園の撮影は許されているのですが寺院内の撮影はNG真顔これは、寺院内に掲げられていました中国の漢晋唐宋時代の詩人三十六人の肖像画や、掛け軸など全ての撮影が許されていた、つい先ほど訪れました「詩仙堂」とは大きく異なります。ま、「詩仙堂」は元々は武士の成り下がり…と言ったら石川丈山公に大変失礼ですが、その丈山公が自身が住む山荘代わりに造ったのが始まりなのに対し、この「曼殊院」は最澄(「天台宗」の開祖で伝教大師)の時代(767年~822年)の時代に比叡山に造られた庵が起源と歴史があります(現在の場所には金閣寺近くの北山や相国寺近くへの移転を経て明暦2年(1656年)に移って来たそうです)。ですが1641年(寛永18年)には洛北の地に、既に「詩仙堂」は存在していたのですが当時はまだ丈山公が居住していた山荘であり、丈山の死後に「丈山寺」として寺院(寛文12年・1672年)になりましたから寺格ではもちろんのこと、寺院としての歴史も「曼殊院」に軍配が上がるわけでございます真顔あ、写真を撮影する上での制約について綴っているところでありましたが爆笑建物の庭園沿いには赤いカーペットが敷かれた縁側が続き、そのカーペットの上からであれば庭園撮影しても良い、というもの。なので撮影地点がカーペット上でも、寺院内の撮影はご法度なのでしたチーンそして何故“縁側のカーペット上からしか撮影出来ない”ことに不満があるのかと言うと、室内(畳敷きの部屋)から庭園を撮影した場合、鴨居や欄間を通して庭園を撮影することが出来れば、その鴨居や欄間がそのまま「額縁」となり、ただ単に庭園を撮影しただけではない、荘厳なる「絵」となるのです。前回のblogにても掲載してあります「詩仙堂」の庭園では、庭園そのものも勿論素晴らしいのですが、畳敷の室内から鴨居を額縁に見立てて撮影した写真を今一度、御覧頂ければその違いがお分かり頂けるかと存じます。なのでやはり「寺格」高き門跡寺院のしきたりはなんだかなぁ…とニヤリで、chuが勝手に邪推するところではありますが、こうしたしきたりは恐らく今の上皇陛下、天皇陛下は御存知ないことと思われますよ真顔タブンですがねキョロキョロそれでは以下、カーペット上からの撮影ではありますが「曼殊院門跡」の名庭園をとくと御観賞下さい。

と、素晴らしい庭園を撮影させて頂きました。が、庭園の「絵」としましては「詩仙堂」には遠く及びませんドクロ最も、撮影が縁側のカーペット上からでしか不可、なのでありまして畳敷きの室内に座り庭園を鑑賞することはもちろん可能ですので、せっかく、あの坂道を、大汗を掻きながら上がって来たのですから(あと、クマの襲来にも最大限の注意を払いグラサン)、心落ち着けて「曼殊院門跡」に滞在したのは言うまでもありません。また、寺院内にはこれまた有名な、“曼殊院に掛かる幽霊掛け軸”もあるのですが、写真撮影は勿論不可。なお今回のblogを綴る際に「曼殊院」についていろいろと情報を集めてみたところ、以前は畳敷の室内からでも庭園の撮影は可能だった由。そーですよね、chuもその昔に「曼殊院」を拝観させて頂きました際には鴨居や欄間を額縁に見立てて庭園を撮影した作品が何枚もありました。しかしそれは昭和最終盤の頃のことでして、保管してある「曼殊院」の写真も今ではすっかり色褪せておりますドクロ最も、ネガは残っていますので再プリントをすれば鮮やかに蘇るとは思いますが、はて、いったいどこでネガを持ち込んだら写真プリントしてくれるお店があるのでしょうか爆  笑ということを考えると、一応、ネガだけは大切に保管することとして、“額縁に収められた曼殊院の庭園”は記憶の中に残しておく方がいいのかも知れませんウインクそしてこちらは寺院の西側に広がる書院庭園。ん十年前に訪れた時にはなかった庭園だと思いますキョロキョロ

そして今chu一行が立っている場所(撮影地点)がこの建物で書院。ご覧のように新しいウインクん十年前にはありませんでしたから、この書院の増築(若しくは改築かもですが)に合わせてこの庭園が造園されたのであれば、chuの記憶に残っていなかったのは当然ですね爆笑(この写真はホームページからお借りしました)

そして最後に再び坪庭を眺め、侘びと寂びを感じる心を打たれます(失意に繋がる悪い意味での“心を打たれる”ではありませんのでそこんところヨロシクですウインク爆笑)

そして「曼殊院門跡」を後にしました。なお「曼殊院」内では撮影に関しての多くの制約から、寺院内の御説明はほとんど何も出来ていません滝汗👆にリンクしましたお寺のオフィシャルWebサイト内にもあるものではありますが、寺院内の各所における一つ一つの説明はこちらからの方が分かりやすいと思われますので、ダブルリンクにはなってしまいますが、寺院内の各所におきましたはこちらを御参照頂ければと存じますウインク

「曼殊院」西側の小路を歩き走る人走る人走る人

再びの「勅使門」。果たして現在の上皇陛下や天皇陛下がいらしたことがあるのかは分かりません真顔と、気になり少し調べてみたところ2012年に天皇皇后両陛下(現、上皇皇后陛下)が行幸されていたそうでして、その時の様子を綴られているblogがありましたので謹んでここにリンクさせて頂きたく存じますお願いまた現在の天皇陛下も、皇太子時代に、さらに秋篠宮殿下や紀子妃殿下もお見えになったことがあるそうで、そう言えば秋篠宮殿下来院時の写真があったキョロキョロと思い出しましたが、何せ寺院内での写真撮影は許されておりませんので1年も経ては記憶は薄れていきますよ口笛なお、「寺格」高き門跡寺院である「曼殊院」ですが、皇室の方々の御訪問は他の門跡寺院と比べると、かなり少ないのだそうです。皇室の方々がお見えになられた時には僧主がつきっきりで御説明されると思われますが、このお寺が一般の拝観客に対して課している制約などは一切、説明はされないでしょうからニヤリ皇室の方々は「曼殊院」の今の姿を知ることはないのでしょうショボーンせめて、chuのblogにでも目をお留頂ければ…なのですが爆  笑

「曼殊院」から白川通にありますバス停「修学院道」までは下り坂ですので楽勝でしたウインクそしてクマ🐻にも遭遇せず、無事にこの日に予定していた全ての寺社の拝観が終わり後は一旦、ホテルに戻り小休止と。なにせ入洛して以降、2日目は伊根の舟屋がある京丹後方面へ、3日目は神戸へ、そして4日目のこの日も人が多くなる前に祇園へ、あと初日は6時30分の新幹線に乗るために4時起きしていましたから早朝からの活動が続いていまして、chuの活動形態であります“早出早帰り”は、こうした宿泊を伴うお出かけでも踏襲されているようです爆  笑市バスに乗り、京都国際会館前に来て、ここからは地下鉄烏丸線に乗ります。この京都市営地下鉄は京都で一番最初に出来た地下鉄なのですが、chuが京都通いを始めた後に開通した路線で当時は現在、バスターミナルになっている北大路が起点終点でした。chuが知らない間に「国際会館駅」まで延伸していたようですウインク

そして入線して来た車両はchuが初めて見るものでしてびっくり

ポーンこれは近鉄の車両だビックリマーク昨日、初めて阪神電鉄の車両に乗りまして、これで関西大手私鉄で乗車経験があるのは京阪、阪急、そして阪神。残りは近鉄と南海なのですが、生憎と今回の旅程ではこれらの鉄道沿線を訪れる予定は有りませんニヤニヤしかし京都地下鉄烏丸線と相互直通運転をしている近鉄(近畿日本鉄道)の車両に乗れたのですから、近鉄線の乗車は“半分成果”と言ったところでしょうか爆  笑行先表示には「新田辺」とありますが、新田辺って、どこいらへんだキョロキョロジツハシンタナベニハショウショウカンケイガアルノ

以下3枚は近鉄のホームページから転載させて頂きました👇「国際会館」から「竹田」までは地下鉄烏丸線。

そして竹田より先は近鉄京都線となります。近鉄京都線は、京都駅から大和西大寺駅までがその路線ですが、大和西大寺駅からは近鉄奈良線に乗り入れているので、乗り換えなしに奈良駅まで行くことが出来ますニコニコ

で、京都の地図を見て見たら新田辺と言う駅は京都市ではなく京田辺市。限りなく奈良に近い所ですね。上の赤丸が「国際会館駅」で下の赤丸が「新田辺駅」ですから、京都市の中心部を縦貫し、さらに宇治市と城陽市も縦貫したところに京田辺市がありましたウインクところで首都圏の地下鉄と私鉄とではほんどの路線は相互直通運転をしていますから、超ロング運行もさして珍しくはないのですが京都の地下鉄と私鉄とではそこそこ珍しいロング運行。「国際会館前」から「新田辺」までは近鉄線内が急行になるもので50分、全ての駅に停車する普通だと1時間近くかかるようです口笛そしてこの新田辺には、chu一行は訪れたことはないのですが近しい親戚の方が居住していますニコニコ今回、新田辺行きの電車に乗れていがったです照れ

地下鉄を北大路駅で降ります。

ここから市バスでホテル至近の千本旧二条バス停までウインク地下鉄が開業したことで、かつては北大路通の中間地点に過ぎなかった同エリアですが、今では京都市バスの拠点とも言うべきとても大きな「北大路バスターミナル」があり、京都駅前と同様、京都市内の各エリアに向けてのバスが頻繁に出ていますニコニコ

それでは今日のおさらいをばニコニコまず「銀閣寺」からは白川通にある銀閣寺道バス停まで歩き、青い線はバス移動。一乗寺下り松バス停で下車し「詩仙堂」そして「曼殊院門跡」。そこから白川通まで出て、修学院道バス停から国際会館前までバス移動。そこから、地下鉄烏丸線で北大路駅まで行き、さらにそこから市バスでホテル前の千本旧二条まで。兎に角、疲れましたあせるあせるあせる

千本旧二条のバス停に降り立ち、ホテルの前に辿り着いた時には思わず涙が出て来たの爆  笑

そしてこちらが今日一日の行動図ビックリマーク改めてこうして見ると、歩いたところは赤い線で示したところだけですので、“楽ちんコースぢゃなかったのえー”と思われちゃうかもしれませんが、あにはからんや、とっても大変でグロッキー絶望ひとまずお部屋で大休止の巻でしたニヤリ爆  笑

ですが…どんなに疲れていても腹は減るし喉は乾く爆  笑リポDよりも生ビールビックリマークしかし往復とも東海道新幹線「のぞみ」を使い5泊にも及ぶ“大旅行”を決行していますので、普段のお食事は慎ましく…ですニヤニヤ

「三都物語」はようやく4日目を終えまして、次回、5日目の様子のお届けまで少々、お休みを頂く予定ですウインク