今年1月中旬に2週続けてお出かけしました2つの豪雪地帯(岐阜県「白川郷」、富山県「五箇山」、福島県「大内宿)雪めぐりウインク前回編では2回に渡り「大内宿」の様子をお届けしていましたが👇今回は豪雪地帯を離れ、“雪国タウン”の会津若松市へと車を進めます車ダッシュ車ダッシュ車ダッシュ

👆のblogは公式ジャンル記事ランキング:カメラ(風景写真)で13位にランクインしましたクラッカー合格チュー有難うございました照れ

「湯野上温泉駅」からは国道121号線を北上します。昨夜まで降っていた雪はすっかり除雪され、両脇の道端にうず高く積まれていますが自動車の通行は何ら問題ありません。ただ、時刻は午後を回ったものの路面が凍結している箇所はあるため、スピード抑え目の慎重運転にて走行していますニコニコすると思いのほか早く、目的の「鶴ヶ城」(会津若松城)に着きました。「湯野上温泉駅」からは25㎞くらいの距離ですので、無雪期であれば30分もかからないのでしょうが、それでもスピードを抑えめで走行したのですが40分くらいで到着ですウインク

一般では「鶴ヶ城」と呼ばれている東北きっての名城ですが、正式には「(会津)若松城」です。但し「若松城」と言ってもひらめき電球と来る方は多くはないので、「鶴ヶ城」に統一し、ここで簡単に「鶴ヶ城」の歴史を振り返ってみたいと思います。「鶴ヶ城」の築城は、実は意外と古く1384年、南朝の時代です。蘆名直盛という武将が“小田垣の館”若しくは“東黒川館”という建物を造り、それが「鶴ヶ城」の始まりとされています。その後、戦国の世になる15世紀半ば頃には「黒川城」となり、蘆名家が代々城主となり周辺一帯を治めていたようです。しかし当時、対立関係にあった伊達政宗との戦いが1589年に勃発すると当主であった蘆名義博広を始めとする蘆名家は滅亡、正宗が「鶴ヶ城」を手に入れ「米沢城」から移ってきたのです。しかし当時は戦国の世。天下統一を果たした豊臣秀吉から蘆名家を滅亡させたことを諫められ、正宗は秀吉に臣従すると共に会津領内を召し上げられます。そのため再び「米沢城」に戻ることになりました。さて、当主が居なくなった「鶴ヶ城」でしたが、ここで新たに登場するのが“会津の祖”と言われている蒲生氏郷(がもううじさと)です。1592年になると氏郷は、「鶴ヶ城」を大名が居城とするに相応しい近世城郭への改造を命じ、町の名前を「黒川」から「若松」へと改めさせました。なお「若松」の名称は、氏郷の出身地である「日野城」に近い「馬見岡錦向神社」(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社)の参道周辺にあった“若松の杜”に由来すると伝えられています。このように、氏郷入場後には城と城下の改革が急ピッチで進められ、氏郷入場後の僅か1年(1593年)後には望楼型7重(5重5階地下2階とも、また7重には「何段にも重なる」の意味もある)の天守閣が竣工し、城の名前はこの時初めて「鶴ヶ城」に改められたのであります照れ(今回の説明では「鶴ヶ城」と綴っていましたが、それ以前は「若松城」、そのもっと前には「黒川城」と呼ばれていたのでした)なお近年の発掘調査では、蒲生時代の石垣の基底部が確認され、鐙瓦(軒丸瓦)、宇瓦(軒平瓦)、鬼瓦の一部に金箔が貼られたものが出土しているそうです。その後、1598年になると氏郷の子である秀行は家中騒動の咎を受けて92万石から18万石に減封された上に下野国宇都宮に移封されたてしまいます。その後、越後国春日山より上杉景勝が120万石で入封するのですが、景勝は1600年(慶長5年)に繰り広げられた「関ヶ原」の戦いで西軍に加担したため徳川家康より三行半を突き付けられ30万石に削り取られた後に出羽国米沢に移封されました。この間、城主は短期間での交代が繰り返されたのですが、1611年(慶長11年)には「会津地震」が発生し城下を始め「鶴ヶ城」も大きな被害を受けました。その時の当主は伊予松山から入封していた加藤嘉明とその子の明成でしたが、現在の形として残る「鶴ヶ城」の形に再興したのがこの加藤父子でした。しかし震災後の会津再興に尽力した明成ではありましたが不始末を起こしたことで改易されてしまいます。その後、出羽国山形より3代将軍・徳川家光の異母弟である保科正之公が23万石で入封。以後、時代が明治に改められるまで、会津松平家の居城となりました。

 

そしてこの先、「鶴ヶ城」には悲劇が訪れます。1868年(慶応4年)、戊辰戦争の中でも最大の激戦と言われた会津戦争では、「鶴ヶ城」内に立て籠る会津藩士らの抵抗を受け、ひと月に渡る攻防が繰り広げられるも最後は遂に落城えーん板垣退助による降伏勧告を受諾し開城、その後、新政府を名乗る輩らにより取り壊されてしまったのですゲローなお取り壊しまでの経緯を少しだけお話させて頂くと、開城後の廃藩置県の際には一時、「若松県」の県庁舎としても使われましたが、その後、陸軍省の所管に移ると1874年(明治7年)には石垣と一部の樹木を除き撤去されたのでした。そして現在の「鶴ヶ城」は1965年(昭和40年)になり鉄筋コンクリート造により外観復興再建されたもので、内部は「若松城天守閣郷土博物館」として公開されている、復元されたお城なのです。ですので城郭自体には残念ながら文化財的な価値はないのですが、しかし誇り高き会津藩士の有り様、志を後世に伝える一つのモニュメントになっていることに違いはありません照れ

 

そして今回の「鶴ヶ城」訪問、何時もは西出丸駐車場に車を止め入城することが多かったのですが、今回は三の丸があった東駐車場に車を止め場内に入りますウインク「鶴ヶ城」は神社仏閣ではないものの、ここを訪れる時には何時も凛とした気持ちになり姿勢を正して入城します照れ

chuたちが訪れましたこの時では、城内では漆器や陶磁器などの会津の伝統産業として長く重宝されてきた工芸品の数々を会期中テーマを変えながら紹介している「会津の技」展が開催されているようですニコニコ

こちらが「鶴ヶ城」公園の全域ですウインクchuは何時もは西出丸の駐車時に車を置き入城することが多かったのですが、今回は何を感じたのか三の丸、二の丸の有る東口駐車場に車を止め入城しましたニコニコ

そしてこの方は大河ドラマ「八重の桜」の主人公・山本八重さんウインク綾瀬はるかさんが演じておられました山本八重さんは後に京都に移住し、同志社大学を創設する新島襄氏と結婚し新島八重さんになりますニコニコ

八重さんの像の脇にあるボードに書かれているのはこちらと同じもので「明日の夜は 何国の誰か ながむらん なれし御城に 残す月影」と詠まれました。明治元年9月22日巳の刻(午前10時ころ)、会津藩は「降伏」の旗を掲げ壮絶な戦いを繰り広げた籠城戦に終止符が打たれました。山本八重は新政府軍が鶴ヶ城に入城する様子を「切歯扼腕(せっしやくわん)」(歯ぎしりし腕を強く握るほど無念な様子)の思いで見守ったと、晩年(84歳)に語っています。降伏の儀式が終わり夜が更けると、八重は三の丸の一角で一首の和歌を詠みました。この時、“月が物凄いように輝いていた”と、後に回想しています。八重が物心ついた時から日々、見上げて来たお城、籠城戦では城を枕に殉死する覚悟までしたこの鶴ヶ城が、明日からどこの国の誰の手に渡ってしまうのか。煌煌と輝く月明かりの下で詠まれて和歌に、八重の無念さが込められています。と書かれていました。

「八重の桜」についてはこちらを御参照下さい👇

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%87%8D%E3%81%AE%E6%A1%9C

こちらが大河ドラマVersion、「八重の桜」のスチール写真です。

 

城内に進むと、赤べこがお出迎えしてくれましたウインク赤べこは、赤い牛に似せた張子で会津地方の郷土玩具で、子どもの魔除けとして用いられてきたもの。そしてその起源は蒲生氏郷が殖産振興のために招いた技術者から張子製作が伝わったものでして、会津では大変歴史がありますニコニコ体色の赤には魔除けの効果があるとされ、黒い斑点は痘を表し病にかかっても重くならないように子どもに赤べこを贈る風習があったのだそうですニコニコ

「鶴ヶ城」のお濠は氷結していましたびっくり

そして見上げる「鶴ヶ城」合格クラッカー

chuは今まで何度も「鶴ヶ城」を訪れていますが、実は福島市にも長く居住していながら冠雪した「鶴ヶ城」を訪ねたのは今回が初めてですウインクchuが住んでいた福島市吉倉から会津若松市までは無雪期でも90分はかかります(国道115号線と国道49号線、土湯トンネル経由の一般道を利用)。ですので降雪期には倍の180分はかかると見積もると、往復で360分かかるわけですから福島市に住んでいると中々、日帰りで行き来するのは難しくなって、残念ながら雪の会津若松には訪れてはいなかったのでしたあせるあせるあせるそして会津若松エリアでは一昨日まで降雪があったのですが、“なんとか溶けないでねお願い”って願いつつ、「大内宿」や「湯野上温泉」から急いでやって来たのですが、なんとか間に合ったようですチュー以下、見慣れた「鶴ヶ城」とは一味も二味も違った“冠雪した「鶴ヶ城」”を心行くまで眺めましたウインクまた、色々な角度からの撮影も試みて、気付けばお城の周りを何周もしていましたっけニヤニヤ結果、同じような写真を数十枚撮影していましたが爆  笑厳選に厳選を重ね、以下の写真をアップさせて頂くことにしました照れ

こちらは「鶴ヶ城」内にあるお土産処。「鶴ヶ城」には過去、何度も入城していますので入城はしなかったのですが、このお土産処までの出入りは自由ですウインク(※ちなみに「鶴ヶ城」内での写真撮影は出来ません)

今回はこちらを購入しました👇会津藩「什の掟(じゅうのおきて)」のクリアファイルですウインク「什の掟」とは!?こちら👇

最後にもう一度、「鶴ヶ城」ウインク 雪景色の中での「鶴ヶ城」を鑑賞することが出来ましたウインク有難うございました照れ

「鶴ヶ城廊下橋」を渡り駐車場に戻りましたウインク

「冬の福島旅」、後はお宿に向かいまして一日目は終了です(^^)v