2023年7月31日から8月4日にかけての4泊5日の長崎旅行記をお届けしていますウインク前回はこちら👇

(2023年8月3日)

「出島」の全体像を見渡せる1/15スケールのミニ出島を見終えたchu一行、今度は「旧出島神学校」の建物に入り休憩勉強します(^^ゞ兎に角、外の世界は猛暑あせるあせるあせる自分の体温以上の気温ですからそうそう表には出ていられず、「出島」内にある建物と言う建物、一つ一つに入り説明を読み勉強休憩します爆笑そしてこちらは神学校なのですが建てられたのは明治になってから。明治11年に英学校として建設され明治16年に出島聖公会神学校になった建物だそうです。その後も宣教師の宿舎としてや、明治後期からは医院として利用されていたようなのですが、昭和の50年代に入ってから、長崎市は建物保存のためこの建物を買い取った上で「出島」に移築し補修工事を施したのだとか。ですので江戸時代期の「出島」にはなかった建物でしたニヤニヤ

工事中でしたが、建物内は涼しかった👈これが一番重要爆  笑

猛暑の中、“次の休憩場所”を求め「出島」島内を歩き回ります走る人走る人走る人

「出島」が“日本にあったヨーロッパ”や“ヨーロッパに一番近かった日本”の所以などが説明されていますニコニコ

こちらは日本各地に点在している「出島」とゆかりのある場所を示したパネル。とっても多くて全部は見きれませんでしたので、chuの地元の千葉県における関係都市を探してみると佐倉市がありましたニコニコその説明には“わが国最初の私立病院「順天堂」を開設した佐倉泰然は高野長英に師事、長崎に遊学し(その際に)オランダ商館長のニーマンに学んだ”のだそうです。元々佐倉は江戸末期、老中首座も務めた佐倉藩主の堀田正睦が積極的にオランダの学問を取り入れており、オランダとの関係が強固の地。令和の今でも「佐倉日蘭協会」がありオランダとの関係がとても深いのですが、鎖国が行われていた江戸時代、外国に窓を開いていました「出島」が日本国内に数々の影響を及ぼしていたことが窺われますウインク

“日本とつながる「出島」”のパネル👇ここには出島に運び込まれた世界各地の文物は長崎会所での落札を経て日本各地に広められ、これとは逆に国内各地から日本の産物や美術品が出島からオランダ船を通じて世界各地に輸出され、それらを受け入れた地域では生活や文化に日本の影響を与えていたのだそうですびっくりまた向学心と好奇心に富む江戸時代の知識人たちは出島に出向きオランダ商館長や商館医らと交流を重ね先進的なヨーロッパの学術や文明にに触れることで鎖国中の日本に新たな風を送り込む拠点となったのでしたウインクただそれは、幕府が認める範囲内であったことに限定されていたのは言うまでもありませんがグラサン

こちらの建物にはオランダ人の首席事務員が住まわれていたのだそうです。

以下、展示内容の説明ですがたくさんありすぎちゃいますので“以下省略”ニヤニヤもう一度、「出島」のオフィシャルWebサイトをリンクしますのでこちらを熟読くださいませ爆  笑

こちらは「出島」に運び込まれた砂糖と、ここから外国に輸出されていく銅の様子。砂糖と銅は「出島」を語る上では絶対に外せない物品なのだそうです。例えば砂糖は、長崎は元々はポルトガルとの交易が行われていたのですが、その際にはポルトガルから南蛮菓子が輸入されました。当時の名称ではかすていら、かるめいら、ぼうる、びすこうとetc(今ではカステラ、カルメラ、ボウル、ビスケットと呼ばれている洋菓子です)。ポルトガル人を退去させた後、わが国ではポルトガルとの交易は断絶していたのですが、最初にポルトガルより運び込まれた南蛮菓子は以後、オランダを通じても輸入され続け“異国渡りの菓子”として人気を集めていたそうです。またその後、オランダから輸入された砂糖は幕府が一括購入した後に大坂の問屋に卸し、そこから国内各地に広められたのだそうです。しかし長崎にはそのルートとは別にこぼれ砂糖、もらい砂糖など、今でいうバッタ品が出回っていたそうでして、長崎には他の国内地域よりも多くの砂糖が出回り、それが現在の長崎カステラなどのお菓子のルーツとなったそうでして、“砂糖は長崎の代名詞”と呼ばれるまで結びつきが深いのだそうです口笛また銅は、連合東インド会社に多大な収益を儲けさせたもので何でも“ダンスのパートナー”と称賛され大切にされていたのだとか。日本から輸出された銅は海外では銅貨はもちろんの事、家庭用品や建材など、様々な形に姿を変えオランダが植民地支配をしていた南アジアや、銅価格の相場によっては本国にも運ばれ欧州にて儲けのツールとされていたそうです。なるほど、だからいなくてはならない“ダンスのパートナー”なのですね爆  笑

そしてちょいとびっくりしたのは伊万里焼ビックリマーク日本初の国産磁器と言われる伊万里焼(有田焼とほぼ同じ)ですが日用品としてだけでなはなく、装飾品としても欧州では人気があったそうですニコニコ

磁器の周りを、器は傷つけぬよう細心の注意を払った梱包…は現在の運搬方法と相通じるところがありますね爆  笑

こちらは“よみがえるる出島” 復元事業の経緯を伝えているパネルです。国の指定史跡であります「出島和蘭商館跡」を復元させる事業は19世紀の「出島」の姿を取り戻すことにあります。ですがその頃は既に港湾改良工事により「出島」南側の海は埋め立てが進められており、陸続きとなった「出島」の復元が目指されました。ですので江戸時代の鎖国中、唯一、外国との窓口となっていた「出島」の復元ではありません。もし、“当時の出島”を人工的に再現するのであれば長崎港のどこかの場所に扇形の島を造成し、築島から始めなければなりませんからニヤニヤですが復元事業として進められてきましたこの事業は、周囲は埋め立てられてしまったものの、その昔、長崎港に浮かんでいました「出島」の敷地はそのまま使われているところ、と、当時「出島」にありました各種建築物を移築して「出島」を蘇らせたとこころに意義があるのですウインク復元作業がスタートしたのは日蘭交流400周年にあたる2000年(平成12年)。その後16年の歳月をかけ、計16棟からなる19世紀初頭の街並みが200年の時を超え再現されたのですニコニコこのように復元を完了した16棟は「出島」でも最も重要な位置とされていました水門近くに建ち並び、そこは長崎電気軌道の電停「出島」駅の近くです(前回blogにて説明済み)。「出島」の歴史は1636年(寛永13年)の築島から始まりました。長い鎖国の後、「出島」の景観は歴史の教科書に広く採用され、そのため多くの日本人は「出島」と言えば扇型の人工島を思い浮かべることが出来ます。その「出島」に関しましては価値ある資料が数多く残されていたこともあり、今回の復元事業では19世紀初頭の姿に戻すことが出来たのですが、この「出島」では、歴史的価値を見直すと共に復元に至る過程も後世に伝えていきたい、という思いが強いのでした照れ

こちらはオランダ船の乗員の部屋を再現したものです。オランダからやって来る…と言ってもアムステルダムがあるオランダではなく、欧州列強各国が植民地政策を進めた今のインドを支配…インド亜大陸の東側に設立されました「東インド会社」と「出島」との間をオランダ船籍の船は往復していたのですが、気象や海流の関係で航海できる時期が限られていたそうで、一度、来日すると「出島」には最低でも数か月は滞在しないとならなかったそうです。しかし鎖国中の幕府が唯一、海外との窓口を認めていたのはあくまでも「出島」のみでありましたので、来日したオランダ商船の船員たちは「出島」からは出られない、言わば禁足令を課されていて、島内で悶々とした暮らしをしていたようですドクロしかしかような状況でも、船員さんたちよりも長い期間、日本に留まる商館長や、船長など役付きの船員らはある程度の自由が効いたそうでして、「出島」から外界には出られないものの、遊女らを自室に招き入れることは可能だったようですからいつの時代も権力を持ったものが強いのですねニヤリ

こちらは比較的質素な船員らの滞在部屋 なお一般の平船員は船内に滞在していたそうですからどんなに凪が続いていても多少は揺れますから、往復の行程と滞在期間中、ずっと海の上に居るわけですから身体がおかしくなっちゃうんぢゃないでしょうかえー

そしてここからは船長の部屋 

調度品も、一般室のものよりも豪華なものになっています

こちらはオランダ商館長の住居でありました「カビタン部屋」。ここにはプライベートな自室と、迎賓館としての機能を持った公的な部屋があったそうですニコニコ

 

 

以上、2時間以上にもわたり19世紀初頭の姿に復元されました「出島」の内部をじっくりと休憩しながら観察させて頂きましたウインクそれまで教科書での知識くらいしか持ち合わせていなかったchuですが、なるほど、幕府の鎖国令が続いていた江戸時代、ここでは細々とではありましたが今に繋がる交易が繰り広げらていたことを知ることが出来ましたニコニコ「出島」を通じて砂糖や西洋文明が運び込まれ、「出島」を通じて銅や伊万里焼が運び出され…そひから日本は世界と接点を持ったのだと思うと「出島」の果たした役割は教科書の挿絵を見ていただけの時以上に、その存在価値の大きさを知ることが出来ましたチュー

と言うことで、「国指定史跡 出島和蘭商館跡」は、長崎を訪れたならば外すことは出来ないスポットでありますウインク

再び電停「出島」に戻りぃのニコニコ何せこの日は一日乗車券を買い求めましたから、是が非でも元を取らなきゃです爆  笑

「グラバー園」訪問から続く8月3日の様子は…クアソツイノデスガあせるあせるあせる叫びドクロまだまだ次なるスポットへと続きますウインク