2023年7月31日から8月4日にかけての4泊5日の長崎旅行記をお届けしていますウインク前回はこちら👇

(2023年8月3日)

いやはや、本日は2024年の8月4日ですので今続ています旅記録はちょうど一年前のものとなってしまいました(^^ゞ今回の長崎旅行記、タイトルに“【大河ドラマVersion】”と銘打ったものの、まさか本当に一年間も連載がかかる続くとは思ってはいませんでした爆  笑しかもまだ最終日まで辿り着けていませんからあと何回続くのでしょうかニヤニヤ(作者自身も連載の終わりが見通せないなんて滝汗)ま、気を取り直して「グラバー園」の後編をちゃちゃっと仕上げてしまいましょうかニヤリ洋館が並ぶ「グラバー園」園内にはそれぞれの特徴があり、館内ではなにがしかの物が展示されています。こちらは「ホテルナガサキ」とフレデリック・リンガーさんとの関わりについての説明など。日清戦争に勝利したことで日本は東アジアエリアでのプレゼンスを高めていくこととなり、また地理的にも中国大陸や台湾と近いことから長崎港を拠点とする現在の長崎市中心部は貿易の中継基地として、国際航路を往く艦船や軍艦の中継&休息地として益々反映していきました。その結果、ホテルの需要が高まり居留区には複数の西洋式ホテルが建てられたのです。こちらは英国の投資家、フレデリック・リンガーが建てた「ホテルナガサキ」

 

 

数々のこうした調度品には当時の凄腕のシェフにより作られた絢爛華麗な料理が並んでいたのです照れ

西洋流のテーブルマナーなど、ずっと鎖国をしていましたから日本の指導者層でも知る由もなく…

そして実はこれらの華麗なる調度品は、長崎市から離れた奈良県で見つかりました。と言うのは日清戦争直後には東アジアにおける拠点港として栄えていた長崎港ですが、日露戦争が終結すると国際貿易港としての長崎港は急速に衰退していくのですガーン数棟ありました西洋式のホテルは廃業に追い込まれ調度品の数々はオークションに出され売却されました。また「ホテルナガサキ」を造ったフレデリック・リンガーは英国で亡くなり、その後、ホテルそのものも解体されることになりましたショボーン

その頃、日露戦争終了後の関西には多くの外国人が行き交うようになり、関西における迎賓館として「奈良ホテル」が建設されていくのですが、同ホテルの調度品には「ホテルナガサキ」で売却されたものが多数含まれていたのです。「ホテルナガサキ」で使用されていたこれらの調度品は当時、世界を席巻していた英王室御用達の「マッピン&ウエップ社」製のもの。そしてこうした史実が判明したのは2010年代になってからの事ですが、長崎市と奈良市との相互友好の証などの意も含め、「奈良ホテル」から長崎市内で西洋館を数多く残している「グラバー園」へと寄贈されたのでしたニコニコ

以下、園内を散策していきますが、暑くて熱くて頭がぼーっとしていて、ただひたすらシャッターだけを切っていた始末ニヤニヤですので撮影した写真を羅列しまして説明は公式ホームページにお願いいたします爆笑(グラバー園を代表する洋館の一つである「旧ポーンオルト邸」は、入館は可能でしたが修復中でした)

コースの途中にビールを飲ませてくれるガーデンバーがありました。喉が“ゴクッ”と鳴るのがわかましたが、ここで生ビールを飲んだらもうここから先は歩けなくなっちゃうのは自分自身が一番わかっていますので、ここはグッと我慢(>_<)ところでキリンビールのこのデザイン、は古代中国における想像上の霊獣である麒麟が使用されているのですが、日本でビール市場が確立したのは明治半ばの事。そしてこの時グラバーさんは明治初頭には在留外国人向けに細々と営業されていたビールを、一般の市民に広く浸透させるよう様々な試みをしていたんだそうです。御存知の通り現在の麒麟ホールディングスは三菱財閥から発していますから、ここにも岩崎弥太郎氏との繋がりを見て取ることが出来るのですが、最初にキリンビールとして売り出す際、瓶のラベルを麒麟にするよう提案したのがグラバーさんなのだそうですニコニコキリンビールって歴史があるんですね照れで、chuの学生時代のゼミコンパ等で嫌々飲んだビールはキリンしかなくて、ただ苦いだけで全く旨いと感じなかったのですが社会人になってからしばらくして颯爽と登場しました「アサヒスーパードライ」は今までの、ただ苦いだけで旨味などは全く感じなかったビールに対する既成概念を180度転換させ、以降の37年間、chuはスーパードライ一筋で生きているのですウインク

こちらは長崎が“西洋料理発祥の地”であることが説明されているモニュメント。16世紀にポルトガルから渡って来たのが最初なんですって。“以後よく来る宣教師”の、1549年の事ですねウインク

ところで「グラバー園」の園内をコース順に歩いていると走る人走る人走る人何故か突然、“安田”と書かれた表札を掲げた、ごく普通の民家が一軒ポーンはて、これは…!?

その理由はこちらから👇ウインク安田さんと関係があり、お訪ねになる場合は「グラバー園」に入場するに際して入園料はかからないらしいのです爆  笑ですので安田さんに用事がある訪問者は“安田さんのお宅にお伺いしたいのですが”とエントランスで申告するのでしょうニヤニヤ何れにせよお客さんは勿論のこと、郵便や新聞配達の方、宅配便の方、その他大勢いると思われますが、飛び込み営業の方が来ることはないでしょうから一般の住宅に住む我々より煩わしさはないのかも知れません爆笑

そしていよいよ「旧グラバー邸」へビックリマーク

いよいよ邸宅内に入ります。ここでも撮影しました写真を羅列させて頂きます。「旧グラバー邸」を訪れた気持ちになりどうぞご一緒にお部屋を巡ってみてくださいウインク

そして1908年(明治41年)、グラバーさんはその功績を称えられ「勲二等旭日重光章」の叙勲を受けています。そして叙勲から3年後の1911年(明治44年)12月16日、東京の自宅で73歳の生涯を閉じたのですが、21歳で来日し50年強、日本の近代化に向けて大きな関与があったのは確かな事なのでしょう、ただ前回blogの冒頭でも記しましたように彼は薩摩・長州と手を組み、そのため穏健なる共和国制へと日本国をシフトさせようとしていた徳川慶喜公を潰した史実を私は忘れません。グラバーさんの叙勲を推薦したのは伊藤博文と井上薫、と説明されていました。維新後に反逆者となり制圧された西郷隆盛も、紀尾井坂で襲撃された大久保利通も既にこの世にはなく、「帝」(天皇陛下)の住む京都御所に火を放ち、「朝敵」として京を追われたものの、グラバーさんの助けを借りて徳川幕府を倒し、新政府の中で実権を握り歴代の首相を輩出し続けた長州藩、が推薦した上での叙勲ですので私は認めたくありませんねニヤリ

「旧グラバー邸」の前庭から見下ろす長崎港。風光明媚で素敵な景観でしたが戦艦が建造されたり補修を受けるドッグは丸見えですから国防上、ここを厳重警戒するのは当然のことでしたねニヤリしかし今では長崎市のみならず長崎観光を代表する景観と言えると思います照れ合格クラッカー

「旧グラバー邸」住居を後にします。グラバーさんの功績と、彼が行った“武器商人”への反発心が入り混じった訪問でしたが、「グラバー園」への訪問は全体としては肯定的に捉えたく思うchuでありましたニヤリ

さて、「グラバー園」の最上部にありました第2ゲートから入園したchu一行ですが、コース順路に沿い傾斜地にあります各洋館などを巡り、最後に「旧グラバー邸」の見学を終えると後は「長崎くんち」祭りで使われる祭り具などが展示されているブースを抜け、正門の出入り口から園外に出るようになります。しかしまだ「グラバー園」園内にあります“動く歩道”には乗っていなかったニヤニヤそのため「旧グラバー邸」の脇を通りこちらに“乗車”爆笑“動く歩道”と言ってもこれは段差のないエスカレーターでして、ショッピングカートを載せたまま移動できる、大型のショッピングモールにあるような、あれですよウインク

この“動く歩道”を乗り継いで、グラバースカイロードと垂直エレベーター分で稼いだ高度を上がっていきます。そして御紹介してきました先ほど歩いてきた順路ですが、もちろん下から上へと徒歩で移動することは可能ですが、この暑さと、そこそこの傾斜がありますから確実にバテます爆  笑ですので「グラバー園」の正面(第1ゲート)から入られたら皆さん、この“動く歩道”に乗り「旧三菱造船所第2ドッグハウス」の場所に移動してから園内を散策するのでしたウインク

この“動く歩道”、傾斜こそ急ではないのですが距離が長いあせるあせるあせるこれを徒歩で上ったらと思うとゾッとしますよニヤニヤ

「旧三菱造船所第2ドッグハウス」に戻って来ましたが、御覧のように園内ガイドツアーは終日中止と貼り出されていましたショボーンそこそこ広い園内と、幾つかに分散して建っている洋館。また一つ一つの洋館では異なる展示がなされていますからこうした施設ではガイドツアーの方の説明を聞きながら巡った方が確実に知識として残るのですが…たくさん掲載ました写真の一つ一つに詳しい説明が付けられずおもさげありませんショボーンてか、長永しい説明などない方がかえっていがったビックリマークという方が殆どだとは思われますが爆笑

と言うことで、最後に今一度「グラバー園」のオフィシャルWebサイトをリンクさせて頂きますので気になった個所がございましたなら、こちらを御覧頂きたく宜しくお願い申し上げますウインク👉https://glover-garden.jp/

 

さて「グラバー園」を後にしましたchu一行は次なる目的地へと向かいます。なお、入場した時と同様、第2ゲートから退出しましたので再び垂直エレベーターとグラバースカイロードを乗り継ぎ石橋駅へと向かいます。そして今回の長崎旅ではこのグラバースカイロードと垂直エレベーターには本当にお世話になりました照れ“これが最後”と思うと涙も出て来るようでしたが泣えーん、しっかりと瞼に焼き付けましたチュー

グラバースカイロードに沿っての螺旋状の通路もあります。急傾斜地の中間部分にお住まいの方たちが利用されるんだと思います。なおスカイロードには“途中駅”もあるんですよウインク

旅の初日と4日目の今日、南山手を巡らせて頂きまして、長崎の街は本当に、想像以上に素敵な町でした照れ

“地上部”へと降りてきましてグラバースカイロードを後にします。本当に有難うございました照れ合格クラッカー

石橋駅に到着ビックリマーク「グラバー園」に行かれる方、こちらのアクセスがホントに便利ですウインクただこのルートだと途中にお土産屋さんは皆無絶無ですので、「グラバー園」からの帰りに第1ゲートから出て、大浦天主堂前から続くグラバー通りを下っていくといいと思います。このそしてグラバー通りは「大浦天主堂下」駅方面に続いていますが、傾斜はきつくはないものの、大浦天主堂下から来るとこのダラダラ坂を上ってくることになりますので、「グラバー園」に行くのであれば終点の石橋駅まで行き、グラバースカイロードと垂直エレベーターを利用し第2ゲートからの入場が絶対にお勧めですウインク

長崎電気軌道の電車、まだ来ませんあせるあせるあせる何せ9分間隔と、昼間帯においては最も運行間隔が空くのが石橋~蛍茶屋を結ぶこの路線でした。ですが日陰で待ってられますので、いい休憩になりました口笛

長崎電気軌道ではこのようなお得きっぷも販売されていました。なんと8月1日から10月31日までの3か月間、10時から17時の時間帯ではありますが乗り放題で3500円ポーン何とも太っ腹な超お得なきっぷですが、これは長崎電気軌道という、いち民間会社だけでの企画ではないでしょうニヤニヤ長崎市とタイアップした、中心市街地への人の呼び込みを企図したものであると思われますウインク前日に長崎市内随一の繁華街である思案橋や観光通り付近を歩いた時はそこそこの人出を感じましたし、また大浦天主堂付近は東&南山手の観光スポットですから観光客も多くそれなりの賑わいを見せてはいましたが、ひょっとしたらそれ以外の長崎市の中心市街地は他の地方都市同様、ドーナツ化現象が起こっているのかも知れません。わずか数日の滞在ですので長崎市が抱える問題点迄には、「気ままなお出かけblog」では立ち入ることはできなかったのですが、このようなチラシを見るとどうしても国内各地に見られる地方都市が抱える問題を想起してしまうのでした真顔

石橋駅は始発でして、ここから乗車される方は多くはなく車内の写真が撮れましたウインク

出発後には、車両後方にへばりつき“撮り鉄魂”を発揮爆  笑通り過ぎ往く景色を激写して参りますウインクこちらは大浦天主堂下駅を過ぎたところ

大浦海岸通駅に到着する手前の、単線から複線へと変わるポイントを通過したとみろですニコニコ

ここは…多分、新地中華街駅手前の長崎駅方面から来る路線と交わった所。路面電車の線路の平面交差など、今では中々みられるsceneではないので貴重なShotと自負しております照れ

で、新地中華街駅で乗り換えて、この日二つ目のスポットに向かいますウインク以下次号ビックリマーク