2024年7月22日、立憲民主党所属の千葉県松戸市市議会議員・関根ジローさんが企画してく下さました、「東京電力廃炉資料館」を訪ねる日帰りバスツアーに参加させて頂きました。しかし驚くなかれそのツアーでは、同資料館だけでなく、原子炉の建屋は水素爆発で吹っ飛び、事故直後には原子炉が剝き出しになり高濃度の放射能をばらまきかねなかったメルトダウンを起した原子炉の真ん前まで視察に訪れ、原子炉の底に溜まったまま、未だ取り出せていない燃料デブリに触れることで汚染された地下水などの除染を行ったアルプス処理水の海洋放出(投棄)を行うなどの、廃炉に向けての行程を実際にこの目で確認させて頂く現場へと誘えて貰えたのでした。その時の様子を綴ったのが前回アップさせて頂きましたこちらのblog👇

そして今回は何時もの“お出かけ”風記録編です。今回のblogでは小難しいことは綴らず単純にお出かけ気分で…福島県はchuの第二の故郷でもありますのでウインクですがしかし、福島県の面積は北海道、岩手県に次ぐ日本で三番目に大きな面積を有する自治体ですが、その広大な面積は大きく分けて三つのエリアから構成されており、今回訪れました太平洋岸に面したエリアを「浜通り地方」、chuが住んでいました福島市~郡山市~白河市など、東北新幹線に沿って開けた平野(盆地)部分を「中通り地方」、そして安達太良山系を分水嶺として、安達太良山系西側斜面を水源とする河川は全て日本海へと注がれるエリアを「会津地方」と言うのですが、実はchuの故郷である千葉県松戸市ともJR常磐線の線路一本で繋がっている浜通り地方は実は意外と馴染みが少ない滝汗福島市在住時にも専ら会津方面へと足を延ばすことはありましたが、松戸駅を走っている同じ車両の常磐線が通っている浜通り地方は気分的に馴染みがある分、実際に訪れることは少なかったような気がしますニヤニヤ今回はかような「浜通り地方」の中でもサッカーの強化合宿地としても知られています「Jヴレッジ」にて食事とお買い物休憩をしましたのでその辺りの御紹介をさせて頂きますウインクまずその前に、今回のツアーの案内パンフです。自宅にポスティングされていたことで興味を抱き、それと6月のとある日曜日に松戸駅前で関根ジローさんがビラ撒きと街宣活動をされていましたのを見て参加を決意致しましたビックリマークそれがこちらのビラです👇

7月22日午前7時45分に集合場所に到着しました。この日の天気は晴れ晴れそして朝から気温はぐんぐん上昇中滝汗早くも30℃越えは確実です。松戸駅から集合場所の「松戸市民劇場」までは徒歩5分と至近な距離ですが…

照り付ける太陽の熱がハンパないゲローあと、今回のツアーは平日であることと、ツアーの目的場所が原子炉前まで行く計画であったことから参加者は18歳以上が原則とされていたため、ファミリー層での参加者は見込めないこともありましたので、“チャーターされるバスはひょっとしたらマイクロバスではえー”なんて懸念もあったのですが集合時間よりも前にやってきましたそのバスは、千葉県の松戸市と習志野市津田沼とを結んでいる準大手私鉄「新京成電鉄」の子会社である「松戸新京成バス」の豪華バスでした合格クラッカーこのバス車両は、普段は松戸駅とTDRや羽田空港とを結ぶ高速路線バスとしても使用されているものですから、そりゃ立派なものでしたウインク

早めに到着していた方から順に会計を済ませてバス車内に入ります。既にエアコンが効いていてとっても涼しいですチュー

ちなみに余談ですが、親会社の「新京成電鉄」は国内でも数少ない“準大手私鉄”の枠組みだったのですが、系列親会社の「京成電鉄」が英国の機関投資家から京成が保有している系列子会社であるあの「TDR」の株を一部売却するよう迫られ、それに対抗する意味も含め資本強化を測るために「新京成電鉄」を自社に吸収合併することとなり、2025年4月1日に「新京成電鉄」は消滅し、現在の松戸~京成津田沼間は“京成松戸線”としてリ・スタートすることになりました。なお運行ダイヤや運賃に変更はありません。

前述しました通り、TDRや羽田空港とを結んでいる高速バス路線対応の車両ですのでなんと🚻も付いていましたびっくり今まで夜行バスも含めて何度かバス旅をしたことがありましたが、トイレ付きのバスは🔰です照れどんだけ豪華なバスなのラブと嬉しくなりました爆  笑

そして車内には無料のWi-Fiが飛んでいますので利用させて頂かないパーはありません口笛(但し一定時間を経過すると再ログインが求められるのはややめんどい所でしたがえー)

予定を10分ほど遅れて出発したバスは江戸川を渡り「東京外環自動車道」の三郷南ICから福島に向けて出発します。chuは常磐道の福島方面、「いわきJC」までは通い慣れていますのでこのルートは熟知していますが普段は流山ICから乗りますから、東京外環、常磐道、そして首都高速6号線が交わる「三郷JC」から常磐道方面に行くことはありません。バスの車窓は乗用車よりもずっと高い位置にありますから車窓からの眺めもいいですしとっても気持ちがいいです照れ

動き出した車内から、今回のツアーを企画して下さいました松戸市市議会議員の関根ジローさんと、もうお一人、やはり立憲民主党所属の松戸市議・戸張智子さんから御挨拶がありました拍手拍手拍手その後車内では、福島原子力発電所の事故を描いた映画「Fukishima50」が上映されました。これは何でも東京電力のほうから“現地に到着するまでの車内で、是非、御覧下さい”と言伝られて車内上映したものです。映画の概要につきましてはこちらから👇

chuもこの映画は封切り直後…はコロナ禍真っ盛りの頃でしたので直ぐに映画館に行くことには躊躇もあり暫くしてからの視聴となりました。とても評判の良い映画ではありましたが、原子炉の暴走を食い止めるために最前線に留まり必死に食い止めた東京電力のスタッフの方がいて、その方たちが“50人の英雄”とされていることは承知しています。ですがこの映画は当時の総理の行動などにつきあまりにも批判的に過ぎる描き方がされており、確かに当時の菅総理は“イラ菅”のあだ名がその大昔からあったように、あたりかまわずいらだちをぶつけ、必ずしも原子力の専門家ではない研究者などをを急遽、総理官邸に呼び込み場当たり的に会議を立ち上げたことは事実です。前回のblogでも末尾に記しましたがメルトダウン後の放射能漏れの恐れの危機にあって、最大に政治的力を発揮し困難を納めたのは当時の枝野幸男・福山哲郎正副官房長官の力が極めて大きかったのです。菅総理の空回り感があったことは否めません。ですが東京電力側から直ぐの実行を約束してきたベント(原子炉建屋内に溜まった空気を抜く作業)は何時になっても実行されず、“福島第一原発から撤退する”による菅総理による東電本社への乗り込みなど、後の事故調の見解では東電側が福島第一原発から撤退すると言ったことはない、とされていますが事故時には官邸に居た、警視総監から当時の内閣危機管理監の職にありました伊藤哲郎氏も東電側から福島第一原発からの撤退を考えている旨の発言があったと、明確に証言されています。また水素爆発した後に菅総理の下を訪ねていた連合の鷲尾会長は、総理執務室を出てきた後に官邸内で記者団に取り囲まれ、その際に“このままでは東日本に人は住めなくなると総理がおっしゃった”と語りすぐさまその情報は全国に発信されたのですが、原子力の専門家ではない鷲尾氏に迂闊にそのようなことを話す菅総理の脇が甘すぎたのは事実です(枝野・福山ラインはそのようなミスは絶対にしませんでした)。こうした事実があったにも関わらず「Fukishima50」は当時の民主党政権の事故対応につき悪意を持ち描いた映画だ、と言わざるを得ません。この映画は事故直後の東京電力の対応についても“官邸がごちゃごちゃうるさいことを言っている”として自らの不手際を全て官邸の責任としているところで、東京電力側から見てもこの映画は評価出来るのかも知れませんニヤリですが現実とかなり乖離がある(繰り返しますが原子炉に向かい果敢に作業をされた東電スタッフがいることは存じ上げています)この映画は、民主党政権の福島原発事故対応を意図的に貶めようとする構成と言わざるを得ません。そしてこの映画はジャーナリストとも言われている作家の門田隆将氏が記した原作を基に映画化された作品です。chuは門田氏の記した書籍は何冊かは読み、中には感銘を受けた書もあるにはあるのですが、その後の氏の言動などをつぶさに観察してみるといかにも胡散臭いことも多く、とてもジャーナリストとは言えないのでは…と感じざるを得ない方。その方の原稿を基に作成されたこの映画は言わずもがな、というのがchuの率直な感想ですニヤリですのでchuはこの映画を評価していません真顔

 

少し“お出かけ編”から離れて小難しい話になってしまいましたので旅を続けましょうニコニコ最初の休憩場所は「関本PA」。茨城県北茨城市にあり、あと少し走ると一般道であれば「勿来の関」を超えます。するとそこは福島県ビックリマーク“これよりみちのく”の看板が出迎えてくれて、“あぁ、ふぐすまに戻って来たんだなぁ”と照れ

そして最初の目的地に到着ビックリマーク“サッカーの聖地”として知られています「Jヴレッジふくしま」チュー所在地は双葉郡の楢葉(ならは)町。chuはサッカーは門外漢グラサン例えば日本国民の皆さまが時差も躊躇わずに夜中でも視聴されていますワールドカップ、の実況中継はただの一度も見たことがありませんニヤニヤですが福島市に在住時、楢葉町にサッカーのナショナルトレーニングセンターが出来るという話題で持ちきりになったことを覚えていますよウインクそしてこの施設の正式名称は「ナショナルトレーニングセンター」ビックリマークサッカー以外の各種競技でもスポーツ合宿が盛ん(但し野球はありませんのでchuが深い関心を示さなかったのは頷けます爆笑)ところでこの施設、実は東京電力が原子力発電所立地地域の地域振興事業の一つとして総工費130億円を投じて建設し、福島県に寄付した施設なんですびっくりま、原発施設と言う“迷惑施設”を造ったことで、地域に対する御礼的な意味合いを込めて寄贈されたもの。ただ2011年の「東日本大震災」を受けての福島第1原発のメルトダウン事故を受け自衛隊、警察、海上保安庁、消防他からなる大規模な救援援助隊が組織されましたが、そのチームの拠点としてここ「Jヴレッジ」が使用されたのは記憶に新しいところです。

主に原子力事故の復旧支援のための拠点として永らく使用されていました「Jヴレッジ」でしたが2018年9月にはナショナルトレーニングセンターとしての機能が晴れて再開ビックリマークそして再開通したJR常磐線でしたが、これも災害復興の記念の一つとして交通アクセスを改善すべく「Jヴィレッジ」駅が完成しました照れ

「Jヴィレッジ」の全容はこちら 地図が👆で航空写真で見るとこんな感じ👇いったい何面のサッカーグランドが取れるのびっくりと言う程広大な面積を誇りますチューここでは「2020東京五輪」のサッカー日本代表の合宿地としても使用されたほか、東京五輪の聖火は日本国内ではここから全国各地に運ばれていったのでした照れ

こちらがホテルなどを含む司令塔的な役割を果たすセンターハウスですニコニコ

平成11年には当時の天皇・皇后両陛下(現上皇・上皇后陛下)が行幸啓をされているようです。御訪問された時はこの施設は原子力事故の対応拠点になっていた頃ですから、天皇・皇后両陛下は事故対応にあたっているスタッフの慰労に訪れられていたのでした照れ

さて、この日のツアーでは「福島廃炉資料館」に行く前に先ずは腹ごしらえの算段です爆  笑松戸出発が8時10分、途中に関本PAでの小休止を挟み「Jヴィレッジ」着は11時30分でしたからたっぷり3時間近くを要しました。距離にして220㎞くらいありますが、高速を利用していますので少々時間がかかったかなキョロキョロこれは松戸(拙宅)~福島市間280㎞の距離がありましたが3時間弱で行き来していた当時の記憶から比べてみたものです。やはり🚌と車とでは出せるスピードが異なりますからねウインク

こちらは「Jヴィレッジ」のスローガン👇“一瞬の感動を、一生の思い出に”ビックリマークスポーツは、観るほうも感動を覚えますが全力でプレーをされた選手御自身が一番感じ入ることでしよう照れ

センターハウスの前にありましたバス停👇東京行きと仙台行きの2路線ですが、東京駅行きは早朝6時6分発の1本のみ爆  笑これは前夜までトレーニングに励み、敷地内ホテルに宿泊し翌朝、ここからバスに乗り出勤される方のための便でしょう。両方面ともども、細々とした運行ですが多分一定の利用者がいるため廃止はされていないのでしようウインク

ダイヤはこんな感じです👇ですが東京駅着は10時10分ですから会社の始業には間に合いませんねぇニヤニヤきっとその方は午前中は休暇を取られるのでしょうねウインク

センターハウス那須にありました双葉郡各町村の観光スポットを案内しているパネルです。ですがこのエリア内にはまだ多くの機関困難地域(立ち入り制限区域)が存在しているのでしたドクロ

こちらは「Jヴィレッジ」各施設から発電されています総発電量の案内パネル。さすが、東京電力が寄贈した施設だけありますウインク

こちらはホテルのロビー&ラウンジ

ラウンジの一部にはサッカーボールが置かれたオブジェがありましたニコニコ

そしてランチを頂きますウインク

福島県産の食材を使用したJヴィレッジの松花堂弁当ですニコニコうん、普通に美味しかったですよウインク

さて、食事を終えた後はセンターハウス内にありますお土産コーナーを回られたりロビーのソファに身を委ねるなど、皆さま、思い思いの過ごし方をされ食後の休憩をされていました。バスの出発は12時20分ですので十分な余裕があります。で、“余裕がある”と言うことでお出かけ魂の塊でもありますchuは早速館内を探索ウインクするとセンターハウス最上階には展望ホールがあり、その横には室内神社があるぢゃないですかポーン👇「蹴球神社」とあります。読み方は、“けるたまじんじゃ”ではなく「しゅうきゅうじんじゃ」ビックリマークそしてこちらの社、ただの飾り物ではなく本物の神社ですびっくり“施設創設(1997年)の翌年からJヴィレッジに鎮座する蹴球神社は、楢葉町の木戸八幡神社から分祀された御神体を祭ってます。サッカー上達、必勝祈願、合格祈願、恋愛成就、商売繫盛などの幅広い参拝を受け、Jヴィレッジの“名所”となっていきました。3.11以降、福島第一原発事故の収束拠点となってからもJヴィレッジに鎮座していた蹴球神社は、復活の日を信じて前を向いていたスタッフたちの心の拠り所となっていました。蹴球神社には、スタッフたちのJヴィレッジ復活にかける思いが念じこまれおり、今では、「Jヴィレッジ復活」にあやかり、勝負事での“逆転・勝利”にも御利益があるとされています”と説明されていますニコニコ

こちらが展望ホールから眺めた「Jヴィレッジ」内にあります各コート。前述しましたように、サッカーのみならずラグビー、アメフト、ラクロスなどフィールドを使った競技の練習がここで行われているのですニコニコなおこの日の気温は30℃を超える真夏日でしたが、この時、まだ福島県浜通り地方を始めとする南東北エリアの梅雨は明けしてはいませんでした口笛

右奥に見えています高い煙突は旧「東京電力広野火力発電所」。元々は沖合の太平洋(磐城沖)には天然ガスが埋蔵されており、そのガスを用いての火力発電所として運転されていましたが天然ガスの産出が終了したためその後は石油を用いて発電しています。「東日本大震災」では被災しましたが原発ではないため周辺地域に放射能をばらまくことはなく、その後東京電力は、福島復興大型石炭ガス化複合発電設備実証計画として、当発電所構内に世界最新鋭の大型石油ガス化複合発電(IGCC)設備を建設する計画を発表、東電を中心として三菱商事、三菱重工、三菱電機からの出資を受けて「広野IGCCパワー合同会社」を設立し、現在では同社がこの火力発電所を運用しています。

センターハウス内に掲示されていましたポスターなどニコニコ 夏の宴会プランなども催されているようでして、「Jヴィレッジ」はスポーツ施設としだけではなく、地域にとっても貴重な集客施設としての性格も併せ持つようです。そしてこの施設のスタッフの方は恐らく地元の方が多いと思われますので雇用の受け皿にもなっているのでしょう、とても素晴らしい施設だと感じました照れ

さて、展望ロビーでこの施設の広大さを実感した後、今度は定番のお土産品めぐりと参りましょうウインク多くの方がロビー&ラウンジの、フカフカのソファで休憩を取られている中、所狭し…と言ってもセンターハウス内の宿泊エリアまでは足を踏み入れていませんが爆笑Souvenirショップへと突入⚽ビックリマーク

入り口脇の、一番目につくスペースにはサッカー関連のグッズが盛りだくさんビックリマークですがサッカーは門外漢のchuにはまるで興味はなくてニヤニヤ

福島県内で製造されていますお菓子などを購入ビックリマーク日帰りツアーとは言え福島県に来たのですから、少しでも福島県の経済が回るよう、貢献したいのです照れ

で、こちらを見つけましたチュー福島市飯坂で製造されています「福島の桃ぱい」ビックリマークは、福島市発祥の、福島県を代表する銘菓ですクラッカー合格

中身はこちら👇カスタードクリームがぎっしりと入った逸品です照れ

こちらが今回のツアーで購入したお土産👇「福島の桃のパイ」、B級グルメグランプリを獲得しています「浪江焼きそば」そしてこれまた福島県を代表する銘菓であります三万石の「エキソンパイ」チュー

そして12時20分、「福島廃炉資料館」に向けてバスは出発🚌ダッシュダッシュダッシュ途中、車窓から見つけた豚丼屋さんビックリマーク!?福島県で豚丼びっくりって、chuが福島県内に在住している時はなかったなぁ…と思って帰宅してから調べてみましたウインクちゃんとホームページもありました。福島市などの中通りに行く機会は多いchuですが、中々、浜通り地方を訪れる機会はないのですが、今度、調整して立ち寄ってみたくなるお店でしたウインク

「Jヴィレッジ」から「東京電力廃炉資料館」までは約15分、ここから先は前回、Upさせて頂きましたblogの通りです。以上、2024年7月22日、日帰りで福島県を訪れました様子を2回に分けてお届け致しました。そして今回のお出かけは“大人の社会科見学”と言ったならば楽しいツアーだったのですが、現実を真剣に突き詰めるとこの先の世の中の動き、特に政治に関してですが、無関心でい続けることはとても危険なことだと再認識した一日でした。そしてまたまた最後になりますが、今回のツアーを企画して下さいました松戸市市議会議員の関根ジローさん(立憲民主党)に御礼の気持ちをお伝えし〆させて頂きます。