4月度の「駅からハイキング」、開催は2024年4月1日~14日までの二週間。今週の日曜日が最終日で、その最終日に参加しましたので既に一週間が経過してしまいました今回の「駅ハイ」に参加されていたブロ友さんは早々にブログにアップされていまして焦る焦る
けど今週はリアルタイム⚾などを優先させたため“備忘録”的なblogになりますこと、ご容赦ください
で、今回の「駅ハイ」はタイトルの通りでして、その心は~「俳句のまち あらかわ」を中心に日暮里駅周辺の魅力あるスポット満載のコースを、歩きながら一句、詠んでみませんか~というもの。しかしchuに俳句の心などnothing
ですがJR常磐線沿線ですから家からも近い、しかし普段は通過している駅のみであり駅周辺を歩くことは一部を除き殆どない街並み
そして天気も回復したことで参加してみました
既に終わってしまった「駅ハイ」ですのでちゃちゃっ、と一回で終わらせようとしたのですが、セレクトし厳選しまくった写真枚数が50枚以上になってしまったため、誠に遺憾ながら2回に分けてのお届けとなりますことをお許しください。なお今回は特に後半、コースをアレンジしておりまして歩行距離は11㎞と表記されていましたがやや短かったかな
と(ただ正規のコースの途中では道を間違えて戻ったりしましたので、ひょっとしたら11㎞以上を歩いているかも知れません
)まずは今回のコースマップから👇
通勤でも使わなかったこの沿線ですがchuの住む千葉県松戸市民を始め千葉県東葛地方(柏、我孫子)や茨城県南部(取手、牛久、土浦)などから都心部に通勤しているサラリーマンが利用しているのがこのJR常磐快速線です。あ、chuは東京メトロ千代田線と相互直通運転をしている常磐緩行線を利用していましたので、今回の日暮里、三河島、南千住の各駅は普段は経由しないながらもある程度の馴染みはありますが、下車して駅周辺を散策したことがあるのは日暮里と南千住の二駅のみそしてこちらがスタート地点の日暮里駅北口の受付場所です
なお今回の参加冊子にはマップと共にハイクコンテスト(俳句をハイクに掛けていてナイスセンス)用の投稿用紙も入っていましたが、おやじギャグ程度のセンスしかありませんから正式な場面での投稿は控えることに
こちらが日暮里駅の東口 駅前には憧れのタワマンまぁ、chuにはどうやら一生、縁のない構造物ですな
そしてこちらは日暮里繊維街の中を歩く“布の街 布の道”と書かれた日暮里中央通りを歩きます
日暮里中央通りを中心に生地織物のお店が約90軒も集まる一画👇生地織物や関連小物はこの一画で全てが揃う繊維問屋街として有名なのだとか。昭和の終わりころまでは業者向けの問屋街だったそうなのですが平成以降になると個人客に小売りをするお店も増えたのだそうです
そして現在では問屋街がこのようにホームページを立ち上げていますから👇何が必要で、どのお店に行けばいいのかなどは一目瞭然ですね
そしてこちらはJR常磐快速線の三河島駅。chuは永いこと常磐線沿線民をしていますが三河島の駅前を歩いたのは今回が初めてということで記念撮影
そしてこの駅は昔ながらの高架構造。高架構造とは言っても線路は鉄骨の上に直接敷設されている造りで、高架橋の上にそのまま線路と駅舎があるような造りですのでここを歩くのは困難そして今から遡る事62年前の1962年(昭和37年)5月、“国鉄五大事故”にも数えられています「三河島事故」が発生したのがこちらの駅でした。事故の概要はwiki様に委ねるとして、要は脱線した車両からたくさんの乗客が車外に出たところに反対方向から来た電車が停車できずに進入したくさんの死傷者を出したという大事故
で、車外に出た乗客は最寄りの三河島駅まで歩いて退避していた途中、前方から列車が進入して来ることはわかったのですが、高架橋構造の駅のため敏速に動くことができずに列車に轢かれた
のでした
160名の尊い生命が失われるという大惨事…ご冥福をお祈り申し上げます。
こちらは荒川区役所の前にある「荒川公園」。区役所の真ん前です
ねまるで区役所の前庭のよう
こんな公園があるなら役所(市役所など、皆様のお住まいを所管している役所です)に来るのも楽しみに
、とブロ友さんは書かれていましたが、まさに御意
でございます
チューリップは終盤戦ではありましたが綺麗に咲き揃っていましたよ
途中、「荒川七丁目」駅で都電を撮影あ、“都電”なんて言っちゃ、ダメよ
せっかくみどりのおばさま、小池百合子東京都知事が「東京さくらトラム」ってお洒落な名前をつけて下さいましたからね
ちなみに「東京さくらトラム」の沿線はバラの名所5月中旬過ぎから見頃となりますから、🌹と都電を一枚のフレームに収めた構図って、意外と映えるんですよ
こちらは2019年の5月に“取材”した際の拙blogです👇
![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/048.png)
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
![キョロキョロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/016.png)
![ニコニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/002.png)
こちらが「荒川自然公園「のガイドマップで、水辺や植物が観察できる、いかにも自然公園と感じることの出来るエリアは右下の区画。で、今、chuがいるのは左上の区画です。こちら側は野球場やテニスコート、交通公園が整備されているのですか、公園の名称は“自然公園”なのですから、どうせ立ち寄らせるのであれば最初の区画から入らせてもらいたかったなぁ
で、少し時間は遡り(さっき歩いてきたところです)こちら側が「荒川2丁目」駅から入れる「荒川自然公園」視界の先には東京スカイツリーも見えていました
そしてこの「荒川自然公園」、実は東京都水道局が管理している「三河島水再生センター」の真上に造られた公園なのですが、緑地化されていない、剥き出しの施設も先ほどの出入り口からだと直面しますで、“水再生センター”って何
…実はこれ、汚水の終末処理をする施設でして、東京都内のどのエリア分までをそのエリアにしているのかまでは調べていないのでわからないのですが(※調べたら直ぐに分かりました
👉処理区域は、荒川・台東区の全部、文京・豊島区の大部分、千代田・新宿・北区の一部で、面積は3,936ヘクタールです。)、各エリアの本下水の管がこちらに集中していて、大量の💩が流れてきます
そしてこの施設で“終末処理”をされ“水を再生”させて隅田川に放流する施設なのです
勿論、生活をしていく上ではなくてはならない施設であるということは、頭ではわかってますよ、はい
![ビックリマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
![?](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/095.png)
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
![!?](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/094.png)
![ビックリマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
![ビックリマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
![ビックリマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
いかにして、私たちは文化的な生活を享受出来ているのかを知るには衝撃的な事実が詳らかにされている必読の書です
の、本を想い出しながら「荒川自然公園」…もとい、「三河島水再生センター」を眺めるchuがおりました、とさ
そして「駅ハイ」は続きます今度は隅田川の堤防に出て…京成本線の隅田川橋梁を往く3600系の車両でかなり古めのもの
そう言えば来春(2025年4月1日)、chuの住む松戸と習志野市の京成津田沼とを結んでいます新京成電鉄は、京成電鉄に吸収合併されて消滅するのですが、これは新京成電鉄の会社が傾いているからなのではなく、京成電鉄が外国の機関投資家からTDRの株を売却するように圧力を受け、これに抵抗するために資本を強化するために優良な黒字系列会社でありました新京成電鉄を合併させるというもの。そうなると今後、新京成電鉄にも京成電鉄の車両が乗り入れてくる可能性はあるものと思われますが、1982年製の、こんな古い車両ばかりが回されて、新京成電鉄が持つ最新鋭の80000系車両を京成本線メインで運用されるようになったら、嫌だなぁ
(杞憂に終わることを願っています
)なお新京成電鉄の消滅により首都圏近郊では“準大手私鉄”は無くなります
隅田川堤防の右岸を歩きます正面には南千住のフロンティアシティの超高層マンション群(ほれ、国松警察庁長官(当時)が何者かに狙撃された事件が発生した場所です)。こうしてみるとこの説明は前々回くらいの「駅ハイ」でも書きましたから、同じような場所を、スタートとゴール地点だけが違うだけで歩き回っているんだなぁ、と
ま、chuは暇人ということに
そして…ここから道を間違えたの
だって地図には“遊歩道を出て横断歩道を渡る”としか書いてないから、どこの横断歩道を渡ればいいのか分からない
で、多分、手前の横断歩道を渡ってしまったようでして、もう南千住の駅近くになっちゃったのですが、次のポイントは今回のコースの中でもメインの「素盞雄(スサノオ)神社」なので立ち寄らないわけにはいかない
え
何がメインかって
そして随分と大回りをしてやって来ましたのがこちらの「素盞雄神社」。神社自体は平安期の延暦14年(795)年の創建と歴史あるもの。おっと、795年は“泣くよ坊さん平安遷都”の1年後ですから、奈良時代が終わった直後のとても歴史のある社です。素盞雄大神、飛鳥大神を御祭神とする荒川区内では最も広い氏子区域の鎮守、ということで神社自体もとても立派なのですが、今回の「駅ハイ」のテーマは“駅から巡り俳句を詠む”でしたよね
そーなんですよ、ここには俳人・松尾芭蕉が「奥の細道」の旅立ちの句を刻んだと言われている「矢立初め」の句碑があるのでした。ですのでそれは是非とも確認しておきたいと…
ですが先ずは参拝から
立派な本殿です
そしてとっても懐かしい方のお名前鈴木俊一さん、昔の東京都知事を務めていた方です
こう詠まれています「あすかの杜に悠久の千弐百年 心のふるさと 此処にあり」
(ただ、俳句でもなければ短歌でもないのですが
)まぁchuは千葉県民ですから直接の関係はなかったのですが昨今の都知事さんとは異なり、ギラギラしたものがなかった方でしたよね、都民の暮らしを護るという、旧内務省(自治省)御出身の、“護民官”としてのマインドを持たれた方だったことを記憶しています
ソレニヒキカエサッコンノカタタチハ
そしてこちらが松尾芭蕉のゆかりのもの。ミニチュア版の千住大橋と、その左側には陣笠と杖があり、その恰好をしての記念撮影も
こちらが千住大橋のミニチュア版 本物の千住大橋には前々回の「駅ハイ」で訪ねてますよね
そしてこちらに書かれているのが“千寿といふ所より船をあかれば前途三千里のおもひ胸にふさかり幻のちまたに離別のなみたをそそく”
は神社のホームページを引用させて頂きました👉“松尾芭蕉『奥の細道』矢立初め(旅立ち)となった有名な一節です。「矢立(やたて)」とは、携行用の筆記具のことを意味します。文政3年(1820)10月12日の芭蕉忌に際し、江戸随一の儒学者で書家としても高名な亀田鵬斎が銘文を、文人画壇の重鎮である谷文晃の弟子で大川(現:隅田川)の対岸関屋在住の建部巣兆が座像を手がけるなど、千住宿に集う文人達により建てられました。建碑以来百七十有余年、永年の風雨により剥落損傷が激しく判読できないために、平成7年当社御鎮座 1200年祭に際し復刻し、これを契機に全国俳句大会をはじめ様々な俳句興隆事業が行われています”
そして未だに残るのが芭蕉の、本当に「奥の細道紀行」が始まった場所芭蕉は深川(現在の江東区)から船に乗り隅田川を遡上し千住(芭蕉は千寿と表記しています)から日光街道を下って行ったわけなのですが、船を降り立った場所が未だに明確にされていないことからこの“論争”は続いているのです。即ち隅田川の右岸に降り立ち千住大橋を渡り旅を始めたのであればここ「素盞雄神社」に記されている通りなのですが、方や、隅田川の左岸に降り立ち日光街道を下った
というのであれば千住大橋は渡っていないことになります。そして前者を強く主張しているのが隅田川の右岸にある荒川区、そして後者を強く主張しているのが隅田川の左岸に位置する足立区。“松尾芭蕉旅立ちの地”を巡る荒川、足立両区のバトルは凄まじい
chuは部外者ですから思わず笑っちゃいます
こちらが今年の1月に参加しました「駅ハイ」、“矢立初めの地はこっちだよぉ”と主張している足立区側の宣伝
“んなの、どっちだっていいぢゃない”がchuの率直な感想であります
後編に続きます