2024年最初の駅からハイキングはchu宅からほど近い東京都足立区の北千住。1月12日の様子をお届けしていましたが旬ネタを入れましたので少し空いてしまいましたが後半戦をお届け致しますニコニコ前編はこちら👇

千葉灸治院跡地を後にして次に訪れたのが「稲荷神社」で千住七福神の福禄寿がお祀りされている社。また、すぐ近くにある千住市場の守護神なのだそうですニコニコそして稲荷神社の特徴はデカい狛犬。足立区最大の大きさだそうですウインク
そして国道4号線、日光街道を横断して反対側へ。ここは前回(2022年5月12日)参加しました北千住の「駅ハイ」でも立ち寄りましたねウインクま、それだけこのスポットは北千住を代表する“観光地”と言うことに爆笑で、どんな観光要素があるのかと言うと、俳人・松尾芭蕉がここから「奥の細道」へと向かった出発地点で“矢立初め地”とされているからなのです照れ
👇は「奥の細道」と千住の所以と、芭蕉がこの地で詠んだ句が紹介されていますウインク

こちらが現在の「千住大橋」。日本橋に向かう上り線と、日光に向かう鋼タイドアーチ橋の下り線(写真のもの)とでは橋の構造が異なる珍しい造りになっています。千住大橋が最初に架けられたのは徳川家康が江戸に入府して直ぐの事。伊達政宗の進言があったためとも言われていますが、橋を架けることで江戸攻めを容易にしてしまうことに繋がるのですが政宗は決してそのようなことはしない(家康に反旗を翻すことはない)との姿勢を見せ続けたことで家康は政宗を信頼したとも言われています。橋の構造が異なるのは現在の下り線が架け替えられたのは1927年(昭和2年)と、間もなく100年を迎えようとしていますが昭和後半には車の往来が増えたため1973年(昭和48年)にあらたに架橋され現在の4車線となったからなのでしたニコニコ

鋼タイドアーチの中央部に書かれた鋼板の「橋大」の文字、1927年(昭和2年)の建造ですから右側から書かれていますニコニコ

そしてこちらが「奥の細道」の全行程図👇3月27日に千住を発ち栃木県の黒羽に着いたのが4月4日。しかしその次の宿泊地は那須の高久の4月16日。つまり12日間も那須付近に滞在していた訳でして、前回の拙blogで説明しましたが東北自動車道那須高原サービスエリアの一画にありました“田一枚 植えて立ち去る 柳かな”の句を詠んだ、長逗留した場所が黒羽付近だったのですウインクなお「奥の細道」というと、どうしても山形県内の山寺や最上川で詠まれた歌が有名、かつ“奥の細道”というタイトルからどうしてもみちのく=東北地方、がゴールと思われがちなのですが実は奥の細道のゴールは現在の岐阜県大垣市。旅立ってから5か月後の8月末に到達しています。“五月雨を集めて速し最上川”の句を詠んだのが山形県大石田町の「西光寺」で5月28日のこと。しかしそれから8月末までの、山形県から福井県敦賀市までの日本海沿いを歩いていた3か月間、勿論句は詠まれていたと思われますが一般的には余りその様子が語られることはないのは不思議な事ですねキョロキョロ

葛飾北斎が絵描いた千住の絵が飾られていました。当時は高い建物は何もありませんから西の方角に富士山は見えていましてちゃんと描かれています。今回も各所に「富士塚」があったのも頷けますねウインク

次は千住大橋を潜るため河岸に降りてきました。釣り船が接岸されていましたニコニコ

千住大橋の下をくぐる千住小橋 chuはここ、初めて通りますニコニコ

江戸時代の千住大橋付近の様子。将軍家は小金牧(現在の千葉県松戸市小金原付近=ほれ、chuが紅葉写真を載せた「東漸寺」があるあたりですよウインク)にて鷹狩をしましたが、港区にある現在の「浜離宮恩賜庭園」の溜りにある船乗り場からここ千住までは海路

(川路!?)で来て、ここから馬で小金牧に向かったのですウインク

千住大橋の真下を潜り護岸を歩きます。見えている超高層のマンション群は南千住の「ロイヤルパークタワー南千住」の一角で1995年(平成7年)3月30日、当時の国松孝次警察庁長官が何者かに狙撃され重傷を負う事件がありましたが、国松長官の御自宅はこの超高層マンション内にお住まいでした。なお事件は迷宮入りで未解決のまま時効を迎えました。警視庁は犯行はオウム真理教関係者である、との説を最後まで捨てませんでしたが真実は藪の中。しかしオウム真理教とは全く関係のない一般刑事事件を何度か犯しているNという真犯人がいる、と推測している元警視庁警察官もいらっしゃいます。要は事件捜査が公安部主導で行われていたため“犯行はオウム真理教”と初めから結論ありきで捜査が進められたのですが、オウム事件には応援として刑事部門の警察官も投入されており、“真犯人はNである”と指摘された方は、第九方面本部副部長を最後に2016年、警視で勇退された原雄一さんという刑事警察出身の方です(因みに公安警察や検察庁の特捜部の捜査は着手にあたり“ビッグピクチャー”を描きます。もちろんそれは的外れな手法ではなく、今では世間に知られているプロファイリングの手法を30年以上も前から取り入れていたのです)

御関心のある方は是非、御一読を👇

千住大橋の真下を潜り、再び国道4号線(日光街道)の、今度は上り線。ここから約6㎞先が五街道の起点である日本橋ですウインク

「足立市場」に到着ニコニコ都心で“鮮魚市場”と言うと、直ぐに思いつくのは「豊洲市場」なのですがねところがどっこい、この「足立市場」も“やっちゃば(後で説明します)”をルーツとする400年以上の歴史を有する市場で、実は都内で唯一の水産物専門の中央卸売市場なのですウインク

そして市場には付きものの場内食堂はこちら👇

「足立市場」脇にあります「奥の細道プチテラス」でちこっと休憩ニコニコこちらが芭蕉さんです照れ

「やっちゃば緑道」は、常磐線の線路と市場とを繋いでいた引き込み線の跡地を道路にしたものですニコニコ

そしてこれが大正初期の「やっちゃば」の様子👇千住市場の起こりは1580年ですから440年の歴史があるのですが江戸時代には幕府御用達の青果市場で、また青果市場では“やっちゃ、やっちゃ”と掛け声をかけてセリを行うことが語源だそうですニコニコ今では水産専門の卸売市場になりましたが、その昔は青果市場だったことから今でも「やっちゃば」の名前が語り継がれているのでしたウインク

千住七福神めぐり 最後の場所が弁財天が祀られている氷川神社ですニコニコ前回の「駅ハイ」ではこの社の真ん前を通りましたが何故か立ち寄りポイントになっていませんでしたので素通りしましたが今回初訪問爆  笑

そして今回の「駅ハイ」もいよいよ終盤ウインク北千住の“大踏切”を渡ります走る人走る人走る人複数の線路がありますがここを通るのはJR常磐線と東武スカイツリーライン。東京メトロ日比谷線とつくばエクスプレス線は高架橋でここを跨ぎます。またchuが通勤で利用していた常磐快速線から直通している東京メトロ千代田線は北千住駅は地下駅ですので地下でこの付近を通っていますニコニコ通過している列車は最も遠くは仙台まで行く常磐線の特急「ひたち」号ニコニコなお東京23区北部の大ターミナルであるのに北千住駅には停車しません口笛これは都心のターミナルである上野駅から近すぎるからに他なりませんねニヤニヤ(ただ言わせて頂ければ、東海道新幹線は東京を出ると全列車が品川にも停まります。なんでだよパンチ!って、東海道新幹線は「JR東海」でした。実は同じJRでも、東日本と倒壊とは仲が悪いのですよニヤリ)

こちらは東武スカイツリーラインと、その上を空中で交差する東京メトロ日比谷線👇中々見ごたえある「絵」ですウインク

いよいよラストスパート 北千住駅東口の駅ちかに移転してきた「東京電機大学」ビックリマークchuの学生時代には千代田区神田にありましたが“都心脱出”でキャンパスを郊外に移転させる大学が多い中、東京電機大は地方には移転させなかったことで大成功を収めた例となりました口笛(東京郊外や、中には東洋大などはキャンパスの一部を群馬県まで移転させましたが、あまりに遠くまで移転させたため受験の志願者が少なくなり慌てて都心部に戻しましたしねニヤリ)最も東京電機大も千葉ニュータウンと埼玉県の鳩山町にも移転させましたが、千葉ニュータウンのキャンパスに展開していた学部は北千住の本校に戻しちゃいましたねニヤニヤただ鳩山町の方が千葉ニュータウンよりはるかに遠くてアクセスも不便だと思うのですが、4年間、鳩山キャンパスに通う理工学部の学生さんはお気の毒ショボーンなお北千住には東京電機大が移転してきた2012年と前後して複数の大学が開学し(帝京科学大学、東京未来大学、東京芸術大学)、今までの中高年男性のオアシスは一気に若者の街になり、2000年代に入ってから北千住の街の雰囲気はガラリと変わりましたウインクしかしchuが通い詰めるような昔ながらの“中高年のオアシス”の側面はちゃんと守られているのですチュー

そしてこちらが今回の駅ハイのゴールビックリマーク「路地裏寺子屋」さんニコニコ築50年の古民家を改装した和の伝統を学べる日本茶cafeで日本文化が学べる体験イベントなどが開催されているそうです。なお駅ハイ期間中は全日営業しているそうですが、普段の営業は日曜日のみとのことですからご注意下さいウインク

さて、今回の駅ハイは7㎞と手ごろな距離でした照れそして駅ハイ参加の楽しみはお疲れさん会爆  笑14時開店の某所に向かうべく北千住駅の東西を結ぶ地下歩道を通り西口に向かいます走る人走る人走る人

そしてここは「ルミネ北千住店」の1階入り口付近ニコニコ先日、ブロ友さんのカラムクさんと待ち合わせた場所ですウインク

そして実はchuにはこの場所はとても思い入れの深い場所ウインクそれは“天使の歌声 そして自由”とchuが勝手に名付けちゃいました爆笑女性二人のフォークデュオ「スピルカ」のお二人がここで路上ライブをされていたのでした照れ

2016年12月には「スピルカ」初のCDを製作販売に漕ぎつけたのですが、発売初日になんとポリスストップガーンそれ以来、毎週土曜日の同じ時間にお巡りさんがやって来て「スピルカ」の路上ライブを執拗に邪魔しに来てムキー結局、嫌気がさした「スピルカ」のお二人はその後二度と北千住で歌うことは無くなってしまったのでしたえーん

さて、この日の“駅ハイお疲れさん会”はchuの馴染みの「じんざえ門」ウインク都内に通勤していた頃は週一で通っていたお店なのですが、2020年のコロナ禍で都心への通勤がなくなりましたのでパタリと訪問することがなくなり、またコロナ明けでも今までのように通い詰めることもなくなりましたあせるあせるあせる昨年末、ブロ友さんのカラムクさんと訪れたのは多分半年ぶりくらいだったかと思いますが、ひと月と経つかどうか、ぐらいの内にまたまた来ちゃいました爆  笑ここはホントにもう最高なんですチューchuの大好きなお店なのです照れ

もやしの鉄板焼きとイワシ刺身 もう、めちゃくちゃ美味かったですチュー正にDynamiteビックリマーク合格クラッカー

カラムクさん、また行きましょうウインク

以上、2回にわたりお届け致しました今年初の駅からハイキング、新春の七福神めぐりがテーマでしたが本物の「千住七福神めぐり」はもう終わっていたのですニヤニヤ(1月8日まで開催されていました)ま、七福神めぐりの期間中に「駅ハイ」を入れちゃうと、とっても混雑しちゃうからってことでわざと日程を被せなかったのでしょうねグラサン

 

【今回のおまけ】

北千住からの帰りの電車は土浦、水戸、勝田など茨城県内のかなり遠くまで行くJR常磐線のE531系中距離列車でした(編成車両の数か所にトイレと2階建てグリーン車が連結された主に15両編成のもの)。そして通常のボディカラーは屋根の下と窓の下に青色のラインが引かれているのですが、もともと常磐線の中距離列車のボディカラーはピンク色に塗装されていたことから“赤電(あかでん)”と呼ばれていました。今回、何かのキャンペーンの一環で、昔の“赤電”のイメージを復活させようと、青いラインの塗装色を御覧のようにピンク色に変えた車両が連結されていまして、懐かしさのあまりに涙腺が緩みつつもしっかりカメラおそらく常磐線に“赤電”が走っていたことを覚えている人は50代以降の年齢層の方だと思われます照れ

こちらが昔の“赤電”の車両です👇(写真はお借りしました)。当時の常磐線は全て上野駅が始発。遠く茨城県内まで帰るおじさんを中心としたサラリーマンは座席を確保するため30分近く待ってワンボックスの座席に座り、座ったらすぐにプシューッって、缶ビールを空け、イカさきの袋からイカをとりだし茨城訛りの大声で話し始めるのですが、どちらのボックス席でも同じような光景が繰り広げられ、その様子はほのぼのとして微笑ましいのですが、車内はイカや燻製の臭いで溢れ、しかも毎日毎日の事ですから車両そのものがその臭いで凝り固まり、“常磐線スメル”と呼ばれていました爆  笑今でもイカさきの袋を開けると当時の常磐線の“赤電”の臭いを想い出しちゃうのでした照れ

現在、キャンペーン運行中の“赤電”はこんな感じで走っているのですが、赤電仕様の塗装がいつまで続けられるのかはわかりません。しかしホント、懐かしかったです照れ