2023年7月31日から8月4日にかけての4泊5日の長崎旅行記をお届けしています前回はこちら👇
(2023年8月2日)
さて、サブタイトルの“いざ軍艦島へ”も3回まで引っ張って来ましたが今回で漸く到達しますと言っても既にお知らせしている通り、台風6号接近のため軍艦島へ上陸するための桟橋は管理者である長崎市により一時的に撤去されていますので上陸は出来ませんですがその分、chuが参加しました「シーマン商会」さんのクルーズでは高島に立ち寄り、元炭鉱夫の船長さんより軍艦島の模型を前にしてとても詳しい説明を聞くことが出来ましたので、これもまぁ、ありか、とそして高島を出港して5分もすると軍艦島の全容が見えてきました昨日の、福江島との行き帰りでも軍艦島は見えていましたが、やはり間近で見るとそのスケール感が全く異なりアドレナリンが出まくっているのが分かります
ちなみにこちらが前日の福江島行き帰りに長崎港~福江港航路から撮影したもの。肉眼でも確かに軍艦島だ、ということはわかるのですがいざ軍艦島を目の前にすると迫力は全く違いました
そしてこちらは軍艦島のちょい北にあります無人島で島の名前は中の島 軍艦島からは800mほど離れていますが実はこの島も元々は炭鉱がありました。しかし坑内からの湧水量がとても多く中々対処が困難と言うことと、軍艦島での掘削が極めて順調だったことから廃坑に。そしてその後、中の島には簡易な火葬場が造られ、軍艦島で亡くなった方は中の島で荼毘に付されたのだそうです
さて、中の島を通り過ぎるといよいよ軍艦島へ
なお、長崎港~高島間と、軍艦島周辺海域での見学を終えて長崎港に戻るまでの間は「さるくⅡ号」ではデッキにて立ち続けることは出来ませんまぁこれは、豪華クルーザーを使っている「軍艦島コンシェルジュ」社の船舶と、“漁船仕様”の「シーマン商会」さんとの違いっちゃあ、違いなのですがね
では、まずは上陸に備えて島内の配置などついて学びましょうか(ジッサイハイッテマセンガ)軍艦島島内には様々な構造物が残存していますが1974年(昭和49年)に最後の方が嶋を離れた後は無人島。そしてその間、建物の補修などは一切なされていないため、三菱マテリアル社から高島町、そして長崎市と所有者が変わった後もそれは同じこと。ですので築ん十年ものの建物ばかりです。そしてメンテナンスが全くなされていないのですから、いつ倒壊しても全く不思議ではないということで、軍艦島ツアーとして一般公開され、人々が上陸している最中に建物が倒壊したとして、その危険が及ばない箇所のみを上陸可能場所に設定しているのでした。👇の図では赤の実線部分のみが立ち入り可能なのでしたしかし…倒壊する恐れのある建物は年々増えてきており、年が経過するごとに上陸出来るエリアは狭くなってきているそうなのです
そして島内の様子につきましては「シーマン商会」さんのホームページにとても詳しく解説されているためこちらを御参照して頂くのが一番確かなのです👇
また、一般には縦入れない部分までGoogleさんのカメラは入っています撮影時期は不明ですが解説付きのストリートビューが公開されていますのでこちらもリンクさせて頂きますね👇
と、まぁ👆にリンクしましたサイト、二つを御覧頂ければもう十二分で、何も上陸出来ていないchuの写真を見続ける必要はないのですがでもせっかく撮影しましたのでお付き合い頂ければ幸いですこちらはアパートですね今でいうマンションで、日本初のコンクリート製高層住宅です
同じような写真ばかりが続きますので適当にスクロールして下さい
こちらがドルフィン桟橋昔も今も島外からの船はここに横付けされます。上陸可能路であればクルーズ船とドルフィン桟橋を繋ぐブリッジが接続されるのですが、撤去されています台風の大波にさらわれるといけませんから波風が避けられる箇所に収納されているものと思われます
こちらは三菱の幹部住宅で島内の一番高い場所に建てられています。まぁお偉いさんの社宅なのでしょうが、天守閣に陣取っていた城主の殿様ぢゃあるまいし、一般社員の下々を見下しているようでなんか嫌な感じがしますよね
撮影した写真の中には「端島小中学校」もあるのですが、今となってはどの建物が学校なのか、わからないですが確か学校の建物は窓がとても大きかったのです。と言うのは島内にある高層住宅は全て接近しているため、特に低層階の住宅は日当たりが極めて悪く、そのため児童や生徒の中には日照不足による健康被害が見受けられたのだそうなそのため、せめて学校に居る間だけは十分に日の光を浴びて貰いたいと、窓を大きくしているのだそうです
こちらは島内にある神社の祠皆さま御存知の通り、炭鉱のお仕事って危険と隣り合わせですで、そのような炭鉱夫にとり神社は心の拠り所なのだそうで、毎年4月3日には全島民を挙げての「山神祭」が開かれていたそうです。そのような理由から軍艦島には立派な本殿と鳥居を持つ「端島神社」があったのですが、既に倒壊してしまい、今ではこの祠のみが、ここに神社があったことを伝える面影となっているのだそうです
島のごく近い部分を航行しています。実は今日は波がとても穏やかで、船長さんは、“もし長崎市が桟橋を一時撤去していなかったら確実に上陸出来るレベルの条件です”と話してくださいましたからとても残念でも、島内に上陸出来たら出来たで、島内を自由に動き回ることは出来ませんですし、軍艦島の周辺を精々一回、廻るくらいの時間しかないでしょうから、今回はそれこそ何回も何回も島周辺を近づき、或いは少し離れて島影=なぜ端島が軍艦島と称されるようになったのか…それは端島が軍艦に似ていることから付けられたわけなのですが、その検証をして頂くかのように、廻って頂きました
ですので上陸は叶いませんでしたが、もう島の中を間近な場所から覗くことができ、もうホント、十分でしたよ
少し離れたところからこの辺りから眺めた島影が一番、軍艦に似ているのだとかなお人日に軍艦と言っても、旧日本海軍は多数の艦船を保有していましたよねですが軍艦島の浜影は「戦艦土佐」が一番似ているのだそうです
こちらが「シーマン商会」さんのHP内にあります“「戦艦土佐」に似ています”と紹介している写真👇
そしてこちらが「戦艦土佐」の見取り図(軍艦島ミュージアムにこのイラストがあるそうです)
引続き、軍艦島周辺海域を周回しましたので写真はまだしばらく続きます(飽きちゃった方は御遠慮なく下までスクロールしちゃってください)
そして圧倒的な存在感を残して下さいました軍艦島ともいよいよお別れホント、素晴らしいクルージングでした
長崎港への戻りは22ノットを上回るかのようなスピードどんどんと女神大橋が近づいてきました
こちらは水産大手の旧「日本水産」で、現在は社名変更しました「ニッスイ」の完全子会社で漁船を始め官公庁の船、作業船などを建造している「長崎造船株式会社」のドッグです対岸の三菱重工造船所とはけた違いのスケール(もちろんこちらが小さいです)ですがドッグのうち1基は日本の造船所では珍しい移動屋根付全天候型船台を有しているそうです
そしてお隣には「海上保安庁長崎海上保安部」があり、同保安部に所属する巡視船「でじま」が停泊しています全長91.4m、1200tの巡視船ですから大型巡視船の部類に入ります。長崎県は西半分が海に面している他、多数の島嶼があり、その海域の海の安全を守り、また犯罪を防止若しくは摘発を行う重責を担っていますから大型の巡視船が配備されるのは当然です
いよいよ常盤2号桟橋が近づいて来ました右上を見上げれば長崎入りしたその日の夜に出かけた「鍋冠山公園展望台」が見えています。ご覧のように港と展望台がとても近いので眺めは抜群でした
そして常盤2号桟橋に接岸、下船しましたとっても素晴らしい体験をさせて下さいました「シーマン商会」さん、本当に有難うございました(再度、オフィシャルWebサイトをリンクさせて頂きます)
軍艦島クルーズ、残念ながら上陸は叶いませんでしたがchu一行は大満足でしたしかし、これって、ホントに台風が接近している海とは思えませんよねけど何か事故が起こってからでは絶対にまずいのですから、管理者としての長崎市の決断、chuは恨みません支持しますよ
以上、軍艦島クルーズの様子を3回にわたりお届けして参りました。台風接近の影響から残念ながら島本体への上陸は叶いませんでしたが何回も何回も周回して下さり、そしてとても詳細な説明も頂きとても良かった「シーマン商会」万歳ですそしてこちら👇下船時にスタッフの方から今回のツアー参加者全員に配付されましたのがなんと「軍艦島上陸記念証明書」はいchuたち、上陸してませんよそしたら件の船長さん、“残念ながら今日は上陸出来なかったのですが、日付を記入済の証明書はもう出来ちゃってましたので記念にどうぞ”、とえ、だって、上陸出来ないことはもう3日前からわかっていましたよですがこれも「シーマン商会」さんのご厚意と思い有難く受け取る事と致しましょうですが…学校を中退したのに卒業証書を受け取ったみたいでなんか複雑な思いもありますけどこの証明書は、今では我が家のリビングに大切に飾られているのでしたしかもとても誇らしく
【軍艦島クルーズ・ツアー比較】現在、軍艦島上陸を目的としたツアーは5社の海運事業者により展開されています。それぞれの事業者ごとに料金や特徴の違いが見受けられますが、皆様が宿泊されている場所から近いか遠いか、なども判断基準となると思われます。どの会社のツアーで軍艦島を目指しましょうか二つの、とても参考になる秀逸なサイトを見つけましたので謹んでここにリンクを貼らせて頂きます