2023年7月31日から8月4日にかけての4泊5日の長崎旅行記をお届けしています前回はこちら👇
(2023年8月2日)
さて、女神大橋を潜ります。おっと、ピアー(※橋脚、脚柱)の袂に見えているのは鳥居ですね
何でしょうと後で地図から調べて見ましたら「神崎神社大鳥居」とあります。この神崎神社は“お金のパワースポット”と言われているようで金運の神様が宿っているのだとか
古くから商売繁盛や金運のご利益を願って多くの商人が参拝したことから、通称「金貸稲荷」と呼ばれている金運のパワースポットなんだそうです
ただこちらは神社の大鳥居でして神社本体は斜面を登った場所にあるそうです。なお社務所などはないとのことでして金運のパワースポットでありながら御朱印などはないのは残念なところですね
暫く進むと今度は海上に着き出したマリア様と白い壁が美しい教会に出逢いました「カトリック神の島教会」です
この教会の所在地は神の島で、1960年代の海面埋め立てにより九州本土と陸続きになったそうです沿革を調べてみました👉~幕末のプテイジャン神父による「隠れキリシタンの発見」の後、神の島で水方を務めていた西政吉が大浦のプティジャン神父を訪ね、神の島にも潜伏キリシタンが多くいることを打ち明け、その後神の島の隠れキリシタンはカトリック教会に復帰していく。当時、全島民が潜伏キリシタンであったとする説もある。1876年(明治9年)にパリ外国宣教会のブレール神父が神ノ島に着任し、仮教会が設けられ、1881年(明治14年)に後任のラグ神父により現在地に木造の教会堂が建築された。現存のレンガ造りの教会堂は1892年(明治25年)に当地に来住したデュラン神父が私財を投じ設計・建築したもので、1897年(明治30年)に竣工した。当初は漆喰塗りであったが、のち石炭・セメント塗りに改装され、現在の白い外観になっている。長崎港を発着する船から教会の姿を見ることができるため、長崎港のランドマークの1つとなっている~(Wikipediaから転記させて頂きました)
外海(東シナ海)から長崎港に向かう船舶には超大型の外国のクルーズ船もありますそうした船舶からもこの「カトリック神の島教会」はとても目立ちますよね
正に長崎のランドマークの一つと言うことが出来そうです
こちらがマリア像👇
そしてこちらが白亜の教会てか、chuはクリスチャンぢゃないのですが
(真宗大谷派の門徒です
)でもなんか雰囲気いいです
こちらは東シナ海昨日は、ここから西に100㎞、絶海の孤島…ではなくて五島列島の中心である福江島を訪れました
再びの東シナ海ですが今日は軍艦島クルーズですのでそれ程遠くまで行くわけではありません。ですがやはり、大海原は見ていてとても気持ちがいいです
海の向こうは…中国大陸
ですが今見えている島影
は島ではなくて九州本土、長崎市ですよ
お、こちらは長崎港を拠点として軍艦島クルーズを始め帆船を使い長崎港を遊覧している「やまさ海運」さんのクルーズ船です。chuが乗船している「さるくⅡ号」よりは大型の船ですが「軍艦島コンシェルジュ」が運行しているクルーズ船には及びませんなで、「やまさ海運」さんのツアー料金を調べてみたら今回は軍艦島には上陸出来ませんから3600円のようです。「シーマン商会」だと3100円でしたからchuのチョイスは正しかった
あーだこーだしているうちに「さるくⅡ号」は間もなく伊王島大橋を潜ります伊王島につきましては既出の「【大河ドラマVersion】あぁ長崎は今日も暑かった(^^ゞ その6 ~長崎港から出港!~」にも綴っていますのでここでの詳述は避けさせて頂きます
するとこの辺りから「さるくⅡ号」のパワーは全開同船の最大速力は29ノット、時速換算すると53㎞と凄い馬力です
ただ普段航行しています航行速度は22ノット、時速換算だと40㎞なのですが、昨日の福江島往復に利用しました九州商船のジェットフォイルだと航行速力は43ノット(時速換算で77.4㎞)出ていますから叶いませんが、復路で利用しましたカーフェリーだと航行速力は18ノット(時速換算で32.4ノット)ですから「さるくⅡ号」の速力が勝っています
即ちフェリーだと福江港~長崎港は190分を要するところ、「さるくⅡ号」であれば150分前後で行き来き出来るのでした
ですがしかし、これはあくまでも机上の空論でして、100㎞先にある日本の西端、絶海の孤島…違いました、福江島は五島列島の中核を成す島でした
まで辿り着ける燃料を果たして搭載できるのかまでは確認していませんから、それに揺れも酷くなりますから、五島列島に行くにはやはり九州商船の船舶を利用した方が良さそうです
すると見えてきましたのは高島前回のblogにも綴りましたがここは元々は高島町と言う独立した自治体でしたが2005年(平成17年)に長崎市と合併した島です。そして今回、高島に寄港し上陸するのですがこれも「シーマン商会」の特徴との事。と言うのは通常運航の軍艦島に上陸出来る場合には「シーマン商会」も高島はスルーしてそのまま軍艦島に向かい上陸の時間に充てるのですが、今回のように予め上陸が出来ないことが分かっている場合には軍艦島の5㎞北にある高島に立ち寄り炭鉱の記念館などを見学するのだそうです
そしての高島、昔は軍艦島と同じく炭鉱(高島炭鉱)を持つ島だったのですが今は閉山、しかし1974年に炭鉱を閉じ、その後、無人島となった軍艦島とは異なり高島は現在も263人(令和6年3月現在)の方が暮らす有人の島、そして他にも美しいBeach👉~特に高島海水浴場は、環境省選定の日本の海水浴場88選にも選ばれており、親水護岸やウッドデッキ、休憩所が整備され、快適な環境での海水浴が楽しめます。さらに、海水浴場のエリア内に珊瑚礁が群生しており、本格的な装備やライセンスが不要のシュノーケリングで気軽に珊瑚礁を観ることができる大変めずらしい海水浴場です。夏の海水浴シーズンには各種イベントも開催され、連日多くの海水浴客で賑わいます~として人気の観光島にもなっているそうです
高島は長崎港から伊王島経由の航路で35分と至近の場所。船便は1日8便ですから微妙な運行本数ではありますが
まぁ時間を見定めておけばそう不自由は感じないかも知れません(伊王島は伊王島大橋で九州本土と連結していますから陸路が使えます。しかし高島へのアクセスは船便のみ。しかも1日8便と言うと、鉄道で言えばかなりアクセスが難しい秘境路線になりますが、高島にはそうした秘境駅感はまるでない、健康的で明るい開けた集落でした
)
高島の観光情報はこちらから👇
高島…ごく簡単に説明しますとここみ炭鉱の島。「高島炭鉱」という炭鉱があり、軍艦島(端島)同様、三菱の岩崎彌之助が取得し本格的な操業が始まりました。また軍艦島の炭鉱(端島炭鉱)が1974年(昭和49年)に閉山したのに対し、高島炭鉱は1986年(昭和61年)まで操業されていたそうです。昭和61年と言えばchuは社会人になりたてほやほやの頃のことですが、まだデジカメや携帯電話、パソコンこそ出回っていませんでしたがワープロは発売されておりシャープの書院をボーナスで買ったことがありますですのでchuの個人的な感覚で言えば高島炭鉱はつい最近まで現役として活動していた、時代的に考えると親しみやすい、とても遺構とは感じない施設と言うことが出来るのです
「さるくⅡ号」は間もなく高島港に接岸するのですがこちらは高島農園の倉庫
高島農園とはこんな農園のようです👇
そして接岸上陸します
軍艦島にの上陸は叶いませんでしたが、ここ高島では軍艦島の模型(後述します)を前にとても詳しく炭鉱のウンチクにつき語って下さいました
島内にはなんと電気自動車のレンタカーがあるそうなそう言えば昨日訪れた福江島にも多数の電気自動車のレンタカーはありましたが、利用開始時の保有電力
では島内一周が出来ないことと、途中、充電出来る箇所は数か所しかなく、フル充電には30分を要する事、しかも誰かが先に使用していればその人の充電を待たなきゃならない、など思わず“使えねぇ
”と叫びたくなっちゃうような代物
しかし高島は福江島と比べるとはるかに面積は狭いので(福江島の面積が326.31㎢であるのに対して高島は1.24㎢と実に300倍の違いがありますから島内を一周してもバッテリー切れの心配はないのでした
しかも利用料金は30分500円ですから超格安です
但し保有台数は2台とのことですから、いきなり訪れてでは難しいかも知れません。予約は必須ですね
さて、高島に上陸出来たことで「さるくⅡ号」の常盤2号桟橋を出港してからの足跡ならぬ船跡を確認しておきましょう👇の地図、黄色で〇囲みしたのが伊王島。で、ここには伊王島大橋がありますから長崎の中心街から路線バスで向かうことが出来ます(オレンジ色の実線参照)。しかし伊王島へのアクセスが陸路よりも海路の方が時間が短縮できるようだ、と御紹介済です
そしてその南側、赤で〇囲みしているところが高島。ご覧のように陸続きではありませんので九州本土との行き来は船便以外にはありません。そしてそのすぐ南側、水色で〇囲みしたところが軍艦島です。既に閉山していますので、かつては東京23区以上に濃密な人口密度を記録していたのですが現在は無人島です
こちらは高島の観光案内👇詳細につきましては👆にリンクしました「高島観光ナビ」を御覧下さい
こちらは三菱財閥を興した総帥の岩崎彌太郎氏の銅像で、その関係などが綴られています
では、高島にとり岩崎彌太郎とその16歳下の実弟・彌之助はどのような功績があったのでしょうか三菱商事のオフィシャルWebサイト内にありましたものを見つけました
👉~高島炭坑は元禄年間から鍋島藩が細々と採掘、明治に入り国有に。それを後藤象二郎が払い下げを受けましたが、労使問題が泥沼化、経営は火の車でした。そこで政治家として資質の高い後藤を救うべく、福沢諭吉が、三菱に買い取りを依頼します。しかし彌太郎はなかなか「うん」と言いません。彌之助は、高島の推定埋蔵量、出炭予想、収支予想、既存施設の資産価値、三菱の船腹を利用することの意味、石炭販売の利ざやなどを総合的に評価、「買収すべき」と理詰めで彌太郎に進言します。話は二転三転、破談寸前、買い取り契約は成立します。彌之助の計算通り、高島炭坑は明治20年代における三菱最大の事業となって大きな収益をもたらし、三菱が海運事業から鉱業や造船を中心とする一大産業資本に発展する核になりました~なのだそうです
そしてここからがいよいよ軍艦島の説明へと入ります
軍艦島の概要につきましては前回blogの冒頭に記しましたが、追記出来るものとして最盛期の人口は5300人、人口密度は当時の東京都の9倍で世界一の人口密度であったそうです
しかしエネルギー政策が石炭から石油へとスライドしていく中で、島全体が炭鉱でありました軍艦島はその炭鉱が閉じたことで炭鉱従業員とその家族らの住民は全員島を離れることになりました。遠くは大阪、東京と、新任地に転勤していく元島民の方々。しかし同じ町内にありましたこの高島は有人の島、ですので直ぐ近くの高島に、今は無人島となってしまった軍艦島の様子を後世に遺し伝えたい、と考えて設置されたのが軍艦島のモデルだったのです
しかし、模型を見てもおわかり頂けますように、もうこれは要塞ですねしかしこれは近未来の要塞ではなく、1890年(明治23年)から造られていった砦だったのです
こちらは「長崎市高島石炭資料館」に展示されていたものこの高島にも炭鉱(高島炭鉱)があり、1986年まで操業されていたのは前述したとおり。その高島炭鉱で使用されていた数々の道具や記録などが展示されています
そして実は「さるくⅡ号」を操っていた「シーマン商会」の船長さんはなんと2001年(平成13年)と、つい最近まで操業してた炭鉱で働いていた方でした2001年と言えばまだ23年前の事ですからホント、つい最近です。で、その働かれていた場所と言うのは今では長崎市になりましたが外海地区の沖合にある池島。そこには2001年まで操業していた池島炭鉱があり、実際につい最近までそこで炭鉱夫をされていた方だったのですから驚きを隠せません
エネルギーの転換による池島炭鉱の閉山、は、長崎県どころか九州の、否、日本で最後まで操業していた炭鉱だったそうなのです
そして船長さんは閉山に伴う離職により「シーマン商会」に入社し操船技術を学び船長さんになられたのだそうです
ですので、どうりで炭鉱全般に関して詳しいはずです。お勤めされていたのは池島炭鉱ですから軍艦島(端島炭鉱)や高島炭鉱ではなかったものの、なに、同じ海底の炭鉱です
造りは似ていますからね
そして次の写真は高島にある唯一の温泉施設で「いやしの湯」。なんでも高島は水がとても希少とのことで水道水は対岸の九州本土からパイプラインで引いているのだそうな。これは軍艦島も同様なのですが島内には水源がないのだそうです
そのため高島に今も263人の方がお住まいになられていますが、殆どの各御家庭にはお風呂はないのだそうです
ということで島内にお住まいの方は毎日のように銭湯代わりにこの「いやしの湯」に浸りに来るのだそうです
そして…高島を語る上でもう一つ、忘れてはならないのが「猫」🐈 そうです、高島は“猫島”としても有名なのだとか高島に暮らされている島民の人口よりも猫の数の数の方が多いんだとか
そしてネコちゃん、人を恐れずとても人懐っこいです
高島の🐈を紹介しているサイトを見つけましたのでリンクさせて頂きますね
👇(島民の人口は約370人とされていますがその後も減少は続き令和6年3月現在では263人となっています)
高島で30分少々、見学の時間にあてられましたが軍艦島に向かうため船に乗る前に🚻に行ったところ…あ~(゚д゚)!なんと個室に🐈ちゃんがいるぢゃぁ、ありませんか
あまり綺麗な🚻ぢゃなくて、chuがトイレの綺麗さを判断する時に使うフレーズの“お弁当も食べられるトイレ
”に従うと、ちょっと、食べたくないレベルのトイレではありましたが
🐈ちゃんはそこに居た
そして乗船&船内探索こちらは冷房完備の快適なシートですが「さるくⅡ号」の先頭部にあたるため揺れが大きいとの事でchuはパス
そしてこちらが船内にあります“事務室”です乗船手続等は全てこちらで行いました
【特別付録】ここからは「シーマン商会」さんのWebサイト内の「スタッフブログ」に公開されている日ごとの軍艦島クルーズの様子です残念ながら2023年8月2日のツアーでは軍艦島上陸は叶いませんでしたが、こちらは高島で軍艦島の模型を見ながら船長さんが海底炭鉱の仕組みや苦労、危険な目に遭った時のお話などを、ユーモアたっぷりにして頂きました。ツアー参加者は皆さん、真剣に船長さんのお話を聞いているのでした
そしてこちらが2023年8月2日午前のツアーに参加した皆さんの集合写真団体さんの集合写真を撮影し、後で希望者に販売する“手口”は多いのですが
こちらは即日、「シーマン商会」さんのWebサイトで公開されます
“記念な欲しい方はどうぞご自由にダウンロードして下さいね”と言われてchuも頂きました
なお、Webサイトでの公開を前提にしますよぉ、と事前にお伝え頂いてますから顔出ししたくない方はこの撮影には参加されていませんからそのまま全員、どばぁ、と公開させて頂きます
もちろん、chu一行も参加しております
と言うことで、今回も軍艦島には辿り着けませんでした次回を乞うご期待