2023年7月31日から8月4日にかけての4泊5日の長崎旅行記をお届けしていますウインク前回はこちら👇

(2023年8月2日)

さて、長崎の旅も3日目を迎えました。旅行開始日(2023年7月31日)に発生していました台風6号、当初は旅の途中に遭遇か滝汗と覚悟もしたのですが2年越しの願いが叶っての長崎旅、事前の中止はあり得ませんでした。ただとても楽しみにしていました軍艦島クルーズのツアー(軍艦島への上陸)ですが、台風が接近してくることが予想されたため、軍艦島を管理している長崎市の判断により上陸に必要な桟橋が一時的に撤去されてしまい、そうです、これ即ちchuの旅行期間中に台風が通過し波が基準以下にならないと桟橋は再設置されないため、実際、朝から晩まで長崎市に滞在出来るのは8月1~3日までの3日間のみですから、今回の旅で軍艦島に上陸出来ないことは旅を始める前にわかってしまいましたショボーンちなみに“軍艦島を管理しているのは長崎市”と書きましたがそもそも軍艦島とはなんですか!?というところから始めなければなりません。ということで今回の冒頭部分では少々、文章が永くなることを予めお断りしておきますねニヤニヤそうです、軍艦島、実はこの名称は俗称でして正式な島の名前は「端島(はしま)」と言います。ですがこのblogでは端島を軍艦島で統一しますので宜しく願いいたします。で、なぜ軍艦島と呼ばれるようになったのかと言うとそれは軍艦島の島内の産業が大きく関係しているのです。実は軍艦島の地下(海底)は石炭の鉱山。採掘が開始されたのは江戸末期の文化年間なのですが、しかし炭鉱開発としての本格的な操業は、1890年(明治23年)に炭鉱の所有者が海運業主として台頭していた岩崎弥太郎が興した三菱に譲渡されたことから始まります。以後、軍艦島はその後100年以上にわたり三菱が所有する私有地となったのですが、当時の軍艦島の大きさは南北約320m、東西約120m程度と小さな面積でした。しかし炭鉱の譲渡を受けた三菱はその後、竪坑の建設と操業が本格化するに向かい、都合、6回の埋め立てを進め南北約480m、東西160mになり当初の大きさからは約3倍の面積になりました。結果、軍艦島は南北に細長く、海岸線は直線的で、島全体が護岸堤防で覆われた約6.3ヘクタールの面積を持つ姿に変わり、海岸線の全長は約1,200メートル、島の中央部には埋め立て前の岩山が南北に走りその西側と北側および山頂には住宅などの生活に関する施設が造られました。そしてその施設は当時としては最先端のものが造られ日本初の鉄筋コンクリート製の高層住宅の発祥は実はこの軍艦島だったのですびっくりまた島の東側と南側とには炭鉱採掘のための施設が次々に造られ、この島を海上から眺めるとさながら頑強な軍艦が海上に浮かんでいる姿そのものビックリマークということで端島は軍艦島と呼ばれるようになったのです。その後軍艦島では1974年(昭和49年)まで操業が続けられていたのですが島内には小中学校やプール、また前述しました高層住宅には当時としては珍しかったエアコンも設置されているなど、1960年代には日本の首都である東京都以上の人口密度と、高い生活環境が整っていたのでした。とまぁ、端島が軍艦島と呼ばれるようになったことをごく簡単に説明致しましたが、それでは三菱の私有地でありました軍艦島が何ゆえ、長崎市が管理をしているのかと言うと、1970年代に入るとエネルギーの主力は石炭から石油にシフトしていく時代と重なり日本各地にありました炭鉱は閉山が相次ぐのですが軍艦島も世相に従い閉山となりました。しかし閉山後も所有していたのは三菱マテリアル社。ですがその頃には島内にありました炭鉱施設や住宅など、廃墟にこそなっていたもののその姿に歴史的な遺構としての注目か集まり、後の世界遺産への登録へと繋がるのですが2001年(平成13年)に軍艦島は三菱マテリアル社から島の所在地でありました当時の高島町に無償譲渡されたのでした。またその後の2005年(平成17年)には高島町が長崎市に編入されたことで軍艦島は自動的に長崎市の所有となったのです。譲渡を受けた長崎市ですが島内にありました各施設の老朽化は著しく、廃墟化した建物は崩落の危機もあり軍艦島を所有する長崎市では島内への立ち入り禁止措置を取ります。しかし高島町から引き継いだその年の2005年、報道関係者に対してのみ特別に上陸を許可し、荒廃が進む島内各所の様子はメディアを通じて報道されたのでした。しかしその報道を見た関係各所から“近代化の歴史を語る上で貴重な遺構だ”との声が上がり、それに応えるようにして現存している建物のうちの一部の安全面を確認した上で2008年に長崎市で「長崎市端島見学施設条例」と「端島への立ち入りの制限に関する条例」を成立させたのですビックリマークその後、島の南部に整備された見学通路を使った上陸が検討され、2009年(平成21年)4月22日から観光客が上陸・見学できるようになったのでしたニコニコこれ、自治体などが普段は立ち入りが困難な構造物などを見学させたり、水陸両用車などを使って施設に入場させたりする国土交通省が提唱しているインフラツーリズムの一環として「軍艦島ツアー」が開催されるようになったのでしたウインクなお、島内構造物のの老朽化、廃墟化は徐々に進んでおり上陸出来るエリアは年々縮小していることと、また条例により見学施設以外は島内全域が立入禁止の措置がとられています。そして実際に「軍艦島ツアー」を実施しているのは民間の海運業者なのですが島の管理は長崎市。ですので軍艦島上陸への安全面に責任を持つのが所有者である長崎市であり、そのため今回のように台風接近による強風や高波が予想される時などでは島への上陸に必要な桟橋を予め一時撤去をしてしまうのです。このように長崎市では安全管理のため、上陸出来るための厳しい条件を設けており実際に軍艦島に上陸出来るのは年間100日程度と見込んでいるそうです。今回は台風6号の接近による暴風と高波が予想されたための桟橋撤去だったのですが、しかし海運業者としては“100/365(日)の運航では商売にならないよプンプンパンチ!ということで、独自の基準、「軍艦島ツアー」を実施しているのは5社あるのですが(後述します)、5社共通のルールとして長崎港と東シナ海の境目となる女神大橋を潜りその先にある伊王島沖に設置された波高計の測定値が0.5mを越えた時や許可事業者(軍艦島ツアーを実施している海運業者)の船舶に設置されている風速計の測定値が軍艦島周辺海域において5mを越えている時、軍艦島海域における視界が500mに達しない時、は軍艦島周辺まで行くツアーも中止となりますショボーンが、左記の条件をクリア出来ていれば例え軍艦島に上陸は出来なくてもツアー自体は行うというルールを設けており島の近くまで接近し、海上から軍艦島を眺めようといったツアーは行われていまして、今回、chu一行が参加したのはまさにこれだったのでしたニヤニヤなお上陸が出来ないことが予めわかっている場合だと料金が少しだけディスカウントされます爆笑(500円くらいですグラサン)

それではここから当日の様子を綴ってまいりますウインクですが初回の今回は、まだ軍艦島まで到着ませんので気長にお待ちくださいね爆  笑まずはこちら。朝の大浦海岸通りを横断しますニコニコ

で、先ほど「軍艦島ツアー」を実施している海運業者は5社あるとお知らせ致しまして👇

しかし各海運業者により出発する場所と料金とが異なります。5社のうちの1社は長崎市の中心部からは遠く離れた野母崎半島からの出港ですから候補からは外しまして残りの4社のうちの2社が昨日、chuが福江島との往復で利用した長崎港から、そして残りの2社がchuが宿泊していたホテル(モントレ長崎)から徒歩5分圏内の常盤桟橋からの出港となります。う~ん、迷うところなのですが、ぶっちゃけ、今回行ける場所は軍艦島の周遊だし(どの会社のツアーでも上陸は出来ませんチーン)、昨日は福江島に行くという大きな目的がありましたので長崎港ターミナルまで歩いて走る人走る人走る人いきましたが(ジェットフォイルの乗船券を確実にゲットするため早朝に行く必要があり、しかし早朝のためちょうどいい電車がなかったニヤリ)今回はそう早い時間ではない(10時30分出港ですが受付は9時45分から)ので、電車でも行けるのですが、ホテルから徒歩5分で行ける業者がいるのにわざわざ長崎港まで行かなくてもいいか、と常盤桟橋から出港する2社に絞りまして、あとの決めパーは料金爆  笑chuが乗船しました「シーマン商会」が3600円、対して同じく至近の常盤桟橋から出港する「軍艦島コンシェルジュ」は5000円滝汗そしてこの違いは何かというと、「軍艦島ミュージアム」という軍艦島に関する博物館(常盤桟橋近くの陸地にあります)への入場料金がセットになっていることと、ツアーに利用する船の豪華さの違いニヤニヤどのみち軍艦島には上陸出来ない真顔のですからせめて乗船する船くらい、立派なものに…とも考えたのですが「コンシェルジュ社」の船は船内でも眺めのいい席は指定席でプレミアムだと8000円、さらにその上のスーパープレミアムだと10000円とパーが出ませんバイバイバイバイバイバイということで必然的に「シーマン商会」のツアーに参加することになりました爆  笑「シーマン商会」のWebサイトはこちら👇ウインク

そして乗り場の子案内👇右端の青で〇囲みしたところが「ホテルモントレ長崎」で出港場所の常盤2号桟橋まで徒歩数分と言う近さですチュー前夜は福江島から戻った後に「居坂屋魚たつ」で一献を傾けた後の帰宅でしたので就寝は23時を過ぎましたがこの日は9時45分頃にホテルから徒歩数分の常盤桟橋に行けばいいので早起きする必要もなくラクチンに一日の始まりにウインク

ところが常盤ターミナルと書かれている建物は「軍艦島コンシェルジュ」の出港場所で、最初は間違えてあちらに行ってしまいましたが、受付で名前を伝えたところ“ご予約のお名前がありません”とガーンあ、そうです、「軍艦島ツアー」はどの海運業者のツアーで参加するとしても予約が必須ですビックリマーク直接、その場に出向いて乗船しようとしても待っパー、と止められますので必ず事前に予約をしましょうビックリマークこれは例え短い時間(と言っても2時間30分くらいはかかります)の航海でも乗船者の名簿を作る必要があるからなのですウインクそしてこの時、この受付が「コンシェルジュ社」のものと気付き、またこの時の係りの方も“シーマン商会さんの受付は2号桟橋ですよ”と教えて頂きました滝汗ハズカシイあせるあせるあせる

常盤ターミナルの建物を出て常盤2号桟橋に移動します走る人走る人走る人あれ、建物はなく何も目印はないのですがあせるあせるあせる

あ、ありましたビックリマークあの旗だビックリマークけど本当に建物などはないですよ??マジカ滝汗

ん、「シーマン商会」のHPにはアクセス、ちゃんと説明ページがありました爆  笑

振り返って常盤ターミナル あちらは豪華船を持つ「軍艦島コンシェルジュ」社の出港場所でしたニヤニヤ

翻って「シーマン商会」の軍艦島ツアーに供される船舶 そしてツアーの受付は陸上の事務室ではなくて、なんと船内での手続きでした爆  笑

あ、もちろん予約はしていたのですが船内で名前を告げると今度はちゃんと予約が確認されましたよウインク

お金を支払います(現金のみです。カードやペイペイは不可)HPにも※ 乗船手続きはすべて船内で行いますと書かれていましたニヤニヤ

なお手続きを終えましたので船内に居ることは出来るのですが、実はchuには嫌な記憶が呼び起こされましてあせるあせるあせる御覧のように大きな船ではないので、岸壁に接岸されている時も波を受けた船は小刻みに揺れを感じます。これは多少揺れても動いている時ならさほどの酔いも感じないのですが、停泊している時の小さな揺れは大の苦手滝汗“嫌な記憶”とは幼少の頃、流れるプールで腹ばいになって乗り物に乗りプカプカと漂っていた時に酔っちゃったのでしたゲロー最初にこの船に乗り込んだ時に、直ぐにその時のことが思い出され、係りの方に出港直前まで船外に出ていていいとの許可を頂き岸壁に居たのでしたウインクなおその際chuは昨日、福江島をジェットフォイルとフェリーで日帰りの旅をしたことをスタッフさんに伝えたのですが、“こちらの船の方が大きく揺れますよ”と言われて怖くなった叫びドクロ笑い泣きでも、楽しみにしていました「軍艦島ツアー」ですからたとえ上陸出来なくても近くまで行きますウインク

そしていよいよ出港間際と言うことで船に乗り込みますニコニコ船の右舷に乗り込みました。正面右側の小高い山のトップが初日に夜景を堪能しました「鍋冠山公園展望台」ですウインクまたその下、海上に浮かんでいる船舶が「軍艦島コンシェルジュ」社の豪華クルーザーニヤリ

こちらが「コンシェルジュ社」の船

に対して「シーマン商会」の「さるくⅡ号」んビックリマークツアー代金の違いがそのまま船のグレードの違いかニヤリクルーズ船と漁船くらいの違いがあります爆  笑ただ「コンシェルジュ社」の場合、眺めのいい2階の座席は指定席で料金は8000~10000円ですから、3600円の「シーマン商会」とは大きく異なりますよニヤニヤ

そして出港ですウインク向かう正面は女神大橋ビックリマーク背後には昨日、福江島との行き来の船が出入りしました長崎港のターミナルニコニコ


こちらは長崎の夜景観賞スポットして有名な稲佐山展望台ニコニコ

そしてここからは三菱重工業長崎造船所のドッグなどを見ながら女神大橋へと進みます。左に見えている建物が三菱重工長崎造船所の本部ビル。最上部には三菱グループの象徴でありますスリーダイヤモンドエムブレムが誇らしく輝いています照れそして手前の船舶は建造中の海上自衛隊の護衛艦ニコニコなんでも最新鋭艦とのことびっくり

こちらが三菱重工長崎造船所で建造中の海上自衛隊が誇る最新鋭の護衛艦「あがの」照れあれキョロキョロ今まで知っている護衛艦とはなんかスタイルが違うぞ!?先端の船首から後方に行くに従い流線型の丸みを帯びているような…実はこれは「もがみ型護衛艦」でして「もがみ」「くまの」「のしろ」などの最新鋭鑑ですウインクそして丸みを持たせているのは敵のレーダーに察知されにくいのだとか口笛で、造船が始まった(起工)のが2021年6月24日で進水が2022年12月21日。そしてchuがここを通過したのが2023年8月2日のこと。就役予定が2024年3月とのことですからchuが現認した時にはもう殆ど完成していたものと思われます。chuの高校時代の友人H口君は元海上自衛官、そしてchuの前職では同僚にも佐官級の海上自衛官の方がたくさんいて仕事を御一緒させて頂きましたニコニコ陸・海・空の各自衛隊の中でも海上自衛官の、特に護衛艦や潜水艦に乗っている方は、仕事柄、守秘義務は勿論ですが港を出ると何日も陸地に戻れなくなるためなかなか大変なのだとか滝汗普通の勤め人とは全く異なる勤務スタイルで日夜、国防の任務に就かれている海上のみならず陸上、航空の各自衛隊にお勤めの皆様には深く深く感謝いたしております照れ

ここからも右手に三菱重工業長崎造船所を眺めながら「さるくⅡ号」は進んでいきます🚢

こちらの船舶は海上自衛隊の護衛艦で「あしがら」。既に就役している護衛艦ですので整備のためにドッグ入りしているものと思われますニコニコそしてこの護衛艦のスタイルを御覧下さい。この型式が今までchuも知っています海上自衛隊が保有する護衛艦のもの。ですが建造中の先ほど見た「あがの」と比べるとその違いは明らかですウインクこれからの護衛艦は「あがの」のようなスタイルが主流になるのでしょうか!?

艦橋で作業をされているのは三菱重工業長崎造船所の技術者の方たちでして、お仕事中にもかかわらずchuたちの乗る「軍艦島ツアー」船に手を振って下さいましたバイバイバイバイバイバイありがとうございますチュー

大きなドッグが幾つかあります。ですがなんでも三菱重工業では民間の大型船舶の造船から撤退の方針を固めているそうでして既に他社(造船大手の大島造船所(長崎県西海市))に売却したものもあるようですショボーン長崎造船所と言えば重厚長大産業のトップを走る三菱重工業株式会社の代表的な部署ですから、なんかとても残念えーんなお売却するのは同じ長崎市内ながら長崎市香焼町にある香焼工場のようでこれは女神大橋を潜った後の左手にある民間船を造船していた施設のようでして、いま、chuが眺めているドッグは三菱重工長崎造船所のドッグであり海上自衛隊の艦船の建造や点検修理を引き受けてくれるのでしょうからひと安心です照れ

そして女神大橋を潜り、昨日も往復で200㎞も航行しました東シナ海へビックリマーク

続きますウインク