2023年7月31日から8月4日にかけての4泊5日の長崎旅行記をお届けしています前回はこちら👇
(2023年8月1日)
長崎港から100㎞、絶海の西の果てにある五島列島の福江島、記念すべき初訪問先は「JAごとう」が経営する野菜の直売所「産直市場五島がうまい」という、いかにも“chu家らしい”立ち寄りポイントになりましたそしてここからは気を取り直して観光に出発何しろ福江島に着いたのが9時5分、福江島を出発するのは16時50分。レンタカーを借り受けたのが9時35分でしたから16時35分までは借りられるのですが、それでは慌ただしいから15時30分ころまでにを戻そうと思いますそして福江島の中でどうしても行ってみたかったところに向かいます走る事1時間弱、辿り着きましたのが絶海の西の果て、東シナ海に突き出した福江島の最西端「大瀬崎園地」でありますまず、に車を停めて早速、歩き始めます。するといきなりの急な登りと、外気温は35℃を越えていますから既に大汗そして駐車場から大瀬山への道を登ると、頂上には「祈りの女神」の像と鐘が建立されています。“お、これはさすが隠れキリシタンが移り住んだ島だけあって、風光明媚な高台に建つ聖母マリア様の像だな”と勝手な印象で判断してしまったのですがこれは大間違い実はこの像は太平洋戦争中、沖を行く船から大瀬崎を見納めの地として南方戦線に赴き、再び祖国の地を踏むことができなかった多くの兵隊さんの霊を慰めるために建立されたものだったのです
また「祈りの女神像」の隣にはこのような鐘楼があります「宿願成就の鐘」と名付けられたこの鐘は、カップルなどが仲良く鐘を鳴らすことで願い事を叶えてくれる鐘などの“観光地あるある”の鐘と思われがちなものなのですが、実はそれも大きな間違「祈りの女神像」が再び祖国の地を踏むことができなかった多くの将兵の霊を慰めるために建立されたものであることから、ここで鳴らされる鐘の音は“命を落とした者の魂を鎮め、鎮魂する”役目を担っているのでして、建立の由来については「大瀬崎鎮魂碑」に詳しく記されています
こちらが「大瀬崎鎮魂碑」。がしかし、石碑の中身を吟味する前に念願の大瀬崎に辿り着けたことに喜び、思わず大はしゃぎして、また付近には誰もいませんでしたから鐘を打ちまくったchuの行為は万死に当たるとんでもない罪を犯してしまいましたどうぞ、浅はかなchuの行為をお許し下さい
さ、ここからは絶景シーンが連続しますここは「大瀬崎園地」。五島に来たら必ず行きたい人気観光スポットの一つ「大瀬埼灯台」を見下ろす断崖の上にあたります。五島列島周辺では特に冬の季節には北西季節風が強く、その影響を受けた東シナ海の荒波は五島列島の海岸部を強く打ち付けます。そのため五島の海岸線には海食崖が多く発達しているのですが、福江島の中では特にここ大瀬崎を中心とする一帯では、高さ 150~200mの断崖が約15kmにわたって連なり、西海国立公園を代表する景観をつくりあげているのだそうですそして視界の先にポツンと見えているのが東シナ海を見据えてそそり立つ「大瀬崎灯台」
Zoomアップしてみました是非、あそこまで行ってみたいものですが…
こうして見えてはいるのですが、あそこまで行くのは中々大変だなぁそうなんです、実はchuも五島行きを思いついた時、色々と調べたのですが、例えば福江島を一周する観光バス(※利用には前日の正午までの申し込みが必要、参加者が4人に満たない場合は催行中止。但し催行が決まっている場合は当日参加も可能、木曜日は運休など利用に当たりハードルが高い観光バスで島内を巡るつもりでいて、催行されなかったら目も当てられない)でも、「大瀬崎灯台」は周遊コースの目玉でありながらここからの、この景色を見ておしまいです
でもどうしてもあそこに行ってみたいそのためにはレンタカー確保は絶対条件だったのでしたなお駐車場から灯台までの距離は1200m。平坦な道であれば15分、往復でも30分あれば十分な距離なのですがコースガイドには下り20分、上りは倍の40分で1時間コースとなっています。またこれは往復に要するだけの時間であり、灯台周辺でのタイムなどは入っていませんから見学時間も加味すれば90分は必要ですね。そんなに時間がかかるようでは観光バスでは灯台まで降りられるコース設定は出来ませんよねそれではこれから向かう大瀬崎灯台につき、解説して参りましょう大瀬崎灯台は五島列島福江島の西端、大瀬崎に建てられた灯台で東シナ海を航行する船舶の標となっています。そして灯台としての性能を計る指標の一つである灯台の灯りが届く距離である光達距離は12海里(22㎞)。これは昨春訪れました高知県土佐清水市にあります足摺岬灯台の光達距離(20.5海里=38㎞)の半分を少し上回るくらいのものに留まり、またchuの地元である千葉県を代表する二つの灯台(銚子市の犬吠埼灯台が19.5海里の36㎞、南房総市の野島崎灯台が17海里の32㎞)と比べても劣りますから残念ながら灯台としての性能はあまり良いとは言えないようです。ただ絶海の島の、最西端に立つというロケーションは最高ですから五島列島を代表する観光名所でもあり、また「日本の灯台50選」にも選ばれているのです
駐車場を経由せずして「大瀬崎園地」から直接、灯台に向かってしまいので実はちょっと失敗したことがそれは後ほど。と最初はこんな感じの雑木林の中を歩きます。しかし駐車場と灯台とを結ぶ道は“遊歩道”とまでは呼べなくても整備はきちんとなされており道中に危険な箇所はなく、誰でも行き来することが可能です
しかし実は下っていて分かったのですが、かなりの傾斜があります。灯台までの距離は駐車場からだと1200mと、それほど長い距離ではないことは前述しましたが、この1200mの距離の中で、かなりの高低差があります。実際に地中を測ったわけぢゃないのでもの凄くアバウトな計算ですが、駐車場と灯台との距離が1200mなのですから、灯台から地中をくり貫いて駐車場直下までの距離が960mでそこを仮にA地点とします。そしてそのA地点の真上に駐車場があるのですがA地点から駐車場までの距離が720m。すると机上の計算上ではなんと勾配率は75%もうそうなると急登が連続している登山道のそれと変わりありません(最も駐車場付近の標高は350mですから実はこの仮定の計算式はかなり怪しいそうです、1200mという距離は駐車場から灯台までの直線の距離ではありませんから“ピタゴラスの定理”は使えないなので実際のところは36~45%くらいと思われます。そうです、かなり急な登山道クラスの勾配ですよ)
ただ、下りはいいんですしかしこの急坂を下りながら、“帰りは登らにゃならんのか”と思ったら灯台を見に行くよりも前にこの道を下り始めてしまったことにちこっと後悔御覧のように方角によっては高層雲が出ていますが灯台の先は快晴が広がっています。そして何よりクソ暑いまじ、熱いんです
しかし、どんどん灯台は近づいてくる生まれて初めて見る東シナ海だそして海の向こうには何がある
下りながら“なんで駐車場からのウオッチに留めておかなかったんだろう”との悔悟の念もよぎるものの下る足は止まらない
間近に迫りくる断崖=海食崖に圧倒されます
そして樹林帯を抜けると、灯台はもう目と鼻の先に思われるのですが違うんだなぁ、それがここからのの高低差を埋めるため、上り下りを繰り返します。そして容赦なく照り付ける真夏の太陽
ただ、目的の目的の灯台はすぐそこに見えています帰りの不安をなるべく“気にしないふり”をして一路、下り続けるchu
ここが灯台に向かう最後の窪地。ここから灯台までは急階段になります
そして何とか昇り切った見て下さい、この急階段
そして遂に到着chuは頑張りましたこちらには大瀬崎灯台の歴史と概要が書かれています。灯台として最も肝心な性能につきましては先ほど記載しましたので割愛するとしまして、福江島のこの地に灯台が建てられたそもそもの起源はなんと奈良時代にまで遡るのですと言うのは、五島列島は大昔から現在の中華人民共和国にありました王朝国家との交易を行う航海上の要衝の地であったのです。記録によれば遣唐使派遣の初期640年頃の唐書「挺地志」に「資聖寺有宝塔、高峻層々、用四方燈、点照東海、舟行者皆望之為標的焉」との記載があり、“東海(渤海)の航路を照輝し、船舶は皆これを航行の標的とした”と述べている箇所があり、日本における最初に灯台と目されたものは664年に防人に遣唐使船の目標になるよう、昼は烽火(のろし)をあげ、夜はかがり火を焚かせたのがその始まりとされているのだそうです。ま、それが現在の大瀬崎灯台であったのかどうかは確認は難しいのですが五島列島の何れかの島嶼であったことは、ある程度の信憑性を持たせることは疑いの余地は少ないものかと思われますそして1879年(明治12年)、初代の灯台は英国人技師R・ブラントンさん設計による白色、円形、鉄造り、第一等フレネル閃光レンズを有する現在に至る近代的な灯台となったのですが当時としては最新鋭の灯台だったようです。しかし幾つもの大戦をかろうじて逃れ、何とか乗り越えつつあったものの、遂には設置100年近く経過した1971年(昭和46年)、経年劣化による建て替えが行われ現在、こちらにある白亜の灯台に生まれ変わったそうです。さらに2009年(平成21年)には光源が太陽電池化されたことにより光達距離が伸び、現在の12海里(22㎞)になつたようですなお、明治期に建てられました大瀬崎灯台、初めての近代的なそれは東京の港区お台場にあります「船の科学館」に移設・保存されているようです。残念ながら今は休館となりました「船の科学館」ですが、chuは何度か赴いたことはあるものの一つ一つの展示品をじっくりと見て脳内にインプット出来ていたわけではないので(※chuには残念ながら映像記憶の能力はありません)、多分、見てはいるのだと思いますが全く記憶にはございません
高さ200m以上に及ぶ見事なまでの海食崖強力な北西季節風が吹くことで強い波が発生し陸地を削り続けた結果のこの姿。福江島の南西部では15㎞にも及ぶ海食崖が連なり、海上からの人を受け入れることはありません
遂に大瀬崎灯台に立ったぞぉそして、クソ暑いので遂にchuは耐え切れずに上半身、裸になっちゃいました汗が噴き出しています
そしてこちらは灯台敷地内から真西を眺めた景色。何にも見えませんこの後、地図でお知らせしますね
【御参考】
福江島の大瀬崎灯台は日本の最西端、ではないのですが(最西端は沖縄県の与那国島です)、この緯度付近ではここより西に陸地はありませんから夕日はとても綺麗なはずですchuはこの日は日帰りで長崎市内に戻りますから残念ながら東シナ海に沈む夕日を見ることは出来ません。五島市観光サイトである「五島の島たび」内に掲載されています写真をお借りしてここに御紹介させて頂きたく思います。この素晴らしい夕日を眺めに五島を訪れるようと思って下さる方が増えるのであれば嬉しいですね
そしてこの大瀬崎灯台、この映画のロケ地とのことです👇chuはまだ見ていませんのでCS放送で見てみようと思います
さて、それでは今回chuが訪れた大瀬崎灯台、地図を使って説明しましょうこちらは五島列島最大の島である福江島。長崎市からほぼ真西の100キロの地にあります“西の絶海”の島。そして右側に五島市と記されている箇所が福江港があるところで、港の前の目抜き通りには、chuの地元であります千葉県松戸市を代表する企業である「マツキヨ」がありましたのは前回のblogにてお伝えしましたそして今、大瀬崎園地&大瀬崎灯台は福江島の西南端であります、赤で〇囲みした場所になります。
そして赤線で図示したのは「大瀬崎園地」と、駐車場、そして灯台とを結ぶ遊歩道とは決して言えない登山道
最後は、大瀬崎灯台とお隣の中国との関連図今回のblog、最後の写真で大瀬崎灯台から真西を眺めた写真をUpしましたが、その視界の先はなんと上海chuの中高の同級生にCH晴嬢がいて、結婚後暫くして上海に渡り、御主人と共にかなり手広く事業を展開させています。実家は松戸ですから一時帰国の折には友達を集め同窓会を開いています“何れは日本(松戸)に帰るかも”とか、“最後はハワイに住むかな”とか、兎に角、上海で成功を収めましたから話がデカい(その昔のことですが“松戸にタワマン、ある”って聞かれて“ないよ”と答えたらって)ま、無事であればどこに住んでいても構いませんし、FacebookなどのSNSがあるので連絡に困ることは基本、ないのですがしかしそこはあの「C国」です。団体旅行者の訪日団の爆買い、爆音ではない、もう一つの困ったことにある日突然の“情報遮断”があります突然、mailやFacebookが繋がらなくなり、心配しているとある日突然復活、というような(元々「C国」ではFacebookは使えないらしいのですがなぜか使えたりもするそうです)。今や世界第2位の経済大国となった「C国」ですが本質はコミュニスト国家ですから全体主義であり上位下達が徹底されていますから情報統制など日常茶飯事。chuは中華料理は大大大の大好きなので中華料理には眼がないのですが「C国」への憧れはありませんねCH晴嬢も、逞しく生き抜いてねまた、逢いましょう
最後にお伝えさせて頂くのがやはりYouTubeの番組がとても参考になったということです前日に訪問しました「鍋冠山展望台」へのアクセスを調べるためにYouTubeの番組を参考にしたことをお伝えしましたが、大瀬崎灯台への行き来を調べていたところ、やはりYouTube内にそれがあり中でもベストの番組がこちら👇
👆の番組を編集したのは五島市中心部の近くにありますSouvenirショップ「ごと」の広報を担当している若い男性この日もレンタカーを返しに行く際にお店を探し当て立ち寄りました五島のお土産を調達し、お会計の際に店員さんに“こちらの広報を担当している方がアップしたYouTubeを見ましたよおかげで無事、大瀬崎灯台まで行くことが出来ました”とお伝えしました。残念ながら編集されたご本人は居なかったので直接御礼を言う事は出来なかったのですが、店員さんに感謝の意を伝えることが出来て良かったですこちらは「ごと」取り扱いの商品を手軽に購入することが出来る公式オンラインストアです。五島の名産はこちらで購入可能ですので御興味がありましたら是非、覗いてみて下さいね👇