2023年のゴールデンウィーク直前に訪れました標記お出かけ記録、今回がいよいよ最終回いやはや、旅行は4月下旬の事でしたから、既に2か月半が経過しちゃいましたそして前々回に続き前回では富士宮市内の各スポットや“行ってはいけない”「酒菜の隠れ家 月あかり富士宮店」等につき紹介と報告をさせて頂きましたが👇
今回は旅、2日目(4月28日)の様子をお届け早朝に富士宮駅前にある宿をチェックアウトし、一路、静岡市へとを走らせます。そしてこの後、静岡市内の各スポットを訪ねますが今回が最終回ですので一気に駆け抜けちゃいますから、心して付いて来てくださいね まずは東名高速の「富士川SA」に立ち寄りお土産を購入そして富士山は…と言いますとありゃりゃ、頂上部がすっぽりと雲に覆われています下界は快晴ですが、山の標高が高い辺りは視界が効かないって、特に夏山では珍しくないこと 4月28日は「富士山スカイライン」の再開通日でしたから心待ちにしていた方は多かったと思われますが、この様子だとせっかく5合目まであがっても残念ながら素晴らしい眺望は得られない
引続きは次の清水ICに向かって走ります。今回、静岡市に向かうに際し入ったICは富士IC、そして降りるのが清水ICですから僅かひと区間ですので普段のchuであれば決して高速に乗ることはないのですがそこにはきちんとした目的があったのでした
そしてその目的とはこちら👇東名高速の下り線が断然お勧めの「由比PA」先ほど立ち寄りました「富士川SA」から距離にして10㎞くらいしか離れていませんので、普通であればそんなに近距離に例えパーキングエリア(PA)でありましても休憩施設が設置されることはないのですが…設置の理由はズバリ、ワイドなNiceViewが得られることに他なりませんとにかく目の前に広がる駿河湾、視界の先には伊豆半島、そして振り返れば秀麗富士がしかし、御覧のように今度は本格的に雲隠れしちゃいましたなお「由比PA」は東京方面の上り線にも設置されていますが名古屋方面の下り線が断然お勧めなのはこのように海に面しているからに他なりませんまたこちらのPAは「富士川SA」に極めて近い、と言うこともあるのでしょう、お土産やグルメを楽しむ店舗はありませんのでご注意ください。「由比PA」にあるのはお手洗いと素敵な眺望が得られる室内の展望室、そしてその展望室の屋上にある展望デッキのみ。ただその二つの施設こそ、「由比PA」の存在理由そのものなのです
ここが室内展望室これなら雨の日も安心…てか、「由比PA」には眺望と🚻以外はなにもありませんから天気が悪い日にはわざわざここに立ち寄る必要はなかったりしますね
室内展望室からの景色はガラス越しに眺めることになるので反射しちゃってます
展望室を出て、直に海を
あ辛うじて富士山の輪郭が見えてます
こちらが室内の展望室の屋上部に当たる展望デッキ 富士山がくっきり見えたら気持ちいいのですがね
そしてこちらが薩埵(さった)トンネル 特に何の特徴もないトンネルですが、実はこのトンネルの上にあります薩埵峠にこそ行きたかった場所。しかし残念ながら昨年6月に発生した法面の土塁崩落により最高の眺望が得られる峠頂上部は立ち入り禁止に
今回の静岡行きを計画時に調べたところ昨年の大雨による土類崩落、通行止めを知ったのですがもう一年近くも経過しているのですからいい加減、復旧しているのではと思いつつ静岡市の観光案内をしてくれる部署に確認したところ、いとも簡単に“当面復旧の見込みはないですよ”、と“東海道随一の眺望”をウリにしているのですから、そして折角の貴重な観光資源なのですから、復旧は可能な限りは早めて欲しいと思います
駿河湾に面した由比、この地は江戸の時代から風光明媚な地として知られており、安藤広重さんが描かれました「東海道五十三次」にも由比はこのように描かれているとともに(画像はお借りしました)
chuが立ち寄りたかった“東海道随一の眺望”をウリにしている薩埵峠からの眺望がこちら。有名なsceneですので皆様もどこかでご覧になられたこともあったのではそして“あぁ、ここね”が、その薩埵峠なのでした(以下2枚の写真は借りしました)
さて、予定通り「清水IC」で高速を降りまして次の目的地へとを走らせます。高速を降りて国道1号バイパス「静清バイパス」を走ったのですがここはちこっと渋滞してました。そして道路の上に高架道路を被せる工事を施工中でした。そしてこの工事現場でつい先日、施工中の工事従事者2名の方が亡くなる重大労働災害事故が発生。尊い人命が失なわれたことは本当に残念。事故のニュースを見てつい2か月前に通った場所の事故。お亡くなりになりましたお二人の御冥福をお祈り申し上げます。で、chuが向かっているのは「三保の松原」 この時は比較的はっきり、富士山は姿を現してくれていました。但し“この時は”です
「三保の松原」に到着三保の松原は海岸線に防砂林として植樹された松林と、海越しに見える富士山とが一つのフレームに収まった景観地で名勝の地として知られていますとともに、「富士山世界文化遺産構成資産」としても登録されています
松林の中には天女伝説で知られる羽衣の松がある他、パワースポットとしても人気の御穂神社や常世神の通り道である「神の道」も付近にあります
この松林の中は一方通行です
松林を抜けるとそこは海こちらも駿河湾です
うっすらと見えている陸地は伊豆半島の西側。伊豆半島の西側も、風光明媚な地がたくさんありchuも大好きなエリアなのですがいかんせんchuの住む千葉県松戸市からだと遠い(>_<)とっても遠く日帰りは困難(-.-)さらに道路の渋滞がひどい(>_<)そのため滅多に行くことが出来ないのです
おっと、砂浜に出た時は松林越しに富士山、見えました
砂浜に咲いていたハマヒルガオ ハマ、は付きませんが「昼顔」と聞くとカトリーヌ・ドヌーヴさんを想い出してしまいますのはその昔、“映画青年”だった時の名残でもあるかもです
おぉっ この時の富士山は機嫌がいいけど5合目付近は雲に覆われていますから、「富士山スカイライン」を走って、で到達出来る標高が国内最高地点の2400m付近に辿り着いた方、視界は真っ白ですね
三保松原文化創造センター「みほしるべ」に立ち寄り休憩ここでも売ってた富士山コーン一瞬、懐の紐が解けかけましたが理性が打ち勝った
これは駿河湾の沖合から松原と富士山を一つのフレームに入れて撮影した図 これは船で海上に出なきゃ撮影出来ませんから普通に「三保の松原」を訪れたのでは巡り合えない「絵」でもあります
で、次に向かうのがあの場所です(^^)v 山の頂に見えているのはデジタルタワー ま、電波塔ですね
で移動 15分くらいで到着です ここは「日本平」
そして真新しい施設「日本平夢テラス」にやって来ました
しかし肝心要の富士山 つい先ほど、「三保の松原」にいた時にはその上半分は見せてくれていたのですが15分経過しただけで今度は御覧のようにすっぽりと雲に覆われてしまいましたそして今回の旅でchuが二度と再び富士山を見ることは出来ませんでした下界はこんなにも晴れているのに…です
以下、「日本平夢テラス」の様子をお届けします。ですが“富士山の見えない日本平なんて…”ですよね
晴れていれば…いえね、晴れてるんですが富士山だけが姿を見せてはくれなかったのです15分前までは見えていたのにこの場所で暫く粘った(雲は動いていましたからなんとしても1枚だけでもしたかった)のですが、次から次へと雲が沸いて来て、結局、ダメでした
気を取り直して眼下には清水港 先ほどまでいました「三保の松原」は写真の右端の下側になります
目を西に転じると超高層ビルがそびえたつ大都会の街並みが二ヵ所、確認出来ました
Zoomを使わないとこうした連続した街になりますが明らかに「核」が異なります。写真、右側に見えているのがJR東海・東海道線の東静岡駅周辺で左側に見えているのが静岡県の県都、静岡駅周辺です
そしてこちらは徳川家康公が埋葬されています「久能山東照宮」そうです、徳川初代将軍で2023年の大河ドラマの主人公「どうする家康」の徳川家康公その方。「久能山東照宮」に行くためには日本平からだとロープウェイを利用して山の麓に下っていくことになります。今回、chuは「夢テラス」で“富士山姿現れ待ち”をしていて1時間近くを費やしてしまいそのため時間切れにて訪れることが出来ませんでしたですのでWebサイトをリンクさせて頂きますね
日本平を降り、静岡市の中心部にやって来ましたそして消火栓マンホールの蓋は“家康公が愛したまち静岡市” バックのデザインは富士山、久能山東照宮、そして三保の松原です
JR東海・東海道線「静岡駅」前を通過中 静岡県の県庁所在地の駅で、静岡県の顔そしてこの静岡市、三保の松原がありました旧清水市と合併し静岡市になっていまして人口約67.9万人の政令指定都市。ですが先ほど、日本平からも確認出来た通り駅周辺は大都市ではありますが、市の面積は1411.9平方キロメートルもあります全国で5番目の広さを誇る自治体なのですが、遠く人里離れた、それこそ熊しか棲んでいないような南アルプスの山中も静岡市ですからね
こちらは静岡県庁本庁舎 完成は1937年で登録有形文化財に指定されている建物
この周囲には、本庁舎とは別に高層の県庁庁舎があるのですが、その背後にあるのが「駿府城公園」
こちらが「駿府城公園」の一画で、元々ここには「駿府城」があったのでしたなお、この城郭は全て復元されたものですので文化財的な価値は少ないようです
以下、復元された駿府城の城郭などをお届け致します。そして「どうする家康」の徳川家康公、元々は愛知県岡崎の出ながら、幼少期より“人質”として今川義元の許に預けられていましたが、人質とは言っても無下に扱われていたことはなく、それこそ今川氏が治める駿河国の西側の地(三河国)を将来、安定させて欲しいとの英才教育の施しを受けていた、と言うほうが正しく、そのため家康公は岡崎よりも駿府(現在の静岡市)への思い入れも強く、後に江戸幕府を開いた家康公は早々に秀忠を二代将軍とし隠居。その後、この駿府城を本拠とし“駿府の大御所”として院政を敷くことになりました
2023年の静岡県内、「どうする家康」で熱気ムンムンですね chuの住む千葉県松戸市には最後の将軍・徳川慶喜公の弟で最後の水戸藩主、またこの方は徳川幕府が続いていれば第16代将軍になられていたと言われる徳川昭武公のお屋敷がありますが、徳川昭武公や慶喜公の父上は水戸藩主の徳川斉昭公。その斉昭公のずうっっと先祖は家康公の側室、お万の方が産んだ第11男の徳川頼房公(初代水戸藩主)。しかし頼房の生母でありますお万の方、ひと月ほど前に放映されました「どうする家康」では“お手付きしてどうする”で描かれていましたお万の方とは別人の“お万違い”であります。当時、“お万”という名前が多かったのでしょうか、紛らわしいです
こちらが駿府城公園の見取り図 公園内は、本当に「公園」でして城郭を示すものは復元された門や橋くらいしかありません
こちらが本丸堀 本丸を取り囲んでいた三重の壕の一番内側、即ち本丸に近かった堀だそうです。ですが本丸は影も形も残っていませんから、想像するしかないですね
以上、駆け足で「駿府公園」を御紹介させて頂きました最後に駿府城中堀の外側に設置されていたのが「徳川家康公出陣キット」ま、買ってきたばかりのプラモデルキットと思って頂ければそしてこちらは家康公がまだ最初の頃、今川義元公から贈られた金荼美具足の鎧と兜一式武田信玄との戦(三方ヶ原合戦)の中で圧倒的に劣勢の中、家臣の一人である夏目広次が家康公を逃がすため、この金荼美具足を付けて家康公になりすまし敵陣に切り込むも敢無く討ち死にてか、超優勢の武田陣営に入り込み家康公に扮して討ち死にするというのが最初からのシナリオ…まんまとこのシナリオに乗っかり家康公と思われた夏目広次の首を取り、喜び勇んで武田陣中に首を届けに行っている最中に家康公は現地から這う這うの体で逃れたのでした
こちら、設置されたのはどうやら2023年になってから。これも「どうする家康」効果なんでしょうね
で、“なぜプラモデル”なる疑問も沸くことでしょうそれは静岡市が“模型の世界首都”と言われているからではなぜ静岡市が模型の世界首都なのかと言うと、chuはもちろんの事、chuと同年代の特に男の子、小学生時代はプラモデル作りに熱中しませんでしたかそしてプラモデルと言えば「TAMIYA」のタミヤ模型静岡市に本社がありますこのマークに見覚えのない昭和生まれの男性、まずいないのでは
以上、2023年のゴールデンウィーク直前(4月27~28日)に訪れました山梨・富士・静岡の旅、今回無事にお届け終えることが出来、ホッとしましたリアルタイムに富士本栖湖リゾートの芝桜をお届けしました速報Versionを加えると計6回の連載となりましたが最後までお付き合い下さり誠にありがとうございましたまた特に今回のblogで紹介しました静岡市内のスポットには徳川家康公ゆかりのものも多く、しかし直近の「どうする家康」では正室の瀬名と嫡男の信康を結果として自ら手にかけるなど不幸な局面も描かれたのですが残り半分は切りました物語、今後どのようにして天下統一を図り戦のない安寧の世の礎を築き上げたのでしょうか、後半戦もますます目が離せませんね
※旅の帰路、新静岡ICから東名東京料金所までは1時間25分でした。ところが世田谷区の用賀から首都高経由、千葉県松戸市のchu宅までは3時間30分(>_<)これが、chuが東京を通り越して西、南方面(神奈川、山梨、長野以遠)にで出かけない理由なのです(-.-)