ゴールデンウィーク直前に訪れました標記お出かけ記録の続きです(^^)/ 前回は「世界遺産」にも選ばれています「白糸の滝」(複数の動画付きです)と、“日の出”の「ダイヤモンド富士」が眺められる田貫湖を御紹介させて頂きました👇
「休暇村富士」を後にしましたchu一行、次は富士宮市内へとを進めるのですが、その前に前回のblogに載せきれなかった写真を少し(前回は動画をたくさんリンクしましたので文字数は多くはなかったのですが1度にUp出来る許容量を超えたようです)と言うことで、田貫湖畔にありました素敵なキャンプ場、ちらりと立ち寄りましただけでしたがこのようなところでキャンプが出来たら最高だなぁと
こちらがキャンプ場の入り口午前中には上空は雲一つない青空が続いていましたが、午後に入ると御覧のように雲が目立ち始めました。しかし今日の天気予報は晴れですし太陽も輝いていますから問題はありません
“富士宮市へようこそ” 富士宮市は富士山の南西部に位置する人口12.5万人の町。東海道本線や国道1号線(昔の東海道)からは外れているため江戸~京都間にありました昔の宿場町ではないため主要な拠点ではないのですが、それでも「世界文化遺産」の富士山を擁し、またその構成資産となる白糸の滝を始め複数の浅間神社などがある見どころ多き町でもあります。今回の旅では本栖湖の芝桜や「白糸の滝」といった著名なポイント巡りだけには終わらせたくなかったため、比較的近場の旅ではありましたが一泊旅行にそして本日のお宿は富士宮市内に取りましたので市内を散策する時間はたっぷりあるのです(と言うことは、市内を紹介する写真もたっぷりとあるわけで、今回の旅、連載が長引きそうです)
こちらは「田貫湖キャンプ場」内にありました釣り人用の桟橋 桟橋上にボートが反転して置かれていますから、ここから田貫湖の中ほどに出て釣り糸を垂れる方もいるのかもしれません
桟橋から眺めた富士山 んどうやら富士山の右手(南側)には雲がにょきにょきと発達中です
いま、chuが居るところも桟橋ですので、同じような桟橋が比較的近い場所に2本、湖の沖合に突き出ています。そして写真の奥が、先ほどまでchuが美しい富士山を堪能していました「休暇村富士」から歩いたところにありました“富士山眺望点”がありました田貫湖畔です
さて、「田貫湖キャンプ場」を後にしましたchu一行、富士宮市の中心部へとを進めるのですが、とりあえず市街地の郊外にあります「山宮浅間神社」に向かいます(^^)/こちらは郊外にあることと、規模も決して大きくはないのですが富士宮市の中心街にあります「富士山本宮浅間大社」の元々の本宮その昔、坂上田村麻呂が皇の命により現在の「富士山本宮浅間大社」に遷宮したそうなのですが、ですのでこちらの社がオリジナル。またこの浅間神社には境内に本殿に該当する建築物が無く、遥拝所としての原始的な形態を留めているということが特徴ですでは、観て参りましょう 本来、こちらはとても由緒正しき社なのですが郊外にあることと、訪れる方も少ないということもあるのか、主要道路からの道標がないため辿り着くまでにとても迷いましたしかしなんとかとうちゃここちらが「山宮浅間神社」の鳥居になります。
由緒、言われなどが刻まれた石碑 読みにくいと思われますのでこちらを張らせて頂きました👇(富士宮市のHPです)
石灯籠の参道を進みます。神社独特の重みのある石畳が続きます
そしてこの先には真正面に富士山を仰ぎ見られる遥拝所があるのですが、その説明(先ほどリンクしました内容がより詳しく記されています)
遥拝所の周囲には溶岩礫を用いた石塁が巡っていまして
これより先には進めません
そしてここが最先端。本来であれば真正面に富士山 なのですが、富士山の右側にありました雲、にょきにょきと大きくなってしまいました(>_<)相変わらず周囲は晴れているのですが、山麓から頂きまですっぽりと雲の中
本来であればこのような感じで、心静かに厳粛に拝むことが出来るのですが
石灯籠の参道を通り、この遥拝所に来るまで大急ぎで来ましたため写真を撮影していませんでしたがこの通り、そこそこ長くて急な階段を登った先に遥拝所はあるのでした
訪れたのは4月27日 新緑がとても美しい富士山こそ見えませんでしたが静かな社を参拝させて頂き心穏やかになる事この上なし、です
最後に、と振り返りましたが雲は先ほどよりも厚くなった感じ霊峰富士を眺めましての遥拝は出来ませんでしたしかしきちんとここで手を合わせて願いを託しましたことに対しまして富士山は決してchu一行に無下にはされないことと思われます
石灯籠に囲まれた参道を歩き、駐車場へと戻ります。この間、行き違いました方はたったのお一人、お召し物から地元の方のように見受けられました
「山宮浅間神社」を後にしましたchu一行は本日のお宿でありますKURETAKE INN富士宮駅前にやって来ました時刻はまだ14時を少しだけ回ったところ。しかしチェックインは15時でして、一応、フロントに聞いてみたのですがリネン業者が各フロアのものを回収中とのことでお部屋には入れません(-.-)ですのでカメラと手荷物だけ身に付け、大物荷物はフロントに預けて街中散策へと繰り出します
本日のお宿 ホント、JR東海「富士宮」駅の真ん前ちなみにKURETAKEホテルは静岡県内を拠点とするビジネスホテル。本部は静岡県浜松市ですが(株)呉竹荘が経営母体で北海道と東京、東海各県と石川、広島、岡山の各県及びベトナム、インドネシア、韓国、タイの海外にも拠点を持つホテルチェーンです
“鉄分”は決して濃くはないchuですが、せっかく地方に来たのですから地方の電車にも乗ってみたいところこちらは山梨県の甲府駅と静岡県の静岡駅とを身延線経由で結ぶJR東海が誇る特急「ふじかわ」中央西線と篠ノ井線を経由して名古屋と長野を結ぶ「ワイドビューしなの」と同型でしょうか編成は僅か3両と、特急としてはの感じも受けましたが窓がとても大きく「ワイドビューしなの」と同型の車両のようです。大きな窓の特急って、JR東日本管内のものにはそうありませんから乗ってみたいところでしたが特急だと遠くまで連れて行かれちゃうので断念地方鉄道を乗る場合は“記念乗車”なので一駅だけでいいんですw
富士宮駅の時刻表がこちら👇富士宮駅は特急停車駅1時間に1本の特急以外に概ね1時間当たり2本運行されていますので身延線と言う地方路線にしてはまんずの運行形態と思われます。てか身延線って、もっとローカルのイメージを持っていたのですが、どうしてどうして、これだけ運行本数があればJR東日本の北関東の地方路線(新前橋、黒磯、高萩以遠)よりも便利のようです
そしてこちらが運賃表 身延線を使って甲府まで また静岡県の県都である静岡駅などは特急利用であれば乗り換えなしで(^^)/また驚いたことに右下の駅は東海道線のJR東日本管轄で神奈川県の茅ヶ崎駅平塚や茅ヶ崎と言えばもう完全に首都圏の、ちこっと遠いですが東京都心まで通えない場所ではありませんから、そう考えると富士宮駅は東京からめちゃくちゃ離れているわけではないんだということが分かりました。この運賃表を見るまで、富士宮駅って、chuの感覚的には“Far West”って思ってましたから
と言うことで、今回は身延線に乗ることは諦めて富士宮市街地の散策を優先させました。そしてこんな事(富士宮駅前に宿泊)でもなければ富士宮市街地を探索するって機会はそうそうないでしょうから、地方鉄道の電車に乗るよりもプライオリティは断然高いのです富士宮駅北口には御覧の様にペデストリアンデッキとなっていて、駅直結ではないのですが本日のお宿はホント、駅前ということになります
JR身延線に沿って西にしばらく進むと朱色の大鳥居が見えてきましたそしてその向こうには富士山を逆さまにしたような建物が…
そしてこの大鳥居こそ「富士山本宮浅間大社」の鳥居ですが本殿はここよりまだだいぶ北側になります
そしてこの建物こそ、世界遺産に登録された富士山の保護・保存・整備のための拠点施設である「静岡県富士山世界遺産センター」外観には静岡県産のヒノキがふんだんに使われ、格子状からなる逆さ富士の外観とのことで、やはり富士山をモチーフにされたものまた建物の前面にある池には富士山麓の湧水が引水されていて、その水面に映るこの建物は「正富士」に見えるように設計されているそうです。なお、木がふんだんに用いられた設計ですからてっきり隈研吾さんの作品かと思ったのですが別の方でした
「山宮浅間神社」に赴いていた時にはすっぽりと雲に覆われていた富士山でしたがこの時間になると山頂部分の雲は取れていました右手に見えている建物は「秀英予備校」本部は静岡市のようですが静岡県内と、神奈川県西部や北海道、宮城、三重、福岡の各県に教室を展開しているようです。しかし塾生にとりましてはこの「富士宮駅前校」がベストではだって、塾の講師は塾生に向かって“見ろ君たちが目指すところはあそこのてっぺんだ”なんて鼓舞するでしょうし、窓から見上げた富士の頂を見た塾生はアドレナリンがバンバン出て来て、実力以上の力が発揮出来ちゃう可能性が高いなんてねただ、名将・野村監督の言葉を引用させて頂ければ“勝ちに不思議の勝ちあり”ですから、富士山の頂を見て勉強に励んだ塾生には受験時、富士山パワーが後押しをしてくれるでしょうからこの予備校、とっても地の利がいいですw(※野村監督の言葉は「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」です。実に名言ですね)
「富士山本宮浅間大社」に向かって歩いていますそして間もなくお休み処やお土産屋さんが集まる「お宮横丁」へ
こちらが「お宮横丁」 グルメのお店がいっぱいです
小さな祠がありましたが何故か両脇には「うま!富士宮焼きそば」の幟がこの社って、ホンモノでしょうか
そしてこちらには“富士宮やきそば「アンテナショップ」”なるお店がありまして…
ちなみに皆さん、富士宮焼きそばってご存知ですかま、所謂、ご当地グルメの一つでして「B級グルメ」のカテゴリーで、その特徴はと言うと、ソースで和えていますからソース焼きそばではありますが、ただのソース焼きそばではありません。てか、chuは今まで意識して“おぉこれが「富士宮焼きそば」か”と意識して食べたことはなくですので今回の旅、せっかく富士宮に泊まるのですからおもっいっきり食べつくそうと乗り込みましたがしかし、時刻は14時30分を回ったところ。先ほど、「休暇村富士」にてランチ休憩したばかりなのでまだお腹はいっぱいだですので「富士宮焼きそば」を食べるのは夜にとっておくことにして、お土産として持ち帰り用の生めんセットも販売していましたので買おうとしたのですが、冷蔵品のため、直ぐに持ち帰って冷蔵庫に入れなければダメなんですって“今日は泊まりで明日の夕方に買えるのですが”と聞いてみたのですが、帰りがけにお買い上げいただければ、とのこと。しかし明日は早朝には富士宮を出て静岡方面へと西に向かうのでこちらで買う事を断念しましたあ、「富士宮焼きそば」の特徴でした残念ながらこの時はまだchuは説明出来ませんのでwiki様にご登場願いましょう(この時はまだ、と綴りましたがこの日の夜に食べまして、それはそれは美味しゅうございましたそしてちゃんと食感の違いも分かり、後で食レポさせて頂きます)
「お宮横丁」を後にしましたchu一行はいよいよ「富士山本宮浅間大社」にやって来ましたそしてあの雲がなければ雄大な富士山が見えるはずなのですが、またまたすっぽりと雲の中に
徳川家康と「富士山本宮浅間大社」との関わりにつきましての説明がありました本殿・拝殿・舞殿・楼門などは慶長9年(1604)徳川家康が奉賽のために造営したそうです。現在(2023.1~12まで放映)放映中の「どうする家康」ではまだこの辺りの話は出てきていませんね。最も家康公が駿府に入られるのは幼少期には今川義元に囲われて在府していましたが、義元が桶狭間の戦いで敗れた後、家康(当時は元康)は岡崎城(現在の愛知県岡崎市)に入り駿府に残った今川氏真とは対峙しますから、その後に駿府に移るのは江戸で天下統一を果たした後に将軍職を2代将軍・秀忠公に譲ってからですから、果たして今回の大河ドラマで取り上げられるかと言うと少々難しいのでは(間違えました💦寄贈したのは1604年ですから天下統一を果たし、思いが深い駿府への感謝からのこと。であるので「どうする家康」にも登場する可能性、ありますね😉)
本殿に向かって進みます。ゴールデンウイーク前の平日ですので境内も閑散としています厳粛な雰囲気の中をそぞろ歩きしつつ、奥へ奥へと進みます
いざ、本殿を目指してぐいぐい進みます
そしてやっと見えてきました
いよいよ本殿ですで、漸くここで「富士山本宮浅間大社」の説明をさせて頂きますまずとっても代表的な事を日本全国津々浦々に「浅間神社(せんげんじんじゃ)」と名付けられた社がありまして、皆さまがお住まいの地域にもきっとあると思われますが、「富士山本宮浅間神社」は全国の浅間神社の総本社なのですそしてこちらにあるのは本宮ですが、当社が護る奥宮こそ富士山頂にあるのでした富士山8合目より上の場所は奥宮の境内なのです詳細等につきましてはオフィシャルWebサイトを御覧下さい
この後も「富士山本宮浅間神社」境内を巡りますその後は富士宮市街の散策、そして富士宮の夜は更け…です