封印されていた母への思い | 悩みの根源を成仏させる地に足着いた心理学。

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心理学・森羅万象を創る正負の法則・量子力学をもとに、起きている現実から認知の歪みを紐解き、新時代を思い通りに生きる地に足着いた方法を提案します。

こんにちは。高橋ゆりこです。

 

「過保護のカホコ」9話。

 

観てから、ずっと心が痛い。


 

ふつふつと、こころの底から悲しみが湧いてくる感じ。


まだ封印しちゃってる悲しみが、わたしの中にいるんだな。

 

ということに、気づきました。


 

湧いてくる悲しみに抗わずに、今日は身を委ねています。

 

 

宇宙の法則や心理学的な内容の解説については、後日にして、

 

今日は、わたしの中に封印されていた悲しみが何だったのか?

 

について書いてみますね。

 

 

わたしの中にまだ封印している悲しみって何なのかな?

 

と思いながら、

 

じわじわ、ふつふつ湧いてくる悲しみに身を委ねていました。

 

 

でも、いまいち正体が掴めなかったので、

 

今日は時間もあったし、

 

もう一度カホコ9話を観てみました。

 

 

それで分かった。

 

 

わたしの中にある悲しみは、母への思いだ。

 

母親を許しきれないわたしの根っこだ。

 

許すことができないまま死なせてしまった罪悪感だ。

 

 

わたしの心を強く揺さぶったシーンは、いくつかあったのですが、

 

全て、母親の子どもへの思いが溢れているシーンでした。

 

 

 

 

家出をしようとしているいとちゃんを、力づくで阻止して、

 

いとちゃんの両親がいとちゃんに向かって言った言葉。

 

 

「あんたは、ほんとにあたしたち夫婦を残して、どっかひろーい世界に羽ばたいていくんだって、分かった。

 

だから、その時まで、何としても、その才能を伸ばしてやろうって2人で誓った。

 

あんたは、今でも奇跡の子だって信じてるよ。

 

せめてその時までは応援させてもらえないか?」

 

 

親は、子どもの幸せを強く強く願っている。

 

子どものために、自分がどれだけ苦労しても構わない。

 

そういう生き物なのだ。

 

 

「ゆりこのためだ」と、ずっと苦労ばかりしていた母に対して、

 

「そんなこと頼んでない!」

 

って、わたしは、ずっとずっと思ってた。

 

 

わたしのために苦労なんてしなくていいから、

 

お母さんには、いつも幸せに笑っていて欲しかった。

 

 

いつしか、「ゆりこのためだ」と言って苦労をやめない母を憎むようになった。

 

 

わたしのせいで、母が不幸なんだと感じてた。

 

わたしがいるから、母が不幸になるのだと思ってた。

 

だったら、わたしなんて生まれて来なきゃよかったってずっと思ってた。

 

 

罪悪感に苛まれて、苦しくて、母を恨むようになった。

 

 

あんたの苦労を、わたしのせいにしないでよ。

 

 

わたしは、母に対して、

 

母が亡くなるまでずっと、

 

いや、母が亡くなってからもずっと、

 

母に対して怒っていた。

 

 

いっぱいいっぱい干渉されたし、

 

いっぱいいっぱい反対されたし、

 

いっぱいいっぱいやりたいことをやめさせられた。

 

 

当時は、全然理解が出来なかった。

 

この人の娘をやめたい!って何度も思った。

 

 

でも母は、

 

わたしに、ただただ幸せになってほしかった。

 

ただそれだけだったんだよね。

 

 

頭ではもちろん分かっていたことだけれど、

 

今回9話を観て、ものすごく、この部分が刺激されて、

 

 

ああ。きっと、わたしのお母さんは、

 

ものすごく愛情表現がへったくそだったけど、

 

すっごくすっごく愛してくれていたんだなぁって、

 

突如、体感として、分かったのです。

 

 

ばあばが、三姉妹ひとりひとりに謝るシーンで、

 

ばあばが、カホコのママに対して、言った言葉。

 

 

「あなたには、一番厳しく当たったから。

 

その反動で、カホコのこと愛しすぎたんじゃないの?

 

大事なのは、その愛に自由があるかどうかよ。

 

カホコから考えることを奪わないでね。」

 

 

わたしの母は、わたしの行動が自分の思い通りにならないと、

 

いつも不機嫌になり、ずっと口をきいてくれなくなる人だった。

 

 

わたしの母は、まさに、カホコのママと同じような性格の人でした。

 

 

母は、小学校を卒業と同時に、住み込みで働きに出て、

 

下の兄弟5人と両親の生活を10年以上支えました。

 

 

長女だった母は、カホコのママと同じように、

 

とても厳しく育てられ、更に12歳で親元から外に出されて、

 

ひとりぼっちで家族のために働いた。

 

 

カホコのばあばの言葉が、

 

「その反動で、子どもを愛しすぎた」

 

という言葉が、強くわたしの胸を突いた。

 

 

どうしてもね。

 

「結局は、自分のためにわたしのことを愛したんだよね。」

 

っていう母への思いが抜けなかったの。

 

 

まぁ、それはもっともなんだけれども。

 

それも真実なんだけれども。

 

 

でもね。

 

そうなんだけどね。

 

そうじゃないんだよ。っていう部分。

 

 

愛って、

 

そういう理路整然とした矛盾の無いものなんかじゃなくて。

 

そんな美しく素晴らしいだけのものなんかじゃなくて。

 

沢山の矛盾に満ち溢れたものだってこと。

 

 

母は、確かに、自分の寂しさや不安を埋めるために、

 

わたしのことを、愛しすぎた。

 

自分の心を埋めるための道具として、わたしを使ってた。

 

 

だけど、じゃあ。

 

 

それだったら、その愛は偽物なのか?

 

まがい物なのか?

 

 

ちがう。

 

絶対にちがう。

 

 

わたしの欲しい形じゃなかったけど。

 

すっごく苦しかったけど。

 

愛されているなんて実感、これっぽっちも湧かなかったけど。

 

 

でも、わたしのお母さんの愛は、本物だった。

 

お母さんは、わたしのことを全力で愛していた。

 

 

ということが、なんかずどーーーんって分かった。

 

 

うまく説明できないけど、

 

やっと母の愛が分かった気がします。

 

 

わたしの母は、倒れて意識を失ったまま、

 

ばあばのように意識が戻ることなく、

 

わたしに何の言葉も遺さずにあっけなく旅立ってしまった。

 

 

もしもなんてないけれど。

 

でも、もしも。

 

母の意識があのとき戻ったなら、

 

きっとばあばのように、わたしに謝るんじゃないかって思ったの。

 

 

愛を伝えられなくてごめんねって、

 

きっと言ってくれたんじゃないかなって。

 

 

愛してるよ。

大好きだよ。

幸せになるんだよ。

 

って言ってくれるんじゃないかって。

 

 

ううん。

 

今でもずっと、天から伝え続けてくれているんじゃないかって。

 

そう思ったの。

 

 

自分の中に、まだ薄っすらと残っていた、

 

 

母親のようにはなりたくない とか

 

母親と同じことは絶対にしない とか

 

わたしは母としてこうありたい とか

 

 

そういうの、どうでもいいんだなって。

 

 

わたし、ちゃんと子どもたちのこと、愛せているのかな?

 

って、全然わからなくて不安だったけど、

 

 

なんか、それもこれもどれも、どうでもいいし、

 

今のわたしでオッケーなんだなって。

 

 

愛は、わたしの中にも、ここにちゃんとあるんだなって。

 

 

亡くなってもなお、お母さんが許せないとか、

 

人間性に欠陥があるんじゃ?

 

って、こっそり自分をさげすむことも、やめられそうです。

 

 

ぜんぶ、ぜんぶ、愛なんだなって。

 

どんなものも、愛なんだなって。

 

分かった。

 

 

なんかうまく言えないけど。

 

いつものように、理路整然と文章書けてない気がするけど、

 

このまま投稿する。

 

 

その方が、誰かの心に届くような気がするから。

 

 

 

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