109シネマズMM横浜にて『オーシャンズ』を観賞してきた。
「海ってなに?」
きっと多くの子供たちもこの映画を見て、自然の雄大さに大口を開けているかもしれない。
その質問に答えるべきは私たち大人なのだろう。
しかし、この作品を観賞し終わり、海洋の映像から私たちの社会に立ち返ったときにその説明がつくだろうか?
残念ながら、それは難しいと言わざるをえないと感じた。
人間がカメラを手に撮影していることを忘れてしまう映像は、さすがに凄い。
そのなかでも、セイウチの母が水に慣れない子を抱き、水面から顔を出してあげている様子には涙が出そうになった。
初めて目にした光景だが、そこに「動物」という観念はいっさい排されていたのを今にして思う。
不思議なものだと思った、見た目は人間と全く異なるセイウチの様子だ。
それなのに、間違いなくその映像を観る私は「セイウチ」を見ていなかった。
〝生命〟や〝家族〟というもの、そのもの、このようにして文字にしても伝わらない何か神秘的で現実的、根源的なものを感じたのだった。
自然に対する〝感動〟を知るためには、この手の作品はやはり最適だ。
同じような映像が使われようが、定期的に上映していくこと自体に意味があると思う。
しかし、〝感動〟で止まってしまうのが人間の小ささなのだ。
それを象徴的に捉えているという意味ではこの作品に大いなる意義を感じるが、その真意には疑義がつく。
中盤から後半にかけての人類批判のような描写には、多かれ少なかれ「一方的」な感が否めない。
私自身、生き物を食べるということに(心底から)感謝している人間というのは非常に少ないと思っている。
だから、「ありのままを映し出しただけだ」と言われれば、それで完成しても何の注文も無い。
しかし、あまりにも少数派の人たちの姿勢、自然に対する姿勢への配慮には欠けているように思えた。
いま一度、私たち人間と他の生物たちの存在を確かめてみようじゃないか。
自ら「何を今さら」という言葉を添えたい気持ちを慎みつつ…
上述のセイウチ母子を含め、多くの海洋生物たちの瞳は美しく、私たち人間には無い素直さで輝いていたのだ。
言葉も出ない。
しかし、彼らの心は感じ取っているはずだ。
「海ってなに?」
きっと多くの子供たちもこの映画を見て、自然の雄大さに大口を開けているかもしれない。
その質問に答えるべきは私たち大人なのだろう。
しかし、この作品を観賞し終わり、海洋の映像から私たちの社会に立ち返ったときにその説明がつくだろうか?
残念ながら、それは難しいと言わざるをえないと感じた。
人間がカメラを手に撮影していることを忘れてしまう映像は、さすがに凄い。
そのなかでも、セイウチの母が水に慣れない子を抱き、水面から顔を出してあげている様子には涙が出そうになった。
初めて目にした光景だが、そこに「動物」という観念はいっさい排されていたのを今にして思う。
不思議なものだと思った、見た目は人間と全く異なるセイウチの様子だ。
それなのに、間違いなくその映像を観る私は「セイウチ」を見ていなかった。
〝生命〟や〝家族〟というもの、そのもの、このようにして文字にしても伝わらない何か神秘的で現実的、根源的なものを感じたのだった。
自然に対する〝感動〟を知るためには、この手の作品はやはり最適だ。
同じような映像が使われようが、定期的に上映していくこと自体に意味があると思う。
しかし、〝感動〟で止まってしまうのが人間の小ささなのだ。
それを象徴的に捉えているという意味ではこの作品に大いなる意義を感じるが、その真意には疑義がつく。
中盤から後半にかけての人類批判のような描写には、多かれ少なかれ「一方的」な感が否めない。
私自身、生き物を食べるということに(心底から)感謝している人間というのは非常に少ないと思っている。
だから、「ありのままを映し出しただけだ」と言われれば、それで完成しても何の注文も無い。
しかし、あまりにも少数派の人たちの姿勢、自然に対する姿勢への配慮には欠けているように思えた。
いま一度、私たち人間と他の生物たちの存在を確かめてみようじゃないか。
自ら「何を今さら」という言葉を添えたい気持ちを慎みつつ…
上述のセイウチ母子を含め、多くの海洋生物たちの瞳は美しく、私たち人間には無い素直さで輝いていたのだ。
言葉も出ない。
しかし、彼らの心は感じ取っているはずだ。












































