チネチッタ(川崎)にて『ルドandクルシ』を観賞してきた。







「それなりに幸せ!」



まさに、この言葉がこの作品の全てといって良いだろう。



PKに始まり…



PKに終わった。



そんな彼ら兄弟の夢物語。



そして落ち着く場所は…



大好きな道具を手に、大好きな陽を浴びて、切っても切れない縁のある相手。



お金や名声、それに女なんて何にもいらない…



自由さえあれば。



メキシコの埃っぽく、どこか金属っぽい匂いのする熱風の中…



ある兄弟の生が戸惑い、そして躍るのだ。



眩い陽射しがリアルな生活感を照らし出し、常に熱狂的な人々が絶妙に楽しくなるテンポを奏でだす。



個人的に大好きな俳優が演じるタト(ガエル・ガルシア・ベルナル)、そして『ミルク』での好演が光った俳優が役に入ったベト(ディエゴ・ルナ)。



このキャスティングが物凄く贅沢に思える、それほどに中身に全く派手さの一片も見当たらない。



バナナ園からプロのサッカー選手へ…



その過程はどこか黄金色を視界に捉えつつも、とてもダサい雰囲気に充満している。



全体を通しての見事なテンポにそんな感覚が目立たないが、終幕を迎えると「当たり前」のようにそこに鎮座している。



「うん、これが彼らなんだ」



果たして何も変わらない、それは私と何も変わらない、透明なる普遍性に基づくものなのだから。



見事に私自身としても嬉しかった。



そう思える自分にも、きっとどこかダサいところがあるのだろう。



いつまで経っても変わらない、喧嘩いっぱいの兄弟だから…



ギャンブルだって麻薬だって、どんな毒にも溺れない。



開放感の中にある“べき”、人間の心。



ひとつだけ明らかなことがある。



決して現在のこの国では、その温かさに触れることはできない。



ルドandクルシの兄弟に、自分と同じ緩さ、曖昧さ、いい加減で能天気…



そして、自然とたどり着くことを望む場所、自由への枯渇と希望を感じた。



それでいいんだ、そんな世界もある。



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そんな人々もいる。
初めて大森海岸駅で下車。



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この辺りに若干ながらも土地勘のある連れの考えで、当初は担々麺を食べにいく予定だったが…



閉まっていたので、別のお奨め店。



以前に仲間と食べに来たことのあるという【SHAKTI】へ。



カレーのバイキングが950円という安さ…



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もちろん、日本人の味覚に合わせたマイルドな味で、他所で頂くような高級感のある味わいではなかったが…



全く以て期待以上!



というより、カジュアルで懐かしさを感じるようなカレーがお腹いっぱい食べられる費用対効果の良さは判然。



とにかくお腹を空かせていた私は、甘くもっちりしたナンを立て続けにお代わりし、4種類のうちから特に気に入った野菜カレーと激辛カレーとともに堪能した。



いずれのカレーも具がたっぷり入っていて、懸念される飽きも訪れない。



玉子がまるごと入ったエッグカレーなるものには驚かされた、かなり甘い。



腹を空かせたビジネスマンたちが列を成すというのも頷ける。
中高6年間を過ごした鎌倉へ。



連れが希望した【Brasserie 雪乃下】にてランチ。



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数種類のメニューから選ぶのだが…



迷った、久しぶりに。



そのわけは、それぞれのメニューに彩りを添える野菜たち、鎌倉野菜の写真だった。



サラダには、夕陽のような色合いのドレッシングが。



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これはにんじんを摩り下ろしたようなもので、とても濃厚な色艶にも関わらず…



にんじんを野菜界“唯一の”敵とする私にも、そのほんのりとした甘みと酸味が、鎌倉野菜を上品に盛り立てる味わいを立ててくれていた。



「素材が何より」



シェフの食に対する優しさを感じている。



そして美しく盛り付けされた、ステーキ丼。



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鼻を突くようなバルサミコの香りが、この好奇心溢れるような庭園を明るくも妖艶にも魅せる!



とても柔らかくジューシーな牛肉と、周りを囲む鎌倉野菜の数々…



バランス良く配され、口当たりの良いものばかり。



その中でも、特にブロッコリーの美味しさが際立っていた。



今までに食したうち最も瑞々しく甘美、それは紛うことなく主役級の美味しさだった。



上述のブロッコリーを始め、他にもカリフラワーなども大変美味しかった。



野菜が大好きな私としては、これ以上無い至福の食事となった。



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「鎌倉スタイル」を標榜するこのレストラン、他の人にも何だか自慢したくなる、そんな空間だった。



そして…



バレンタインということで、連れが恒例となった手作りお菓子をくれた。



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今年の始めに川崎で食べた、あの麩まんじゅう!



凄く綺麗な色合いが目を惹いたけれど、食べてみて感動した。



よもぎの風味が非常に強く、私好みのちょっとした苦味がまろやかな漉し餡と絶妙に合う!



もっちりした皮は爽やかさを感じさせ、涼しい気分にさせてくれた。



いくつでもイケそうな…



美味しさ。



将来のパティシエ?和菓子職人?



何にしても期待してますよ!!
シアターN渋谷にて『サベイランス』を観賞してきた。







冒頭から耳に障る不協和音、そして悲劇的で救いようのない映像…



“あの”世界がまた始まる。



サベイランスとは、「監視」。



何を視るのかは、人それぞれなのだろう。



だからこそ、この作品では“もうひとりの”もしくは“あと何人かの”犯人さえ判明してしまいそうな印象を受けた。



あっさりと正体を示す犯人がいるからこそ、何か他のものをも詮索してしまう。



自分はもはやリンチワールドの住人なのか?



きっとそうなのだろう、私の大好きな『マルホランド・ドライブ』をはじめとして、そうやって楽しんできた。



彼らの世界観と自分の世界観、どっちが広いのか、どっちが色鮮やかなのか…



そんなものではなく、無意識のうちに詮索してしまう自分に対する可愛らしさとでも言おうか。



今回、最も目撃していたのはステファニー(ライアン・シンプキンス)、幼い女児である。



〝I know who you are〟



そのひと言は最後に明らかになる。



それまでの畏れさえ抱きそうになる無関心さ。



生き残った3人の証言者と各々の回想場面で、様々な伏線(のようなもの)が散りばめられているので、一見「やっぱりな」と思えてしまいそうであるが…



それ以上の恐怖を包含しているような、とてつもない不快感が胸を襲う。



そこに輪をかけるように、車で立ち去る犯人たちを眺める彼女の構図に何とも不条理な感を覚える。



何故か?



実らずに終わったものの、確かな潔白と真実を伝えようと試みたステファニー。



その純潔な可憐さの、ある意味では対価とも言えるような状況で作り出されてしまった凄惨な殺人。



どちらにも主眼を置くことができない、然らば…



私たち観客自身の監視も、やはり警察指揮権の管理下に置かれているからだろう。



マジックミラーのような撮影技法で、壁を透かして証言者控え室の内部を見るカタチになる場面が序盤に登場する。



私たちの視点を一点に定めるのを拒むような、事件現場の写真を「ここに貼るな」と言い放ち剥がしはじめたサム・ハラウェイ(ビル・プルマン)の表情とその口ぶりが後になって思い出される。



私たちに対する催眠的暗示ともとれる。



しかし、ジェニファー・リンチ監督の真意はそこには無いのだと思った。



そこが違うのだ、“彼らの”世界は。



荒野に広がる静けさ、そして銃声や悲鳴の織り成す雰囲気は独特。



何も起こらないようで、何かが起こるのだ。



何も分かっちゃいないようで、全てをお見通しなのだ。



やはり2度以上の観賞で深みが増し続ける作品であることは間違いない。



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ミニシアター公開らしい、とてもマニアックな作品ともいえるかもしれない。
109シネマズ川崎にて『インビクタス/負けざる者たち』を観賞してきた。







まるで青々と茂った芝の上を駆けていくかのように…



「過去」は事実となり、書き換えることは不可能。



オーウェルの『1984年』、〝二重思考(ダブルシンク)〟という言葉が脳裏を掠めた。



自由は隷従なり…



肌の色で選択さるる現実とは如何ほどなのか?



あまりにも縁遠く、浅薄な見識を調えるまでもなく…



その瞬間は訪れる。



全てのエスニシティを超越するかのごとく猛々しくも、眩いほどの美しさを伴って…



スタジアムに響いた〝ハカ〟の轟音と、そして南ア国家の旋律。



そんな環境で何を思うか、ネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)とフランソワ・ピナール(マット・デイモン)のふたり。



彼らが牽引したそれぞれのフィールドに、私たちが忘れがちになっている認識がいくつも隠れている気がした。



「(南アの人々の声が)聞こえるか?」



「私は我が運命の支配者、我が魂の指揮官なのだ」



全てが詰まっていたこれらの言葉に、喉元に噴出を心待ちにする炎を感じた。



これが開放感なのか。



あまりにも鬱積した自分の中の何か、それに対するやり切れなさや怒り…



だけでない、今にもピナールからのボールを受け取り、燃えるような白線に突っ込みたくなった。



喜望を感じる瞬間。



最後の30分間、ダイナミックかつ時々のスローモーションに迸る選手たちの汗が光っているのだ。



これほどまでに政治的意図が働かざるをえない大会で、その暗黒時代の記憶に立ち返らせないばかりか…



ひたすらに前を向かせる。



まさに彼らの依拠するところ、家族や仲間、オフィスの職員たちの魅せ方からして、隣人であることを強く感じさせてくれたというのは最大に貢献しているのだろう。



その中でも、初めてそのふたりが顔を逢わせたシーンはとても微笑ましい。



交わした言葉の呆気なさの中に、私たちに必要かつ欠けている急迫のものが潜んでいるように感じた。



時代は光速のスピードで進み…



心は音速の変化を遂げる。



マンデラが囚人として過ごした日々に、その孤独を共に過ごした光が「我が負けざる魂<インビクタス>」であり…



黒人大統領誕生という歴史的状況に、希望もしくは恐怖にと震え上がった人々の心の軌道を一にしたのがピナールの誇りであった。



果たして私たちは、追いついていけているだろうか?



優しい笑みと真っ直ぐな瞳が、まさに後ろへとボールを運んでくれようとしている。



ちなみに…



作中のワールドカップで南アが優勝を飾ったのは1995年。



決勝戦の相手である〝オールブラックス〟ことニュージーランド代表の選手たちが、私の小学校を訪問してきてくれたことがあった。



それが1994年のことで、私が小学校3年生の頃だ。



その1年後にこんな奇跡の、ある意味では当事者になっていようとは…



この南ア優勝という事実を知らなかった自分としては、非常に驚いた。



自然とあの頃の自分と、現在の自分を比べてしまう。



弱小と呼ばれていたスプリングボクスの選手たちの成長を見たからだろうか?



そんな在り来たりの回想ができるのは、その意味ではスポーツ映画の良さなのだろうね。



運命の支配者、魂の指揮官か…



ピナールを筆頭にして貧民街の黒人少年たちにラグビーを教える場面を思い出す。



子供たちの笑顔が、最初は不満げだった選手たちの表情も心も和らげるのだ。



自然とこちらの頬もほころび…



涙が零れていた。



それぞれの辿る運命も、そして育んでいく魂も彼ら自身に委ねられているんだな、と。



その意味ではマンデラの云う「赦し」、その所在は自ずと明らかになるのではないか?



血や汗、泥や酒にまみれた男臭さや後悔や懺悔の充満した社会。



そして母子の愛情や未来への希望を謳い続けてきた監督の、その集大成といえる礎となったのではないか。



一方から捉えたリアリティよりも、双方から観察するカオスに心を動かされる…



多くの作品を鑑賞してきた私でも、そんな印象を抱かせてくれるのはクリント・イーストウッドしか知らない。



また、マット・デイモンはひょっとすると現在世界一「演じる」ことが巧い、つまりプロフェッショナルと称されるべきだと感じる。



最近の作品での彼の好演は、時には独壇場とさえ思える。



少年のようなおどけた表情、その裏には“そのまま”成長した大人の責任感と強さを感じさせてくれる。



まさに『インビクタス』でピナールを演じたのが彼であることは、それ自体が当然であって…



一方でピナール本人とマットが似ていたのは奇跡的だった。



今年は南アフリカでフットボール(サッカー)のワールドカップが開催される。



普段あまり知ることのない南アフリカの街の、民衆の映像がこの目に飛び込んでくる。



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いくつもの国旗や国家、それぞれの誇りがカタチになることを歓喜で迎えたいと思う。



私たちにはその自由がある。
電車に乗っていても、毎年のように聞こえてくる。



年始とこの時期くらいであろうか、方角の話題を持ち出すのは。



「西南西ってどっち?」



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我が家にも、365日で唯一の瞬間が訪れる。



ようやく自らの旅がひと段落を迎えたからだろうか…



家族のこともこれ程までに大切に思える、そんな当たり前のことが大変嬉しい。



日本で自らの置かれた環境に疑問を抱き、咄嗟に海を越えた。



その頃を思うと、家族のことなんて何も顧みる余裕なんて無かった。



そんな放蕩と思考の旅も、もうすぐ決着を迎える。



血縁とは非常に面白いものだ。



今度は弟が自分と同じ道を歩もうとしている。



360℃を見回すと、そのどこかには必ず進むべき道がある。



ちょっとはロマンチストになってもいいんだぞ!
109シネマズMM横浜にて『ゴールデンスランバー』を観賞してきた。







伊坂幸太郎エッセンスが散りばめられた作品、まさにそうなのだろう。



そして堺雅人の演技力が見事に光っていたように、素人目にも感じてしまうドラマだった。



2時間を越えるなか、その展開の速さは物凄い。



それでいて分かりやすく、原作者のエッセンスを個々で結びつけるのが容易。



(普段どちらかというと邦画を酷評する機会が多い)自分としても、邦画の良さが凝縮された見事な作品だと思った。



ところどころに含まれる社会批判や、それが時として人類批判まで拡大しているように思え、個人的には何度もカタルシスに陥った。



いや、落ち着いたと表現するのが適正か。



ミステリーという観点で推され続けるのが勿体ないと、恐縮不適格ながらそう思ってしまう。



大統領暗殺の濡れ衣を着させられた青柳雅春(堺雅人)が逃げまくる、まさにそれと機を一にして…



進んだ(と間違いなく称され続けるであろう)社会、そして疾走(失踪)していく人間関係。



新たな出会いが彼の逃走を手助けしていく模様が大変にスリリングで面白いが、その反面…



「イメージ」の恐ろしさや、その根深さを植えつけておきながらも、最後には「イメージ」そのものの〝まんま〟に希望を見出していく。



その過程、たびたび導入される回想が懐かしく、どことなく逃走者の見たいと願っている夢のような印象を与える。



私自身、彼に感情移入していたのだろう、自然と熱くなるものを感じていた。



多言は要しない作品であり、日本人にとっては誰彼と構わず観賞する価値が多分にあると思う。



「エンジンかかったくらいで泣くのかよ」



一部を除く日本中を敵にした(むしろ逆かもしれないが…)犯人と断定されたひとりの男の言葉がとても心に響いた。



彼の置かれた境遇は確かに稀有で、異常なくらいに特殊である。



だからこそ、その言葉に込められた痛切な思いを受け取った瞬間には驚いたし、涙をもって迎えてしまっていた。



こんな心象を述べるのは、ある意味場違いなのだと思うが…



日本人は、もともとは綺麗な人間だったのだと感じた。



それはこの作品を通じて登場する轟煙火が打ち上げる花火から受け取った印象だ。



回想の場面は勿論のこと、勾当台公園で逃亡犯が佐々木一太郎(香川照之)と対峙したときに打ちあがった大きな花火のこと。



大いなる陰謀の果て、とても緊迫したその端緒における場面とは思えない。



登場人物たちの顔や行動、その言葉にとどまらず、観客である私たちでさえ〝その瞬間〟は忘我に浸る。



どこか心底に潜む共通したものを覚醒させる瞬間であり、それは作品自体の大々的に見せる矛盾や「不条理」を忘れさせる。



花火…



その「イメージ」は、紛れもなく本物である。



それが分かるだけでも感動的だ。



今年も夏に観る花火、きっと沢山のことを意識していることだろう。
渋谷駅から幾ほどか歩くと…



若者と流行の2文字が雑踏に溺れる空間から、まるで別の空間に入り込む。



連れの希望で【茶茶の間】というところで昼食をとることに。



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店内には数多の日本茶が並び、木の温もりを感じるようなハイセンスな様子だった。



ランチメニューの中から、キャベツと豚を味噌味でまとめた丼に、このお店特製の十菜汁(ミニ)をセットで注文。



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テーブルに並べた瞬間に香る濃厚な味噌が食欲をそそる。



見た目にも濃密な味を呈していそうだが、これが良い意味で期待を裏切ることに。



本当に感動したのは、そのキャベツの旨さ。



とにかく甘い!



その甘さが濃い目の味付けを包み込むようで、非常にバランスが良い。



そして十菜汁。



ごろごろと大きな具が嬉しい、さっぱりと薄味。



上記したように、ここは野菜が本当に美味しい。



素材の旨みを最大限に「尊敬」しているような印象を受ける。



日本茶のソムリエさんがお店に常駐する、そんな拘りはプロフェッショナルの真髄をみた気がした。



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そういうものを「感じる」ことができるのは、自分としてはこの上なく嬉しくてたまらない。



そしてこちらも名物となっているようだ。



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土日限定らしい、抹茶いり苺ティラミス。



マスカルポーネが雲のようにふわふわで、一息でもかけようものなら飛んでしまいそうな細やかな抹茶が積もる。



仄かな苦味が、まろやかでコクのあるマスカルポーネとよく合い、苺のアクセントが舌を潤すようだ。



とても考えられた甘味だと思う。



連れが選択しただけあって、とても良質で粋なお店に大満足した。



とにかく野菜大好きな自分としても、直感的にその野菜を扱う「心意気」を知ることが何よりも望ましい。



それから、代々木駅近くにある【鞍馬サンド】というお店にも行った。



調べてみると、どうやらここと三重県は鈴鹿にあるサンドイッチ専門店らしい。



とにかく注目していたようなので、その一品をとりあえず食べてみることに。



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「醍醐」と名称がつけられたこのサンド、中身はなんと納豆とコーヒーゼリー。



これほどまでに興味深い組み合わせがあるのか。



食感や風味の相反する両者が混ざり合うと、如何なることになるのか?



ひと口…



期待に漏れず、つらと延びる糸がクリーム状に色づく。



しかし瞬間的に分かる、その抜群の相性!



コーヒーゼリーの控えめな甘さと奥深い苦さ、そして納豆のそれ。



それぞれの良さが交錯していくのが伝わるか。



凄く美味しい!



他にも「尾張」というみそカツのサンドも食べたが、こちらは至ってノーマルだが味噌が意外と本格的な風味で美味しかった。



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お昼にはサラダバーも楽しめるというこちらの店舗、是非ともその機会に訪れてみたいものだ。
109シネマズMM横浜にて『ラブリーボーン』を観賞してきた。







上映開始から僅か1、2分…



大好きなアンビエント音楽のブライアン・イーノ『ミュージック・フォー・エアポート』が流れ、カミュの『追放と王国』が映し出される。



その雰囲気に、自分としても驚くほどに甘美な気分に浸るのを感じた。



そうか、この作品におけるテーマは一種の〝死生観〟などといった百色の語り部が存在する話ではない。



もっと原色に近い、誰の目にも心にも明らかな物語なんだ。



『ラブリーボーン』というタイトルを初めて知ったとき、原題はどのような表記なのだろうかと勘繰ったことを思い出す。



つまり、骨なのか…



「生まれてきた」そのことがもつ意味なのか。



美しい映像で描かれる、夢の世界。



スージー・サーモン(シアーシャ・ローナン)が漂い流れ行く世界と、(敢えて言うと、「まるで」)平行した時間軸のなかで展開される捕り物が微妙な繋がりを維持される。



早々と犯人が明示され、さらにその犯行の瞬間が猟奇的な印象を徹底させる。



だからだろう、意外なほどに警察たちの存在感が強かった。



全体的に、被害者感情を逆撫で兼ねない現実が悪魔のように微笑んでいたような印象を受けた。



それに屈することのないスージーの気持ちの強さ、遺された家族の絆か…



正統派の、綺麗なストレートストーリーだと感じた。



不甲斐なさに対する人間の苦悩や怒り、そして大切な人を失うことへの…



果たして本当に「失う」のか?



幻想的で明示的なスピリチュアルとは違う、現実的で暗示的な精神世界ならぬ精神構造を解き明かすには、ある意味新義といっていい言葉なのかもしれないと思う。



自分の例をとってみれば、駅で定期券を落とした場合に感じた違和感が思い出される。



それは、この作品の最後の場面。



その展開のなかに、スージーが胸に抱いた想いが明らかに答案として提示してくれたような気さえした。



何かを「失う」こと、そこには「復活」と共にする言葉が隠されているのかもしれない。



魚のような名前をもった彼女、思春期真っ只中にあった彼女、予期せずして殺されてしまった彼女。



その叫びを悲痛ととるか、ギフトととるかは私たち次第。



真摯に耳を傾けること、それが出来るか出来ないか、実は物凄く単純な事実だったりするのかもしれない。



私たち大人は、難しく考えすぎているようで、最も愚かでしかない。



そういう視点で捉えたとき、父のジャック(マーク・ウォールバーグ)、そして妹であるリンジー(ローズ・マクアイヴァー)の行動は真意を突いていたんではないか?



最近日本でも起こったある事故などが頭を過ぎった。



本当に大切にするべきものが何なのか、その道標がここにある。
シネマライズ(渋谷)にて『フローズン・リバー』を観賞してきた。







とても小規模で淡々と進んでいく作品ではあるが…



こんな時代だからこそ、とでもいえるような即時性を大いに含んだ内容だった。



マイホーム購入のために貯めた資金が夫のギャンブルへと消えたレイ(メリッサ・レオ)、早世した夫との子を義理の母親に引き取られたライラ(ミスティ・アッパム)のふたり。



それぞれの家庭背景、そして現在の状況と将来への展望…



ここまで精緻にハマる作品は、決して多くない。



監督が「女性が主役の映画はアドベンチャーに富まない」という評価に奮起したのも頷ける。



ふたりの女性がそれぞれ抱く苦悩は、カタチを異にして無限な点に通ずる。



それらが文字通り、薄氷を駆け抜けていくような危険と、その先にある微かな光を求めていく旅を紡ぎあげる。



男性の私からすれば、然る点こそが母親の愛情なのだと感じた。



パキスタン人夫婦を不法入国させる際に起きた奇跡は、ふたりの差異を明確にすると共に、それでもやはり切り離すことの出来ない生物的な希望までも喚起した。



イギリスに留学していた私としては、きっかけは違えど同じような体験をした記憶が甦ってきた。



「これこそ留学の本旨だ」そう本気で思えた瞬間には、何も不安になる対象(未知や未開への恐怖)が存在し得ないことに気づいたものだ。



彼女たちには、自らが必要だと確信している状況があった。



そんな状況下において、あの究極的な選択とは…



残酷と言わざるを得ない、その現実。



ウィンウィンの関係や、プラスマイナスの関係などという概念に日々追われ続けている私たちには到底考え付かない詰問、そして選択である。



アメリカとカナダ、北米の厳寒地帯に横たわる…



純度の濃い氷河が融解するとき、そこには何が流れるのか?



法益侵害と法律、人権侵害と人道…



何でも起こるのが現実なのだ。



こつこつと貯めた大金が一瞬で消え去ることも、愛していた人を突然失ってしまうことだって現実だ。



既存のフレームに…



生まれついたときから、不条理で不可解な檻に閉じ込められているかもしれない。



それでも文句は言わない、決して。



それが強くなるチャンスなのだと知っている人なら。



誰のために強くなるか、それは心が新雪のように純白であるならば明快だ。



生涯未婚である人々が多くなり、「子供なんていらない」と平気で宣する女性が圧倒的に増えている。



たしかにそれらは彼らの権利、選択だ。



しかし個人的にそこに美しさの欠片も感じない。



自らが逮捕されようと、子供たちとの夢の新居購入が叶わなかろうと…



同じ〝母と子〟の絆を、ギリギリのところで自己犠牲に代わりに繋ぎとめた選択もあるのだ。



そこに普遍を感じた、しかしこういう類の発言が歓迎されることは無いだろう。



現実はどこまでも愚かで無惨だ。



$Chronoblivion



しかし信じて、強くなることが必要なんだ。



いつかもうひとつの時計は、その生命の分秒を重ねてゆくのだから。



必ず雪は融ける。