引き続き、2025年9月7日に行われた、「三国志大文化祭2025」および「三国志学会第二十回大会」の所感を中心に記します。
〇魏志倭人伝だけでは邪馬台国の場所を特定できない
邪馬台国がどこにあったのか、畿内説と九州説が有力なようですが、九州説でも複数の候補地を聞きますし、2説以外では沖縄、四国、山陰、北陸などを聞いたことがあります。
各説は魏志倭人伝の記述を根拠にしていることが多く、方角や距離をどう解釈するか様々な工夫が凝らされています。解釈はなるほどと思えたり、少々曲解と感じたり様々です。中には邪馬台国が自県になるように読み解き、地域振興に利用する意図が透けて見える説があったような気もしますが。
さておき、邪馬台国の大した知識がないものですから、専門の方から畿内説の根拠を聞くと納得し、九州説を聞くとこちらが正解かと思ってしまいます。それでも以前より思っていたのは、魏志倭人伝の記述だけでは邪馬台国がどこにあったのか、判断するのは限界なのではないかということです。
そもそも様々な解釈ができる文章であるばかりか、距離や方角はどんな水準の技術で測量されたか不明です。陳寿が基にした情報源が正確に伝聞されたものかもわかりません。さらに、地理的な正確さより当時の思想を反映した場所、言い換えると倭や邪馬台国はここにあるべきという場所に書かれているという説も聞きます。
魏志倭人伝は当時の感覚だと「正しい内容」が記されている前提にするのは構わないでしょう。ただそれは、現代に「正確な情報」と言えるとは限りません。何も魏志倭人伝が誤りだらけと言うつもりはありませんが、どこまでが正確であるかわからないと、邪馬台国の場所も判断つきません。
ただ、現在発見できている文献や出土品からは、魏志倭人伝がどこまで正確で、複数の解釈があれば何が正解か確定しきれないのでしょう。佚文や未知の文献の発見や、新たな出土品の発掘がない限り、邪馬台国の場所はいつまでも推定されるだけだと思います。副葬品として親魏倭王の印が見つかり、卑弥呼の墓として認定できる程の発見があれば、邪馬台国の場所が確定できるかもしれません。
とは言うものの、歴史はわからないことがあるから面白いとも思います。邪馬台国論争も終止符が打たれるのか、論争が続くのか、どちらがいいでしょうか。
(関連ブログ)
『三国志学会第二十回大会を拝聴して(二・三国志演義の諸葛亮像)』
『三国志学会第二十回大会を拝聴して(三・歴史書の取捨選択)』前回