雪組編で述べたように、旧東京宝塚劇場では1年の半分しか宝塚歌劇を上演しておらず、大劇場の全公演を東京では上演できない状態だった。そのために新宿歌舞伎町の(現在ゴジラが屋上にいるビルのところにかつてあった)新宿コマ劇場で公演したこともあったのだが、当時の歌舞伎町は今とは比べ物にならないほどに猥雑で危ないエリアだったため、若い女性が主な観客となる宝塚歌劇にはふさわしくないとして1981年で終了となった。しかし東宝劇場も老朽化が進んできたため、1993年の大劇場建て替えの後に今度は東宝劇場を建て替えて念願の東京通年公演の実現を目指すこととなった。そのために1997年末で旧東宝劇場での公演を終えると、帝国劇場で2か月公演した後に、有楽町駅の脇に仮設のTAKARAZUKA1000days劇場をオープンさせて通年公演を開始した。但し生オーケストラではなく録音での公演となった。"1000days”は新劇場の建築予定期間の2年半に因んだとのこと。当初“仮設劇場”とのことだったが、20年以上経った今も有楽町駅横にある赤い三角形の建物がそれである。
新劇場計画の段階で、当初は舞浜東京ディズニーランドの隣に劇場を新築するという案もあって、一旦はそれで決まったかのような報道もされた。多分宝塚ファミリーランドの隣にあった旧大劇場をイメージしたのかもしれないが、この案は結局立ち消えとなり、結局現在地での建て替えという事に落ち着いてくれて一安心したものだった。
実は1997年末をもって旧東宝劇場で宝塚歌劇の公演が終わった後、翌1998年3月実際に建物の取り壊しが始まるまでの約3ヶ月間は劇場でジャニーズが公演をしていて、そのチケットのために今度はジャニーズファンの女の子達が劇場近辺にたむろする姿が見られた。年が明けた1998年2月のある日、東京は朝から大雪が降って非常に寒い一日となった。そんな寒い雪の中にもかかわらず、相変わらず路上にはジャニーズファンが群れているのだが、やはり余りの寒さにグループ毎に固まって雪にまみれながら立ち尽くしている。その姿を見て思わず下北半島に住む北限の猿たちが、猿団子を作って寒さに耐える姿を連想してしまったのだった。
宝塚歌劇の東京における通年公演を実現するためのハードウェアとして東京宝塚劇場を建て替え、そしてソフトウェアとして新たに作ったのが宙組であり、その初代トップになったのが姿月あさとだった。有望な若手で溢れかえっていた花組で新人時代を過ごした姿月は、研7となった1993年に月組へ移動した後順調にポジションを上げて、1997年真琴つばさのトップ就任により二番手となって香港公演に主演した。
そして1998年その公演メンバーでそのまま新しい組を立ち上げる事が発表されたが、新しい組の名称の発表直前になって新聞に『名称は“虹組”に決定』のスクープ記事が出てしまう。もしかしたら本当に“虹組”で内定していたのかもしれなかったが、そのような報道が出てしまった以上“虹組”となることはなくなり、結局新しい組の名称は“宙組”として発表された。相手役の花總まりとコンビを組み、二番手和央ようか、三番手湖月わたるという布陣で、長身の男役を多く集めて宙組はスタートすることとなった。当然創立メンバーは4組から寄せ集めとなったが、同じ宝塚歌劇団といっても4組それぞれ独自の文化や慣習があったため、各組の慣習をどのように取捨選択して新しい宙組の文化として作り上げるかに大変苦労したと、立ち上げ当時の事を姿月が語っていたのを聞いたことがある。
美風舞良が花組へ移動となってしまったために現組長の寿つかさが唯一宙組発足時から残る生徒だと思うが、以前花組に達つかさという妹さんが在籍していた。姉妹の場合芸名については、星組稀惺かずとの祖母であり彼女の父親松岡修造の母上である千波静を含めた千波三姉妹(淳、静、薫)の様に、以前は姉妹で姓を同じにすることが多かった。その後麻路さきと麻園みき、彩輝直と彩那音、蘭乃はなとすみれ乃麗といった一字同じ漢字を入れて雰囲気が似た名前にすることもあったが、最近は夢咲ねねと愛加あゆといった姉妹の生徒でもとくに関連付けた芸名にはしないことが多い。ところが寿と達については、2人とも名前が”つかさ”で姓が違うという逆パターンだったので目立っていた。何でもご実家のお寿司屋の屋号に因んだとかで、当時2人は”お寿司シスターズ”と呼ばれていたような。
話は脱線するが、若かりし日に学校へ向かう通学路に”寿司”と表札を掲げた家があって、そこを通るたびに友人と”スシ”読むか”コトブキツカサ”と読むかで議論するのがお決まりの事となっていた。その際に”コトブキツカサ”だという主張に対しては、『それじゃ宝塚だ!』と返していた。
ところで1994年から97年にかけて、世の中は小室哲哉プロデュースによる楽曲がヒットチャートを席巻する所謂”小室ブーム”で沸いていた。歌劇団もこのブームにあやかろうと、1996年にその年初舞台を踏んだ82期生から各組1人を選抜して”T.a.p(Takarazuka Angel Project)”なるグループを結成し、TK小室哲哉プロデュースにより”小室ファミリー”の一員としてCDデビューと同時にCM出演させたのだった。当初のメンバーは速水リキ(花)、月船さらら(月)、華宮あいり(雪)、月丘七央(星)の4名で、翌97年にはCD及びCM第二弾で、各組の82期の娘役4人沢樹くるみ(花)、西條三恵(月)、紺野まひる(雪)、斐高きら(星)が参加し、98年のCMには83期の彩乃かなみ(花)が出演した。この”T.a.p”に選抜された男役4人が宙組創設に当たって全員集められたが、その後グループとしての活動は特になく、華宮は新人公演で当時組子としては二番手だった水夏希の役を多く演じ、月船はその後月組に戻って新公の主演を2度務めたが2006年までに全員退団となった。
姿月は歌唱に優れていたので、芝居よりも大劇場披露公演となった1998年(H10年)「シトラスの風」の“明日へのエナジー”が名場面として今も折あるごとに再現されている。結局姿月は新東宝劇場のオープンを待たずに2000年(H12年)「砂漠の黒薔薇/GRORIOUS!」で退団となった。