入団時に配属となった雪組では新人公演で二・三番手の役回りとなることが多く、研6で新公に初主演し研7でバウ初主演とまずまずのペースでステップアップし、2007年世界陸上大阪大会のために結成されたAQUA5の一番若いメンバーに選出(他は水夏希、彩吹真央、音月桂、彩那音)されて、音月に次ぐ雪組若手スターの位置付けが明確となった。その後2009年星組で若き新トップ柚希礼音が誕生した際に二番手として移動する。その後2011年蘭寿とむが花組トップ就任のために宙組から移動になった後を埋める形で、凰稀が星組から宙組二番手へスライドする形で組替えとなった。この二番手時代のバウ公演2012年(H24年)「ロバート・キャパ 魂の記録」は凰稀の代表作の一つと言えよう。同年大空祐飛の退団により凰稀が次のトップとなった。

 

 2012年(H24年)「銀河英雄伝説@TAKARAZUKA」が大劇場披露公演となり、花組から朝夏まなと、雪組からは同期の緒月遠麻が宙組へ組替えとなり悠未ひろと共に脇を固める布陣となったが、二番手のポジショニングは今一つ不明確な状況だった。更に相手役となった実咲凛音ともあまりコンビ感はないように見えた。凰稀はビジュアル系トップと言われていたが、個人の好みで言わせてもらえば、若干きつめの顔立ちが“ビジュアル”的に今一つな感じだった。

 

 本公演でオスカルとレット・バトラーの両方を演じたのは凰稀と榛名由梨の二名のみ(一路真輝のバトラーは新人公演)で、更に全国ツアーで「うたかたの恋」のルドルフも演じて二枚目としては一通りの役を演じてはいるのだけれど個人的には今一つ印象が薄い感想。2014年(H26年)劇団創立100周年の大劇場最後を飾る公演「白夜の誓い/PHOENIX宝塚!!」が退団公演となった。

 

 記念となる100周年は1月星組公演「眠らない男」から始まり、2本立ての場合のショーには全てタイトルに「宝塚/TAKARAZUKA」が入っていた。この年は凰稀以外にも花組蘭寿とむと雪組壮一帆が、翌年には星組柚希礼音が退団して一気に世代交代が進むこととなった。多分劇団として100周年を迎えるに当たって最も残念だったのは、2012年8月末に春日野八千代が96歳で逝去されたことだろう。残るところほぼ1年と3か月、御年齢を考えると元々微妙なところではあったが、式典に出席ができないとしても、もしそのまま劇団員として迎えることができたならば最高の象徴として称えられていただろう。

 月組での若手時代は新人公演では殆ど二・三番手の役を演じており、研7で唯一1998年(H10年)「WEST SIDE STORY」新人公演が主演の舞台となったが、これも第1部のみで第2部は大和悠河が主演した。2001年(H13年)バウ公演「血と砂」で汐美真帆とのWではあるが初主演を果たしたが、単独でのバウ主演はそれから3年後2004年(H16年)「THE LAST PARTY」となった。

 

 2005年に花組から来た同期瀬奈じゅんが月組トップとなった際に、当初は2期下の霧矢大夢とほぼ同格二番手だったがその後に最終的に抜かされてしまったのは前述の通り。2008年移動となった花組では3期下の真飛聖トップの二番手と、大空にとっては試練が続いていた時代だっただろう。個人としては正直ここらが天井で、トップになれるとは思っていなかった。何となくかつての麻実れいを思わせるようなクールビューティーとして、他の男役とは異なるユニークな雰囲気が結構気に入っていただけに、その様に思わざるを得ないのがとても残念だった。

 

 そうしたところで大和悠河の退団を受けた後継トップとして宙組へ、しかも相手役として同じく花組の野乃すみ花も一緒に移動することが発表されたときは驚いた。大和は真飛と同期で大空より3期下で、更にその前任者は大空と同期の貴城けいだった。トップ人事としてはかなり異例の引継ぎと言える。しかも更にトップとその相手役が一緒に他の組から“落下傘”で来るというのは、多分初めての事だったろう。

 

 野乃は憑依型の演技が評判を呼び、かの大河少女漫画「ガラスの仮面」に因んで“リアル北島マヤ”と呼ばれていたとか。そして蘭寿とむが二番手、北翔海莉が三番手のままという体制となった。2009年(H21年)博多座「大江山花伝/Apasionado!!Ⅱ」でトップ披露し、18年目でのトップ就任は最年長記録の達成となったが、結果的には霧矢よりも半年早く「カサブランカ」で大劇場披露公演となった。

 

 その後は大劇場では2010年(H22年)「誰がために鐘は鳴る」の再演はあったが他は2010年(H22年)「TRAFALGAR」や2011年(H23年)「美しき生涯」、同年「クラシコ・イタリアーノ」等のオリジナル作品で、全国ツアーや別箱では再演作となったが「銀ちゃんの恋」や「ヴァレンチノ」等柄に合った作品を上演し、全般にバランス良く作品に恵まれたと思う。個人的にはこの頃からようやくスーツ物に強い大人びたイメージが、宙組のカラーとなってきたように感じている。

 

 2009年大和悠河の退団公演の次の大劇場が瀬奈じゅん主演による月組公演「エリザベート」で、エリザベートを演じたのが当時宙組研7の若手男役だった凪七瑠海だった。そして次の大空の披露公演「カサブランカ」新人公演がラストチャンスで初主演となり、翌2010年(H22年)「Je Chante」でバウ初主演と一気に持ち上げるのかと思ったら、その後今一つ路線にも乗せ切れずに結局2013年に月組へと組替えとなってしまった。宙組における若手は依然として新人公演で主演してもその後他の組へ転出するか、残っても何となく伸び悩みという状況が続いていた。

 

 2010年に蘭寿とむが花組トップ就任のために移動し、星組から凰稀かなめが来て二番手となった。2011年には松尾芸能賞の優秀賞を受賞。2012年(H24年)「華やかなりし日々/クライマックス」が退団公演となった。遅咲きではあったが、苦労をした分だけ充実した結果を出せたトップだったと思う。野乃も同時退団となり、北翔は専科へ移動となったが、これ以降華形ひかる、星条海斗、沙央くらま、凪七瑠海、愛月ひかると、組のスタークラスの専科行きが散見されることとなった。北翔については「カサブランカ」で警察署長役を演じたあたりから、福島正則とか少々癖のある役が目立っていたので、どうしたのかなと思っていたのだけど。

 大和悠河は天海祐希が退団した1995年に入団し月組配属となり、その後直ぐに新公で役が付き、ポスターモデルに選ばれ、研3で新公主演しその後と合わせて計6回主演、同年バウ公演初主演、テレビCMにも出演と大プッシュで路線に乗った。劇団が天海に次ぐアイドル・スターを目指していたのは明らかで、傍から見て少々露骨にやりすぎ感もあったほどだった。

 

 2003年宙組に組替えとなった直後に安蘭けい主演の星組日生劇場公演「雨に唄えば」に出演し、安蘭扮する主役ドンの親友コズモを演じた。しかしながら映画版では二人で苦労をしながらのし上がって来たという設定のドンとコズモの間のバディ感も大して醸し出せず、二枚目キャラのドンと対をなすコズモはナンバー’Make Em Laugh’に象徴されるコメディリリーフとなるべきところを、普通の二枚目で演じてしまったところが非常に残念だった。

 

 前任者貴城けいの退団を受けて、大和は2007年(H19年)ドラマシティ公演「A/L」でトップ就任し、「バレンシアの熱い花/宙FANTASISTA!!」で大劇場披露を果たした。「雨に唄えば」でヒロインのキャシーを演じた陽月華が星組から来てコンビを組み、二番手に蘭寿とむ三番手北翔海莉という形となった。「バレンシア」の初演は榛名由梨・瀬戸内美八・順みつきと大劇場主演経験のある3人に対して、対する娘役は小松美保・舞小雪と大劇場の主演ができる2人に当時伸び盛りの北原千琴。このような言い方をすると大変失礼になってしまって申し訳ないが、再演の大和・蘭寿・北翔に陽月・美羽あさひ・和音美桜では何だか随分なスケールダウンだな、と言うのが当時の正直な感想だった。勿論蘭寿と北翔は後に花組と星組のトップとして活躍するし美羽・和音も良い娘役だったのだけど、その時点では未来のことは知る由もなかったので...。

 

 2008年(H20)梅芸公演「雨に唄えば」を主演で再演し、同年の大劇場公演「Paradise Prince」では劇中で登場するアニメキャラの公募をするなど話題作りに努めていたものの、今一つ盛り上がりに欠けていたような印象。ごり押しとまでは言わないまでも大プッシュで華々しい新人・若手時代を送り、前任者をワンクッションに置いてまでしてなったトップではあったが、在任中はそれまでの経過に見合った結果を出すには至らなかったように感じた。同時期に花組トップになった同期真飛聖は当初こそ大和ほどの注目は集めなかったが、徐々に盛り上がっていったのと対照的だった。

 

 2009年(H21年)には蘭寿主演でゲームを原作とした、バウ公演「逆転裁判」と「逆転裁判2」が上演されて話題となった。後に同じく宙組で2013年(H25年)悠未ひろ主演による「逆転裁判3」も上演され、同年花組で蘭寿主演によってやはりゲームを原作とした「戦国BASARA」も上演となった。映画では「バイオハザード」等ゲーム原作の作品が数多くあり、宝塚歌劇も漫画原作の次はこの路線を進めるのかと思ったら、以降は上演されていないようだ。

 

結局翌2009年(H21年)「薔薇に降る雨/Amour それは…」で大和と陽月は退団となった。しかしこの公演が初舞台となった95期生が、後にゴールデンエイジと呼ばれるほどの数多くのスターを生み出すこととなったのは、何だか少々皮肉な気もする。

 

 退団後は一時その派手な私生活の様子や、ファンクラブの異様な雰囲気がマスコミに面白おかしく取り上げられていたのだが、飽きられてしまったのか最近はそれも聞かなくなった。

 貴城けいは雪組での若手時代に同期の瀬奈じゅん、大空祐飛よりも早く研6で新人公演の初主演し、計4回新公の主演を務めるなど当時の若手ホープとして路線に乗って順調にスター街道を進み、雪組編で記した通り2002年朝海ひかるが雪組トップになると二番手として活躍していた。しかし2005年に水夏希が宙組から組替えして来ると、当初三番手だった水と貴城の扱いが段々拮抗して来て、結局2006年宙組へと組替えとなってしまった。

 

 和央ようかの退団を受けて博多座公演「コパカバーナ」がトップ披露となり、2006年(H18年)「維新回転・龍馬伝!/ザ・クラシック」が大劇場披露公演となった。コンビを組んだ相手役は紫城るいで、当初は男役だったが研6で娘役に転向したが、男役から転向してトップ娘役になったのは鮎ゆうき以来のことだった。二番手大和悠河、三番手蘭寿とむという体制になったがものの、この1公演のみでワン切り退団となってしまった。

 

 穿った見方になるが、同じくワン切りとなった匠ひびきと絵麻緒ゆうについては、劇団として新陳代謝を一気に進めてその次の春野寿美礼と朝海ひかるを早くトップにしたいがための強硬策だったが、貴城については和央の後に当時大プッシュを続けていた大和悠河をトップに据えたがったものの、長く大きな人気を誇った和央の後だけに落差が目立つのを避けるためのワンクッションとして貴城が使われたようにも感じられた。星組で長くトップを務めた柚希礼音の後、当時二番手だった紅ゆずるではなく専科から北翔海莉が来てトップになったのも、当時の紅の体調の問題もあったと思うが、貴城と同じくワンクッションの意味合いがあったように思う。

 

 花園とかぬるま湯とか言われることの多い宝塚歌劇ではあるものの、100年を超えて存続するエンタテイメントとしてのビジネスモデルを考えるならば、冷酷な一面も持たざるを得ないということだろうか。ただ以前にも書いたが、一度でもトップを務めて“元トップスター”の肩書が付くのと付かないのでは、その後の扱いに雲泥の差が付くわけで、殆どの生徒がそのチャンスすら手が届かないことを考えるならば積極的に肯定することもできないが、個人的には決して極端に冷酷非道な扱いではないと考えるし、貴城についてはその恩恵を充分に受けているように見受けられる。

 

 但し同じく“ワン切り”となった絵麻緒ゆう相手役紺野まひると同じく、貴城の相手役となった紫城るいも同時退団となったのだが、傍から見る限り紺野にしても紫城にしても巻き添えを食らったように見えてなんとも気の毒な限り。貴城を最後にその後“ワン切り”はなく、北翔も長くはないがそこそこの期間トップを務めることができたのは劇団もファンの反応を考えてのことだったのだろう。

 

 先頃ご家族の事でワイドショーに取り上げられることもあってお気の毒ではあったが、とにかく雪組時代に貴城が「浅茅が宿」で演じた、小姓りん弥の妖しい美しさはだけは未だに忘れ難いのでありました。

 和央ようかは雪組時代に二番手時代からトップにかけての一路真輝の役を新人公演で数多く演じて雪組の御曹司として順調に路線に乗り、轟悠トップの時の二番手になっていた。そして新設宙組トップの姿月あさとに次ぐ二番手として横滑りし、姿月の退団によって次のトップに昇格した。大劇場披露は2000年(H12年)「望郷は海を越えて/ミレニアム・チャレンジャー!」で、相手役としてコンビを組んだ花總まりにとっては、一路真輝、高嶺ふぶき、轟悠、姿月あさとに次ぐ5人目のトップとなったが、長身の和央と花總は舞台映えのするコンビとして評判を呼ぶこととなった。

 

 しかしトップ就任直後に“新専科”騒動により二番手湖月わたると三番手樹里咲穂が専科へ移動となり、その後しばらくは二番手役に専科生が当たり、三番手格の役処に実質二番手の水夏希が入る体制となった。水は当初月組に配属となったがその後花組へ移動し、2000年ベルリン公演参加後に宙組へ組替えとなっていた。上演作品についてはトップ披露となった2000年の全国ツアー「うたかたの恋」や2001年(H13年)「ベルサイユのばら2001」はあったものの、基本的にはオリジナルの新作が続いた。2001年に「カステル・ミラージュ/ダンシング・スピリット」を観劇する機会があったのだが、上演中の舞台は確かに華やかなものだったけれど、正直に言って終わってみれば何だかあまり記憶に残るものがないような印象だった。

 

 2004年(H16年)「ファントム」の上演が決まり、時期的に見てもこれで花總と同時退団かと思ったがまったくその気配無し。この公演では90周年二番手シャッフル企画により、安蘭けいが星組から特出。結局2005年に水は雪組へ組替えとなり、2003年に月組から移動して来ていた大和悠河が二番手として浮上してきた。しかしながら2000年の新専科騒ぎ以降2004年の90周年記念二番手シャッフルもあって、この頃の宝塚歌劇全体が常に公演キャスティングが安定せず流動的な印象だった。

 

 特に宙組については和央・花總コンビのみが突出してしまい、個人的には宙組全体としてのカラーが具体化しないまま時が流れていったように感じていた。2000年の新専科騒動で各組の二・三番手がごっそり抜けた後、他の組は残った路線スターや当時の若手エースの多くがその後各組でトップに就任していた。残った中堅層がかなり薄い感じになった星組でさえも、当時新人公演に主演していた真飛聖が最終的に花組トップとなった。一方で選り抜きの生徒を集めて発足したはずの宙組については、残留中堅層からトップが出ることはなかった。確かにトップコンビの人気は非常に高く長身の男役が揃って一見人材豊かに見えたのだが、それに甘んじてしまい人材育成が疎かになってしまったのではと穿った見方すらできてしまいそう。

 

 結局2006年(H18年)「NEVER SAY GOODBYE」で和央と花總のコンビ同時退団となったが、和央は退団発表後の2005年(H17年)ドラマシティ公演「W-WING」上演中の事故により重傷を負い、退団公演出演が危ぶまれたこともあったが何とか退団公演の開幕に漕ぎつけた。和央のトップ在位は約7年、花總に至っては12年間という記録を打ち立てての退団となったが、この7年の間に新人公演の主役はほぼ公演ごとに変わり、結局宙組の次世代を担う“御曹司”と言えるような若手エースが育たなかったことにも違和感が残る。一時は悠未ひろが引っかかりかけたようにも見えたが伸びきれず、「NEVER」で新公に初主演した早霧せいなも結局雪組でトップに就任した。広く多くの人に機会を与えていたという事かもしれないが、それにしてもである。最近のことになるが新公で4回主演を務めて初の宙組生え抜きトップが期待された愛月ひかるも専科から星組へ移動し先頃退団。宙組発足から20年が過ぎた今、娘役では星風まどかが初めて生え抜きで娘役トップとなったが花組へ移動し、生え抜きの男役トップは未だ生まれていない。

 

 退団後は花總が和央のマネージメント会社の社長に就任していたが、結局和央は「NEVER」で出会った作曲家フランク・ワイルドホーンとご結婚されて見事にトロフィーワイフとして収まった。花總も舞台に戻って日本を代表する女王様女優として活躍し、まあ取りあえずは双方めでたしめでたしということで宜しいのではないでしょうか。