先にはそもヨハン・シュトラウスのことを書こうと思いつつ、
ワルツ やら踊りやらといった枕が長くなってしまいましたので、
改めてヨハン・シュトラウスその人に目を向けてみようかと。


ところで、ここでヨハン・シュトラウスと言っているのは基本的にワルツ王である2世のことでして、
これまた有名な「ラデツキー行進曲 」を書いた父親であるヨハン・シュトラウスとおんなじ名前なのですね。


こうした父子同名はよくある話でしょうけれど、先ごろ触れたブリューゲル父子 を思い出してしまいます。
ただし、ブリューゲル父子の場合にはパパ・ブリューゲルが息子の追随を許さぬ感ありですが、
シュトラウス父子の方はといえば、どうやら息子シュトラウスに軍配があがりそうです。


ですので、ここでのヨハン・シュトラウスは敢えて2世といわずとも息子シュトラウスのお話ということで。
(こないだのワルツの話のときも同じ前提ではありましたけれど)


ところで、ヨハン・シュトラウスの一家でありますけれど、
先に触れたようにパパ・シュトラウスも「ラデツキー行進曲」という、毎年ウィーン

「ニュー・イヤー・コンサート」でアンコールの定番的位置を不動のものにするくらい有名作を作っており、
息子のヨハン・シュトラウスも後に「ワルツ王」と呼ばれ、

さらにその二人の弟ヨーゼフ、エドゥアルトも作曲を手掛けているとなれば、

ウィーンでも有数の音楽一家でもあろうかと思ってしまうところです。


当時人口が増えてきたウィーンには食い詰め者が吹きだまるような地域があったのでして、
パパ・シュトラウスも実はそんなエリアに住まう人だったようなのですね。


貧しいながらも、あるいは貧しいからこそ刹那的な楽しみに興じるところもある人たちでしょうけれど、
そんなところへ現れる辻音楽師がもてはやされて、ダンスのお楽しみが盛り上がるわけです。


でもってパパ・シュトラウスですが、

そんな辻音楽師の真似事から音楽の世界へと足を踏み出したのだとか。
ただやはり才覚はあったということなのでしょうね、ダンス楽団で一廉の存在になっていくわけです。


そして、血は争えないというべきか、息子ヨハンは音楽への関心を高めていくのですけれど、
あくまでも不安定な人気商売であることを知る父としては、

息子たちにもそっと実直な道を歩ませようとするのですね。


それでも隠れてヴァイオリンを弾いたりしていたヨハンと父に待っていたのは「決裂」でありました。

やがて息子の方も父親に優るとも劣らぬ才覚あらばこそか、

ダンス楽団の父子対決みたいな様相を呈したりもするという。


人気の高まりはあるものの、若い分向こう見ずでもあったのか、
息子としてはなんとか宮廷舞踏会音楽監督の座を射止めようとの野望に燃えていきます。


しかし、いくら巷で大人気のダンス音楽作曲家・演奏家であったとしても、
宮廷舞踏会音楽監督とは間違いなく王侯貴族が考える音楽の保守本流を歩む人こそ

望ましいと見られてたのではないですかね。


ヨハン・シュトラウスにしてみれば、明らかな身分違いの分不相応であったわけですけれど、
後にこれが叶ってしまうあたり、当時の舞踏会人気の凄さ、
そして舞踏会に新曲を提供できる人材への期待というものがあったのでしょうか。


ところが、ようやっと手に入れた宮廷舞踏会音楽監督の座をやがてヨハンは投げ打って、

ダンス・ミュージックからオペレッタへと方向転換を図ることになるのですね。


後世から見れば、ワルツやポルカを作るのもオペレッタを書くのも

どちらもヨハン・シュトラウスの本業といっしょくたに捉えるところですけれど、

この両者には大きな違いがあったそうで、言われてみればなるほどなです。


つまり、ダンス楽団としては多くの人にとにかくダンス・ホールに足を運んでほしいのに対して、

オペレッタを興行する側としては他のどこよりも劇場目指して多くの人に来てほしいという。

ダンス自体も自分が踊るものと、踊り手を見るというのは違いますし。


なんでも、パリで大成功を収めていたジャック・オッフェンバックに勧められて

オペレッタを書く気になったらしいのですが、たぶんこれまたヨハンの野心ではないのかなと思ったり。


結局はダンス楽団あがりであることから脱皮といいましょうか、

ですから最終的には成功しないにしても、オペレッタでなくオペラを書くことまでしてますから。


たどり着いたところからもっともっと上へ上へと望み、目指すのは

幼い頃からの苦労人なればこそなのかもしれませんですね。

保守本流的なクラシック音楽(当時としてはクラシックならぬリアルタイム音楽ですが)の作曲家への

コンプレックスみたいなものでもあったかもです。


ただ、後々になってのこととはいえ、いくら保守本流っぽい仕事をしていたとしてもこうはならないほどに、

ウィーンのシュタットパルクで明らかに特別扱いの像としてひと目を惹きつけ続けているのは、

ヨハン・シュトラウスなのですから、願いは叶ったというべきでありましょうかね。


ウィーンのヨハン・シュトラウス像

歴史上の記録は、例えそれが公式とされるものであってもですが、
必ずといっていいほどに書き手、あるいは書かせ手の思惑といいますか、
思い込みといいますか、そうしたものが入り込んでしまっておりますね。


もちろん作為的にというばかりでなく、後世の読み手を誤らせるつもりなど毛頭なくとも、
より客観的に眺めてみれば「違うんでないの…」ということが書かれてしまうことも
あろうかと思うところです。


だからこそいろんな解釈の余地が可能となって、歴史上の大人物ともなれば
それこそ斬新な切り口もあれば同工異曲ふうな焼き直しも含めて、
何度も何度も取り上げられたりするわけですね。


まさに織田信長はそんなメジャーな人物のひとりでありましょうから、
これまで信長の人となりや事績を伝える書物は山のように出てますけれど、
そもそも「信長目線で考えてみれば…」というものは非常に珍しいのではなかろうかと。


先に桶狭間の戦いに触れた一冊 を読んだこともあってこたび手に取った花村萬月さんの「信長私記」、
信長自身が一人称の語り手で登場する、まさしく「信長目線」の内容でありました。


信長私記/花村 萬月


若かりし頃の信長像はといえば、腰に瓢箪をいくつもぶら下げた半袴での「大うつけ」が定番。
パッと浮かぶイメージは、NHK大河ドラマ「徳川家康」で役所広司が唾を飛ばしまくりのうつけぶりかなと。
もっとも、うつけというにはちと顔付きが精悍に過ぎたともいえますが。


ところでこのうつけぶりですけれど、

「信長私記」というもじりの元になった「信長公記」でさえも詳らかに記しているところながら、

「では、何故若い頃の信長はあんな恰好をしていたのか」の答えを

「なんとなれば、うつけだったから」で済ませてしまってはおりますまいか。


その後、あれよあれよと天下人レースのトップに立つところからして、「うつけ」で済ませてよいものか。
それとも若い頃は本当にうつけだったのが、何かの拍子に切れ者になったのか。

例えばこうしたことに関して信長自身が「実は…」と語ってくれてしまうのが、
「信長私記」なのでありますよ。


もちろん作者の想像ではありますけれど、

先の疑問のように「うつけというだけじゃ済まんだろう」と思えば、
なるほどこうした考え方もあるかと思ったりするわけです。


とまあ、こうした興味を満たすという部分もある一方で、
本作の特徴はとことん人間・信長を描き出すということではないかと。


芥川賞作家が書くとこうなるのか…みたいにも思ってしまうところですが、
信長像を描き出すときに、無くてもよいと判断するか、あるいは触れることに意味はないと考えるか、
これまでは削ぎ落としてきたような「弱さ」「惑い」といったものを本人に語らせて、
ある意味、人間普遍の純文学にしたてもしようか…てな感じでもあります。


それだけに「う~む、信長じゃない…?」てな思いも過ること必至ではないかと。

こうした作品を生み出す方法論には大いに刺激されるものながら、

(たとえ本当はそうであるにしても)あまりに生身の人間的に見せられるとどうも…という感想もありますですね。

ちょっと前にレハールのオペレッタ「パガニーニ」 をDVDで見ましたけれど、
同じ時期に買ったヨハン・シュトラウスオペレッタ のDVDでまだ見てないのがあったっけと思いだしました。


これまた先日来、

ヴィヴァルディ だぁマルコ・ポーロ だぁとヴェネツィア がらみの話向きでもありましたので、
見ようと思ったシュトラウスのオペレッタが「ヴェネツィアの一夜」とは折りも折りでありましょうか。


J.シュトラウス2世「ヴェネツィアの一夜」 [DVD]/リッダー(アントン・デ),ゲッツィー(シルヴィア),シュミット(トゥルデリーゼ)


このオペレッタ・シリーズは舞台を収録したものでなくって映画版ですので、
先に見た同じシュトラウスの作品である「ジプシー男爵 」などはロケを行って、
「斜陽期とはいえオーストリア帝国 は広いのよ」感を醸しておりましたけれど、
こちらの「ヴェネツィアの一夜」はといえば、作り物の運河にゴンドラを浮かべて背景は書き割りでといったふう。


だもんですから本当のヴェネツィアを思うというよりは、
一昨年泊まったマカオのリゾート・ホテル を思い出してしまうわけです。


とはいえ、文字通り「虚飾」の舞台背景のもとで展開する話というのも、
ヴェネツィアのカーニバルでの浮つき気味の男女関係、恋模様のドタバタといったものですので、
偽りや見せ掛けといったふうなものに実に馴染むものよとはおもったのでありました。


ヨハン・シュトラウスのオペレッタは全部で16作ほどあるようですけれど(出典:Wikipedia)、
有名どころの「こうもり」や「ジプシー男爵」、そして「
ウィーン気質 」あたり比べるとこちらは埋もれがちな作品。
残るべくして残る作品がある一方で、いささか粗製濫造の嫌いなきにしもあらずやもしれませぬ。


こんなふうに自作を粗製濫造してしまう…この辺りも、いわゆるクラシック音楽の他の作曲家に比べて

ヨハン・シュトラウスに格落ち感を抱かせる要素でもあろうかと。


ということでこれもまた機会でありますから、

中公新書の「ヨハン・シュトラウス ワルツ王と落日のウィーン」でもって

少々の探究を試みたような次第でありますよ。


ヨハン・シュトラウス―ワルツ王と落日のウィーン (中公新書)/小宮 正安


しかしまあ、それにしても読み始めて早々に

これまで大きな勘違いをしていたことが分かったのですね。


ウィーン といえば「3つのW」、即ちワイン(Wein)、ワルツ(Walzer)、そして女性(Weib)でありまして、
同じくシュトラウスのオペレッタ「ウィーン気質」を見れば、

このあたりがふんだんに濃密に盛り込んであるわけですが、
このウィーン代名詞のひとつであるワルツのことであります。


ワルツと聴くと、取り分けウィンナ・ワルツと聞けばですね、
宮廷舞踏会のような世界をついつい思い描いてしまうのも無理のないところかと。


ところが、このワルツなる踊りは下々の者たちの楽しみであったものが流行りに乗って
(だんだんと格式めいたことも付け加わっていったのでしょうが)上流社会の方々の心もつかんだ…
という成り立ちなのだそうですね。その出自の部分を本書から引いてみるとしましょう。

すでに十八世紀なかば、ウィーンでは三拍子のリズムに乗って、「転げ回る(Walzen)」がごとき
ダンスが、人気を博していた。やがてそれは、「ワルツ(Walzer)」の名前で呼ばれ、その激しさで
人々を魅了した。

ということで、元々のワルツは転げ廻るともいうべき高速回転ぐぅるぐるという激しいダンスであったのだとか。
どうしても、後世のイメージで「優雅」みたいなものを思い浮かべてしまいますけれど、
始まりはずいぶんと違うものだったようです。


ところで、やはり踊りの種類でギャロップというのがありますが、
「馬の疾走」という意味から転用されただけあって、これまたなかなかに激しいものだったと言います。
こちらの様子も本書からちと引いてみます。

ひとたびガロップが演奏されるやいなや、踊り手は興奮のあまり、我を忘れた。手をつないだ二人組が、巨大な輪を作り、すさまじい勢いで回った。靴を踏まれ、服はまくれ、かつらは飛ぶ。ときに将棋だおしがおきるほど、この踊りは激しさをきわめていた。

とまあ、いずれにせよ舞踏会で舞うような光景というよりはダンスホールの、
そして後世風に言えばディスコやクラブで踊りまくるてなふうではないかと。


こうした下々の者たちの興じる様子を横目で見つつ、

高貴な方々がかりに「面白そうだな」と思ったところで、
そのまま同じことをしたのでは沽券にかかわることでもありましたでしょうし、
日頃のストレス発散!的な激しい踊りは王侯貴族には似合わないところですので、
まあゆっくりめにやれば優雅にも見えるかな…くらいのところでしょうか。


そう考えてみると、よく言われるウィンナ・ワルツに独特のリズム、

つまり単なる三拍子の「1、2、3」でなくって、「1、…2、3」みたいな

ちょっと2のところで突んのめる感のあるリズム感も

実は演奏者や踊り手が興じてきてワルツ本来の高速回転へ戻ろうするのを戒めて、
あくまでゆったり優雅に足を運ばせるために出来たものなのでは…と穿った見方をしてしまうところです。


ところで、こうしたの踊りに興じる人々のためのダンスホールには、
レコードもCDも無い時代ですから当然のように楽団がいるわけでして、
ヨハン・シュトラウスはそうした楽団生え抜きとして登場するのでありました。


と、ようやくヨハン・シュトラウスの話に戻ってきましたけれど、
このままでは長くなりそうなので、シュトラウスのお話はまた次にということで…。

開幕早々(といっても、能舞台に幕はありませんが)のご挨拶とやらで、

「初めて狂言をご覧になる方、お手をおあげいただけますでしょうか?」と。

場内でたくさんの手が挙がる。


さらに「国立能楽堂へ初めておこしになったという方は?」

またもたくさんの手が挙がる。


個人的にはいずれにも手を挙げる範疇に属しておったわけですが、

ともあれ初めて千駄ヶ谷の国立能楽堂(続くときは続くもので、また千駄ヶ谷 )に出向いて

初めて狂言を見る機会を得たのですね。


おんなじように初めてという人がたくさん来ておられるというだけでも、

この興行はある意味、成功しているのではないでしょうかね。

和泉流狂言野村万蔵家一門の組織である「萬狂言」の企画制作による「現代狂言」という公演であります。


萬狂言「現代狂言Ⅵ」

場内を埋める観客の年齢層は極めて幅広く、

またお年寄りだからといって必ずしも普段から狂言に接しておられる方々ということでもなさそう。


隣に座ってらしたお婆さんお二人がプログラムを見ながら交わす会話を漏れ聴くところによりますと、

「ほら、真くんがでるわよ、安めぐみってあの最近あの…でしょ、あ、なんちゃんも。テレビで見る人よねえ」

てな感じ。


やっぱりTVの影響力は大きいのか(ま、当たり前ですが)、

南原清隆(なんちゃんですな)、佐藤弘道(天使の羽の、体操のおにいさんですな)、

野々村真(ふしぎ発見ですな)、安めぐみ(最近結婚した!で場内反応するも、??)とこうした人たちの

登場は、最初に手を挙げたみなさんを国立能楽堂へ導く結構な釣り餌になっていたのでしょうね。


さて、その公演の中身はといいますと、

古典狂言として「鈍太郎」を野村萬蔵を中心にしっかりと演じた後、

この「鈍太郎」を現代風に翻案した現代狂言なるものが出され、

そして現代狂言新作なるものでしめるという内容。


公演のキャッチに「狂言とコントが結婚したら」とありますけれど、

現代狂言の方は下腹脇に両手を添えてすり足で登場するような姿こそ狂言を模しているものの、

基本的に芝居というか、コントというか。


まあ、それはそれで楽しめたとは思うのですが、

対比として逆に古典的な狂言の方の面白さが際立ったような気がするのは

どうなんでしょ、観客一般の反応ではないのですかね。


言葉を聞きとるにもいささかの難儀を伴うものの、

様式化された動きや語りをベースにしながら、余計なものに頼らず(頼れず?)表現に徹する中から

滲み出て来ますね、可笑しさが。


まったくもって、日本の古典芸能、おそるべし!でありますね。

子供の頃に古典芸能教室みたいな見学もなかったように思いますので、

能、狂言、歌舞伎、文楽…何ひとつ見たことがないままに何十年も過ごしておりますが、

思いのほか狂言の敷居が低かったこともあり、これでまた遅まきながらの見聞が広がる元に

なるやもしれませぬ。

12~13世紀頃のヨーロッパ世界はプレスター・ジョン の到来を待ち焦がれるあまり、
モンゴルの大西征を勘違いしてまったわけですけれど、モンゴルの版図拡張策は
やがて中国を支配した元朝のもと、日本にも及んできたのでしたですね。


日本史的には「元寇」と言われる二度に渡る侵攻作戦、
文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)がそれですけれど、
昔から「蒙古の襲来を神風が吹き飛ばした」といったことが言われています。


いわゆる本当に神風が吹いたのか。
冷静に考えれば、そもそも「神風」なるものはありはしないでしょうから、
その正体は台風ではないかとか聞かされていたように思います。


となれば、蒙古軍もせめて台風の来る時期をはずして攻めてくればよいものを思うところですが、
(もしそうした前提で蒙古が日本を支配していたら、モンゴル相撲が国技だったりして…)
最初の文永の役が起こったのは旧暦10月20日、現在で言う11月26日なのだそうですね。


11月に台風が来ないとは言い切れないかも(?)ですが、それにしても相当に確率は低いような。
そこで、ここで大風が吹いたのは熱帯低気圧(いわゆる台風)でなくって、温帯低気圧ではないかと推測し、
そのことを当時の記録を元に検討してみたらどうであったか。


天気図的には十分に温帯低気圧の通過が想定されることになるんだそうですよ。
これは、元寇そのものに関する記録だけでなくて、戦地である九州から離れた京都の天気を
お公家さんが日記に書いているものまで引っ張り出してつき合わせ、
瞬間的な天気図というより、天気の週間予測(過去のことなんですけどね)を作成してみると、
分かるんだそうですよ。


こういうのも理論に基づいて成り立っているものなのですねえ。
でもって、同じような考証でもって、歴史のある時点の気象状況と起こった事象との関わりを教えてくれるのが、
メディアワークス新書の「桶狭間は晴れ、後豪雨でしょう」でありました。
タイトルの割りには至って真面目に論ずる本です。


桶狭間は晴れ、のち豪雨でしょう 天気と日本史 (メディアファクトリー新書)/松嶋憲昭


取り上げられている歴史上のエポックメイキング的な事件というのが、
元寇のみならず、タイトルからも分かるように桶狭間の戦い(織田信長vs今川義元)、
そして壇ノ浦の戦い(源平最終戦)や二・二六事件などで、
それぞれに風、雨、潮流、雪という特徴的な状況が無かったならば
歴史はいったいどうなってたろうなんつうことを考えたりするところであります。


ところで、先ほどさも知識があるように熱帯低気圧と温帯低気圧が異なることに触れましたが、
実際には両者の違いを本書で知るくらいのモノ知らずでも読めるのですから、
何とまあ易しく書いてくれたことか。


それでいてぺらぺらな内容ではないのですから、何とも言えずありがたい限り。

本書の著者は気象予報士さんですが、侮ってはいけんですなぁ。

(どうも昔ながらお天気お姉さんとばかり見てしまいがちですが・・・)


とまれ、興味の幅がまたまた広がろうというものでありますよ。