またしばらく小説を読んでいなかったものですから、何かしらと思ったところで
ふと目にとまったが小田雅久仁さんの「本にだって雄と雌があります」という作品。
タイトルからしていかにも際モノっぽいですが、Amazonの内容紹介にはこんなふうにありました。
旧家の書斎に響く奇妙な羽音。そこでは本たちが「結婚」していた! 深井家には禁忌(タブー)があった。本棚の本の位置を決して変えてはいけない。九歳の少年が何気なくその掟を破ったとき、書物と書物とが交わって、新しい書物が生まれてしまった──! 昭和の大阪で起こった幸福な奇跡を皮切りに、明治から現代、そして未来へ続く父子四代の悲劇&喜劇を饒舌に語りたおすマジックリアリズム長編。
これは予想を上回る際モノらしさが感じられるではありませんか。
怖いもの見たさ的な心持でもって読み始めたのですけれど、確かに饒舌極まりない語り口で、
瀧井朝世さんの書評にある「一文一文に諧謔味を含ませた、すっとぼけた文体で笑わせてくれる」とは
まさにその通りなのでありましたよ。
先の内容紹介に登場する「九歳の少年」ひろぼんが大人になった博を語り手に、
不思議な書物=幻書の蒐集家でもあった祖父・深井與次郎を中心にした深井家一族の物語が
手記として博の息子に残され、深井一族の歴史はなおも続いていく…といった体裁。
本には雄本と雌本とがあり、うっかり隣り合わせにしようものなら、
人が寝静まった夜更けに二冊が睦みあい、
朝には世に存在しないはずの一冊=幻書が生み出されてしまうのですが、
例えばとして宮沢賢治の「春と修羅」の隣に高村光太郎の「道程」を置いてしまったがために、
宮村賢太郎作「凍て春と修羅道」なる本が誕生したというような次第。
作者名も書名も混濁してますですね。特に書名の方はどの度合いが激しい。
「凍て春と修羅道」から「春と修羅」を除いて残る「凍て道」を逆にすると「道て凍」=「道程」、
おそらくはこう解するのでありましょう。
で、このように生まれた幻書は押さえつけておかないと、
バサバサと羽音を立てて飛んでいってしまうというものらしく
九歳のひろぼんが祖父の家で聞いた奇妙な羽音は幻書誕生の瞬間でもあったわけです。
と、こうしたことには当然いろいろな「なぜ?」が浮かんできますけれど、
元から深井家の不思議事情を子孫に語り残す手記となっていますから、
その「なぜ」に答えんがため、話は深井與次郎を遡ったご先祖の話にもなり、
また與次郎とは帝大同期でやはり幻書蒐集家である仇敵・亀井金吉の話にもなりと、
話の広がりは広大無辺かとも思われる状況になっていくのですよ。
ここまでのところで「なるほどの際モノさ」と受け止められた方、正解です。
ひと言では「荒唐無稽」で終わってしまうかもですが、
昨今これほどに書き込まれた(会話、会話ですっすっと進んでいくのでない)話に
お目にかかっていなかったものですから、読みでのたっぷり感と併せて
「読んだなぁ、うむ、面白かった」と思えるものだったのですね。
そして、付け加えておくべきは(といっても、この印象はひどく個人的なものかもしれませんが)、
與次郎が戦争にとられてボルネオ島で死地に瀕した状況が語られるところから受けた印象、
そして死地に瀕していたが故か遠い故国の家族の姿を夢幻のように思い出すあたりから受けた印象、
これが忘れらないものであったということでしょうか。
前者にあっては「どうあっても戦争はやってはいけんね」ということ、
後者にあっては「何はなくとも家族団欒より望むことはないかもしらん」ということ、
いずれもこうした印象を強く残すように描き出されているとは思いませんけれど、
個人的にはツボが刺激されたということなのかもしれません。
ということまでを含めて考えてということになりますが、
「際モノ」以外の何ものでもあるまいと思いつつ読んだ本書は、
思いもがけずも「ひとつの文学」を提供された思いを抱いたのでありました。


