先日見た昔の喜劇映画「社長洋行記
」(正・続)での洋行先は香港だったわけですが、
先頃また「香港クレージー作戦」(クレージー・キャッツの映画)というのを見ますと、
やっぱり香港
。
「社長洋行記」が1962年の作、「香港クレージー作戦」が1963年の作。
日本から観光目的での海外渡航が自由化されたのが1964年4月1日でしたから、
まさに自由化前夜に制作されたこれらの映画は
「夢の海外旅行」への気分を盛り立てるものではなかったかと。
そして、アメリカやヨーロッパがまだまだ果てしなく遠い場所だったとすれば、
香港はまさに「行けそうな外国」に思えたことでもありましょうか。
でもって、そうした時期に世界の空を制覇していたのが、
これらの映画でも主人公たちを香港まで運んだパンアメリカン航空(Pan Am)だったのですね。
思い出したみれば、個人的にも初めて香港に行ったときにに乗ったのも
サンフランシスコに行ったときに乗ったのもパンナムでありました。
ですが、その頃はもはやパンナムの命運は尽きかけていたわけで、
ほどなく(1985年)に太平洋線をユナイテッド航空に売り渡して、
日本の空港ではパンナムのブルーのマークを見ることはできなくなりましたから、
ある意味、貴重な体験であったとは言えそうです。
以前は仕事柄、渡航者個々のオーダーを受けて日程に従ってフライトをアレンジしていましたけれど、
北米・南米に行くような顧客のアレンジでは時折、予約端末の中に「PA」(パンナムのコード)を見かけ、
「まだあったんだ」と思ったりもしましたけれど、1991年12月、パンナムの翼は消えてなくなってしまったという。
というようなことをつらつらと思い出したりしたものですから、
パンナムの軌跡をトレースしてみようかと「消滅 空の帝国パンナムの興亡」という本を読んでみました。
著者は、日本人の採用としては二期生にあたるパンナムのスチュワーデスとして長らく乗務されたという方です。
(今では死語とも思われる「スチュワーデス」ですが、同書では多用されているもので)
ライト兄弟
がフライヤー号による飛行実験を成功させたのが、1903年。
戦争が科学を後押しするのはよくあることながら、
1914年に始まった第一次世界大戦では航空機の技術革新が格段に進んだものと思われます。
フライヤー号には人ひとりが腹ばいで乗るという形だったものが、
あれよあれよという間に大型化も達成して、物を運ぶ、人を運ぶようになるのですね。
そうした中で1927年にパンナムは産声を上げ、
フロリダからキューバへ、南米へという路線でスタートします。
この頃の機材は飛行艇(「紅の豚」に登場するような)を使っていたようです。
そして、商売敵はやっぱり船だったわけでして、
明らかにスピードでは勝るものの、船と同じようなサービスができるのかという点は
乗客側にも判断材料になってたんじゃないでしょうか。
なるたけ豪華な設えで迎え、機内ではゆったりくつろいでもらい、
容姿端麗のスチュワーデスがフレンドリーなサービスを提供する。
接客する側のおもてなしの笑顔は心からのものでなくてはなりませんから、
仕事がきつく、給料が安くて作り笑顔でなんつうことのないよう、
パンナムは緩やかな労働条件、高賃金が約束されていたのだとか。
それがずうっと続けられるわけですが、
接遇という点では間違っていませんし、それが永続可能ならばすばらしいこと。
パンナムのOBOGは揃って今や消えて無くなってしまった会社を惜しみなく褒めたたえるのですね。
他社の乗務員から羨まれることに自己の満足感は高まりこそせよ、
反面「そんな会社で大丈夫?」と思われているなど全く気付きもしないという。
このあたり、将来の「消滅」の気配が感じられ、著者も言及はするものの、
やはり華やかなりし往時のことが思いだされるのか、記述はどうも遠い目でものを見るふうでもあります。
一方、社員待遇の良い空の帝国は、当然のごとく一番が大好きなわけでして、
1935年に世界で初めて太平洋を横断する航空便を飛ばす、
1937年にはやはり世界初の大西洋横断便を開設する、
1947年、世界初の世界一周路線就航、
1958年、アメリカで初めてのジェット旅客機(ボーイング707)が大西洋を横断する…
と航空路の開設や新型機の導入で先頭を行くのですね。
そうしたところから、ボーイング747(ジャンボジェット)という大型機の開発にあたっても、
一度に二十数機も発注し、生産ラインに困ったボーイングに製造工場までパンナムが提供したのだそうで。
後にボーイング747として旅客機になった機材はもともと軍用の輸送機として想定されたものの、
不採用になったのにパンナムが目を付けたらしい。
かつて日本にも大量飛来した爆撃機B29を原型とするボーイング377ストラトクルーザーを
大いに活用したパンナムらしいところなのかもしれません。
とまれ、大型機は何のためというに、実はストラトクルーザーがそうですが、
やっぱりゆったりした乗り心地のためというのが主目的ではなかったかなと。
ですから、ジャンボの導入にあたっても同じようなことが考えられていたのかも。
ところが、そんなゆったり感でいつまでも大きな飛行機を飛ばしていられる時代ではなくなってしまう。
オイル・ショックによる燃料の高騰があり、ディレギュレーション(規制緩和)で競争は激化し、
自らが導入に先鞭をつけた大型機747で空の旅が大衆化するにつれ、航空券の格安化に拍車がかかる。
とても世界一社員に優しい航空会社が生き残れる途はなかったような。
しかしまあ、大衆化された空に適合するサービスではなかったかもですが、
少なくとも心の底からの余裕を持った笑顔で、高い航空運賃を払える少ない顧客と相対するのは
どちらにとってもハッピーなことであって、こうした仕事が成り立つわけがないと思ってしまうのが
いささか現実的すぎて悲しくなるところかもです。
競争社会が加速度的に進む中に、とてもパンナムの居場所はなかったということなわけですけれど、
潰れてしまったことの否定的な面でない味方でもってパンナムを振り返ることも
もしかしたら必要なのかもしれんなぁと改めて思ったりもするところでありますよ。


