出張で新潟市に来ております。


去年も同じ時期にやはり同じ目的で来たときには、

歩道にも歩きにくいほどに雪があったのですけれど、今回はきれいさっぱり。

昨日のようすからすれば、東京の方がよほど雪の中だったように思われるところです。


ところで、新潟駅にたどり着いてみれば、

こちらのホームには特急「北越」金沢行きが、

あちらのホームには特急「いなほ」秋田行きが

それぞれ東京では見慣れぬ姿の車両で停車してたりしました。


当然のように旅情が掻き立てられるところなわけですが、乗ってどこかへ行けるでもなし、

はたまた東京で見逃した「巨匠たちの英国水彩画」展を覗きに万代島美術館に立ち寄る時間もなし。

新潟まで来ていながら…とは思うものの、仕事では仕方ありませんな。


そうそう、駅前から乗ったバスの中でのこと。

次の停留所のアナウンスが車内に流れますけれど、

「古町」という地名を皆さまはどのようにお読みになりましょうか。


車内に流れたのはどう聞いても「降る町」という抑揚にしか聞こえない・・・。

こうしたことも「所変われば・・・」でありますかね。

さて、お仕事、お仕事。

映画にも興味がないわけではなし、いつかは行ってみようと思いながら

ずうっとそのままになっていた東京国立近代美術館フィルムセンター。

いざ出かけてみましたら、「ポスターで見る映画史」Part1として

「西部劇の世界」なる展示の開催中でありました。


「西部劇の世界」展@東京国立近代美術館フィルムセンター

ひと頃の日本の子供の遊びにはチャンバラごっこというのがあって、
娯楽の王様だった映画でも、いわゆる時代劇の全盛時代というのがありましたですね。


海の向こうのアメリカでは、刀を銃に置き換えての銃撃ごっこならぬ騎兵隊ごっこというのか、

そういうものがあったのではないかと。

そうした頃合いというのは、日本の時代劇全盛ではありませんけれど、
やはり西部劇全盛の時代だったのかなと想像するところです。


ただし、時代劇での剣豪のような存在はどちらかというととてもストイックなふうで

「陰」の要素をまとっているようなところがありますが、
西部劇の銃の使い手はスカッと明るい「陽」の要素の方なのではなかろうかと。


こうした違いと、日本では見られない風景の中で展開されたりすることも含めて

(どうしてもイメージはモニュメント・バレーとかそういう感じを想像します)

西部劇は日本に入ってきても人気を博した時期が確かにあったわけです。


なんとはなし、このフィルムセンターの中を見渡しても、

ある一定の年代層だぁねということ(しかももっぱら男性なんですが)が見て取れるわけで、

この方々にとっては、西部劇が青春!だったりもするのかなと。


言い訳がましくも個人的にはそうした方々よりもひと回りどころかふた回り、

もしくはそれ以上に下の年齢層である部類に入りますとは一応申し上げた上で、

それでもずいぶんと西部劇は見たなぁと、展示されたポスターを見ながら思うのですね。


かつてTVでは「日曜洋画劇場」とか「月曜ロードショー」とかいう映画放送番組が

曜日ごとに連なっていました。


レンタルビデオ(DVD)などというものが無い時代ですので、

旧作映画を見るには、こうしたTV放送に頼るところ大だったわけですが、

その中でかなり西部劇映画が放送され、見逃すと一生見られないかもしれないとの思いで

貪欲に見ていたものです。


ジョン・ウェイン の「黄色いリボン」も、ゲイリー・クーパーの「真昼の決闘」も、

バート・ランカスター とカーク・ダグラスの「OK牧場の決闘」(ガッツ石松ではない)も、

「荒野の七人」も、いわゆるマカロニ・ウェスタン(アメリカではスパゲティ・ウェスタンというらしい)の数々も

ことごとくTVで見たのでありますよ。


中でも印象的なのは「水曜ロードショー」だったと思いますが、

「シェーン」が放送される告知で「0.6秒の早撃ちが返ってくる!」みたいな惹句は

今だによおく覚えているという。


考えてみると、それだけ西部劇映画がTV放送に乗るということは

「いまだ西部劇人気衰えず」という時代でもあったのでしょうね。


ただ、ニューシネマとも言われた「明日に向かって撃て!」が作られたのが1969年の制作、

そして以前は騎兵隊の敵としてばかり描かれていたネイティブ・アメリカンを違った面から描いた

「小さな巨人」や「ソルジャー・ブルー」がちょうど1970年の制作でした。


西部劇は活劇からの変貌を遂げて、

それとともに制作される数の上でも目立たない存在になっていき、

だんだんと目に触れなくなっていくわけですが、ちょうどその斜陽期に、

最後のひと花をTVに咲かせていたのでしょう。

その立会人になっていたわけですね。


ちょっと前に「グリム童話の深層をよむ 」の中からディズニー版「眠れる森の美女 」が、

西部劇的な男女の構図 でもって描かれていたりという点に触れましたけれど、

こうした点やら上で触れたネイティブ・アメリカンの描き方やら、

時代をそのままに反映した作りが今から見れば「これって、どうよ?」の感があるのは事実。


ですが、あれこれのことを思い出すきっかけを与えられますと、

また昔の西部劇を見てみたくなるところでもありますですね。

昭島のくじらの話 をしていて、ふと思いついたのですけれど、

「昭島」という地名は、何とはなし作りものくさいなぁと思っていたのですよね。


もうすでにネタは割れているのですが、

自治体どうしが合併してできた新しい自治体に

「さて、どういう名前をつけるか」てなところなわけですね。


企業同士の合併だとくどいくらいに名前を連ねるという形があるわけで、

しばらく前には太陽銀行と神戸銀行が合併して太陽神戸銀行になったところへ

今度は三井銀行も合併して太陽神戸三井銀行になってしまった。


あんまり長いんで太神三井(たいしんみつい)なんつう言い方もしてましたが、

結局のところ一時期のひらがな流行りでさくら銀行になったのもつかの間、

さらに住友銀行と合併して三井住友銀行になってしまった。

もっとも今では、三菱東京UFJ銀行という、とんでもないつわものがおりますが。


とまあ、銀行のことはさておき地名の話ですが、

平成の大合併とやらで進んだ自治体統合では

(個人的にはかつてかなり地理に強いと思っていたのですが)

さっぱりどこだかわからない地名が続々登場してきたですねえ。


関東地方の例でいいますと、

茨城県の小川町、美野里町、玉里村が合併してできた自治体があるのですが、

先ほどの銀行のように小川美野里玉里町などという名前をつけようはずもない。


合併する当事者(当事自治体?)の中に、ステイタス的にというのか

ちと他をリードする存在がいて、どちらかというと対等合併というよりは吸収合併?てな感じがあると、

その一頭地を抜く存在の元の名前をそのまま付けるといった例もありましょう。

(静岡市と清水 市が合併して静岡市になってしまい、その後も膨張してるとか。恐るべし、静岡市)


ですが、どこもどんぐりの背比べであったときには、いっそ全く新しい名前を付けてしまう手もある。

山梨県北巨摩郡の7町村が合併してできた北杜市 などは、どの町村の名前とも

地域の歴史とも全く関係のない命名なわけですが、こりゃ合併する数が多いからかも。


で、先ほどの茨城県の茨城県の小川町、美野里町、玉里村はどうしたか。

それぞれの元の名前の頭の一文字ずつを取って新しい名前を作り出すのですね。

小川町の「小」、美野里町の「美」、そして玉里村の「玉」を組み合わせて、小美玉市(おみたまし)。

う~ん、作りものくさい…。


というところで昭島に戻りますが、

こちらもやっぱり小美玉市と似たような例で旧町名の組み合わせながら、

違うところは頭の一文字を取ったわけではないということ。


元は昭和町と拝島町があって、これが合併してできたのが今の昭島市。

字面でお分かりのとおり、昭和町の「昭」と拝島町の「島」の組み合わせです。


それぞれから一文字づつ取ったんだから対等と思えないこともないですが、

やっぱり頭から一文字目をとったところと二文字目以降をとったのでは、ちと印象が異なるのでは。

「昭」には昭和町の余韻が感じられますが、「島」と言われて「拝島」を思うことは至難です。


そうはいっても、「昭拝?」だの「拝和?」だのと他の組み合わせをいろいろやってみて、

それでも昭島がやっぱりまともに見えるなとでもなったのでしょう。


実はこれとまったくおんなじような例が、23区の方にもあったのですね。

今の大田区ですが、歴史的に大田なる地名が区内にあるわけではなく、

どうやら大森 と蒲田の組み合わせであるそうな。

ここでもやっぱり蒲田の分が悪いような気がするのは、気にしすぎでありましょうか。


とまあ、ああだこうだ言ってきましたが、実はそうしたもの以上にいい加減と思われるのが、

昭島市同様に多摩地域にある国立市。


「くにたち」とルビを振らなければ「こくりつ」と区別がつかず、

国立音楽大学 を私立大学とは思っていない方がいるかもですねえ。

(そのわりに国立音楽大学の現在の所在地は立川市なんですが)


ところで、この国立市の名前の由来は国分寺と立川 の間にあるからというのですね。

これは今のJR中央線の国分寺・立川間に新駅ができる時に「どうしよ、どうしよ」となって

付けられた駅の名前。


当時(駅開業は大正15年)は、町といいますか村の中心はもっと南側、

今の南武線 寄りの方にあって、現在の国立駅前は箱根 土地という会社(西武系ですね)が

開発した新開地でしたので、ここにも「くにたち」という新名称を付けてしまって、今に至る。


とまれ、経緯から言えば「立国」でもよさそうですが、これも「りっこく」と間違われそうですし、

「たちくにぃ~」などと音で聞くと「おすもうさん?」と思われると考えたのか、

「くにたち」になったということでしょうか。


歴史的には、青柳とか谷保とかいうべきなのかとも思いますが、

仮にそういう地名だったとしたら、たぶん今のようすとはずいぶん違って

長閑な田園風景が残る場所だったかもしれんなぁと思ったりしますですよ。


とにもかくにも、地名の探究もなかなかに興味深いものでありますね。

戯れに、TV朝日の「ナニコレ珍百景」という番組をご存じの方でしたら、

投稿作品が紹介されるときのナレーションを思い出しながらご覧くださいまし。


街角の街灯


何ということもない、平凡な街並み。

東京は多摩地域、中央線から青梅線 に乗り継いでしばしのところ。


東京は東京でもずいぶんと内陸に入りこんだこの場所になぜかこんなものが。

果たしてその光景とは…。


というところで、当然のようにBGMには、ムソルグスキー 作曲「展覧会の絵 」の終曲、

キエフの大門のメロディーを頭の中で鳴らしていただき、

上の写真の街灯がクローズアップされると思し召しませ。

(番組を見たことのない方には、さっぱり?でしょうけれど)


クジラの街灯@東京都昭島市


街灯にくじら?

そして、ここにも…。


クジラ像@JR青梅線東中神駅前


くじら…。

そして、商店街も…。


くじらロード@昭島


やっぱり、くじら…。

さらには、こんなところにまで…。


昭島の下水の蓋


下水の蓋にまでくじら!


とまあ、とんだお戯れでありましたが、

最後の下水の蓋をご覧になるとお分かりのように、ここは東京都昭島市であります。


都心からは西へ35kmほどおくまったところで、海抜はおよそ170m。

こんな場所でかくもくじらをフィーチャーしているのは?


くじらが多摩川を遡ってくる?

それだったら「砂漠でサーモン・フィッシング 」の方がまだ現実的かも。

ずいぶんひっぱりましたけれど、理由のほどをWikipediaからひっぱらせてもらうとしましょう。

1961年(昭和36年)8月、市内のJR八高線多摩川橋梁近くでクジラの化石が発見された。同じ種類のくじらが他に発見されていないため、和名「アキシマクジラ」と命名された。

ここに出てくる「市内の…」というのが、昭島市のことでありまして、

他で発見されたことのないくじらの化石が見つかった…。

と、このことは知っていたのですけれど、「アキシマクジラ」と名がつけられていたとは!


ということなんですが、先ほどの写真をわざわざ撮りに出かけたのではなくってですね、

ちと買い物があって昭島に出かけたところ、昭島とくじらの関係は知っていたものの、

それまで気付かなかった「くじら顕彰?」がそこここにあったものですから、つい写真を。


そのときに思ったのは、

「こんなに今では内陸になっているところで、くじらの化石かあぁ…」ということですね。


江戸時代には東京(って、江戸ですが)も日比谷のあたりまでは深く入り込んだ入り江があった、

つまり海だったとは、先日も日比谷図書文化館 の常設展示で見ましたけれど、

これを埋め立て埋め立てて、今の東京の姿に近づいていったわけです。

(こうしたことからすると、東京の地下鉄建設 を危ぶむ声があったのもむべなるかな…かと)


ですが、はるか昔々(化石になったくじらは160万年も前に生きていたようです)には

間違いなく昭島のあたりは海だったわけですね。

(こうなると、逆にその頃はどこが陸地だったんだ?と思いますが…)


先に荒川放水路 のことを書いたときに「川の流れというのはあるがままの自然のものではなく、

川と人間との格闘の結果ということなのですね。」と言いましたけれど、

長い年月の果てとはいえ、自然が自然にやってのける動きのダイナミズムは

大変なものがありますですよね。

昨年の3月に出かけてみてまあまあ面白かったものですから、
今年もまた「現代狂言 」を見に行ってみたのでありました。


現代狂言Ⅶ@宝生能楽堂


年に一度のペースで公演を手がけて七年目だということですけれど、
前口上で「前にも公演を見たことのある方?」とか
「狂言を見るのは初めてという方?」とかの問いかけに対して挙がった手は
リピーター半分、初めて見る人半分てな具合でしょうか。


本格的に?狂言をご覧になる方は「うむぅ」と思われるのかもしれませんし、
「現代狂言」はこういうものと思って見れば楽しい出し物であると同時に
初めての人には狂言をとっつきやすくしてくれるものではあろうかと。


個人的にも昨年の公演を見て狂言の敷居が下がった気がしたものですが、
二度目を見て思うには、やはり狂言らしい狂言をまとめて見る機会を持とうかなということ。


古典的な演目としては「舟ふな」という短めの一作だけだったために
もそっと見たいと思ったからでありましょうか。


ただ「現代狂言」は日本の古典芸能のひとつである狂言を
「現代」人に分かりやすく伝えるという意図もありましょうけれど、
能舞台、すりあし、語り口など狂言の要素を取り込みつつ作り上げた新作の上演機会でもあるわけで、
そうした新作がメインとして全体の三分の二を占めるというのも無理からぬ話。


今回の新作「橋」もそういうボリュームをもって演じられ、大袈裟に言えば環境問題、

そして現代家族のぽっかりとした空虚感なんかを絡めて作り上げられていただけに、
「芝居の出来としてはどうなの?」と思うと、ついあれこれと注文をつけてしまいたくなりそうに。


それでも、公演そのものの副題である「狂言とコントが結婚したら…」に立ち返ってみれば、
あんまり小難しく考えること事態、お門違いということにもなりましょう。

元来、狂言そのものもあんまり理屈っぽいことを考えながら見るものでもないでしょうし。


一方で、ふと思うことには「古典」なるものは理屈っぽい鎧をまといがち、
というか理屈っぽい鎧をまとわせがち・・・といったらいいでしょうか。
何度も引き合いに出して恐縮ですが、クラシック音楽も本来好きに聴けばいい はずなのに、
どうしても聴く側も理屈で挑むみたいな姿勢になりがちですものね。


こんな繰り返しの思いを抱きながら今回の新作現代狂言を思い起こしてみますと、
「当たり前だけど、なんてことのない日常の幸せっていいよね」てなことが感じ取れたり。


こうしたことは先に読んだ「本にだって雄と雌があります 」の中でもふと感じ取ったことなのでして、
考えてみると「特別なこと」をすることで「幸福」を感じることにばかり

腐心してきたような気がするのですね。


例えば、こたつに入ってお茶を飲みつつ、ポツリと家族と会話を交わす。
そんななんでもないことには、幸せ云々の尺度をあてて考えてみるといいますか、
そもそも幸せの尺度がどうのと考えること自体、特別な何かを目指していたような気がしないでもない。


考え方によってはとっても刹那的だと思ってもしまうところなのですけれど、
舞台を見て「ああ、面白かった!」というときに、大笑いしている最中は特段何も考えることなく
笑っていて楽しい、すなわち幸福な状況にあるわけですが、それが全てで実は何もいけないことはない。

その瞬間を大事にしているという点では、最高に幸せなのかもしれないですね。


てなことをいいつつ、習い性?で結局のところはあれこれ思いを巡らしているわけですが、
こうしたことにようやく気付くようになって、やっと小津安二郎の映画(もとより好きはありますが)を
見る準備が調ったような。


何事も前向きにという気持ちになってみれば、
「現代狂言Ⅶ」から思わぬものをもらったような気がしたものでありますよ。