どうせ混んでるだろうし、どうしようかな…と思っていたのですけれど、
会期も終わりが近くなってのどんより時折雨模様、もしかしたらゆっくり見られるかもと
出かけてみたのが「エルミタージュ美術館」展@国立新美術館でありました。
ちょっと前まで、エカテリーナ2世
やらラズモフスキー伯
やら、
そして時代は飛んでニコライ遭難
、さらにはロシア民謡
とステンカ・ラージン
…
こんな具合にロシアづいていたものですから、行かねばなぁとは思っていたわけです。
「ロシア国外では最大級」を謳い文句にしつつも、83作家89点の展覧会。
エルミタージュはそんなもんじゃあなかろう!と突っ込んでしまうわけですが、
日本にいながらにしてお目にかかれる作品の数々に有難味を感じるべきでありましょうけれど、
やっぱり混んでた…。
とまれ、いつとは知れずエルミタージュには一度は行くつもりでいますので、
今日のところはまあさらっと下見というつもりになれば、余計な愚痴もこぼさずにすむというもので。
そうはいっても、16世紀から20世紀に至る西洋絵画史のサマライズを提示できてしまうことに
まずはエルミタージュの懐深さを感じるわけですけれど、
今回の展示作品からはいくつか絵に向き合っての謎解き一人問答みたいな印象を綴っておこうかと。
まずは16世紀、ロレンツォ・ロットの「エジプト逃避途上の休息と聖ユスティナ」(1529-30年)です。
聖書に基づく話の絵画化にあたって、
例えば描かれた当時の発注者の姿が織り込まれたりすることはままありますけれど、
これも中世イタリア
の殉教者であるユスティナを聖家族と共に描いてます。
ただ、一見して右手に見える聖ユスティナ(胸元に短剣が刺さっている)が後から描き加えられた、
あるいは何かから描きかえられたようにも見えるのですね。
果たして、ここには当初は別のものが描かれていたのでしょうか。
そもそもヨセフが幼子イエスをユスティナに見せているように思える一方で、
マリアは何故かしら避けているふうなしぐさが見て取れるのでして、
何やら謎めいているではないかと。
宗教画でもう一つ、プロカッチーニの「聖家族、洗礼者ヨハネと天使」(1620-25年)ですけれど、
ヨセフが見上げる天子の指が指し示す方向には何があるのでしょう。
その指し示す方向とは全く別の方向を、マリアもイエスもヨハネも驚愕の表情でを見てますが、
イエスはひとりだけマリアとヨハネの投げる視線とは別の方を見ているような。
角度の違いなのですけれど、すると見られている対象はよほど大きい何かではないかと。
ま、こうしたことも聖書にお詳しい方なら一目瞭然なもかもですが。
17世紀に移って、最大の見ものはルーベンス
でありましょうか。
「虹のある風景」というコンスタブルを思い出させる穏やかな作品の隣に、
「ローマの慈愛(キモンとペロ)」(1612年頃)という、こちらの方がルーベンスらしい劇的な一枚が。
古代ローマ
の時代、元老院によって餓死刑を宣告されたキモンを憐れむも
何も差し入れることの許されない娘のペロが苦肉の策として、
父親に母乳を与えるという場面です。
ペロの必死な様子は痛いほど伝わってくるものの、
キモンの体つきはあまりに頑健そうではなかろうかと。
母乳を含ませたら、たちどころに体力が回復し…ということでもないでしょうに。
カラヴァッジョ
には牢の格子から顔だけ出したキモンに乳を与えるというのがありますですね。
それだとキモン側の必死さも伝わるものの、構図的にはうまくない。
ルーベンスとしても苦肉の策ったのですかねえ。
18世紀のコーナーでは、意外や意外、イギリスの作家が紹介されます。
わけても、ロイヤル・アカデミー
の初代会長ジョシュア・レノルズの
「ウェヌスの帯を解くクピド」(1788年)は同展フライヤーにも載る一作。
画像として取り出すと、何だかエロいだけの絵のようにも思えてきますけれど、
実際にはイギリス・アカデミーの会長の絵ながら、
いい関係になかったラファエル前派
と技法的にあんまり違わないのではないかなと。
フランス・アカデミーがばりばりの新古典主義だったのと比べてずいぶん自由、
というかむしろ斬新だったのではないかと思ったりするのですね。
題材としては確かに神話画なのでしょうけれど、背景などは抽象画ですね、これは。
…と、長くなってきたのでこのくらいにしときますけれど、
とにかく一枚一枚の絵というのは「語ってくれちゃうよねえ」という印象でありますね。
ここで取り上げた作品が必ずしも個人的な好みというわけではなくって、
絵と向き合って語りあってみたというものたち。
お好みでいえば、ヴェロネーゼの「聖会話」、ティントレット「男の肖像」、レンブラント
「老婦人の肖像、
そして知らない作家だったのですけれど、レオン・ボナの「アカバの族長たち」といったあたりでしょうか。
てなこと言って、やっぱりエルミタージュには行くしかないよね!と思うのでありましたよ。