美術館を渡り歩いた後に一夜が明けて、ストックホルム滞在第2日目の始まり。

また少々早起きをしてしまったものですから、ホテル近辺の散策に出かけたわけです。


と、実際は全館禁煙のホテルを取ってしまったものですから、

起きぬけの一服をしに街へ出るといった方が正確かもしれませんが。


それでも夜に部屋へ帰ってからは強力ミントのガムを噛むことはあっても

わざわざ外へ煙草を吸いに出ることなしに(もちろん室内で吸うことなどなしに)過ごしてましたから、

こりゃあいざとなれば余裕で止められるかもと思ったりしたのですよね。


とまあ、それはともかく外のようす。

すでに現地からの直接報告である「ストックホルム便り その2 」に書いたような

建物のちょっとした装飾といいましょうか、

エリア的にはそうしたものがつとに有名なところでもなんでもないですが、

朝飯前に拾ったいくつかを紹介というコーナーにしてみようかと思うわけでありますよ。



ストックホルム中央駅


かねて駅前ホテルと言ってましたように、まずは中央駅に足を向けてみますと、

そのメイン・エントランスではありませんが、脇の入り口。

なんか早速良いですなぁ。


その近くには銅像が立っていて…と、そこここで銅像を見かけるのがヨーロッパですので、

銅像自体が珍しいわけではなくしてですね、なんか変です、この銅像。


ストックホルム中央駅近くの銅像


耳のところの、こんもり赤いのは?

イヤーマフ?まだまだそんな寒さではないのですよね。では、ヘッドフォン?

真相は不明ながら、なかなかにおちゃめでもあるようですね、スウェーデン。


ちと裏道にも目を向けてみるとしましょう。


裏道の時計

あんまりこの時計を当てにしている人っていないような裏道。下は車道ですし。

もそっと視線を下げてみますですね。


入口を見張る?二頭の象


すると、なぜだか象さん二頭がお出迎え。

何屋さん?ただのオフィスのようでしたが…。


入りたいけど覗くだけのシャイなお客さん?


道の反対側には、気の弱い人を発見!

お店の中に興味がありそうで、どうにも中に入れないという様子。

看板はとみれば「Geocity?!」

古代風の装いの方には入りこみにくいのでしょう。


凝った窓枠


通りすがりの窓枠も凝ってますねえ。

…と言ってる間に公園に出ました。


朝の公園


朝早いものですから、誰もいません。カフェテラスにも。

なのに、噴水だけはフル・スロットル!どうやら水は豊富なようです。


温室の中の街灯?


公園の隅に異なもの発見!

街灯がガラス張りの建物の中に入っています。

水は豊富だけど、該当は護らねばならんとか。


近寄ってみますと、このガラスの建物は地下駐車場への入り口で

中にはらせん階段で下るようになってました。

暗くなったら、その足元を照らすための灯で必ずしも街灯ではなかったのか…。


スウェーデン人らしからぬ体格


あんまり人に遭わないので、人のよさそうな銅像にご挨拶。

理想化されたような姿形の像が多い中で、

この方はスウェーデン人としたら極端にずんぐりな人。

このタイプを街中で見かけることはほぼありません。


…てな具合に、朝のVasagatan近辺をゆるゆるひと回り。

さあ、朝ご飯の時間になりました。


朝のVasagatan

いよいよNational Museum(国立美術館ですね)に詣でる時間となりました。


先に回ったPrins Eugens Waldemarsudde やThielska Gallerietは開館時間が短いのに比べ、

(オープンが11時とか12時で夕方5時には閉まってしまう)

National Museumではたまたま火曜日の閉館時間が夜8時であったため、

近くを通りながらも後回しにしてきたのでありました。


Moderna Museet はともかく、これまでに見たのは

個人コレクションを邸宅のインテリアともマッチさせつつ飾っているという

いわばこぢんまりとした(それでいて見るべき内容でしたけれど)ものだったわけですが、

今度は国立として首都に置かれた美術館だけにスウェーデンとしての威信があろうかと。

それだけに期待は弥増すところでありますね。


ところで、これまでスウェーデン語での美術館・博物館はMuseetと知って、

原語表記で記してきましたけれど、どうも国立美術館たるNational Museumは

オフィシャル・サイトで見てもNational Museumという英語的な表記なのですね。


それだけ他国からの観光客などを意識してるのか…とも思ったりしますけれど、

とりあえずここでもNational Museumということにしておくとしましょう。


ただ、それだけではいったいどこのNational Museumだか分かりませんので、

スウェーデン的には付ける必要もないかもですが、Stockholmと付けておいた次第。

ご容赦ください。


とまた、前置きはともかく中に入っていこうかと思いますけれど、

思ったよりも小さいなという印象。考えてみれば、外見も確かにさほど豪壮ではないような。


National Museum Stockholm


これは翌日になって対岸から撮ったもので、中央に見える建物がNational Museumです。

遠目にはちょっと立派ですけれど、先の印象どおりに

他国の「とても一日じゃ見てまわれないよぉ~」という美術館よりは小ぶりでありましたよ。

それに、ここはデザイン美術館も兼ねてますので、それにスペースがあたっているせいもありましょう。


で、個人的な指向はもっぱら絵画にありますので、その辺りを中心に中の様子を見て行きますが、

ここでもやっぱりEugène Janssonにはついつい引き寄せられたりするという。


Eugène Jansson「Hornsgatan」


「Hornsgatan」(1902年)という作品ですけれど、これがもしリトグラフであったならば、

ちいとばかり抒情性をくすぐる飾りにうってつけの代物…と商業主義を感じる虞なしとも言えないですが、

やっぱり筆遣いまでを見てしまいますとですね、キャッチーな見た目だけではないなと思ったり。


と、スウェーデンの国立美術館ですから当然にお国ものの作品が多々あって、

それをJanssonの作品一枚を引き合いに出しただけでまとめてしまうのもいかがなものかと思いつつも、

国立故に各国絵画のコレクションも見ていくわけですね。


そうして思うところはですね、ロココ 趣味が多いなという印象。

ちと短絡的な発想ながら、さすがはマリー・アントワネットのそばに

フェルゼンを侍らせた国だけのことはあると思ったりするわけです。


ちなみに「ヴェルサイユのばら」に出てくるエピソードが史実通りとまでは言わないものの、

ヴァレンヌの逃亡事件などにもフェルゼンの加担は実際あったようです。


まあ、歴史絡みの話はまた機会があったら言及するとして、ロココ趣味ですけれど、

例えばニコラ・ランクレの「Blind man's buff」(1728年頃)辺りは宮廷のお戯れを偲ばせるに充分かと。


Nicolas Lancret「Blind man's buff」


一方で、さすが国立を思わせる「お!」と足を止める作品が時折登場しますけけれど、

イギリスのトマス・ゲインズボロ の「Maria, Lady Eardley」(1743-94)などはそうした一枚。

肖像画を多々描いたゲインズボロの中でも相当に凛々しさを感じさせるものではないかと。


トマス・ゲインズボロ「Maria, Lady Eardley」


それにとどまらず、近代の作品でもセザンヌドガ はじめ見るべきものがあれこれありましたけれど、

特別展として開催されていた「Light and Darkness」もまた見どころあり。


スウェーデン作家ではやたらにEugène Janssonびいきになってますが、

こちらも忘れていけんよというのがAnders Zorn(アンデーシュ・ソーンと読むらしい)でしょうか。


Anders Zorn「Luftslott」

「Luftslott」(1885年)という作品。

「Luft」はたぶんドイツ語 とおんなじでしょう、「空」の意ですね(ルフトハンザのルフト)。

「Slott」の方はストックホルム街歩きの中で覚えたスウェーデン語で「城」ですから、「空の城」。


おお、天空の城!なんつうふうに思ったりもしますが、

画面の印象は異なって、溌剌とした女性の姿が描かれてますので、

タイトルはポエジーで捉えたらいいんでしょうか。

とまれ、傘にジャポニスムを感じるのはおそらく個人的見解に留まらないのではないかと。


ところで、このAnders Zornにはこんな絵もあります。

Nationalmuseum Stockholmの表紙を飾る「OmunibusⅠ」(部分)という1895年の作品。


Anders Zorn「OmunibusⅠ」(National Museum Stockholmの図録表紙からの部分)


うっかりすると「マネ ?」と思ったりしてしまうという。

考えてみれば当たり前ですけれど、

スウェーデンにも印象派 を取り巻く潮流は間違いなくやってきていて、

Anders Zornあたりはこれを牽引していたのかもしれないですね。


全体的に(期待に対して)規模がやっぱり小さめとは見終わっても思うところながら、

それは贅沢というもので、北国ならではの光に対する思いをZornから、

闇に対する思いをJanssonから想像したりするところでありましたですよ。

渋谷に寄ったついで にBunkamuraを覗いてみますと、
ギャラリーではレイモン・サヴィニャック展が開催中でありました。


レイモン・サヴィニャック展@Bunkamuraギャラリー


もちろん階下のミュージアムではレーピン 展の真っ最中ですけれど、
こちらを見るにはたっぷりの時間が必要ですから、これはまた後にということで。


サヴィニャック展の方ではちょうどギャラリー・トークをやっていたものですから、
ささっと見て分かった気になるには売ってつけのタイミングでもありました。


で、サヴィニャックですけれど、
画家としても有名なロートレックミュシャ を引き合いに出すまでもなく、
ポスターをも芸術的なカテゴリー内にとらえるふうのあるフランスで

ポスター界の巨匠というわけでありますね。


ところで、上の画像の右側になんとなく見覚えのある方もおいでになろうかと。

見るからにチョコレートの関係と想像するところですけれど、

元は古い作品ながら、数年前にこのデザインを使用したパッケージで復刻版的に

チョコが発売されたりもしたようですし。


ギャラリー・トークによって語られた本作にまつわるエピソードとしては、

もともとこのチョコと男の子のデザインはスイスのチョコレート・メーカーである

トブラー社向けに制作されたのだとか。

(トブラーのチョコレートは三角形に細長いパッケージで、毎度免税店で見かけるあれ)


さりながら、どうにもトブラー社には受け入れられず

サヴィニャックは持ち帰る羽目になってしまったのだとか。


元は大判ポスターの原画ですから、巻いてあってもやっぱり大きい。

持ち帰ったものをサヴィニャックはバス・タブに放り込んだのだそうです。


湯は抜いてあったものの、底にいささか残っていたのでしょう、

そのせいで水に浸った染みがついてしまったそうなんですが、

それが少年の額を横切る二本線として上の画像でも分かりますですね。


ちなみに本展に出ていたのは原画なので、かなりはっきり線が出てます。

加えて、これも原画でないと分からないのでしょうけれど、

後に森永製菓からのオファーにこれをそのまんま提供する際に

チョコの一粒一粒によぉく見るとトブラーと書かれたものを後から上塗りで消しているという…。


まあサヴィニャックには自信作だったのでしょう。

だからこその使いまわしですけれど、同じようなケースは他にもあるようで。


ペリエの瓶を持った人物が描かれているポスターは明らかにペリエ用なんですが、

最初はペリエの瓶のところにはコカ・コーラが描かれていたのだとか。


瓶を持つ人物のまわりには、スカッとさわやか的なしゅわしゅわした感じの気泡が描かれてますけれど、

ペリエも発泡性ですから、何の違和感もなくペリエのポスターとして使われたということです。


やっぱり自分の作品にはこだわりがあるのでしょうねえ。

果たして、森永の担当者もペリエの担当者も自社向けと思ったデザインにまつわる経緯を

果たして知っていたのかどうか…。


ところで、エピソードといえばもうひとつ。

サヴィニャックにSNCF(フランス国鉄)から旅行キャンペーン・ポスターの依頼があったそうな。

チケットが半額というだけで充分にお得なキャンペーンですが、

これをサヴィニャックは人物の左半身を描き、右側に「半額ですよ」といった文字を配して

ポスターを作ったところ、大いに効果があがったのですね。


これに気をよくしたSNCFは再度のキャンペーンに再度の依頼をしたところ、

サヴィニャックは右半身を描いて左側にキャプションというポスターを作った。


前のポスターを思わせるには十二分ですから、SNCF側も納得はしたものの、

「描かれるものが半分しか描かれていないので、ギャラも半分です」ということになったそうな。

ホントかなと思いつつ、これが分かるとフランス人てなふうでもありましょうかねえ。

Thielska Galleriet からはまたバスでストックホルム中心部で戻るわけですが、
ふと気付けばこんなふうなことに。


バスの最前列から見れば…


バスの最前列から前方を写したのものですけれど、
バスの行く道には軌道が敷かれており、直線上のずっと前方には、
見にくいですがトラムの後ろ姿が写っているのですね。


つまりストックホルムのというか、ストックホルムでもトラムの軌道は専用にはなっておらず、
車が乗り入れる道路でもあるわけです。


本来的に路面電車は専用軌道でこそ定時運行が可能になりますけれど、
それを許す自動車の交通事情があるかどうかによって大きく左右される点なのかと。

(路面電車の軌道に車が入るのはままあるのでしょうが、上の写真ではほぼ専用軌道に見えます)


かつての都電 も高度成長期に増えた自動車の交通量の故に、
軌道が道路を占拠するとして邪魔者扱いされ、ついには荒川線を残して

全線廃止されてしまいましたですね。


ストックホルム市街地の交通状況を垣間見た限りにおいてですが、
かなり車の往来は激しくあることからも、

トラムの路線が限られたものになっているのも止む無しに思えます。
(その点、後で見たヘルシンキではトラムこそ市内を行き来するメインの交通手段ではなかったかと)


かってな思いでよその土地の公共交通に口出しはできませんけれど、
市街地をトラムが走る景色というのは絵になる要素のひとつのようにも思われるわけで、
少ない路線とはいえ、ストックホルムでもトラムが生き残っていってくれれば…

なんつうことを思ったのですよ。


と、前置きが長くなりましたけれど、次に訪れたところのことを。
国立美術館は夜行こうと思ってますので、それにはまだ時間があるということで、
どんなところかよく知りもせずに向かったのが、

Musik/Teater Museet(音楽演劇博物館とでも言いましょうか)。


ウィーンのHaus der Musik のように、

行ってみたらば思いの外面白いところだったということもありますし。


国立劇場@ストックホルム


乗ってきたバスをかくも立派な建物(国立劇場だそうです)にほど近いバス停で下車し、
この国立劇場の脇の道をちょっと行ったところにMusik/Teater Museetはありました。

やっぱりスウェーデン演劇の牙城の近くというあたり、

ロケーション的な意味合いもあるのでしょうか。


ところで、劇場の写真の右下をご覧くださいまし。
ザックを背にして二本の杖をついている人の姿が写っておりますですね。


日本でも脚を悪くされたお年寄りなどに杖を二本ついて歩いている方を見かけたりもしますけれど、
欧米の方々のお腹まわり、腰まわり、お尻まわりを目にするにつけ「脚腰には負担だろうなぁ」と思い、
やはり外出には二本の杖を頼りにとなっているのか…と思えば、必ずしもそうではないという。


もちろんそういう方もおいでとは思いますが、写真をよおく見るとですね、
この方に関していえばさほどでっぷりしてはおられませんし、また杖の方も
杖というよりはスキーのストック、それも距離競技に使うような長めのもののように見えませんでしょうか。


これはですね、ノルディック・ウォーキングという運動なんだそうですよ。
日本でもウォーキング(昔は単に散歩といいましたが)をしている姿が見られますけれど、
北欧では専用のストック(実際にはスキー用でなく、専用のものがスポーツ店で売ってるらしい)を
使いながら歩くのをノルディック・ウォーキングと言って、まあまあ見かける風景になってますですね。


なんでも、ストックを突きながら歩くというのは上半身にも一定の負荷がかかるので、
ただ歩くよりも運動効果が上がるということらしいのですよ。


とはいえ、冬になって雪に降りこめられたときに日ごろからストックを使い慣れていれば、
足元を靴からスキーに履き替えるだけで同じような運動が継続的にできるてなあたりから来てるのでは
と想像したりするところです(さすがにストックホルムの街中ではできないかもですが)。


閑話休題。Musik/Teater Museetの話でした。
ともかく入り口までたどり着くと、

貼られたポスターに「Thank you for the music!」の文字が躍っていて、
「おお、やっぱりABBAか!」と(アバはABBAと記すしかないですよね)。


アバ・コーナー@Musik/Teater Museet


ただ、確かにアバの業績を称えるコーナーはありましたけれどほんの一角であって、
それ以外の演劇関係は別としても音楽に纏わる展示の方はけっこう体験型だったですねえ。


ロサンゼルスのグラミー博物館 ほどとはいかないまでも、
展示室が暗く古びたふうであるところとは異なるハイテク?な印象でありました。


楽器もさまざまに触れることができて、

テルミンを演奏(とまではいきませんが)してみたのは初めて。
ハンガリーの民俗楽器ツィンバロンを叩いてみたのも初めてで、
ここもその気になれば長い時間かけて遊んでられる場所だなぁとは思いましたですね。


ツィンバロン@Musik/Teater Museet


結局、前置きと途中の閑話が長かったので看板に偽りありの記事になってしまいました…。

あ何となくタイトルからも例によって極上の洋モノコメディかと思って見に行った芝居が

「シュペリオール・ドーナツ」でありました。


全部が全部でないものの、比較的そうした傾向が強い加藤健一事務所の公演だけに

今回もまたとの思い込みがありましたけれど、どうしてどうしてちいとばかし傾向が異なったようで。


Chain reaction of curiosity


主人公で「Superior Donuts」の看板を掲げるドーナツ店の店主アーサーはポーランド系二世。

お隣でレンタルDVD店を開業し、アーサーの店も買い取って増床した暁には家電販売店へと

商売を拡張したいと目論む(アーサーは頑として首を縦に振りませんが)マックスはロシア系一世。


アーサーの店に毎日のように立ち寄る女性巡査のランディはアイルランド系。

その相棒である巡査のジェームズと、店でアルバイトをするフランコはアフロ・アメリカン。

そして、フランコが若気の至りからか賭博でこしらえた借金の取り立てに現れるルーサーがイタリア系。


アメリカではごくごく普通にあるシチュエーションなのかなと思い、

この舞台がシカゴという大都市であればなおのことかもと思うところですけれど、

翻訳劇のむずかしさがここにはありますよねえ。

それこそ、日本にしか住んだことのない人間には想像しかねるといいましょうか。


おそらく血液型よりはもそっと信憑性がおけるような気もするお国柄、

そして出身の国を想像させて余りある「○○なまり」的な言葉遣い…。

こうしたものが、なかなか翻訳ではスムーズに表わせないでしょうし、

見ている側も想像がつかないわけです。


とはいえ、芝居の(必ずしも芝居だけではないんですが)凄いところは

そこらへんをやりようによっては普遍性というところでカバーしてしまうのですね。


主人公アーサーはことごとく語らない、行動しないという人物。

いいようによっては事なかれ主義ということにもなろうかと。


その背景になるものがヴェトナム戦争での徴兵逃れにあるという。

徴兵を嫌って戦ったのではなく、徴兵から逃げた…

これがその後のアーサーを作り上げてしまうわけです。


が、ヴェトナム戦争への徴兵逃れを一般化して語ってしまうことの善し悪しは別として

(これを棚上げしないととても日本では芝居化できない)

何かしらトラウマ的な現実逃避をねっこに抱えるがゆえに

その後の生き方に制約が生まれてしまうというレベルにすりかえればわからなくもない…。


わざわざ自虐的に暴露でもしない限り、

周囲の人はそれと気付かずとも自分だけが奥深くに抱える何かしらというものがあっても

たぶんおかしくはないでしょうから。


そうした状態のまま長らく生きてきた、暮らしてきたところが、

思いもよらずとある干渉を受けることで、「このままでいいのか」という疑問が投げかけられる。


アーサーなりの打開策が適当、適切なのかはなんとも言いようがないところながら、

そこに至る過程ではおそらく誰しもが自分に引き寄せての打開策は?と考えるわけですね。

そこらへんが普遍性といった由縁なわけですが。


ところで、芝居とは直接的に関係のない話ですけれど、主人公アーサーはポーランド系で

店の看板どおり極上のドーナツを作る、いわば職人でもあるわけですが、

ドーナツへの思いというか執着というか、そうしたものは日本では必ずしも一般化してないような。


ですから、そこんとこで(つまりは入口部分からしてすでに)理解の及ばないことって

あるんだろうなあと思ったりしますですね。


たまに食べれば美味いと思ったりもしますが、それも頂き物だったりするからで、

およそ自分で買おうと思うことはまずない。

…と個人的な思いを日本人として一般化するのは適当ではないのでしょうけれど。