近頃は本当によく小説が映画化されますけれど、

中には「これって最初から映画用なのでは…」と思しき「小説」もままあるような。


話としては面白いにしても、先に小説として読んで「うむむ」と思うくらいなら、

端から映画で見た方がよかったということにもなろうかと。


この話が果たしてこうしたものに仲間入りするものなのかどうかは、

冲方 丁さんの小説を全く読んだことがないので何ともいえませんけれど、

配役とそれによって生ずるくすぐりが奏功していることを考えると、

まあ映画で見てよかったのかなと思ったりもしている「天地明察」でありました。


映画「天地明察」


徳川四代将軍家綱の治世。

将軍の御前で囲碁勝負を披露するとなれば、単なる碁打ちとも言っておられない家系といえましょうが、

この幕府御用達の?碁打ちである安井家に算哲という若者(岡田准一)がいたのですね。


算哲にとって碁は飯のタネながら、少なくとも映画ではあまりクローズアップされるでなく、

もっぱら本人が趣味と言っている天測(天体観測でありましょう)の知識でもって、

その後の人生が大きく左右されることになるわけです。


ユーラシア大陸の東の端からさらに海を隔てたところにある日本では、

長い長い歴史を通じて大陸から、ときに直接、ときに朝鮮半島経由で

新たな知識を仕入れてきたわけですけれど、江戸期ともなれば世界では

とうに大航海時代を迎えて科学技術の発展著しい頃合いに、

その知識が共有できないことをもさておいて、鎖国政策をとった日本でありました。


それでは、文化的に著しい遅れをとったかといえば、

そうでないとは言い切れないものの、むしろ独自の発展を遂げる契機にもなったわけですね。


幕末近くなって多くの外国船がやってきますけれど、

取引が厳しく制限された日本の品々だけに、要するに珍しいこともあってか、

大いにもてはやされ、ジャポニスムなる風潮を呼ぶことにまでなりますですね。


これはもっぱら美術工芸の世界の話ではありますが、

そうでなくともこの映画にも顔を出す関孝和(市川亀治郎)による和算の水準なども

大したものであったとはよく聞く話ではないかと。


そこへもってきて、ここで焦点が当たるのは天測と和算に秀でた安井算哲(後の渋川春海)。

成し遂げたことは、中国が唐であった時代に作られ、日本に入って来て以来当時も使われていた

宣明暦というこよみの誤謬を気付いて、これを正すべく新しい暦を作り上げたことなのですね。


暦といっても月日を示すだけではなくって、当時でも日蝕・月蝕の予測が立てられるような

星の運行などを考えた上で導かれるものだったわけですが、では日蝕・月蝕の予測が

当たるのか、当たらないのかでその暦の信憑性は明白になります。


それで、間違っているのが明らかであるならば、正しいものを作った方がよかろうと思うのが自然。

なのですが、古来暦は農事や宗教的な要素と密接に絡むだけに、

暦は公家(ありていに言うと天皇家でしょうか)の専権事項であって、

将軍として政権を担っていたとしてもあだや疎かに手を出せないものであったわけです。


となると、使っている暦が間違っているとの指摘は

「帝の権威を傷つけるのか!」という本質的にはお門違いの反駁が返ってくることになってしまう。


そもそも暦は誰のためにあるのか。

この辺の問いかけは、いつの時代にもどこにでも通用することなのではないですかね。

「そんなことをしては、国の権威がたちいかん」とか。

そう仰る方に普通の人々は見えてますか?と。

(必ずしも普通の人々の側がよいとも言えないこともありますが)


と、脱線してきましたが、

ともかく鎖国であるが他国の研究成果もおよそ知り得ず、

実験器具もとにかく工夫を重ねてきた限りあるもので、いわば天上の謎に迫っていくのは、

諸々のことはおいといて、大したものだなと思うわけですね。


最初の方で日本各地で北極星の位置を観測して回るというところがありますけれど、

北極星を見上げる以前に、今自分の立つ地点は地図上のどこなのかを明確にするために、

移動した距離を測るんですが、これが実に歩測なのですよ。


妙に足を高く上げて元気に歩いてるなぁと思ったら、

要するに歩幅をかっちり一様に保つためにそういう歩き方になってたんですね。

後でその通りの種明かしが語られる場面があって、やっぱりと。


とまれ、そんな健気な努力を重ねて算哲が作り上げた貞享暦ですが、

70年ほどしか使われず、その後も改暦は繰り返されたという。


ですがこれは、観測精度の点も含めて科学技術の進歩の結果が反映されていったからでしょうし、

そうしたことを受けて間違っていたら正すといったことが当然に行われるような風穴を開けたのは、

算哲の改暦に負うところ大であろうと思ったのでありますよ。

ちょっとした公園散歩がてらの移動で向かったところは、Hallwylska Museetでありました。

手元のガイドブック(何だかんだ言いながらも「地球の歩き方 」を使ってますが)に紹介文はないながら、
(市街の地図上にハッリウィル博物館という表示だけ出てます)
ストックホルムカードを買ったときに貰った利用ガイドをぱらぱらと見ているときに、
「お!これは行かねば」と思ったわけでして。


「Hallwylska」ですので、想像するに「-ska」は「~の」といった接続的な意味合いを持つ

語尾変化か接尾辞のようなものではないかと。


先に訪れた「Thielska Gallariet 」がティールさんのギャラリーてなふうでしたから、

こちらはさしずめHallwylさんのミュージアム。

感覚的にはHallwylという名前の部分はハッリウィルというよりハルウィルに思えますが、

まだまだスウェーデン語には付いていけてませんので…。


でもって、ティールさんちの方はギャラリーであったのに対して、こちらはミュージアムという看板。

その違いの程は入ってみると一目瞭然ながら、それはもそっと後の話です。


とまれ石造の同じような建物が並び、路面電車が行き交うHamngatanという大通りに面して、
ちょうどBerzerii Parkと向かい合うような位置関係でしょうか。
心持ち視線を上げながら歩いていると、この旗を見落とすこともないのではと。


Hallwylska Museet


旗の下のアーチから覗くと、中はパティオで「立派だな感」を醸すところながら、
ずいずいと入り込むまでもなく、アーチ下すぐ左手に入り口がありました。


Hallwylska Museet パティオ


2階と3階に展示室があるのですけれど、まあ最初のうちはお金持ちの邸宅を訪ねたように

家具調度と同時に壁面に飾られた絵画に目を向けるという感じで見て回り始めたのですけれど、

奥へ進むにつれて、要するに何でもかんでも的な収集癖があったのだなと思えてくるのですね。

これで人体標本やら実験器具があったら、Wunderkammer になってしまっていたかも…。


収集癖を発揮されたのはもっぱら奥様であるウィルヘルミナさんらしいのですが、

まあ陶磁器関係、食器の類いはまだ分からぬものでもないながら、

山のように武具を集めた部屋は王宮 地下の展示より迫力で優る気がしますし。


てなわけで、とかくお目当てを絵画に置いている者としては

「ふ~ん」とか「う~む」と思いつつ2階を見て回ったですが、

実は3階こそがギャラリー・ルームになっていたのですね。


3階は家具調度の合間に絵が飾られているのでなくして、はっきり言って絵画の展示室。

中世ドイツ、ネーデルラントの絵画が多く見られるのは

スウェーデンの美術館にわりと共通するところかと思いますが、

これはやはりハンザ同盟にも絡むバルト海貿易との係わりなのでありましょうねえ。

もっともここにはティントレットなどもありましたけれど。


とはいえ、注目すべきはネーデルラント絵画でありまして、

子供の方とはいえブリューゲルもあれば、フランス・ハルス、テニールスなども。


息子のブリューゲル「The Peasant Wedding 」


ストックホルムで訪れた美術館は概ね空いておりましたが、

ここはとりわけ絵を見に来るというよりは珍しいものを見に来る人が多いのか、

ギャラリー・ルームは文字通りのひとり占め。

近寄ろうが、遠目で見ようが、横から見ようがどうしようが勝手放題でありましたよ。


とまあ、思いがけずもオランダ絵画をじっくり見るという機会を得たわけですが、

そんな展示室の奥には「?」という小さな部屋が附属していたのですね。


解説に曰く、ウィルヘルミナ奥様のエクササイズ・ルームであったのだとか。

見るからに「ぶら下がり健康器?」といったものが置いてあったりして、

ここで運動に励むウィルヘルミナ奥様の姿を想像するわけですが、

こういってはなんですがシシー のような方ではなかったようで…。


余談はともかく、ふらっと出かけたわけには思いの他じっくり楽しめる

美術館のような博物館、博物館のような美術館でありましたですよ。

(英語でいうと、どちらもMuseumなのでしょうけれど)

ストックホルムに着いてからというものあっちこっちと歩き回って、

さすがにいささかの疲れを感じたものですから、
ここらでのんびりひと息つきながらボート観光といくかなと思ったのでありまして。


前日手に入れたストックホルムカード を提示すれば、
観光ボートによる一周50分のロイヤル・カナル・ツアーなるものに参加できるのでして、
乗り場が王宮 近くの橋を渡った先というだというのも打ってつけだったのですね。


桟橋近くのチケットブースにカードを見せて乗船券を受け取り、行列に並んで待つことしばし。
1時間前に出たボートが戻ってきました。


ロイヤル・カナル・ツアーのボート


橋をくぐる関係なのでしょうね、
アムステルダム で乗ったボートともはたまた隅田川 の水上バスともおんなじような平たい形。


実際くぐる橋というのもこんな具合ですから、

日本で言えば隅田川というより小名木川と言った方がいいかもです。


ストックホルムの橋の下をくぐる


これまでは地上から水面を眺める恰好だったのが、今度は逆。
ボート内では何とまあ11ヵ国語に対応しているというオーディオ・ガイドで

日本語の音声を聞きながら、窓外を眺めて回ったのでありました。


水の上から眺めるストックホルムの街並

ところで、このロイヤル・カナル・ツアーですが、
ルートから見ると前日出かけた
Prins Eugens Waldemarsudde Thielska Gallariet がある

Djurgården島の周りをめぐってくるコースなのですね。


これにロイヤル・カナル・ツアーという命名があるということは、
どこかしらその命名に違わぬ何かがあると考えるのが自然ではないかと。


どうやらDjurgården島と本土を隔てる水路がユールゴーデン運河であって、
Djurgården島が王室領であるところから、ロイヤル・カナルということになるようです。


つうことはなにかい?運河ってのは人工的に掘ったものだろうから、
運河ができる前はユールゴーデン島は島ではなかったってことかい?と思ったり。


ユールゴーデン運河


いかにも運河なのだなと思わせる、並木の続くプロムナードを従えた水路あたりになりますと、
ここが実は陸地としてくっついていたと言われても驚かないかもです。


それに昔々の氷河がバルト海にアーキペラゴと言われる島の多い水域を作り出したことと同様に、
ストックホルム近辺は海と陸とが非常に入り組んだ境界線を描いているものですから、
そうと知ればやっぱり不思議ではないと思えたりもしますですね。


てなふうにDjurgården島巡りをしてきたロイヤル・カナル・ツアーでもってひと休みの後は、
またひとつ美術館に行ってみようかなと。


桟橋の裏側に広がる王立公園を通り抜けながら、
日本とはちいと趣きの異なる花壇を眺めたり、
フェルゼンを見殺しにした?王様カール13世 の妙に立派な姿を目にしたりしながら、
次なる目的地へと向かったのでありました。

花壇の向こうに聖ヤコブ教会


王立公園の花壇


カール13世@王立公園

先日、映画「モンサントの不自然な食べ物」 を見て、

「どうしてこういうことになってしまうかな」と思った挙句
「人間てのは…」なんつうふうに考えてしまったりもするところでしたけれど、
人間を見直すといっては大げさながら、ちと前向きさを取り戻すのにちょうどいい映画を見たのですね。
それが「最強のふたり」でありました。


映画「最強のふたり」


映画の世界では、このところ頓に実話の映画化が多いですけれど、
「事実は小説より奇なり」と昔から言いますように、「ほぉ~!」と思うことがたくさんあるようで。


事故にあって首から下の全身、腕も指も脚も腰も全く動かすことのできない状態にある

フィリップ(フランソワ・クリュゼ)が幸いにして(?)大富豪であるが故に

24時間介護を任せられる介護人を雇うべく、候補者を面接するところから始まります。


それぞれの候補者には介護の経験があり、

それ故に被介護者との関係も分かったつもりになってますから、
どうしてもフィリップを見る目には憐れみや同情が浮かぶことになるという。


あたかも金太郎飴のように続く面接に嫌気がさすフィリップの前に

突然現れたのがドリスという黒人青年(オマール・シー)。


介護のかの字も知らないばかりか、早く不採用証明書にサインをくれと言いだす始末。
不採用の証明が得られるということは、就職活動をしていることの証しであって、
活動してもだめだったんだからと失業手当がもらえるということになるらしい。


何の採用にしても、このふざけた候補者を雇ってみるかという気になることなど考えにくい状況で、
フィリップは端からやる気のないドリスに「試用期間を設けるからやってみないか」と振るわけです。

ドリスの目に自分が全く障害者だと見えていない点に何かを感じて。


パリ近郊のスラムと言ってもいいエリアに暮らすドリスは、どう見ても危ない若者のようですし、
実際地元での仲間たちがご同類らしいようすなのは、

映画「ザ・タウン」 のような抜け出しがたい環境のせいでもありましょうか。


ただ幸いにもドリスの場合はどっぷり悪い方につかり切ってしまったいるわけでもない。
それは、いっぱしのワルぶっている弟への対応を見ても分かろうというものです。


そんな根っこのところには人好きするいいヤツを住まわせているらしいドリスですから、
日常の介護という観点では万全ではないものの、そうしたうわべでない人と人とのつながりの面で、
フィリップとドリスの絆は深まっていくという…。


ということで、冒頭に書きましたように

「人間やってるのもあながち悪くないか」と思ったりするわけですが、
ふと思いますのは、これが実話(実話に基づいたお話?)だということなんですね。


「事実は小説より奇なり」が何でなのかを考えたときに、現実世界というのはかなりの度合いで

思いつきや何となくといった気分に左右されるものではないかと思うのですよ。


そして、その思いつきや気分に対して「なんで?」と問われても

それこそ「何となく…」としか言いようがなかったり。


つまりははっきりと説明がつかないことが

日々起こってくる(人間の側からすれば起こしている)わけです。
たぶん、フィリップがドリスを雇ったのも、そんなものではないかと思います。


ところが、小説(映画や芝居でも何でもですが)はといえば、

登場人物があんまり「何となく」な行動をとっていると何だか訳が分からなくなっても来ますし、

これを回避するには後になってからあの行動にはこういう意味があったと説明して
(あいつは訳の分らんことをする奴だから…とひと言誰かにつぶやかせるだけでも説明ですものね)
整合性というのか、まとまりというのかそういう収まりをつけようするのではないかと。


では、なぜこうなるのかですけれど、
とかく小説を代表にしての創作物は突飛な話を捻り出しつつも、
実はその底をよくみれば人間一般に通ずる何かしらの普遍性めいたものが織り込まれるのに対して、
事実、現実の方はといえば、一般に通ずるものがあるかどうかはともかくも、
結果として突飛だ、変わっている、普通ではない…という先鋭要素があるからこそ語られることになる、
とまあこういう違いがあるような気がしたのですね。


ま、必ず何でもそうだと言えるほどに確信があるわけではありませんけれど、
ともかく現実世界のあれこれがやることなすこと

誰にもあてはまるものであったらきっと面白くないでしょうね。


翻って言えば、「最強のふたり」が作り出したお互いの関係は

そうそう誰にでも当てはまるものではない、実話ならではのレアケースなのかもですし。

ストックホルムのガムラ・スタン (いわゆる旧市街)には
大きな塔を持つ教会がいくつかありますけれど、三カ所ほど覗いてみたのですね。


まずは王宮 のすぐ隣にあるStorkyrkan(大聖堂)、立派な時計塔が目を惹きます。
何でも1279年の文書に記録が残るストックホルムで最も古くからある教会なのだとか。


ストックホルム大聖堂


現在に至るまで何度も改築改修が施されたものの、
1306年の煉瓦建て部分が今に残されてもいるようです。


ただ、歴史的にストックホルムに司教座が置かれたのは1942年と新しく、
「大聖堂」が意味する役割が振られたのもさほど古いものではないのでして、
もっぱら地元民のための教会として長い来歴を持っているということになりましょうか。
(後で行きますが、かつてはウプサラの大聖堂がスウェーデンでは中心的な存在だったようで)


「聖ゲオルギウスのドラゴン退治」の像


まあそうした経緯はさておき、堂内で見た「聖ゲオルギウスのドラゴン退治」の像(またしても! )は
1489年に奉献されたといいますから、やはり由緒のほどを感じさせますが、

その古さのわりには立派ですよね。


ストックホルム大聖堂 祭壇


祭壇はといえば黒檀と銀で造られていて、実に渋い。
一方で、国王が儀式に臨席する際の国王専用席は何とも絢爛豪華。
そして、世俗の王が纏う絢爛さに対抗するかのように、説教壇もまた贅沢な作りでありましたよ。
(いずれも撮った写真は光が足らずにぶれぶれで使えないものでしたが…)


と、大聖堂を後にしてガムラ・スタンの細い石畳道を歩いていますと、
今度はTyska Kyrkan(ドイツ教会)の塔が見えてくるのですね。


ドイツ教会


グスタフ・ヴァーサ王によって統一スウェーデンが出来上がる前から、
バルト海沿岸地域にはハンザ同盟都市のドイツ商人が乗り出していましたけれど、
(まるでヴァイキング時代と選手交代するかのように現れた感がありますね)
ストックホルムも拠点のひとつであったのでしょう、
17世紀の前半頃に彼らの手で建てられたのが、このドイツ教会ということです。


ドイツ教会内部


内部を見るにつけ、何だか金持ち商人たちだったのだなぁという気がするという。
改めて建物を見上げても、大聖堂より「立派だな感」を抱かせる気がしないでもない。


ドイツ教会の塔



お次に向かったのは、Ridderholms Kyrkan(リッダーホルム教会)でして、
大聖堂と並んで古い教会とのことなんですが、透かし彫りのような塔の先を見るにつけ、
むしろ19世紀末とかむしろ新しい時代を想起してしまったり。


リッダーホルム教会


それでも、この教会が持つ重い位置づけは
グスタフ2世アドルフ王以来、王の墓所となっているということでありましょうか。


スウェーデン王の墓所


ついでに、ここに葬られているかどうかは分かりませんけれど、
ここで葬儀が営まれたというある人物のことを少々。


日本人にとっては相当に有名なスウェーデン人と思われますが、
その名もハンス・アクセル・フォン・フェルゼン(現地語的にはフェルセンらしい)。
「ベルばら」で多くの日本人女性の心を鷲掴みにした人物ではないかと。


フランスびいきであったグスタフ3世アドルフ王の厚い信頼のもとで活躍したフェルゼンですが、
晩年はスウェーデン王室の王位継承に絡む暗殺事件の首謀者と目されてしまったのですね。


世継ぎのいないカール13世はデンマーク王室に繋がる人物であった

カール・アウグストを養子にしますが、不慮の事故死を遂げてしまう。
これがフェルゼンを首謀者とする暗殺であったとの噂しきりの状態であったのだとか。


そうした噂を知ってか知らずか、

国王カール13世はカール・アウグストの葬儀の差配をフェルゼンに命じる。
葬儀にあたって群衆の前に姿を現したフェルゼンは、

その群衆から殴る蹴るの大暴行を受け、あえなく落命…。


ちなみにちなみにこの日はですね、

フランス王室が革命の難を逃れるためフェルゼンが手引きして失敗となった
ヴァレンヌの逃亡事件の19年後のまさに当日であったというおまけ付きで語り継がれているようで。


こうしたあれこれを知ると、単に建物を見ているというだけではないような気にもなりますですねえ。