さてはていよいよ帰国便に乗る日になりました。
フィン・エアー は夕刻発になりますので、それまでヘルシンキのあちこちをもうひと回りというところ。


そこで、どうにも歩いては行けそうもないところだなと先送りにしてしまっていた
Sibelius Monumenttia(シベリウス記念碑)なら公園の中に置いてあるだけのようだし、
朝早くても開園時間も関係なかろうと早々に出かけることにしたのでありました。


ちょうどすぐ近くまで行くバスがホテルの目の前、
Svenska Teatern(スウェーデン劇場)の前から出るというのも後押しをしてくれましたですよ。


スウェーデン劇場@ヘルシンキ


前にもお話しましたが、ヘルシンキのバスは次の停留所に関する表示もアナウンスも無しですから、
乗り込むときには「シベリウス・モニュメントに行きたい」旨を告げて、最前列に座り(バスはがらがら)、
それでもトゥルク駅へ向かうときの例 もあることですから、自分でも位置確認と地図と首っ引き。


ところが、バスが通るのは大通りばかりではなく脇道にそれたりするものですから、
結局のところどこを走っているのか不明…となったところでドライバーが左側を指して「ここ、ここ」と。
即座に降車ボタンを押すということで、なんとかたどり着いたのでありました。


公園自体にSibeliuspuisto(シベリウス公園)という名前がついていますけれど、

要するにただ散策路があるだけ。
それでも、白樺の木立なんかはいい味だしてます。


シベリウス公園 白樺の木立


長方形のような区画になっている公園の短辺を横切ると海沿いの散歩道にでます。
お天気が良ければそれなりに気分もよく歩く気にもなりましょうが、今一つの空模様でしたので、
公園内に取って返して記念碑を目指すことにしますと、ほどなく異様なオブジェが目の前に。


シベリウス公園のオブジェ遠景


近寄ってみますとパイプオルガンの残骸のようなふうですが、
何でもフィンランドの彫刻家エイラ・ヒルトゥネン(「かもめ食堂」のトンミ・ヒルトネンを思いだしてしまう)が
1967年にシベリウスの像ともども制作したものだとか。


シベリウス公園のオブジェ近景


でもって、そのシベリウス像はといえば、こんな具合です。

観光名所ですので、まずは中国のツアーバスの一団が、

続いて欧米系(国は不詳)のツアーバスの一団がやってきては
ばちばち写真を撮って早々に立ち去っていきましたけれど、個人的な印象としては
「シベリウス、こんなになっちゃって…」といったところでしょうか。


シベリウス・モニュメント


というところでシベリウス絡みでふと思い出してみれば、
彼の葬儀が行なわれたヘルシンキ大聖堂に前日入れなかったのでもう一度行くんだった!と。


バス待ちしばしで中心市街へ戻ることにしましたが、
やってきたバスは往路と同じドライバーとは奇遇な!って、折り返してきたバスなのでしょうね。


さて、ヘルシンキ大聖堂(Helsingin tuomiokirkko)は前に遠望した写真しか載せてませんでしたが、
間近で見るとこのような建物。この旅でもあちこちで見た教会とは違ったデザインではないかと。


元老院広場のアレクサンドル2世像


手前に広がる元老院広場(Senaatintori)にはロシア皇帝アレクサンドル2世の像が建てられていて、
これまでフィンランドはロシアの圧政下に置かれていたことばかり触れましたが、
このアレクサンドル2世時代には比較的緩やかにフィンランド統治が行なわれた故の顕彰像だそうで。
ただ、頭の上に鳥がとまっているのは、瞬間的ながらご愛嬌と申しますか…。


ヘルシンキ大聖堂


もそっと近づいた大聖堂は長い階段の上にあって見上げることになりますけれど、
ともかく中に入ってみましょう。


ヘルシンキ大聖堂の天井を見上げる

外見がすっきりした白亜の建物であるのと同様に、中も至ってシンプル。
飾り付けはほとんど廃されて、ただただ天井の高さ、堂内の広々したところが目立つばかりですが、
これはこれで何となく威儀を正したくなる空間だなという印象。


ヘルシンキ大聖堂祭壇画

そうした中にあっては祭壇もシンプルながら、
少ない装飾のひとつである大きな祭壇画は目を惹くものであったなと思ったのでありますよ。

新宿でアンソール展 が開催中であるのと同時期に、府中でデルヴォー展とは!
これでマグリット 展があったら、それこそ三役揃い踏みだぁねとなるところですが、
アンソール展に続いて今度は「ポール・デルヴォー 夢をめぐる旅」展を見てきたのでありますよ。


これまた初期の、デルヴォーがデルヴォーらしからぬ絵を描いていたころから

晩年までを回顧する展覧会です。


「ポール・デルヴォー 夢をめぐる旅」展@府中市美術館


ところでポール・デルヴォー は1897年生まれですから、
すでに絵画界を取り巻く新たな動きは大きなものとなっていたと思われますけれど、

それだけに「へえ~、こんな普通の?絵をデルヴォーも書いていたんだ?!」という点では

アンソール以上かもですね。


これは20代の頃の「森の小径」(1921年)という作品。
解説に「教科書的」との表現がありましたが、確かにそうだよねえ…と。


この後も淡彩と単純化された形状でセザンヌ 風に描かれた作品や、

ピカソ の白の時代を思わせる作品、暗色が多くおとなしいヴラマンク ?とも思われる作品など

さまざまな試みをしていくわけですが、転機となるのは

シュルレアリスムとの出会いということになりますですね、やはり。


1934年と言いますからデルヴォーは30代後半、
ブリュッセル で開催されたミノトール展でのシュルレアリスム作品との遭遇が

デルヴォーを「自由」にしたとか。
本人曰く「合理主義的理論を乗りこえる自由」と表現しているようです。


そうは言いながらも、

絵画等も含めた文化、思潮の総合的な運動であったシュルレアリスムに対して、
大きな運動そのものには必ずしもデルヴォーは近づかなかったのだとか。


後のいかにもデルヴォーらしい作品は一見したところそれらしさを醸しつつも、
いわゆるシュルレアリスム絵画がもたらす突拍子もない意外性はないですよね。


裸婦、機関車やトラム、古代都市等、デルヴォーの気に掛け続けたものが
モチーフとして繰り返し配置、背景を変えて登場するというのは、要するに作者の「夢」の世界。


「夢」を描き出すこと自体はシュルレアリスム的ではあっても、

逆にその枠を出ないで描き続けるというのは、
「これで目を開かれたけれど運動にはのらないよ」といっているような気もしないではないような。


まあ、個人的にはシュルレアリスム展 を見ても

「その何たるかは措いといて…」と言ってしまうものですから、
理論的な面に深入りはできませんので、このくらいにしておきますが、
もっとシンプルにというか、勝手な思いでもってデルヴォーの作品を読み解こうとする試みは
あっても良いのではないかと。


そうした試みの点でまず目にとまるのは比較的早い時期でしょうか、
1944年の「訪問Ⅳ」という作品です。


ポール・デルヴォー「訪問Ⅳ」


パッと見ではタイトルが「訪問」というのだし、
左側の女性の家を右側の女性が訪問し、

扉を開けて室内に入ったところを描いているんだろうと。


いずれの女性も着衣であって、何ら戸惑うところもなく、
デルヴォーらしからぬと素通りしてしまいそうな一枚です。


でもですね、変なのですね、この絵の場面。
開かれた扉から青空が覗いているように昼間ですけれど、
外の明るさをしのぐくらいに室内が明るいせいか、右側の女性の影が扉に映っています。


その影と左の女性の影とを考え併せても、光源は両者の左斜め上に思われますが、
よく見ると扉の外に見える木の影もまた人物たちと全く同じ方向にあることが分かります。


ということは、扉と壁はあるけれど、この建物らしきものは実は屋外にあるのではないか。
でも、そうするとどうして右側の壁に光が当たっていないのか。
もっとも、光源が室内であっても右側の壁は明るくないとおかしいではないか。
…てなふうな思いがふつふつと湧き起こってくるのですね。


要するに(と、勝手に考えるわけですが)現実世界を描いているようであって、
そうじゃないというヒントだったりするのではと思ってしまうところなのですよ。


そう考えれば、タイトルの「訪問」というのも、現実的にAさんがBさんを訪ねてきたところ…で
終わってしまうはずがないと考えたくなるわけでして、
どこかしらへの訪問を終えた自分が自分のところへ帰ってきたところ。
つまり、どこかよそへ「訪問」し終えたところなのかもと思ったり。


比較的派手な装いの女性を地味目な女性が迎えているというのも、
自分自身の違う面の対比のように思えたりもするところです。


デルヴォー展フライヤーより「行列」


も少し後、1963年の「行列」はどうでしょう。
こちらの方が状況的によりシュールな印象ですけれど、
まずもって明るいんだか暗いんだかという現実らしからぬところが見てとれます。

右奥にポツンと灯る街灯あたりからはマグリット の「光の帝国」を思い出してしまうという。


そして行列する裸婦たち。
髪形や髪の色には違いがあって、同じなのは顔つきであり表情であることからすれば、
これは(アンソールではありませんが)仮面なのではと思っても不思議はないかと。


何のためにどこに向かう行列なのかはさておいて、何かしらひとつのことに向かうときに
それに携わる者たちはみな同じ顔つきになってしまっていますよ…と、
デルヴォーに言われたら「なるほど」と思うかもしれませんよね。


とまあ、こうした具合に絵の前にあって「うむう」と頭を捻るのは楽しくもあり、
くたびれもするのでして、少々展示が少なめとは思ったものの、このくらいでも
もうお腹いっぱいならぬ、頭がパンク状態になりそうなデルヴォー回顧展なのでありました。

今回の旅ではストックホルムでオペラ を観ましたけれど、
ヘルシンキではオーケストラの演奏会に二度ほど出かけてきました。


ことさらにご当地ものを有難がる方でもないながら、それでもせっかくですから

フィンランド放送響やらヘルシンキ・フィルでシベリウスを聴きたいものよと思いましたが、
例によって夏場はクラシック音楽のオフ・シーズン。


その代わりに、ここヘルシンキでは8月の後半に

ヘルシンキ・フェスティヴァルというイベント期間があるのでして、
ちょうどその一環としてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の引っ越し公演があったものですから、
二晩続きの二回の公演をいずれも聴いてみたのでありました。


フィンランディア・ホール

ヘルシンキのコンサート・ホールといえばフィンランディア・ホール!

だとばかり思っていたのですが、どうやらそうでなないようで。


フィンランディア・ホール外観

すぐお隣に新しいミュージック・センターが出来たこともあってか、

フィンランドの著名な建築家アルヴァ・アアルトの設計による白亜の殿堂も色褪せて見えるような。


Helsingin Musikkitalo

一方で、新しい建物Helsingin Musikkitalo(ヘルシンキ・ミュージック・センター)の方はといえば、

2011年8月のオープンということで、ぴっかぴか。

モダンな建物であり、吹き抜けロビーもきれいで洒落たふうでありますね。


ヘルシンキ・ミュージック・センターの吹き抜けロビー

ちなみにHelsingin Musikkitaloというフィンランド語が

ヘルシンキ・ミュージック・センターの意味となると「italo」がセンターの意なのでしょう。


「Italo」と言えば、最近ならイタリアの高速列車ばかりが思い浮かびますけれど、

音が同じ言葉なのに意味はいろいろでありますねえ。


ところで、このコンサート・ホールの面白いところはモギリの担当がいないこと。

席へと続く通路の角あたりに適宜配置されている担当者にチケットをちら見せすればOKで、

ずいずい勝手に席に着くといったふう。

建物の外側からロビー、そしてホール内に至るまで何とも言えずオープンな感じでありましたよ。


ちなみに二晩通いで、一晩目はオケ後方の座席、ふた晩目にはオケ正面の座席と

取り分けてみたところ、オケ後方からステージを見下ろすとこんな具合です。


後方席からステージを見下ろす

いかにもモダンな感じでありますねえ。

こうしたのも、デザインの国フィンランドなればこそでありましょうか。

客席の方も相当にイケてます。


ヘルシンキ・ミュージック・センター ホールの客席

なんとまあ、客席の配列がユニークなこと!

白黒のコントラストからすると、壊れてしまったチェンバロの鍵盤のような…。


そして、今度はふた晩目の前方の座席からステージを見ると、こんなふう。


前方席から臨むステージ

…というようなホールでもってライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の演奏を聴いたわけですけれど、

一日目は長い歴史のゲヴァントハウスに指揮者としてもその名を残すメンデルスゾーン の特集。


序曲「ルイ・ブラス」にニコライ・ズナイダーの独奏によるヴァイオリン協奏曲、

そして交響曲第5番「宗教改革」というプログラムで、さすがのゲヴァントハウスも

古いオケだけあって(?)エンジン始動には時間がかかるのか、

最初のうち特にいささか響きが薄く感じられたものです。


ただ、透明感という言葉が似合うホールでもって、同じ言葉を思わせる交響曲第5番は

(好きな曲だけに)いい気分で聴いておりました。


ふた晩目はメシアンの小品をいくつかの後に、マーラー の交響曲第6番という重量級。

こう言ってはなんですが、前日のメンデルスゾーンは小手調べだったのでしょうか、

頑張ってましたですよ、特に木槌が(笑)。


とまれ、堪能、堪能でありました。

フィンランドの国立美術館アテネウム では大きな企画展の故か、

あまりよその国の画家作品を見ることができませんでしたので、

ここではもっぱらフィンランド作品を見たということになるかいね…と思っていた矢先、

これまたヘルシンキ・カード の案内で見つけて訪れたところで、

思いがけずも泰西名画に遭遇することになったのですね。


その場所というのが、

Sinebrychoffin taidemuseo(これはシネブリュコフ美術館というようです)なのでありました。


Sinebrychoffin taidemuseo


なんでもかんでもアテネウムと比べるはどうかと思いますが、

そちらが駅前美術館という交通至便の場所にあるのに対して、

こちらシネブリュコフ美術館はいささか街はずれといったおちついたロケーションでして、

通りに面した建物の奥には大きな公園が広がっているという環境。

きっと、公園自体が庭だったのでしょう。


来場者も少なく、とってもゆったりした気分で泰西名画を眺められるというのはいいですねえ。

順不同ではありますが、足をとめた作品の一部のことに少々触れてみるといたします。


Antoine Watteau「The swing」

これはアントワーヌ・ヴァトー の「ぶらんこ」という素描作品。

比較的ロココ期の作品が多くあるなあと思いましたけれど、

そうした時期に貴婦人たちは森にしつらえたブランコで戯れつつ、

愛を語りあったのでありましょうか。


「ぶらんこ」と言えばどうしたってフラゴナール を思い出すところですが、

あちらが皮肉な笑いを含んでいたことを考えるとヴァトー作品は仕掛け無しの

当時の風俗なのかもしれませんですね。


Louis Lagrenee「pygmalion and his statue」

こちらもロココの画家、ラグルネによるピグマリオンのお話を題材にした一枚です。

後のブグロー などフランス・アカデミスムに連っていくのだろうなあと思われます。


一方でピグマリオンといえば、ちょっと前にジェローム の作品を見ましたけれど、

やっぱりジェロームのようにギリシア神話そのものの話が持つところを掘り下げて見せるより、

こうしてプットーに取り巻かれていたりする方が「らしい」神話画と

受け止められていたのですかね…。


フランソワ・ブーシェ「ダナエ」

ギリシア神話つながりでお次はブーシェの「ダナエ」であります。

ゼウスが黄金の雨に化身して降り注いでくる場面ですけれど、

作家ごとに工夫が見られるところです。


ブーシェの場合、ダナエの表情は読み取れませんが結構自然体な印象。

「あら、こんなところに雨が…」といったところかもしれません。


ティエポロ「The rape of the Sabine Women」


今度はローマのお話に転じて、ティエポロ作「サビネの掠奪」。

英語の題名はもっと直接的に内容を表していますけれど、

ティエポロの速い筆運びがドラマティックさを強調しているふうでありました。


レンブラント「Franciscan monk」


劇的な一枚のあと、最後として静かな静かな一枚を。

レンブラント がフランシスコ派の修道僧を描いたものですけれど、

見ている側も静かに対峙してしまいますですね。


とまあ、ほんの一端だけ振り返ってみましたが、

ほんとに見落とさずに来られて良かったと思うシネブリュコフ美術館なのでありました。

先日は東京都現代美術館での「特撮博物館」展 で上映されていた短編映画に

「?」を呈しましたけれど、特撮という技術そのものを貶めるものではないのでありまして…。


と、時期外れの言い訳めいた物言いから始めとりますが、
同展のことを書いたときに触れた「妖星ゴラス」とそれとは別にもう一つ
「緯度0大作戦」という特撮映画を二本観る機会があったものですから。


日本映画専門チャンネルという衛星放送で昔々に東宝が作った特撮映画を
特集放送しているのにたまたま気が付いたので観ることができましたけれど、
いずれも1960年代の映画で、言わばキワモノですからレンタルショップでも置いてあるかどうか

というものだけに、何だかとっても貴重な機会を得たような気がしておりますよ。


考えてみると、何らかのテーマに従った特集上映はかつて名画座 が割拠していた頃に
その映画館の個性として行っていたように思われますけれど、
このほどついに浅草から映画館が消えることになったと報じられましたように
名画座の存立は風前の灯といった中で、その衣鉢を継ぐようなことが

衛星放送では行われていたのですねえ。


ただ単に映画館での上映が終わってしばらく経った映画を
なんとなく人気のほどを勘案して放送しているとばかり思っていたものですから、
いささか認識を新たにした思いと言いますか。


と、名画座談義はともかくも、まずは1969年公開の「緯度0大作戦」です。


緯度0大作戦 [DVD]/東宝


公開された当時をよく覚えておりますけれど、その頃の東宝はゴジラをメインにした怪獣特撮映画と

すでに放送済みのTV漫画のいくつかを組み合わせては「豪華5本立て!」みたいな口上のもと、
子供向けに「東宝チャンピンまつり」というのをシーズンごとに展開しておりました。
(対抗して「東映まんがまつり」というのもあって、宮崎アニメ の原点もあったりするかと…)


怪獣好きの子供たちは東宝チャンピオンまつりが大好きだったわけですが、
そうした東宝特撮ものの中にあっていささか異色だったのがこの「緯度0大作戦」でして、

子供向けとしてはゴジラ系のような魅力に乏しく、大人からすれば子供向けと思われたでしょうから、
大コケした一本ではなかったかと。


ネタばれになりますが、極めて簡単にストーリーを紹介しますとこんなふう。
海洋探索で海中深く下ろされた潜水施設が海底火山の爆発によって深海を漂流することになります。

これが潜水艦アルファ号に助けられて、乗組員が連れてこられたのが

「緯度0」と言われる高度な科学技術を持つ海底の国。


これに敵対する悪の勢力との戦いに勝利し、

あれこれの稀有な体験を土産にして乗組員の一人であった新聞記者は地上の世界に戻りますが、

誰も彼の話を信用しないばかりか、たくさん撮りためてきた写真のフィルムには何も写っていない…。


多分に浦島太郎的な結末を予感しながら観ていたわけですが、
最後に出てくる意表を突いたダブル・ロールといった不可思議さは

大人にこそ頭を捻ってもらいたいところでしょう。

しかしながら、後からWikipediaを読んでびっくりしたことには、

まるきり東宝チャンピオンまつりであるかのようにTV放送された「巨人の星 」のどこかしらの回との

併映であったとなれば、そりゃあ大人は来ないでしょうね…。


お次の「妖星ゴラス」はさらに古くて1962年の公開作。
明らかに大人向けのSF映画として作られてるなという印象で、

むしろパニック映画の起源なのではなかろうかと。


一般的にパニック映画の嚆矢とされるアメリカ映画の「大空港 」が1970年ですから、

それに先んじている?


でも、そうすると、そもそも「ゴジラ」(1954年)だってパニック映画だしなと。

となれば、アメリカ映画の「キング・コング」(1933年)の方がさらに早いか…。


妖星ゴラス [DVD]/東宝


それはともかくとして「妖星ゴラス」。

太陽系外から謎の白色矮星が飛来し、このままで地球に衝突する!という設定なのでありますよ。
ちなみに白色矮星なるものをwikipediaで見てみますと、こう説明してあります。

白色矮星(はくしょくわいせい、white dwarf stars)は、恒星が進化の終末期にとりうる形態の一つ。質量は太陽と同程度から数分の1程度と大きいが、直径は地球と同程度かやや大きいくらいに縮小しており、非常に高密度の天体である。

映画の中でも、ゴラスと名付けられたこの星は地球の6,000倍の質量を持つ一方で、
大きさは地球の3/4程度とされているのですね。

大きさはともかくこの質量の巨大な星が接触すれば地球はひとたまりもない。


今や世界は一丸となってゴラス対策を講じなければならない…となるわけですが、
こうしたときにアメリカ映画ならアメリカ人がイニシアティブをとるように
日本映画なので日本人がイニシアティブをとり、紛糾する国連の会合を仕切ったりするという。


ともあれ、対策として浮上したのは南極に巨大な噴出装置をたくさん作り、

地球を動かしてゴラスをかわそうという作戦。


よく「宇宙船地球号」といった言い方がされますけれど、この言葉(Spaceship Earth)は
19世紀後半にアメリカの政治経済学者ヘンリー・ジョージが使ったそうなんですが、

果たして意識していたのかどうか…。


ゴラスに衝突されても困りますが、

宇宙はさまざまなバランスで出来ているところを地球自体が従来の軌道から外れるとすると、
もやはそれまでの地球の環境ではなくなってしまうように思いますが、どうなんでしょう。


と言いつつ何ですが、

この「妖星ゴラス」はB級の傑作くらいの位置づけはあっていいように思われますね。


やっぱり何かしら怪獣は登場させなくちゃとばかり、

巨大セイウチみたいなのを唐突に登場させてしまったりするあたりも含めて
奇天烈な映画であることは間違いないんですが、日本の内閣で責任のなすりあいが起こる様子、
国連ではこの後に及んで自国の開発技術を出し惜しみする各国の様子、
ゴラス対策を担当する科学者を乗せたタクシーの運転手が「ゴラスが来たらどうする?」と聞かれて、
「何とかなりますよ、いつもそうなんだから」といささかも動じない様子…などなど、

いろいろとよく描きこんでるなぁとの印象も。


そして、すっかり後回しになってしまいましたけれど、特撮も凄いですね。
もしかすると公開当時の人たちは、特撮を本物と見紛うリアルさと受け止めたかもしれませんけれど、
今では(こういってはなんですが)作りもの、おもちゃだと分かっていても、
人間はそれを想像力で補完して見ることができるんだなと気付かせてくれるという。


そういう点からすれば、特撮は懐かしいような古いもので見てこそ
真価が発揮されるのかもしれないと思ったりしたのでありました。