駿豆紀行の合間にも違った話を少々…というわけで、
多摩センターの多摩美術大学美術館で見ました「SOUL@AFRICA アフリカの魂」展を切り口に。
古くは13世紀あたりの粘土をこねたと思しき小像や15世紀の鉄仮面といった非常に土俗的なものから、
リアルタイムのアフリカ作家による極彩色(?)の作品までとりどりのアフリカが展示されていたのですね。
最近の作品は極彩色と言いましたようにエナメル絵具を使って、
実に(時にけばいほどに)鮮やかな色彩が踊っておりますけれど、
主題的にはといいますか、根っこのところでは作家それぞれの民俗的な背景に根ざした
作品作りをしているやに見て取れたわけです。
その一方で絵具やキャンバスその他近代社会が持ち込んだ材料に頼ることなく、
それこそ制作年代を見なければ「こりゃ、古そうなものだな」と思ってしまうようなものもあるわけです。
デザイン的洗練といった点では異なっているとはいえ。
さりながら「とはいえ」と言いましたけれど、では古いのと新しいのとどちらに惹かれるかと言えば、
実は古いものであったりするのですね。
ひと言で言うと「素朴さ」という点においてということになりましょうか。
それぞれの民族の歴史を振り返った場合に、
作品が制作された当時の状況に「素朴」という言葉を当てはめてしまっていいのかどうか
という迷いはあるもののです。
そして、実はシドニーに行ったときに見たアボリジナル・アートにも
おんなじことが言えるような気がするのですね。
いろいろな知恵(と言うとまた語弊もありましょうが)がつく前に人間が感じたままに作り上げた、
作品というよりはむしろ実用品であったろう品物の数々は、
やはり「素朴だなぁ」という点をもって良いということを現代人にも感じさせるのですから、
なにやら見る側の感性や知性以前の本能的なところへの訴えかけなのかなと。
大げさな物言いですけれど。
これは美術といった視覚的な部分だけではないようですね。
シドニーからブルー・マウンテンズ
へ行った帰りがけに立ち寄るのが定番らしいルーラという町は、
個性的な小さな店が立ち並ぶ商店街(女性には時間が足らず、男性は時間をもてあますような)に
なっているのですけれど、そこでアボリジナル・アートの店を覗いたわけです。
視覚的作品(つまりは絵画とか)にも「くくっ」と心動くところがありましたけれど、
結局買ったものはといえば、その店でBGMとして流していた音楽のCDだったという。
予備知識全くなしで出会いがしらに感じたままに買っていたわけです。
感じたまま、そう、素朴さなんですね。
しばらく買ってきたことを忘れていてそのままにしてあったのをよくやく聴いてみながら、
シンガーのGURRUMUL(グルムルさんというらしい)を検索してみたりしましたが、
どうやら盲目のアボリジニ・シンガーとして有名な方らしい。
ただそんな情報はともかくとしても、試しに聴いてみていただこうかとYoutubeで探したものの、
このCDの収録曲(で特にお試しいただこうかと思った曲)が見当たらないので、
ご面倒でなければ、こちらのページ
ででも。すこぉしずつ聴けるようです。
最適な言葉かどうかは別として、「素朴」と感じたのが分かっていただけるのではなかろうかと。
それにしても素朴に惹かれるというのは、
きっと今が素朴とはかけ離れた状況にあるからなんだろうなと思い、
そうしたことは決して個人的なだけのことではなかろうとも思うのですけれど、
はて皆さまにとってはいかがでありましょうや…。



















