映画「のぼうの城」
で人物的にはちと分かりにくいものとなってはいましたけれど、
石田三成という人はどうも合戦を仕切る才能は今ひとつであったことは偲ばれるわけでして、
そんなところから頭の中には、すっかり忘れていたとある歌のフレーズが浮かび上がってきたのですね。
十万の兵士 率いて敗れた 石田三成 愚か者
というのが歌詞の一部にある歌。
海援隊、といっても坂本龍馬
ばかりが思い浮かんでしまうかもですが、
今ではすっかり役者然としている武田鉄矢さんが若かりし頃に
「母に捧げるバラード」などを歌って(語って)いたバンド名でして、
その海援隊の歌であったことまでは覚えているのですが、タイトルが分からない。
早速にネット検索しますとタイトルは「二流の人」と出ました。
「おお、そうだった、そうだった!」
アルバム「倭人傳」に入っているということも思いだしてきました。
ただし、先に触れた石田三成がタイトルの「二流の人」なのではなくてですね、
黒田官兵衛孝高、後の名を黒田如水、その人のこと。
映画「のぼうの城」のことを書いたときに水攻め絡みで引き合いに出した
司馬遼太郎「播磨灘物語」の主人公でありますよ。
比較的最近では昨年の大河ドラマ「江」
では柴俊夫さんが黒田官兵衛を演じてましたが、
その時の印象はすでに老境近い(つまりは枯れた感のある)軍師として秀吉に仕えている、
そんなふうに見えました。
秀吉にも重宝された軍師であったのに「二流の人」とは、これいかに。
この「二流の人」の意味合いは端から格落ちしてることを言っているのではなくして、
「一流になりそこねた人」的なところではないかと。
実際、歌のお終いの方には、こうした歌詞が出てくるのですね。
黒田官兵衛 苦笑い 一生ツキが無かったと
黒田官兵衛 にぃがぁわぁらぁい~!!
歌の中では、関ヶ原の戦いがせめてひと月続いていたならば、
九州は豊前中津の居城から兵を束ねて駆け上り、
へばった家康を討とうてな思いが示されてますが、
十万の兵士も石田三成が大将ではひと月はおろか、一日で勝負がついてしまった…。
こうした官兵衛の思惑が本当なのだとしたらあまりに他力本願ですし、
しかも他力として頼むのが三成で大丈夫なのかと考えれば、そもそも無理があるのではと。
とまあ、歌の内容からだけでは「二流の人」たる本領が必ずしも伝わらないと思うところながら、
これも検索の過程で分かったことですが、「二流の人」という小説があるのですね。
坂口安吾作でしかも黒田官兵衛を扱っているという。
となれば、武田鉄矢作詞の「二流の人」は坂口安吾に由来していたのかと
早速に小説の方を読むことにしたわけなのですよ。
さすがにこちらの方では、
秀吉の軍師として扱われるだけあっての才気煥発ぶりにも触れられとりますが、
いかんせん才気走り過ぎているあたりが「一流になれなかった人」の本領っぽくもあり、
才を驕って深慮が足りなかった点で二流とはいわずとも「一流になる必然はなかった人」かとも。
合戦に臨んで秀吉が「作戦はどうしたものか…」と思案に頭を悩ますことをひと晩。
明けて官兵衛を呼び出すわけですね、軍師ですから。
「どうしたものかのぅ、官兵衛」と相談を持ちかけるや、
秀吉がひと晩頭を捻っておぼろにつかんだ案の全体像を間髪入れずに進言する官兵衛。
「さすがは、軍師」と持ち上げる秀吉ながら、その目が笑っていないことに官兵衛は気付いて
「しまった…」と内心思うも後の祭り。
確かに才は抜きんでたものがあることを示すエピソードであると同時に、
秀吉の問いかけに「そんなの簡単だよ」と鼻高々に応えてしまう自尊心と
そうすると大将・秀吉の顔が立たないことに気が付かない目配りの無さが感じられますねえ。
(最後の部分は、三成もそうですが、決定的に大将の器でないような…信長タイプは別として)
あんまりこうした部分だけ取り上げますと、
戦国期や江戸時代のあれこれをビジネス・シーンにもってきて
あれこれ教訓にするようなハウツー本みたいになってしまいすが、
個人的には好まぬところなので、これくらいに。
ところで読み始めて思ったところは、
あたかも講談調とでも言えそうな、坂口安吾の語り口ですね。
「声に出して読みたい日本語」なんつう本がありましたけれど、
そこに並んでいるようなものほどに格調高い日本語ではないものの、
ついついセリフ回しを意識しながら読んでしまったり。
そして、全体的に言えるシニカルなトーン。
それでこそ「二流の人」とのタイトル付けもさもありなむというところかと思うのでありましたよ。

