小さな恋のメロディ」には
ビージーズとCNS&Yの佳曲が全編に散りばめられていましたけれど、
ひところの映画っていうのは、かなり音楽が独り立ちできるくらいの感じであったなぁと
思ったのですね。


そこで思い出すのが、イタリアの作曲家ニーノ・ロータでありますね。
どうやらご本人は純然たる(?)作曲家としての思いが強かったやに聞いておりまして、
確かに交響曲やらも作っておられるようではありますけれど、
どうしても映画音楽作家のイメージが強いのですね。


今やエヴァーグリーンともなった数々のメロディを紡ぎだしたニーノ・ロータは、
映画の音楽作りは片手間くらいの意識だったというご本人の思いをよそに、
多くの人の記憶に残っているような気がしないではありません。


映画のための音楽といったときに、いわゆる「作曲家」の方が携わるには
いささか格落ち的なイメージがついてまわってしまうからでもありましょうけれど、
例えば「ロミオとジュリエット」、「太陽がいっぱい」、「ゴッド・ファーザー」のシリーズ、
そしてフェリーニの「道」と、携わった作品を少しばかり挙げただけでも、
いろいろなメロディが頭の中で響きだすのですから、これはこれで大変なことではないかと。


プレイズ,ニーノ・ロータ/ニーノ・ロータ


単純に「劇伴」と言う言葉を使ったとしたら、
映画はもちろん、芝居にしても、バレエにしても「劇伴」であることに変わりはないのでして、
こうした類いの曲作りと考えればベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」にしても、
メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」とか、チャイコフスキーの「白鳥の湖」などなどなど、
不朽の名作といっていいものが目白押しなわけですね。


こうした舞台芸術に音楽を付けること全てが格落ちだと言ってしまうのであれば別ですが、
これはこれでひとつの種類と考えれば、映画というものメディアが出来てからは、
そのための音楽を鋭意作曲した人たちも、
プロコフィエフなんかを筆頭にこれまたたくさんいるわけですし。


時代背景としては、1928年に映画がトーキーとなって、
映像と同時に音が記録されるようになった頃、映画音楽は時流にはちと遅れめながら、
後期ロマン派の壮大な管弦楽スタイルとして始まったようなのですね。


さりながら、映画の技術的な進歩に伴って、繊細な描写なども取り込まれるようになってくると、
音楽がやたらにがなりたてるのはマッチしませんから、
いま少し内省的なふうでもある音楽がつけられるようになったようなのですね。


ニーノ・ロータ自身の映画との関わりは1933年に始まるといいますから、ずいぶんと早いわけですが、
1950年代からフェデリコ・フェリーニ監督作を手がけるようになった時期が、
ちょうど映画音楽にじっくり感が求めらる頃合だったようで、
うまくフィットする音楽を紡ぎ出していったようです。


なんでも生涯に138本の映画で音楽を担当したそうで、これはもう、ご本人がどう思おうと、
間違いなく残した業績の大きなところを占めていると言っていいのではないかと思いますよね。


ということで、ここで何かを聴きたいところですが、どうでしょう。
「太陽がいっぱい」ではいかがでしょうか。