田山花袋 の「蒲団」をモティーフにして、大変面白い小説「FUTON」 を展開してくれた中島京子さんの
温故知新小説?が登場したとあって、読んでみることにしたのでした。

題して、「女中譚」。

中島京子「女中譚」



語り手を同じくする三篇の連作ですけれど、
それぞれが林芙美子「女中の手紙」、吉屋信子「たまの話」、

永井荷風「女中の話」のトリビュートになっているのですね。


話は現代の秋葉原に始まるという、なかなか意表をついた出だし。
オタクの巷に現れたのは、本作の語り手であるおすみばあさん。
90歳を遥かに超えた年齢という、この老婆が赴く先がなんとまあ、メイド喫茶なのですよ。


古えの女中が、いまやメイドということになりましょうか。
語意的にはかなり捩れが生じていますけれどね。
ただ、そっち方面で想像を逞しくすれば、やはり女中と言う言葉にも淫靡な受けとめ方があるのやも。


おすみさんが語りだす昭和初期の様子というのが、

島田雅彦の描く「退廃姉妹」にも通ずる妖しいものに思われてきます。

実際そのような妖しい部分もないではありませんけれど、
おすみさんが関わる3つの話は、昭和6年、昭和10年、昭和13年の世相を反映したものなのでしょう。
そして、その当時の女性の生き方のようなものは、

やはり宇野千代の「色ざんげ 」の世界とも無縁ではないのかなと。


しかし、世相と言う点では、満州からの引き上げや二・二六事件、

果ては独逸帰りが関わるベルリンでのナチスの台頭といったものまで取り込んで、

物語を紡ぐことの面白みといったことの方にも思いが及んでしまうのですね。


とまれ、作者自身がこんなことを書いています。

女中と近代小説は、相性がいい。〈近代小説の祖〉とまで言われる、サミュエル・リチャードソンの「パミラ」は、女中を書き手に据えた書簡体小説だ。他人の家と事情に鼻を突っ込む〈他者〉である彼女たちは、小説の視点人物として、これ以上ない適役なのだろう。

他人の家の事情を面白おかしく、時には多分に脚色を凝らして語る部外者。
「家政婦は見た」にも繋がる下世話な話が、人は結構好きなのかもしれないですね。


最後にはあの秋葉原の通り魔事件のさなかで静かに事切れるおすみさんの、

語りを含むこの物語全編はそのような興味本位だけで終わらない仕上がりを見せているとは思いますけれど。